riririnf
2025-08-30 10:14:17
58884文字
Public
 

世界から花が消えたなら

ヌヴィフリ花吐き病書いてみた・後編
【四章】君は向日葵 P1~【五章】世界から花が消えたなら P4~【六章】この恋は花にのせて P6~
※捏造・ネタバレ過多。



「私は如何なる理由があれ、君が苦しめられたことに怒りを覚えずにはいられない。だが同時に、君は一切を赦してしまうのだろうとも思っていた」
 フリーナの涙がやっと落ち着いてきた頃。すっかり腫れぼったくなってしまったフリーナの瞼を権能で癒してくれながら、ヌヴィレットは言った。
 その声音には諦めと呆れ、そして一縷の寂しさが宿っているようにも聞こえて、フリーナは眉尻を下げる。
 とはいえ、民の冤罪を前に口を噤むことは出来ない。
「民が神に祈るのは当然のことだ。赦すもなにも、最初から罪そのものが存在しないのさ」
……そうか」
 案の定、ヌヴィレットはしんみりとした笑みを浮かべた。
 フリーナは一気にいたたまれなくなり、別の話題を探して視線を彷徨わせ。そして見つけた。ライティングデスクの上に置きっぱなしにしていた、一通の手紙を。
「そうだ、見てくれヌヴィレット! ナヒーダからお礼の手紙をもらったんだ!」
「──ナヒーダ?」
 フリーナは殊更に明るい声を出し、ライティングデスクを指差す。けれどヌヴィレットはちらりと視線を向けただけだった。代わりに怪訝そうに眉を顰める。
 神と敵対する元素龍に神の話題を振ることは、あまり良いチョイスとは言えない。それは分かっている。けれど他に話題もないのだ。このまま突き進むしかない。
「最初に送った時には、きちんと草神ブエル様、って書いたんだけど、返信にナヒーダと呼んでほしいって書いてくれていたからさ」
「待て。その口振りからすると、手紙のやり取りは初めてではないのか?」
「え? うん。花吐き病が治った後からだから、もう半年くらいになるかな」
 最初に手紙を出した時には、万が一にも粗相があってはならないと身構えて、何枚も便箋を無駄にしたものだった。
 相手は他国の神さまだから返事もないだろうと思っていたのだが、なんと一週間も経たないうちに返信が来た……というより、遣いの者が直接運んできた、が正しいか。
 日中フォンテーヌ廷を歩いていたら、稲妻風の笠を被った少年が気配もなく突然に現れて、『君がフリーナ?』と確認もそこそこに、若葉色の封筒を突きつけてきたのだ。
 急な出来事にぽかんとしていたフリーナには構いもせずに、少年は皮肉な笑みで言い放った。
『いい性格をしているよ。僕を伝書鳩代わりに使おうだなんて。神の傲慢というのは流石だね』
 まったく身に覚えのない文句にどう返したらいいか分からなくて、フリーナは固まってしまった。結果少年は鼻白んだように笑みを消し、今度は憮然とした顔になる。
『ほら、早く受け取ってよ。クラクサナリデビからの返信だ。君が受け取ってくれなきゃ帰れないんだ。それとも僕への嫌がらせかい?』
 そうと急かされ慌てて封筒を受け取ると、少年はフン、と鼻を鳴らして、風に紛れるように去って行った。
 最初から最後まで、首尾一貫して態度の悪い彼だったが、どこか偽悪が滲んで見えて、フリーナはどうにも憎めなかった。
 それに去り際、『月始めの三日間は如何なる者であろうと、フォンテーヌの街中で飛行物体を放つのは禁止……だって? ふん、くだらない……』と風が彼の呟きを拾ったのだ。フリーナはそれを聞いてなんとなく、本当になんとなく、本来彼は風の力を借りて飛べるのだろうな、と思った。少年の左胸には、風元素の神の目があったから。
 くだらないと言う他国の法律を、不承不承ながらも守ってくれているのなら、そう悪いひとでもないのだろう。だってフォンテーヌ廷に招かれたその当時、雨に濡れることを禁止された水龍だって、同じような不平不満を垂らしていたものだ。
 ともかくも、笠の少年に届けられた手紙には、ナヒーダからの友好的な言葉が並べられ、お互いへの直通ルートを作ったから、次からはこの方法を使ってちょうだい、との文通のお誘いを兼ねた連絡経路の指示も記されていた。
 そのルートに少年が組み込まれていなさそうであったことに、微かな安堵と少年への労りを覚えつつ、大体ひと月に一往復くらいのペースで交流は続いている。
 ナヒーダの内容は取り留めのない日常や、スメールの雑学が主であり、彼女の知見と賢明さに、フリーナはいつも感嘆の念を抱く。
 かと思えば時折、民とこんな話をしたの、と喜びが滲む文章が綴られていたりもして、不遜な言い方かもしれないけれど、親近感の湧く、とっても魅力的な神さまだ。
 旅人とパイモンによると、幼げで可愛らしい容姿をしているらしい。いつか直接会ってみたいなぁ、とフリーナはまだ見ぬ友人に想いを馳せている。
「そもそも、何故最初に君から手紙を出したのだ?」
 フリーナの淡い憧れに差し込むように、ヌヴィレットが訝しげに訊ねてきた。
「あれ、言っていなかったっけ? 例の白銀の百合を、旅人経由でスメールに届けてもらっただろう? その時に手紙を添えたのさ」
 フリーナが首を傾げると、ヌヴィレットは「あの時か……」と苦々しい顔で呟いた。
 ヌヴィレットと想いが通じ合ったあの日、フリーナが最後に吐いた白銀の百合。完治の証明である美しき花には、万能の秘薬になるとの伝承もあるという。
 それを聞いたフリーナは、百合をスメールに──然るべき研究機関に届けることを決めたのだ。
 本当に万能薬の効能があるかは分からないけれど、調べてみる価値はあるだろう。曲がりなりにも吐瀉物を渡すのは抵抗があったものの、これで苦しむ人が一人でも減るのなら。花吐き病治療の一助となれればと、そう願って。
 それにナヒーダはフリーナの境遇に心を痛めてくれて、親身に花吐き病の情報とアドバイスをくれたと聞く。だから少しでもお礼になれば、との意図もあった。
「当時の返信でもお礼の言葉はもらってたんだけど、最近少し研究が進んだらしくてね」
 白銀の百合を渡すにあたって、フリーナの名前は伏せてもらった。拗らせるほどにややこしい恋愛沙汰があったのだと、不特定多数に晒す気にはとてもなれない。あくまで草神が特殊なルートで入手した、ということにしてくれている。
 それでナヒーダは経過報告と共に、改めてお礼をしたためてくれたのだ。本当に律儀な神である。
「今度スメールに遊びに来ないか、とも書いてあってね」
 うきうきと語るフリーナは、ここでやっとヌヴィレットの表情が、むぅ……と曇りに曇っていることに気がついた。機嫌を確かめるように、白磁の頬にぺたりと触れる。
「そんな顔をしないでおくれよ。キミが神をよく思わないのは知ってるけどさ。ナヒーダはとってもいいひとだよ。それに僕の命の恩人の一人なんだ」
「そう言われると弱いが……
 命の恩人、という言葉にヌヴィレットはぴくりと反応した。彼としても恩義は感じているらしい。
「スメールに行きたいのか」
「え? うんまあ、そのうちね。せっかくお誘いを受けたんだもの」
「どのくらいの期間を予定している?」
「うーん、どうだろう……でもどうせ行くなら、たっぷり休暇を取って、ひと月くらいは満喫したいなぁ」
 いま請け負っている仕事のスケジュールからすれば、当分先の話になるだろうけれど、せっかくなら思いっきり楽しみたい。
 そうと希望を述べれば、ヌヴィレットの顔色は更に悪くなる。そろそろ雨が降りそうだ。
……長いな」
 ヌヴィレットはぽつりと言った。 
 たったひと月が? と反射的にフリーナは思う。人間であるフリーナの感性からしてそうなのだ。長命種の彼からすれば尚更、瞬き程度の期間だろうに。
 それでも彼がひと月を長いと感じる理由など、ただの一つしか思いつかない。
……もしかして、さみしいの?」
 もう片方の手も伸ばし、ヌヴィレットの両頬を押さえる形で問うてみる。決して誤魔化しなど出来ないように。
 いつもいつもフリーナばかりが追い詰められて、羞恥に悶える羽目になっているから、お返しだ。
 しかしヌヴィレットは一切の羞恥も躊躇いもなく、殆ど一息に言い切った。
「当然だ。かつて私は恋をすると毎日会いたくなるとの定説を疑っていたものだが、やはりあれは些か事実と異なっていた。実際には毎分毎秒会いたくて堪らない」
「へっ」
 ちょっと待って、今なんて言われた?
 フリーナが内容を把握しきる前に、両手首をがしっと握られる。
「一時たりとも離れたくないのだ。日に日にその欲求が高まっていく」
「あっ、えっ、ちょ、まって」
 両手首を掴まれたまま、ゆっくりと後ろへと押されていく。膂力の差は歴然だ。力比べにもならない。
「最初から手の届かぬものだと思えば、その響きに憧憬を抱くに終われる。だが一度でも宝を手に入れてしまえば、徐々にそれだけでは満足できず、より欲深くを望むようになる……今の私は、かつての慎ましさを保てない。君はそのことをよくよく知るべきだ」
 ついに背中が端に置かれたクッションに着いた。枕のように肘掛けに頭を預け、寝転ばされた弾みで両脚が床から離れる。ワンピースの裾は捲れ、太腿までが露わになってしまっている。
 そんなあられも無い姿を、ヌヴィレットが見下ろしていた。作りもののように整った美貌に、確かな熱を宿して。
……フリーナ」
 する、と首筋に彼の指先が落ちる。いつもの黒手袋はそこにない。彼の温度が肌を伝って、ぞくりと肌が粟立った。
 呼吸が乱れる。全身が熱い。そしてじりじりと、美しい顔が近付いてくる。
 ……ま、まって、これ、このまま進むよね……!?
 いま、数秒先の未来を受け入れてしまったら。先のヌヴィレットの宣言を鑑みて、きっともう止まらない。行くところまで行くだろう。
 嫌ではないよ? 初めてでもないし? とも思いはするけれど、ここで流されてしまえば、フリーナはスメールどころか、もう一生フォンテーヌから出られないのではないだろうか。……うん、絶対そう!
 懸念から確信までは、ほんの数瞬。恐ろしい未来を回避するべく、フリーナは必死に叫ぶ。
「そんなことを言うなら、キミも一緒に来たらいいじゃないかぁ!」
 フリーナの反論に、ヌヴィレットの動きがぴたりと止まった。
……いいのか?」
 目を瞬かせ、意外そうに問うてくる。
「う、うん」
 え? ダメだと思ってたの? 逆になんで? と戸惑いながらも、フリーナはこくりと頷いた。
「食事と一緒さ。一人旅っていうのも趣きがあるけど、二人で体験を分かち合えるなら、それに越したことはない。それはとても尊いことだろう?」
 旅はみちづれとも言うしね、とも付け加えれば、ヌヴィレットはしばし黙り込む。
 ややあって、彼の手がフリーナの背中に回る。丁寧な手つきで抱き起こされ、乱れた裾もさり気なく整えられた。
……わかった。その日を楽しみにしていよう」
 その声は澄んだ青空のようにスッキリとしていた。見れば、その顔色も晴れ模様だ。殆ど思いつきの悪あがきに近かったのだが、存外よく響いたらしい。
 現実問題、フォンテーヌで最も多忙な最高審判官さまが、ひと月の休暇を取るなんて現実味はない。ただ、お互い夢を見るのは自由だろう。
 そこはヌヴィレットの予定に合わせて、短期旅行で済ませてもいいし、フリーナが先に出発し、あとから彼と合流するという手もある。柔軟になって考えれば、やりようはあるものだ。すぐすぐの話でもないのだし、またその時に考えればいいことだろう。
……うん。僕も楽しみ」
 兎にも角にも、分かりやすく晴れ晴れとした様子のヌヴィレットに釣られてしまい、フリーナもまた、にっこりと笑った。
「ふふ、そうと決まれば旅行計画を立てないとなぁ。取り敢えず、キミは水だろう? 魅力的な自然水のスポットをナヒーダに聞いておくよ」
……ああ」
 少し間があったのは、ナヒーダの名前を出したからだろう。 分かりやすい水龍だ。
「頼むから失礼を働くのは止めておくれよ? 僕の命の恩人、なんだからね?」
……分かっている」
 不承不承ながらに頷くヌヴィレットにまたも笑みを零しつつ、フリーナも希望を述べる。
「僕は向こうの芸術に触れたいなぁ。ズバイルシアターっていうところがあって、そこで歌やダンスを披露しているらしいんだ」
 歌舞の類は、地域の文化や歴史が色濃く反映される。異なる水脈に身を浸せば、フリーナの感性もより深く潤うことだろう。
 またいつかの手紙には、ズバイルシアターには才能溢れる素晴らしい踊り子がいて、きっとフリーナと仲良くなれると思う、とも書いてあった。そうした期待も相まって、フリーナは異国の劇場に強く心惹かれている。
「あとはスメールの花を沢山見たいな。ナヒーダの手紙はいつも素敵な花の香りがするんだ」
 ライティングデスク上の手紙には、パティサラというスメール独自の花の封蝋が押されていた。ふと鼻腔をくすぐる知らない香りに、フリーナはいつも異国の気配を感じる。
 あれだけ花を吐いていたのに、まだ知らない花があるのだ。いつかに旅人に旅を勧められた意味が分かる気がした。テイワットは広い。一歩外へと踏み出せば、きっと新たな体験に胸を踊らせることが出来るのだ。
……ふむ。国外の花、か。調べておこう」
 あ、これはそのうち贈ってくれる気だな、とピンと来た。よってフリーナからも提案する。
「なら、似合う花瓶も揃えないとね」
 いつもヌヴィレットが持ってくる花が分からないから(聞けば教えてくれるのだろうけれど、それだと楽しみが半減するから)、今フリーナの自宅にあるのは、どんな花でも似合うよう、半透明の硝子花瓶を複数サイズのみ。
 けれどせっかく他国の花まで揃えるのに、それではあんまり素っ気ない。お出迎えは全力で。これがフリーナの流儀だ。
 モンドのセシリアの花、璃月の琉璃百合、稲妻の鳴草、ナタのエンバーコアフラワー、思いつくだけでも色々ある。この先、フリーナの自宅はいよいよグローバル化が進んでいくのかもしれない。
「では今度の外出時に見繕ってはどうだろう」
「うん、そうしよう!」
 少し先の遠出、いわゆる非日常の約束も、すぐ先の日常の中の約束も、どちらも大切に抱きしめたい。こんな未来が訪れるなんて、ほんの半年前まで思えなかった。
 改めて思う。生きていてよかった。ヌヴィレットを好きになって、よかった。
 万感の想いをのせてヌヴィレットを見つめれば、薄い紫色の瞳が緩やかに細められた。それだけで、胸がいっぱいになる。
 ふと沈黙が訪れて、ヌヴィレットの大きな手が頬に触れた。
 ゆっくりと美しい顔が近づいてくる。フリーナは今度こそ、大人しく目を閉じた。
……ん」
 柔らかな感触が唇に触れる。じわりと温もりが溶け合った頃、名残を残すように離れていった。
 それに僅かな寂寥を覚えてしまう時点で、先のヌヴィレットが言った、宝を一度手に入れた者は欲深くなっていく、との説は的を射ているのだろう。
 そっと目を開けると、すぐ近くに温もりのある美貌があった。視線が絡んだその瞬間、嬉しそうに微笑む。
「実は近々贈りたい花があるのだ。少々嵩張るゆえ、花瓶を購入するなら大きいサイズも揃えておきたい」
 まさかの贈呈予告! けれど嵩張るものだというならば、受け取り側への配慮をするのは間違ってはいない。事実、手持ちの花瓶に収まらないのは困る。そして事前に分かっているのなら、色や形もピッタリなものにしておきたい。
「へえ、どんな花?」
 ふわりと胸に期待を咲かせ、フリーナは問いかけた。
 果たしてヌヴィレットは、花蜜みたいにとろやかで甘い笑みを浮かべて、言ったのだった。

「108本のレインボーローズを、君に」