riririnf
2025-08-30 10:14:17
58884文字
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世界から花が消えたなら

ヌヴィフリ花吐き病書いてみた・後編
【四章】君は向日葵 P1~【五章】世界から花が消えたなら P4~【六章】この恋は花にのせて P6~
※捏造・ネタバレ過多。



………………
 自宅のソファの上、フリーナは重い瞼を持ち上げた。
 小さなルエトワールをあしらった壁掛け時計に目をやると、最後に確認した時から三十分ほどが経過していた。ソファに座ったまま、少しの間うたた寝をしていたらしい。
 最近、こういうことが増えてきている。夜中にベッドに寝転がってデュベを被っていても、不意に激しい吐き気に襲われ、眠るどころではなくなってしまう。結果、日中に殆ど気絶するように眠りに落ちて、それでなんとか短い休息を得ている。
 もう吐いた花を片付けるのも億劫で、ベッドの上、ソファの片隅、部屋中に広がる彩りが、フリーナの足跡を表している。夜にヌヴィレットが訪れる頃までには、何とか気力を振り絞って一箇所に纏めているけれど、そんな強がりもそろそろ限界だろう。
 今のフリーナには、明確に〝終わり〟が見えている。もう、すぐそこに。
………………
 視線を前に戻すと、ローテーブルの上のドゥボールケーキが目に入った。そうだ、自分はこれを少しでも減らそうとしていたのだった。
 ヌヴィレットから毎日配達されるドゥボールケーキは、ここ一週間は全く口に出来ていない。チョコレートたっぷりの濃厚スイーツは、弱った身体には中々重い。
 数日前、フリーナはついに断ったのだ。もう食欲が湧かないから、持ってこなくていいと。病状が隠せないからには開き直って、語弊のないよう、はっきりと告げたつもりだ。
 けれどヌヴィレットは「それでも構わない。食べられなかった分はこちらで引き受けよう」と言って、聞き入れてくれなかった。いざ食べたい時に食べられなかったら、という配慮なのだろうけれど、結局毎晩、新旧ケーキの物々交換みたいになっている。
 今日こそ頑張ってみよう、と決意をしてはみたけれど、結果は眠気に阻まれ不戦敗。調理人や購入者、そして贈り主。フリーナにケーキを届けてくれた様々なひとの真心を、無為にしたくないのに。
 ……どうしたらいいの? 
 本当に、どうしたらいいの。どうすればよかったの。どう言えば伝わるの。
 こんなにも分かり合えない関係だっただろうか。フリーナが偽りの神だとの秘密を抱えていた頃の方が、まだコミュニケーションが取れていたように思う。
 恋人関係になってから……いや、病を暴かれてしまった瞬間から、ヌヴィレットがどんどん遠い存在になっていく。──分からない。分からないよ。
……ッ、ゲホッ、ぅえ……っ」
 またも花が溢れ落ちる。喉奥いっぱいの薫香が気持ち悪い。床やソファにぱさぱさと落ちていくそれらがケーキを汚さなかったことは、幸運だったのかどうか。
……はぁ……
 フリーナはゆっくりと目を閉じた。もう、何も考えたくない。瞼の裏に広がる暗闇に、このまま永遠に沈んでしまいたい。
 けれど、そんな願いは呆気なく壊される。来客を告げるノックが耳に届いたからだ。しかも、この規則正しいリズムは──
……ヌヴィレット?」
 まだ日中なのに、どうして。彼は仕事終わりの夜遅くにしか来ないのに。
 瞬間、居留守を使ってしまおうか、と誠意のない選択肢が頭をよぎり、すぐに無駄だと思い直した。無視したところで合鍵を使われるだけだろう。未遂だけれど前科もある。
 結局フリーナは重たい身体に鞭打ってのそりと立ち上がり、嫌々ながらも扉を開けた。
 果たして予想通りの人物が、そこにいた。
「突然の訪問を申し訳なく思う。話したいことがあるのだ」
 そう言うヌヴィレットはどこか落ち着きがない。余程の要件なのだろう。出会い頭の台詞が体調確認でなかったのは、病を知られて以来初めてだ。
 あんなに腹に据えかねていた筈なのに、いざルーティーンを崩されると、どうしようもなく胸がざわつく。何かが決定的に変わってしまう前触れのように思えて。
……取り敢えず入って」
 不快に軋む心臓を誤魔化しながら、入室を促す。そして扉を閉めるなり、ヌヴィレットは言った。
「君が好きだ、フリーナ殿」
「え?」
 冗談みたいなタイミングだった。あんまり意味が分からなくて、フリーナは間抜けに聞き返す。
……ちょ、ちょっと待ってくれ……、え……? どういう、こと……?」
「君が困惑するのも無理はない。だが私はやっと、自らの気持ちに気付いたのだ」
「自らの、気持ち……?」
「ああ。私が君を想う感情そのものが、恋情だったのだ。今になって思えば、私は恋情というものを過度に特別視していた。舞台上で歌われているかの如くに、特別な環境下において劇的な芽生え方をするのだとな。だが、そうではなかった……
 思考が追いつかないフリーナに構うことなく、ヌヴィレットは話し続ける。
 今まで恋情に共鳴出来なかったのは、恋情というものを画一視していたから。だが実際には個々人により形が異なるものであるので……などと色々語っているけれど、まるで芯に響かない。どこか熱に浮かされたように紡がれる彼の言葉には、全くもって現実味がなかった。
 ヌヴィレットも、フリーナのことが好きだった? やっと気持ちに気が付いた? 
 そんな都合のいい話があるだろうか。ここはノンフィクションの世界なのに?
 いつの間にか、ここ一週間続いていた窓を叩く雨音も静まっていた。それどころか晴れ間すら差している。
 指先が冷たい。呼吸がみるみる浅くなっていく。どうして、こんなことになっているのだろう。これでハッピーエンドだと言わんばかりの空気になっているのだろう。
 解決なんてしていない。だってヌヴィレットは恋なんてしない。こんなの嘘────……そう、嘘だ。
 気付いた瞬間、世界がぐらりと揺らいだ。
 なんということだろう。ヌヴィレットは嘘をついているのだ。両想いになるために。そうと誤認させて、花吐き病を完治させるために!
 ……最低だ……
 わなわなと唇が震える。たちの悪過ぎる偽りを意気揚々と語るなんて、最低な男だ。──でも。
 ……僕のせいだ……
 フリーナの命を救うために、ヌヴィレットは今、最低な男になっている。
 汚したんだ。出会った頃から愚直なまでに真っ直ぐで嘘のない、美しい生き方をするひとを。僕が。僕のせいで。
……フリーナ殿……?」
 フリーナのただならぬ様子をやっと察したヌヴィレットが、語りを止めた。
「気分が悪いのか?」
 言いながら、長身を屈めてこちらを覗き込んでくる。その薄い紫色の瞳は、やはりどこまでも真っ直ぐで。純粋にフリーナを心配してくれていて。
 それで、決心がついた。
「──別れよう、ヌヴィレット」
 思ったよりも冷えた声が出た。けれど、そんなことに意識を割いてなどいられない。最優先事項は別にある。
 これ以上、病気を盾にヌヴィレットを縛り付けてはいけない。解放してやるべきだ。一刻も早く。
……何を言っている?」
 ヌヴィレットが茫然と呟く。信じられないものを見る目だ。
「だって僕を好きだなんて、嘘なんだろう? 僕を救うためにさ。それはキミの優しさだけれど、そんなキミは見たくない」
「それは違う。嘘などではない」
 ヌヴィレットがフリーナの両肩を掴んだ。ぎしぎしと骨が軋むくらいの、明らかに誤った力加減が、彼の動揺を如実に訴えている。
 痛い。目尻に涙が溜まる。それでもフリーナは別れ話をやめない。
「大丈夫、わかってる。キミは悪くない、悪いのは僕だ。ごめん、ごめんよ、もういいから」
「フリーナ、話を聞いてくれ。私は……!」
 何がもういいのだろう。自分でも分からない。もっと論理的に諭さなければ、ヌヴィレットだって納得出来ないだろうに。
 けれど痛くて、苦しくて、視界すら滲んで、もうまともに頭が働かない。
「わかってよ……! それがお互いの為……ッ、ぅ、ぐ……っ」
「フリーナ!」
 暴力的な吐き気が込み上げて、フリーナはその場に蹲った。
「ゲホッ……ごほっ、か、は……っ」
 喉奥が焼けるように痛み、花の塊が押し出される。桃や黄、白に紫と鮮烈な色同士がぶつかり合い、床を花畑に変えていく。
 中でも目を引いたのは、鮮血の如き赤色だ。喉の痛みも相まってギクリとする。ヌヴィレットすら鋭く息を呑んだ。
「か、ひゅ……っ、ひゅ……ぅ」
「フリーナ、呼吸を……っ」
 花弁が喉に貼り付き、息が出来ない。濃密な花香が肺の奥まで渦を巻き、体温をじわじわと奪っていく。とめどなく頬を伝う涙と、背をさするヌヴィレットの掌だけが、不自然なほどに温かい。
………………、」
 ヌヴィレットが何かを言っている。でも、もう上手く聞き取れない。溢れ続ける花のざわめきが全てを呑み込んでいく。音も、温度も、視界さえ。
 これは、もう……………………─────………………………………

 そこで、フリーナの意識は途切れた。