riririnf
2025-08-30 10:14:17
58884文字
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世界から花が消えたなら

ヌヴィフリ花吐き病書いてみた・後編
【四章】君は向日葵 P1~【五章】世界から花が消えたなら P4~【六章】この恋は花にのせて P6~
※捏造・ネタバレ過多。



……そうか、草木の神が……
 旅人とパイモンからの説明を聞き終えたヌヴィレットは、深く息を吐き出した。
 神に貸しを作るのは業腹ではあるが、フリーナの命がかかっている今、そうも言っていられない。旅人とパイモンに依頼を出した時から覚悟していたことだ。
 それに七神の中で語るのならば、草木の神は悪くはない帰結だ。あの神が持つ責任感は認めるところであるし、彼女が五百年もの間冷遇されていたことに、遺憾の念を抱きもしている。どこかフリーナと重なるところがあるのだ。
「ナヒーダが言ってた〝花吐き病を鎮静化させる方法〟だけど、心当たりはあるか?」
 ままならぬ情動の整理に努めていたヌヴィレットに、パイモンが窺いがちに声をかけてきた。
 心当たりは、ある。苦しくなるほどに。
……ああ、おそらくは」
 簡単かつ茨の道とは言い得て妙だ。いっそ皮肉にも感じる。
 そのくせ、こちらがどのような選択をしたとしても、責めるつもりはないらしい。その配慮と智恵が、却ってヌヴィレットをかき乱す。
 内に迫る奔流が表に出ないよう、最新の注意を払いつつ、ヌヴィレットは重い口を動かし始めた。
「草木の神も語った通り、感情とは複雑で、非合理な動きをすることも数多くある。例えそれが命を繋ぐ術だとしても、フリーナが容易く心変わりをするかといえば、難しいことだろう。だが……本来の力を取り戻した私ならば、フォンテーヌ人の精神に干渉することも出来る。それはきっと君たちが想像するより、私にとってずっと容易なことだ」
「精神に、干渉……?」
 パイモンは首を傾げ、理解が及ばぬ様子を見せる。一方旅人はすぐに察したようで、ほんの一瞬眉を顰めた。ややあって、問いかけてくる。
「つまりヌヴィレットは、権能でフリーナの恋心を失くすことが出来るってこと?」
……そうだ」
「ええっ!? そんなのありかよ!?」
 何を驚くことがあろうか。今は血液に置き換わっているとはいえ、ヌヴィレットから見ればフォンテーヌ人を構成する礎は、依然原始胎海だ。ならば、かの水を支配下に収めたヌヴィレットに干渉可能であることも、また道理。
「そのやり方は、フリーナに何か悪い影響があったりする? 例えば後遺症が残るとか……
 続けざまに問いを重ねる旅人の態度はいっそ潔い。そして精神を操る倫理の是非については、一旦据え置く構えらしい。
 気遣いなのか、生命の危機を前に目を瞑るつもりなのか。どちらにせよ有難かった。
「一切の遺恨を考慮せず、悪い影響を肉体的なものに限定するのなら、その可能性は薄いという回答になる。フリーナは水神フォカロルスの半身だ。彼女自身は人間とはいえ、元を辿れば私の権能を宿していた身。肉体的反発も少ないものと思われる」
「そういう言い方をするってことは、問題は別にあるんだね」
……ああ、その通りだ」
 ヌヴィレットは一度、意識的に呼吸を整えた。ここから先の話をするには、特段の気力が必要だった。
「人の心というものは、単体で成立するものではない。喜びや哀しみといった、一見明確な感情さえも、実のところ類似の感情や過去の記憶と複雑に結びついている」
「へえ、そういうものか?」
「ああ。例えば、悲劇的な舞台を観た際に湧き上がる感情とて様々だろう。哀しみと高揚、そして過去の出来事への共鳴。それら全てを集約して、人はその感情に『感動』という名前をつける」
 だからこそヌヴィレットにとって感情とは複雑怪奇で、理解に困難を極める。
「精神とは海のように果てしなく、ひと繋がりに広がっているもの。そのうちの一雫のみを狙って掬い取ることは不可能だ」
 これが直近の事象ならば、まだなんとかなったかもしれない。水が均一に混ざり合う前に、源泉の近くをさらえば。
 しかしフリーナの恋情は少なくとも百年前には発生していて、更にそこに派生する記憶や感情となると、とても処理しきれない。フリーナの五百年の生の殆どに、ヌヴィレットはいたのだから。
「ゆえに……フリーナの恋情を消すには、彼女の過去の記憶や感情、その全てを消す必要がある」
……それって、」
 黄金の瞳が見開かれ、大きく揺れる。そこには明らかな動揺が見えた。
「全部、忘れちゃうってこと? ヌヴィレットのことだけじゃなくて、私たちのことも、フォンテーヌを救ったことも、全部?」
 フリーナが自我を持ってから経験した全て。五百年の献身も、絆を紡いだ人々との思い出も、なにもかも。
……そう理解してもらって、相違ない」
「そんな!」
 パイモンが叫ぶ。
「忘れられちゃうのは、悲しいぞ……。それにフリーナはフォンテーヌの為に頑張ったのに、それすら覚えていられないなんて……
 旅人は何かを言いかけて、そのまま口を噤んだ。そして沈み込むパイモンの背を、とんとんと優しく叩く。
 おそらく旅人は察したのだろう。そのうえでパイモンに伏せることを選んだ。フリーナが失うものが、絆や経験だけではないことを。
 記憶が人格形成にどれだけ深い影響を及ぼすかは、記憶の欠落を自覚するヌヴィレットには痛いほど理解出来る。
 加えてフリーナの場合、神を演じるにあたっての役づくりが、今の人格に大きく影響している。一度全てを失い人格がリセットされた後、役目のないフリーナが今の彼女になることは、きっとない。壮絶な体験の再演は不可能であるし、再び味わわせたいとも思わない。
 稀代の大スター、フリーナ・ドゥ・フォンテーヌは永遠に失われる。──それは、フリーナを殺すことと同義であろう。
 あまりに残酷な血濡れの道。だから草神は旅人たちへの情報開示を先延ばしにしたのだ。本来無関係である彼女たちが心を痛める時間を、少しでも減らすために。
 どんな道でも選ぶと決めた。だが、これはあまりにも……
「──ヌヴィレット」
 静かな、けれど強い意志のこもった声に顔を上げる。知らず視線を落としていたらしい。見れば、黄金の瞳が真っ直ぐにヌヴィレットを見つめていた。
「これはヌヴィレットの持ってる『やり方』次第で話そうと思っていたんだけど、実は私たちも、私たちなりの『やり方』を用意してきたの」
 その言葉に思い出す。話し始める前、パイモンが『首尾はバッチリ』だと答えていたことを。
「そう、そうだぞ! そんな怖いやり方、却下だ却下! まだ道はある!」
 当のパイモンはやっと思い出したと言わんばかりの勢いで身を乗り出してきた。
……どのような方法だろうか」
 ヌヴィレットは縋るような心地で問うた。目の前には微かな光が見える。だが同時に足下が覚束無い感覚もして、酷く心許ない。
 果たして、旅人は言った。
「正攻法だよ。フリーナの恋心を失わせるの。『諦める』なんて温いやり方じゃなくて、ヌヴィレットのことを嫌いになってもらう。徹底的にね」
 がつん、と強くこめかみを殴られたような気がした。『嫌い』……嫌い?
「よく言うだろ、愛と憎しみは表裏一体、とか、可愛さ余って憎さ百倍、とかさ。穏便に諦めさせるのは難しくても、強い感情を反転させるのは、案外出来ちゃうんじゃないかって話になったんだ。怒りはエネルギー、とかって言うし……
「パイモン、ちょっと待ってあげて」
 言い立てるパイモンを旅人が押し留める。事実、ヌヴィレットの思考はまるで追いついていなかった。
 パイモンはハッと口を手で押えた。
「あっ……ごめん、ヌヴィレット……。これって気分のいい話じゃないよな。なのにオイラ……
「いや、構わない。実現可能な救済措置があるのだから、喜ぶべきことだ」
 そう、喜ぶべきだ。なのに、頭痛がする。先に殴られたから……いや、違う。殴られてなどいない。これは幻痛だ。きっと暗愚な己に失望しているのだ。
 何故フリーナへの働きかけは出来ないと、端から放棄していたのだろう。それは怠惰だ。思考の放棄。罪深いにも程がある。
……ヌヴィレットは、それでいいの?」
 旅人が静かに問いかけてくる。
 嫌われる。その意味をよく考えろと、そう諭されているようだった。
 ヌヴィレットはそっと目を閉じた。その瞬間、頭痛が一段と酷くなる。ガンガンと響く鈍痛に追い込まれるように、ヌヴィレットは思考の海へと潜る。
 フリーナはいつから自分を好いていてくれたのだろう。いつから、ヌヴィレットを見つめる美しき雫に、好意が混じっていたのだろう。
 かの色違いの青は、ヌヴィレットにとって一等好ましい色だった。強烈な引力でヌヴィレットを惹き付けてやまない青色。
 フリーナに憎むほどに嫌われた時、これまで当たり前に享受していた色合いは、どのように転じてしまうのだろうか…………
 …………くだらない。
 ヌヴィレットは固く拳を握り込み、鈍痛を追い払うように小さく被りを振った。なにを感傷に浸っているのか。
 そんなものは不要だ。なにを迷うことがある。覚悟を決めた筈だろう。
 どのような道であれ、選び取るのだと。
 ヌヴィレットはゆっくりと目を開けた。そして宣言する。
「──是非もない。それでフリーナが救われるのならば」
 フリーナの命。それに代えられるものなど、ない。
……決まりだね」
 旅人が神妙に頷く。その姿は何故だか、自身が判決を言い渡す場面と重なって見えた。有罪判決を受ける被告人は、このような気持ちになるのだろうかと、埒もない思考がよぎる。
……とはいえ、嫌われるとは具体的にどのようにすればいいのだろうか」
 これ以上、余計な思考を重ねるべきではない。ヌヴィレットは即座に本題に切り込んだ。
「立場上、法を犯す者、またその近親者に憎悪を向けられることは日常茶飯事だ。政治的な軋轢から心証思わしくない者も多いだろう。何より、私自身なんの面白みもなく、人の心も解さぬ情のない性分だ。ゆえに嫌われる理由に事欠かないことは理解しているのだが、それでも意図して嫌われるとなると……、」
「わー! ストップストップ!」
 どのようにしたらよいか分からない、との言葉はパイモンの大声により掻き消された。
「そんなに自分を卑下するなよ……。ヌヴィレットにも良いところは沢山あると思うぞ?」
「過分な評価だ。だが、気遣いには感謝しよう」
 本当は、そのようなことはない、と強く否定したかった。だが、我が事のように悲しげな顔をするパイモンを前にしては、流石に憚られた。ヌヴィレットとて、最低限の配慮というものは持ち合わせている。
「お、おう……。なんか納得いかないけど、今は早く話を進めるべきだよな」
 パイモンは困った様子でポリポリと頭をかいたが、言葉の通りにその話題を打ち切った。
 そして執務室の扉の前にふよふよと飛んで行く。どうした、と声をかけるより早く、パイモンは扉を開けた。
「よし、じゃあ皆入ってくれ!」

「やっと出番? もう、待ちくたびれちゃったよ!」

 軽やかなその声は、澱んだ水をまるごと入れ替えるかのような清涼さを執務室に齎した。
「君たちは……
「こんにちは、ヌヴィレットさん。お邪魔させてもらうね」
 ひらりと気負いなく手を振るのは、棘薔薇の会会長、ナヴィア。
「失礼いたします」
 続いて短な挨拶と共に入室してくるのは、ヌヴィレットの部下でもある、最強の決闘代理人クロリンデ。
「お久しぶりです、ヌヴィレットさん。先日、マジックショーを観覧いただいて以来ですね」
 最後に、シルクハットを片手に華麗なボウ・アンド・スクレープを見せるのは、フォンテーヌ随一の魔術師、そして壁炉の家出身のファデュイという裏の顔を持つ、リネ。
…………
 礼儀としては、それぞれに挨拶を返すべきだろう。しかし半年前にとある企みを共有したある種の戦友、そして共犯者たちの集合に、ヌヴィレットは咄嗟に二の句が告げなかった。
 代わりに、彼らを呼び込んだ旅人とパイモンに目を向ける。
「その……勝手にフリーナのことを話しちゃったのは、悪いと思ってるぞ……。だからそんなに睨まないでくれ……
 とにかく経緯を説明して欲しかっただけなのだが、パイモンはしゅんと俯き、声を萎ませた。旅人も困った様子で眉尻を下げる。
「二人を責めないであげて、ヌヴィレットさん。あたしたちが二人に詰め寄って、無理やり事情を吐かせたの」
 ナヴィアは二人を庇うように、旅人たちとヌヴィレットの間に身体を挟んできた。クロリンデがあとに続く。
「最近のフリーナ様の様子に、違和感があったんです。お茶会やテトシアの誘いにも応えてくれなくなり、かといって他に予定があるわけでもなく、休日には家に籠りきりのようで。これは何かあったのではないかと」
「そんな時、タイミングよく相棒とパイモンがフォンテーヌ廷に現れた。これはもうフリーナに関係してるに間違いない! って思ってさ」
 ナヴィアは旅人とパイモンの間に割って入り、二人の腕を掴んで得意げに持ち上げた。反対に二人は苦笑いを浮かべている。
 やや論理の飛躍が見られる気もするが、結果としてその直感は当たっているのだから、見事と言う他ない。
「全ての事情を聞いた私たちは、共にフリーナ様を救うための『やり方』を考えることにしました」
「とはいえ、あたしたちだけじゃ行き詰まっちゃって。それでリネたちにも協力を仰いだってわけ」
 シルクハットを頭上に戻したリネはニコリと笑う。
「作戦会議はリネットとフレミネも含めて行いました。でも、あまり大勢で押しかけると悪目立ちしてしまいますからね。今回は僕が代表して参上した次第です」
 棘薔薇の会会長、最強の決闘代理人、テイワット中を股にかける旅人と、既に錚々たる顔ぶれだ。そこにマジック界を代表する双子と、多くの人々が一番優秀な潜水士として名を挙げるフレミネが一同に揃えば、ただならぬことが起きていると誰もが察するだろう。
「まあ正直、このメンツでも充分目立っちゃってるんだけどさ。そこはご愛嬌ってことで」
 ナヴィアは捕獲していた二人の手を離すと、笑みを消してヌヴィレットに向き直った。
「色々強引だったのは認めるよ。デリケートな話を無理に聞き出して、信頼できる人たちだけとはいえ、共有もした」
 フリーナは他者に弱みを見せること、そして迷惑をかけることを何より嫌う。確かに此度のナヴィアたちの行いは、フリーナの意に沿わないものであるだろう。
「でも、フリーナは大切な友達なの。フリーナは今きっと、すごく苦しい思いをしてる。そのうえ命さえも危ない状況で、指をくわえて見てるだけなんて出来ない」
 その眼差しは真っ直ぐで、懸命で、そして純粋で。
「お願い、ヌヴィレットさん。力にならせて」
 その願いは彼女一人のものではない。ここに集う全員が、フリーナを救いたいと強く願ってくれている。
 それらのひたむきな感情が、ヌヴィレットの心に波紋を広げていく。さながら水面に落ちる雫のように。
 ……フリーナ。君は生きなければならない。
 こんなにも強く想われているのだ。至らぬ男への恋情などで、命を散らしていいわけがない。必ずや、彼女たちと笑い合える未来を取り戻さなければならない。
 ヌヴィレットは心を決めた。胸に手を添え、真摯に願う。
「責めるつもりなど毛頭ない。寧ろ、私の方こそ頼みたい。……どうか力を貸してほしい。フリーナを救うために」
 かつてヌヴィレットは、水神の秘密を暴くために皆の手を借りた。結果としてフォンテーヌは救われたが、その決断はフリーナを酷く追い詰め、深い傷を残した。あの日の昏い瞳を思い出すたびに、ヌヴィレットは慚愧の念に身を焼かれるような心地がする。
 それでもヌヴィレットは、かつてと同じ道を選んだ。──あの時とは、もう違うから。
 あの時は誰も、フリーナの〝真実〟を知らなかった。彼女の苦痛と孤独に気付けなかった。
 だが今はもう皆が、真実を知っている。フリーナの痛みも、強さも、彼女の人となりを理解している。
 そして何より、フリーナ自身が紡いできた絆が、ここにある。
「勿論よ! 絶対にフリーナを助けましょう!」
 ナヴィアが破顔し、他の者たちも力強く頷いた。
 少しずつ、澱が流れていくように感じる。これもナヴィアの人柄が成せる技だろう。思い返せば、かつてポワソン町のとある船内で企みを話し合った時も、彼女は終始明るく振る舞い、皆が過度に気負うことのないよう配慮していたように思う。
 ヌヴィレットは予言を巡っての一連の出来事について、まるで昨日のことのように思い出せる。あの時はフリーナに動きを悟られるわけにはいかなかったので、人の少ない場所を選んだ。
 けれど今は多少メンバーを減らしたとはいえ、こうしてヌヴィレットの執務室で堂々と話が出来てしまう。
 フリーナが、いないから。パレ・メルモニアを去った彼女はもう、ここに訪れないから。
「で、どうするんだ? オイラ、具体的なやり方までは知らないぞ」
 刹那に抱いた空洞は、現実的な議論に埋められた。首を傾げるパイモンに、旅人がニヤリと笑う。
「途中から寝てたもんね」
「うっ……仕方ないだろ……。昨日は夜遅くまで話し込んでたから、眠気に耐えられなかったんだよ……
 つまり、旅人とパイモンは昨日の内にはフォンテーヌに到着しており、パレ・メルモニアを訪れる前にナヴィアたちに捕まった。そういう流れらしい。
 意図せず仔細を把握してしまったが、重要なのはその点ではない。彼らが深夜に渡り、『やり方』を熟考してくれたというところだ。
 絶対に成功させなければならない。ヌヴィレットは努めて思考を切り替えた。
「じゃあ、僭越ながら僕から説明させてもらおうかな。パイモンにも分かりやすくね」
 名乗りを上げたリネは、愛嬌たっぷりにパイモンにウインクを贈った。他者を魅了する演者の振る舞いは、ヌヴィレットにフォンテーヌきっての大スターの姿を想起させる。
「なんか含みを感じるけど、今回は見逃してやる。頼んだ!」
「うん、頼まれたよ。──さて、嫌われる為にどうしたら? ってことだけど、生半可なやり方じゃあ駄目だろうね。半端な真似をすれば、余計に病状を悪化させることになる」
 それはかつて、クロリンデが「狩り」について説いたことと重なる。
 一撃で仕留めなければならない獲物の場合、最も強力な手段を選ぶ。生と死は往々にして僅かな一念の差でしかなく、獲物を最も巧みに無力化できるハンターこそ、命を傷つけることなく獲物を掌握できるのだと。
「これは我が愛しの妹リネットの言説だけど、人の心は複雑であると同時に、案外移ろいやすいものでもある。『百年の恋も冷める』という言葉もあるくらいだしね。──そこで、だ」
 リネは一度言葉を切った。そして指をパチンと鳴らす。すると何処からともなく、のんびりラッコの人形が現れた。人形はリネの掌の下、ふわふわと宙に浮いている。
 一堂──特にパイモンは「おお!」と大きく声を上げ──目を輝かせた。ヌヴィレットにはラッコの頭に付着した極細の糸によって、人形がリネの指先に吊るされているのが視認出来たが、常人にはこの糸は見えないのだろう。
 マジックとは信じる心によって叶えられるもの。よってヌヴィレットは沈黙を選んだ。
「作戦はこうだ──ヌヴィレットさんには、浮気をしてもらう!」
「な、なんだってー!?」
 パイモンが大きく身体を逸らす。リネは観客のオーバーリアクションに慣れた笑みを浮かべ、もう一体、今度はアワアワタツノコの人形を出現させた。そしてのんびりラッコにそっと寄り添わせる。
 状況から察するに、のんびりラッコがヌヴィレット、アワアワタツノコが浮気相手を模しているのだろうか。
「病身の恋人がいるにも関わらず、他の女性にうつつを抜かすなど最低な男だな」
 クロリンデが憤懣やるかたないと腕を組む。その眦は鋭い。
「ほんとほんと! こんな下衆な男、こっちから願い下げよね、フリーナ!」
 ナヴィアが激を飛ばすと、今度はフリーナを模した人形が現れた。大きくデフォルメされた顔立ちと二頭身が場違いに愛らしい。
 これは正規の品だろうか。フリーナ本人の許諾は得ているのだろうかと、ヌヴィレットもまた場違いなことを考える。
「うわっ、フリーナそっくりだな」
「うん、フレミネが頑張ってくれたんだ。本当はヌヴィレットさんの分も揃えたかったんだけど、流石に昨日の今日じゃ時間が足りなくてね」
 フリーナ人形は、のんびりラッコもといヌヴィレットとは反対の手に繋がっている。リネが指を微細に操ると、フリーナ人形はのんびりラッコの顔にパンチ──いや、きっとこれはビンタだ──をお見舞いした。成程、下衆な最低男には似合いの報いである。
 これまた常人には拾えない程度の、微かな駆動音が聞こえる。おそらく、それぞれの人形の内部にマシナリーが仕込まれていて、糸と連動して操作する仕組みなのだろう。
 フレミネはこの機構を作っていたようだ。実に見事な出来栄えである。
……とまあ、こういうシナリオだね。なにか質問はあるかい?」
「この人形、なんで浮いてるんだ!? それに、どうやって動いてるんだ!?」
「パイモン、そこじゃない」
「はっ……そうだった、つい……
 ヌヴィレットは注意を受けるパイモンに密かに共感した。場が張り詰めすぎないようにとの配慮なのだろうが、一流魔術師の一流のエンターテインメントを披露され、一切無視をするというのは、流石に困難を極める。
「でもヌヴィレットが浮気だなんて、あんまり想像出来ないな」
 どうにも締まらない空気の中、パイモンがなんとかと言った様子で、本筋の感想を絞り出した。それにクロリンデが同意する。
「そうだな。ヌヴィレット様ほど誠実なお方を、私は他に知らない。並の相手では信憑性に欠けるだろう」
 確かに浮気などしない。だが真に誠実な者ならば、そもそもフリーナを苦しませたりしないだろう。その点は見当違いである。
 とはいえ、これ以上本筋から逸れるわけにもいくまい。ヌヴィレットは反論を呑み込んだ。
「心配ご無用だよ、パイモン。これ以上ない適任がいるだろう? ちょうど僕たちの目の前にさ」
 へ? とパイモンが口を開けると同時、ぱぱん、とマジックのお披露目のような軽い破裂音がした。そして何故か、旅人の周囲に何本ものピンクのリボンが舞い踊る。その意味するところは明白だ。
「旅人……!? おまえがやるのか!?」
「うん。適任でしょ」
 旅人は自信満々に頷いた。確かにテイワット中に名を馳せ、フリーナからも信頼厚い旅人ならば、疑われることもないだろう。却ってヌヴィレットの方が旅人に見合わないようにも思う。
 だが、問題はそこではない。失礼ながら、旅人がどうにも安易に物事を考えているように思えて、ヌヴィレットはついに口を挟んだ。
「だが、それでは君までフリーナと遺恨を残すことになる」
 ヌヴィレットが恨まれるのはいい。それは因果応報というものだ。本来ヌヴィレットが恋情を理解すれば片付く話であったのに、それが出来ないばかりに、ここまで話が大きくなってしまっている。
 けれど浮気相手を務める者には、本来なんの非もない。ただヌヴィレットの不始末に付き合わせ、背信の罪を背負わせることとなる。それは決して看過してよいことではない。
 しかし旅人は一歩も引かなかった。
「ヌヴィレットだって、一生嫌われることになっても、それでもフリーナを助けたいんでしょ? 私だって同じ。絶対にフリーナを死なせたくない……ううん、死なせない。その為なら、どんな泥だって被る」
 黄金の瞳に揺るぎない覚悟を宿して、旅人は言い切った。
「フリーナは五百年の役目を終えて、今やっと自由になった。フリーナにはまだ、自由を謳歌する権利と義務の両方が残ってる。……そうでしょ?」
 ヌヴィレットは息を呑んだ。自由を謳歌する権利と義務。それは実に的確で、納得せざるを得ない表現だった。
……すまない。君の協力と献身に感謝する」
 ひと息ののち、結局ヌヴィレットは、旅人の覚悟に甘えることを選んだ。
 ここでヌヴィレットが頑なになれば、却って旅人の覚悟を踏みにじることになる。報いることこそが、せめてもの誠意なのだろう。
 旅人が満足気に頷くと同時、ナヴィアがパンっと手を叩いた。
「うんうん、まとまったわね。じゃあ、早速練習しましょ!」
「練習? なんのだ?」
「フリーナは演技のプロフェッショナルだもの。完璧なラブラブ振りを見せつけてやらないと、すぐにバレちゃうじゃない。ヌヴィレットさん、演技に自信はある?」
「あいにく、そのような経験は持ち合わせていない」
 ラブラブ、という単語に、先日フリーナと観た歌劇が浮かぶ。ことある毎に人目も憚らず抱擁と口づけの連続。あれを再現出来る気は、とてもしなかった。
「でしょ? だからちゃーんと練習しておかないと!」
「そうだね。本番では人目を盗んで熱く密会する二人を、フリーナ様が目撃してしまう……そんなセンセーショナルな演出に仕上げる予定だからさ」
 同調するリネの掌の下、のんびりラッコとアワアワタツノコが楽しげに踊っている。対するフリーナは、ショックを受けたように身体を震わせていた。哀れな姿に心が痛む。
 表情変化もない無機物である筈なのに、きちんと感情を表現しているように見えるのだ。ヌヴィレットなどより、余程情動豊かであるようにすら思える。
 沈黙するヌヴィレットをどう取ったのか、ナヴィアは柔らかく微笑んだ。
「まあ、焦らずいきましょ。いきなりイチャついてみせろっていうのも、ハードルが高いって分かってるから」
 継いでクロリンデが提案する。
「まずは手を繋ぐところから始めて、徐々に慣らしていくのはどうでしょう?」
「おお、確かにそれくらいなら出来るんじゃないか?」
 手を繋ぐ行為はフリーナとも経験したことがある。出来ないことはない筈だ。
「じゃあ、やろうか。ヌヴィレット」
 旅人が迷いなく手を差し出してきた。剣を握る歴戦の戦士であるその手は、一目見るだに力強く感じる。
 同じく剣を武器とするフリーナの手とは違う。彼女の手は、もっと華奢で、儚くて、柔らかくて。そして、温かった。
 水龍であるヌヴィレットの体温は、人よりも少し低いようだから、きっと旅人の手も等しく温かいのだろう。けれどその温もりは当然ながら、フリーナのものとは違う。
 自らの手にすっぽりと隠れてしまうほどの小さな手。そこから伝わる、生命の拍動。このように頼りない手がフォンテーヌを救ったのだと、ヌヴィレットはあの夜に深く噛み締めた。
 失いたくないと、心の底からそう願った。フリーナの声、温度、柔らかさ、その全て。
……っ」
 瞬間、どくんと鼓動が跳ね上がった。咄嗟に服の上から胸元を強く掴む。
 他の温度で上書きなどしたくない。ずっと大事に抱えていたい。この手はフリーナだけで満たしていたい。
 理屈のない衝動が次々と湧き上がる。
……私じゃ駄目?」
 不意に旅人が問いかけてきた。見れば、彼女は全てを見透かしたように微笑んでいる。
……そうだな」
 導かれるように、ヌヴィレットは頷いた。認めざるを得なかった。フリーナとでなければ、この行為は出来ない。
 いや、この行為だけではない。今になって気付く。フリーナと経験した全てが、ヌヴィレットの中で〝特別〟と定義されている。それは決して誰にも触れさせたくない、ヌヴィレット自身にすらどうしようも出来ない、不可侵の領域として居座っている。
 ヌヴィレットは目を閉じ、手の中の鼓動を確かめた。
 特別な一人のみに向けられる、特別な感情。その名前に、ヌヴィレットは心当たりがある。
……なんか、上手くいったみたい?」
 ナヴィアの悪戯っぽい声に顔を上げると、全員がヌヴィレットに温かな視線を向けていた。それはさながら、親が拙く歩く幼子を見守っている時のような目で。
 意図を図りかねる中、クロリンデが言った。
「すみません、ヌヴィレット様。これは最初から仕組まれた展開だったのです。あなたがご自身の御心に気付けるよう、色々と考えさせていただきました」

 ナヴィアとクロリンデが旅人たちを捕まえ、事情を聞き出した時のこと。
 クロリンデは言った。「本当のところ、ヌヴィレット様はフリーナ様のことをどう思われているのだろう。私には少なからず好意があるように見えるのだが」と。
 かつてフリーナの護衛を務め、今も友人として付き合いがあり、ヌヴィレットとは上司と部下の関係性。今も昔も二人と近い距離にあるクロリンデの言に、三人共が頷いた。「「「そう見える」」」と。

「あなたはいつもフリーナ様を思いやっておられましたから」
「トラップを考える時も、ずぅっとフリーナのことを気遣ってたじゃない? なるべく傷つけない、優しいものがいいって」
「水の娘の公演の時なんか、「愛」とか言ってたしね」

 どうすればヌヴィレットは己が心に気付くのか?
 リネたちにも相談し、考え抜いた末に行き着いたのが、この『嫌われる』ためのロールプレイだった、というわけだ。

「ヌヴィレットさんとフリーナって、数百年間ずっと一緒だったんでしょ? お互い以外に親しい異性もいないから比較対象もなくて、それでよく分かんなくなってるんじゃないの、って。あ、これはリネットの推測ね」
「それにフリーナの命がかかってる状況で、すごく焦ってたでしょ。それじゃあ余計に自分の気持ちが見えなくなっちゃう。だから適度に気を抜いてもらわないといけなかったの」
「そこで僕の出番です。観客を楽しませ、一幕の享楽に誘うのは魔術師の本分ですからね。この人形劇もそういう意図です。気が散るのは分かっていましたよ、流石に」
「ど、道理で……! オイラちょこちょこ見ちゃって、全然話に集中出来なかったぞ!」

 一連の種明かしに言葉もない。様々と骨を折ってくれていたらしい。
 おそらく、かつての企みを彷彿とさせる面子で訪れたのも意図的だろう。過去の経験から、自分はフリーナを欺く側なのだという意識を刷り込まれた。実際にはヌヴィレットが欺かれる側だったのだ。
「本当は嫌われる云々の時点で気付いてほしかったんだけど、流石に手強かったね」
 旅人の溜息混じりのぼやきに、皆が一様に頷く。……本当に苦労をかけた。
「なんにせよ、上手くいってよかったよ。お互い想い合ってるのにすれ違うなんて、悲しすぎるもんね」
 胸を撫で下ろすナヴィアの笑みには、安堵が多分に含まれていた。彼女含め、全員が真摯かつ親切に、ヌヴィレットの問題に寄り添ってくれたのだろう。……だというのに。
「だが、私は未だ確信を持てない。この感情の名を、それと定義してもよいものか」
「おまえ、まだそんなこと言うのかよ!?」
 パイモン始め、一堂が驚愕に目を見張る。それはそうだろう。誰もが大団円を予感していた筈なのに。
「君たちの尽力に応えられず、申し訳なく思う。だが、どうしても疑念を晴らせないのだ。一言に語るには、この感情は雑然としすぎている」
 今日に至るまで、散々に調べ尽くし、悩み抜いた。だからこそ思うのだ。
 まずヌヴィレットは一般に語られるように、毎日会いたくて堪らなくなったり、フリーナを想うたびに動悸を起こしたりなどは経験にない。
 他に比較対象がないばかりに自覚しようがなかったのだと言われれば、その点は納得できなくもない。だがそれこそ数百年の時を遡れば、フリーナに抱く感情が、ただ一つのみではないことにも気付かされてしまう。
 その名は友愛や親愛、敬愛など様々だ。しかし「愛」とは多くの者に抱ける感情でもあり、特定の一人だけに向けた、唯一無二のものではない。
 だからヌヴィレットは、フリーナに抱く感情の名を決めきれない。とにかく一つに絞りきれない。
 それほどにフリーナ・ドゥ・フォンテーヌという存在は、ヌヴィレットにとっての大切な部分の悉くを埋めつくしている。
「はぁ……ヌヴィレットさん、あんたってほんと……
 ナヴィアが呆れた様子で溜息をつく。先の笑みを曇らせてしまったことが忍びない。
 怒りか、失望か。とにかくヌヴィレットは次に来るであろう叱責を覚悟した。
 かくして、ナヴィアは吠えた。
「ほんっっとに、色々考えすぎ!!」
……考えすぎ?」
 ヌヴィレットは目を瞬いた。少しばかり予想外で、即座に理解の出来ない指摘だった。
「そのままの意味よ! 理屈なんてあとあと! 大事なのは、今どう感じているかでしょ。気持ちって、理屈で制御できるものじゃないんだから!」
 本当に理屈も何も無い意見だ。だがナヴィアらしい言葉だとも思う。
 過去、連続少女失踪事件に際してナヴィアがここを訪れた時──感情のままに訴える彼女に、酷く胸を揺さぶられたことを思い出す。今まさに、同じ心地を味わっている。
「私もナヴィアと同意見です」
 続いて援護に入ったのはクロリンデだ。常日頃凛々しい顔立ちが、今はとても柔らかい。
「フリーナ様の命がかかっている局面で、判断に慎重になる気持ちは分かります。けれど、あなたの言動は外野から見れば明白です。理屈で説明出来ないのなら、まずは実際に現れている事象を指針にしてもよいのではないでしょうか」
 まるで科学の実験のようだ。だが理に叶っているようにも思う。
「ご不安なら他にもロールプレイを重ねてみますか? 実は色んなパターンを考えてきているんです。新たな恋で過去の恋を忘れてもらおうと、フリーナ様に他の男性をけしかける、っていうのもありましたね」
 フリーナの両隣にマンマルタコと重甲ヤドカニを出現させたリネが、にこりと笑う。
 人形とはいえ、フリーナを模したものに〝他の男性〟が纏わりつく光景は、どうにも面白くない。むっと眉間に皺が寄る。
 この不快には覚えがあった。劇作家の青年が、フリーナに不遜に絡んでいた時だ。──確かに、あらゆる状況証拠はヌヴィレットの感情を黒だと示している。
 とどめとばかりに旅人が言う。
「ヌヴィレットが自分で言ったんだよ。明確な感情も、類似の感情や記憶と複雑に結びついていて、全てを集約して一つの名前をつけるんだって」
「確かに言ってたな。オイラも覚えてるぞ!」
 自らの供述に追い詰められては、もはや否定のしようがない。ヌヴィレットは深い溜息と共に、その判決結果を受け入れた。
 
 これは、恋情であると。ヌヴィレットはずっと以前より、フリーナに恋をしていたのだと。

 そして一度受け入れてしまえば、「恋」という名の感情は、すとんと胸に心地よく収まった。今までの苦悩がなんだったのだろうかと思えるほどに。
 ……会いたい。
 フリーナに会いたい。会って、この想いを伝えたい。長く待たせてしまって、すまないとも。
 彼女はどんな顔をするだろうか。色違いの青い瞳を大きく見開いて、それから、遅いよと眦を吊り上げヌヴィレットを一通り詰って、でも嬉しいよと、最後にはきっと笑ってくれるのではないだろうか。
 久しく見ていない彼女の心からの笑みを思い浮かべると、柄にもなく胸が弾んだ。ああ、今すぐにでも駆け出したい。
「答えは出たみたいだね」
 旅人が確信を持って微笑みかけてくる。
「ああ。手間をかけてしまい、申し訳なく思う」
「いいって、いいって! それより早くフリーナのところに行ってあげて」
「ああ、そうしよう。提案に感謝する」
 ナヴィアの提案に頷き、扉へと進む足取りは軽い。早く想いを伝え、花吐き病を治してやらなくては。早く、苦しみから解放してやりたい。
「──あ、ヌヴィレット!」
 そうしてドアノブに手をかけた時、旅人に声をかけられた。
「恋の形って、なんだと思う?」
 それは草神からの謎かけ。
 花やハートや、概念や、人によって解釈の異なる、答えのない不確かな設問。
 今なら、その意味が分かる。ヌヴィレットは迷うことなく答えた。

 ──私にとっての恋とは、フリーナ・ドゥ・フォンテーヌそのものだ。