riririnf
2025-08-30 10:14:17
58884文字
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世界から花が消えたなら

ヌヴィフリ花吐き病書いてみた・後編
【四章】君は向日葵 P1~【五章】世界から花が消えたなら P4~【六章】この恋は花にのせて P6~
※捏造・ネタバレ過多。

君は向日葵


「──ええ、知っているわ。嘔吐中枢花被性疾患のことでしょう?」

「えーと……おう……か、ひ…………なんだって……?」
 それは「花吐き病って知ってるか?」との問いに対する回答だ。
 荘厳で静謐な、草木を思わせる翡翠色の宮殿の中、いとけない声色で放たれた小難しい単語に、パイモンは分かりやすくハテナを飛ばした。
 旅人も殆ど同じ心境だ。一応知っている単語ではあるものの、流石にカンペもなしに復唱出来るほどではない。
 助けを求めるようにこちらを見てきたパイモンに、無言で肩を竦める。
「嘔吐中枢花被性疾患。花吐き病の正式名称よ」
 旅人とパイモンを困惑させた張本人、そしてこの宮殿──スラサタンナ聖処を居城とする草神ナヒーダは、気持ちゆっくりと先の単語を繰り返した。
 知恵の神たる彼女は、さりとて知恵のない者を嗤うことはない。かつてこの地に混迷を齎した某大賢者とは大違いだ。真の賢人とは、その精神も成熟しているのだろう。
「そういえばヌヴィレットからの手紙にも、そんなことを書いてたような……
「ヌヴィレット?」
 頭に手を当て唸っていたパイモンの言葉に、ナヒーダがぴくりと反応した。
「フォンテーヌの最高審判官……そして水の龍王。彼がこの病に関わっているの?」
「おう。流石、ヌヴィレットのこと知ってるんだな。実はオイラたち、そいつの依頼で花吐き病について調べてるんだ」
「そう……
 ナヒーダは考え込むように視線を落とした。数瞬ののち、ゆっくりと萌黄の瞳が持ち上がる。
……それはつまり、フリーナが花吐き病に罹患したという理解でいいかしら?」
「ええっ!? どうして分かったんだ!?」
 パイモンが驚きに目を見張る。旅人もまったく同じ心境だ。スラサタンナ聖処を訪れて五分足らず。まだ殆ど何も話していないのに。
「簡単なことよ。あなたたちに調査を依頼した時点で、知恵の神たる私を頼ることは彼も想定していた筈。〝花〟吐き病となれば尚更ね」
 指摘の通り、調査依頼を受けてからナヒーダへの相談を決めるまで、そう時間はかからなかった。花と草神を結びつけるのは、誰にだって出来る連想ゲームだ。
「二代目ということもあって、彼は龍王の中では非常に穏健な気質のようだけれど、それでも私という『神』を頼るほどの動機となれば限られてくる。例えば、病に侵されているのが彼にとっての大切な存在である場合……
 龍と神の確執は旅人も知っている。海灯祭の折、七神の一人である鍾離がわざわざヌヴィレットを避けたことからも、一筋縄ではいかない問題であることは分かる。
 旅人たちを介してとはいえ、ヌヴィレットが因縁に目を瞑るほどの存在。そこまでしても救いたい、大切な存在。
……彼がそこまでする存在なんて、フリーナ以外に思いつかないわ」
 ナヒーダはそっと目を伏せた。推理の全てが的を射ているというのに、そこに謎解きの高揚はなかった。
「願わくば、私の杞憂であってほしかったのだけど」
 ぽつりと零された言葉が、静寂な聖処に虚しく響く。その声音があまりに痛切で、旅人の背筋にひやりと冷たいものが走った。
 旅人たちは花吐き病について、冒険者協会を通じて届いたヌヴィレットからの手紙で読んだのみで、フリーナの様子を直に見たわけではない。だから理屈の上では分かっていたけれど、紙面上の文字を追うのと、実際に視覚と聴覚に刻み込まれるのでは、まるで重みが違う。
 直接その単語を出されてはいないのに……いや、だからこそ、より強く意識させられる。
 花吐き病罹患者の末路は、「死」であると。
…………
 旅人はぎゅっと唇を噛む。認識が甘かった。フリーナはまだ日常生活を送れる程度の余力があり、水神の頃から百年間も耐えてきたために、ある種の慣れすら感じさせると、そう書いていたから。どこかタカを括っていたことは否めない。
 ……ううん、違う……
 本当は、無意識に目を逸らしていただけだ。いつだって「死」とはつらく悲しいものだから。
 ヌヴィレットからの依頼文を受け取ってから、ここに来るまで何日経っている? そもそも依頼文自体が旅人たちに届くまで、何日かかっていた?
 事態は刻一刻と動き続ける。旅人は幾度も修羅場を潜り抜けた経験から、そのことを骨身に染みて知っている。今この瞬間だって、フリーナの病状が悪化していない保証はない。
 だからこそ──動かねば。
「ナヒーダ、私たちはフリーナを救いたい。だから力を貸して」
 旅人の要請に、ナヒーダ、そして旅人と同じく「死」を感じ取って表情を陰らせていたパイモンが、ハッと目を見開いた。
 今の自分の声は聖処にどう響いたのだろう。どうか希望を携えたものであればいい。
「──ええ、私も同じ気持ちよ」
 頷くナヒーダの表情に、もう先ほどまでの翳りはなかった。揺るぎない意志を宿した萌黄の瞳が、旅人を映している。
「まずは詳しい事情を聞かせてくれるかしら。私の持つ知恵の全てをもって答えるわ」
 この幼げな瞳の奥には今、千の思索が枝葉の如くに巡っているのだろう。
 示し合わせることもなく、旅人とパイモンは同時に頷いた。この頼もしき知恵の神の英智を求めて、自分たちはこの場を訪れたのだから。

 かくして旅人とパイモンが知る限りの全容を語り終えた時、ナヒーダは可愛らしい眉を複雑そうに寄せていた。
「随分とややこしいことになっているのね……
「まあ、そう思うよな……
 そうと零すのもむべなるかな。手紙を読んだその当時、旅人とパイモンも思わず頭を抱えたものだった。
 花を吐くなどという、ただでさえ奇特な病に加え、不死の呪いによる病の長期継続、呪いが解けたことによる病状悪化。事もあろうに意中の龍は恋が分からず、取った手段はお付き合い。
 その時々の二人の心境は分からないでもないけれど、もう、色々と込み入り過ぎている。
「とはいえ、花吐き病への理解は合っているわ。この病は恋を拗らせることで発症し、その想いを成就させることにより完治する。補足するなら、完治の際には白銀の百合を吐き出すとされているの。まるで祝福みたいにね」
 不条理に死に向かう呪いをかけておいて、掌返しの祝福。笑えない話だ。
「へえ、分かりやすくていいな」
 しかしパイモンは全く真逆の感想を抱いたようで、感心した様子で相槌を打った。
 確かにそういう見方もある。相変わらずパイモンは単純かつポジティブで、とてもいい。
「生論派の文献によると、万病の秘薬になるという説もあるそうよ。症例が少なすぎて、伝承の域を出ないけれどね」
 きっとナヒーダも旅人と同じ気持ちになったのだろう。僅かに和んだ様子で、柔らかな笑顔を見せた。
「とにかく事情は分かったわ。両想いになる以外の解決方法を探しているのね?」
「おう! そういうことで合ってるぞ。ヌヴィレットってとんでもなく鈍感な奴だからさ。フリーナにはちょっと悪いような気もするけど、他に方法があるなら、そっちの方がいいと思うんだ」
 ヌヴィレットの苦悩と自責の念は、文面からも痛いほどに伝わってきた。フリーナを救いたいという強い願いも。
 けれどこればかりは、努力ではどうにもならない領域のようにも思うのだ。使命感で恋は出来ない。
 だからパイモンの言う通り、ヌヴィレットに想いを寄せるフリーナには申し訳なくもあるけれど、まずはともかく病の完治が最優先だろう。両想い云々はそのあとだ。
「で、実際どうなんだ? 他に方法はありそうか?」
「そうね……あると言えばあるし、ないと言えばない、と言うべきかしら」
「ん? どういうことだ?」
「完治の方法は両想いの他にないけれど、鎮静化させる道はあるということよ」
 言い終わると同時、ナヒーダは胸の前に手をかざした。小さな掌の上、草元素の翠光が輝き、形を成していく。それは幻想的で美しい、一輪のスメールローズ。
 わぁ……、と感嘆の声が上がるも束の間、はらはらと花弁が散り出した。無情な光景に、あ……! とパイモンは目を見張る。
「罹患が必ずしも発症に繋がるわけではないことが、この病の特徴ね。なら、発症条件そのものをなくしてしまえばいい」
 スメールローズの花弁がゆっくりと閉じ、蕾の状態に戻っていく。そうしてやっと花弁の落下は止まった。
「花が咲くから、散ってしまう。一度張った根はもう取り除けないけれど、花弁を閉じてしまえば、散りゆく定めからは逃れられる」
 旅人は腕を組んで思考する。掌の上沈黙するスメールローズが示す道。それはつまり……
「恋心を、捨てること。フリーナがヌヴィレットのことを諦められれば、花吐き病は鎮静化する。そういうこと?」
「え……っ!」
 恋心を拗らせることで発症するのだから、逆を言えば恋心を落ち着かせれば、花吐き病は鎮静化する。完治は出来なくとも、ひとまず花を吐いて命を枯らすことはなくなる。
「正解よ。流石は旅人ね」
 背を仰け反らせて驚くパイモンとは正反対に、ナヒーダは落ち着き払った様子で旅人の回答を肯定した。
「でも恋心を捨てるなんて、そんな簡単に出来ることなのか……?」
 表情を曇らせるパイモンの疑問に答えたのも、同じくナヒーダだった。
「そうね。人の心は気ままに絡まる蔦のようなもの。蔦自身でさえ、その流れを制御出来ない。止まろうとすれば傷ついて、無理に曲がれば折れてしまう。だからこそ〝拗らせ〟てしまうのね」
 だから、とナヒーダは自身の胸に手を添えた。
「感情の複雑さについては私もいまだ学びの最中だけれど、これがとても難しい提案だということは分かるわ」
「ううん……じゃあ、この手は使えないのか……。絵に描いた餅ってやつだな」
 あるいは机上の空論。あると言えばあるし、ないと言えばない。なるほど、納得せざるを得ない表現だ。
「いいえ、それがそうとも言いきれないの。彼……水の龍王ならば、この難問を解決できる」
「ヌヴィレットが?」
 パイモンが意外そうに聞き返した。ヌヴィレットからの依頼で奔走しているのに、解決策が彼のところに戻ってくるというのは、なんとも数奇な循環である。当の本人は恋情が分からないと嘆いているのに。
「ええ。おそらく今の彼にとっては、息をするように簡単なこと。けれど同時に、それが茨の道であるとも悟るでしょう」
 いかにもナヒーダらしい、回りくどい言い方だ。同時に、そこはかとなく漂う不穏さもある。パイモンは思わずといった様子で喉を鳴らし、旅人もまた腹を据えて続きを待った。
「申し訳ないけれど、私が語れるのはここまでよ。この先は直接彼から聞いてちょうだい」
 しかしナヒーダは、そこで説明を打ち切った。
「ええっ、なんでだ?」
「今あなたたちに情報という果実を渡せば、漂う果実の香りがあなたたちを思い悩ませてしまうことになる。渡された果実をどう扱うかは、調理する者とそれを実際に食す者にしか決められないにも関わらずね。それでは割に合わないでしょう?」
「ううっ……確かに目の前にある果実を食べられないのはつらいな……!」
 パイモンの嘆きは真に迫っている。絶対にそういうことではないのに、なんだか上手く理解したような着地をしているから不思議だ。
 つまり、その情報を聞いてしまえば、旅人たちはその扱いに悩むことになるらしい。それくらいこれは重く複雑な問題で、ナヒーダは自分たちに苦しんでほしくないから、回答を先送りにした。
 数多の知恵を有する賢人は、その扱いにも慎重になるのだろう。かつて旅人とパイモンが夢境輪廻に囚われた際も、ナヒーダは旅人たちに与える暗示やヒントに最善の注意を払っていた。
 話を整理した旅人は、ナヒーダに最後の確認を取る。
「ヌヴィレットにこの話をすれば、答えはすぐに分かるんだね?」
「ええ、間違いなく。彼にはその力がある」
 ナヒーダは迷いなく断言した。
 どうする? と言いたげなパイモンの視線を感じながら、旅人はナヒーダの掌に残るスメールローズを見つめた。
 固く花弁を閉じれば、確かに命は守られる。けれど、それは花の在り方としてはどうなのだろう。最初の花開いた美しい姿を見てしまったからこそ、そんな疑問が生まれてしまう。散りゆく翠の花びらが、瞼の裏に焼き付いている。
 ……でも、その答えを出すのは私じゃない。
「──分かった。あとはヌヴィレットに聞くよ」
 当人たちの最善は、言うまでもなく当人たちが決めるべきだ。そして一緒に悩んでやればいい。今ここで抱え込んでしまうのではなく。旅人はそう決めた。
「そうだな。どうせヌヴィレットにも会うんだから、手間にもならないだろ」
 そしてこういう時、親愛なる仲間パイモンは、明るい笑顔で旅人の選択を肯定してくれるのだ。
「じゃあ、早速ヌヴィレットのところに行くか?」
「待って。もう少しだけ話をさせてちょうだい」
 せっかちね、とでも言いたげに苦笑しながら、ナヒーダが引き留めてきた。
「これは情報提供というよりは、エールのようなものなのだけど」
「ん? なんだ?」
「恋って、どんな形をしていると思う?」
 パイモンと二人揃って目を瞬く。エールというより謎かけだ。
 けれどナヒーダは善良で捻ねくれたところのない、新芽のような純真さを持った神様だ。フリーナの命がかかっているこの局面で、まさかただの世間話を振ってはこないだろう。
 そしてテイワット中を旅する旅人とパイモンは、この手の無茶振りにも慣れている。二人は直ちに思案に取り掛かった。
「ハートの形、とか?」
 ひとまず無難な思いつきを投げてみる。
「それこそ花の形じゃないか?」
 うーん、と唸っていたパイモンがあとに続く。
「ある稲妻の作家は月に例えたそうよ」
 ナヒーダはそれぞれの答えを否定せず、けれど肯定もしなかった。それどころか新たな選択肢を出してくる。
「結局正解はなんなんだ……?」
 ナヒーダは人差し指の先端に草元素を灯し、宙に落書きを始めた。幼子の手遊びにより生み出しされた四葉の花、ハート、月が旅人たちの頭上に浮かぶ。
 可愛らしい光景ではあるけれど、意図はよく分からない。二人分の疑問の視線を受け流して、ナヒーダはどこか楽しげな笑みを浮かべた。
「稲妻に伝わる物語集によれば、もし恋人がアビスに染まったならば、フォンテーヌ人は共に永き眠りに落ちると答え、稲妻人は介錯をすると答えたそうよ」
「ん? ちょっと待て。形って、具体的なものじゃないのかよ?」
 パイモンの指摘通り、ナヒーダが今語ったのはハートや花などの物質的な話ではなく、概念だ。そうなると、また話が変わってくる。最早無限の可能性があると思う。
「これって正解なんてあるの?」
「ないわね」
「ないのかよ!」
 パイモンがすかさず叫ぶ。ナヒーダは悪びれもせず小首を傾げた。
「言ったでしょう? 情報提供じゃなくて、エールだって」
「やっぱり、よく意味が分からないぞ……
 頭を抱えるパイモンに、ナヒーダは静かに微笑んだ。幼げな容姿が、瞳に宿る理知の光をより一層引き立てている。
「フリーナは世界の運命を変えるほどに賢い人よ。でもそれはフリーナ自身の幸せを犠牲としていた。役目を果たした今、彼女にはとびきり幸せになってほしいと思っているの」

 ──どうか、彼女が望む形でね。

 ナヒーダはスメールローズの蕾を両手で胸の前に持ちながら、そう話を締め括った。
 まるで祈りのように。