2025-09-05 13:22:40
10140文字
Public 紫白:短編
 

とても短いものまとめ

帯に短し襷に長しでお話にも4コマにもならなかったものたちです。




是是非非/生生流転(程普と白)


 たまには顔を見せろ、と声をかけてから、白鸞はごく稀に、本当に顔を見せにだけ程普の部屋を訪れることがある。
 その日も、白鸞は音もなくやってきた。するりと入ってくる白鸞を目の端にとらえると、程普は忙しなく動かしていた筆を置き、顔を上げた。いつものように適当に腰を落ち着ける場所を探していた白鸞は、それに気づいて訝しげに一歩下がる。それを見て程普は、ゆっくりと口を開いた。
「お前に聞けと言われていることがある」
挨拶も無く労りの言葉も無いが、白鸞が過剰なそれらを好まないことは知っていたので、程普は遠慮せず先を続けた。
「答えなくとも良い。また顔を見せに来るのであれば」
要件のみの言葉を聞いて、白鸞はじっと程普を見ると、部屋の入り口あたりの壁に背を預けて腕を組んだ。
「聞くだけ聞こう」
一応は留まる姿勢を示したので、程普も白鸞の方へ向き直る。
「お前が、孫権様のために色々と働いてくれているのは多くの者が知っている。なぜ士官という形を拒むのだ?」
魯粛か」
「まぁ、そのあたりだ。紫鸞とて、官位を拒んだにせよ形はとっている。一度は敵対していたからとお前は言うが、甘寧もそうだ。他に理由があるのではないか?」
「聞いてどうする」
「どうもせん。内容によっては、吾輩の胸に留めるのみだ。言ったであろう、答えなくとも良い」
白鸞はじっと程普を見ていた。少し俯いて、長い前髪が目元を隠し、普段通りにただ閉じただけの口元からも、その心は読み取れない。しばらく見合って、程普はため息をつくでもなく、姿勢を戻して筆に手を伸ばした。もとより、黙って入ってきて黙って出ていくのが白鸞だ。役目でもあるから声をかけてはみたものの、好きにすれば良いと思っている。程普は存外、この物静かで、頑固で、自分にも他人にも厳しい若者を気に入っていた。
「紫鸞が記憶を取り戻す前から、あれが『太平の要』だと気づいていた者がいたと聞いた」
程普が白鸞から目を逸らすと、白鸞は口を開いた。本当に猫のようだなと思いながら、相槌は打たないでおく。
「我らがどのようなものかを知りながら、それでもお前たちはあれを戦場に出した」
太平の要は、多くの民の生活を守るために、それを脅かす者の命を奪うことを役目とし、理想への妥協としている。故に戦場に出ることはない。雑兵たちの多くは平時には民であり、そこで奪われる命は、本来太平の要が守るべきものなのだ。
「我らは武人ではない。どのような風が吹いていようとそれに乗って飛ぶ。だが、不快な風の中は飛びたくない」
宙に浮いていた程普の手は、筆には届かず机の上に戻った。相槌は打たないが、外していた視線を白鸞に戻す。
「飛ばずに、生きられるか」
その言葉に、白鸞は一度目を閉じ、おそらく全てを隠してから瞼を上げた。組んでいた腕を解く。
「死なずにいることは、生きることよりもいくらか容易い」
静かにそう言うと、白鸞は壁から背を離した。
「また顔を見せに来くるのだぞ」
背を向けられる前に程普が言うと、白鸞は口を引き結び、踵を返す。返事を期待するというよりは程普の願いだったので、まあよいかと再び筆を取ろうとすると、
「私の足が、まだ動くうちは」
と小さな声が耳に入ってきた。顔を上げて戸口を見やると、白鸞はもう居なかった。時折、白鸞が紫鸞を片翼と呼ぶのを、程普は知っている。おそらくもう片方の翼は、失われたのだろうということも。自らを鳥に喩えながら、彼はもう飛ぶことはないのだと、程普は解した。そして、今度こそ筆を取る。報告のための竹簡に、迷うことなく、答えは得られなかった、と認めた。


〜おわり〜