riririnf
2025-08-30 10:14:17
58884文字
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世界から花が消えたなら

ヌヴィフリ花吐き病書いてみた・後編
【四章】君は向日葵 P1~【五章】世界から花が消えたなら P4~【六章】この恋は花にのせて P6~
※捏造・ネタバレ過多。


この恋は花にのせて


 こうして百年続いた花吐き病事変は、ここに幕を閉じた。
 かといって、表立って何かが大きく変わるわけでもなかった。すでに演劇の世界で揺るぎない地位を確立していたフリーナには、いつだって脚本や演技指導の依頼が絶えない。
 病状悪化で一時依頼を受けられず、引受済みの依頼すら降板がよぎるほどであったが、結果として休止が短期間に留まったのは幸いだった。半月程の休養を経て、フリーナは殆ど何事もなかったかのように復帰出来たのだ。
 今のフリーナの日常は、ひっきりなしに舞い込む依頼を選別し、原石発掘及び研磨に勤しむこと。それは病の完治以前と変わらぬ日々だ。
 けれど、せっかく花吐き病が完治して、そろそろ半年程が経とうというのに、あんまり変わり映えがないのもどうだろう。だから近いうち、フリーナ自ら再び舞台に上がってみるのも悪くない……だなんて、最近はそんなことを考え始めている。
 市井に降りてからというもの、フリーナはずっと裏方を貫いてきた。万一舞台上で花を吐いてしまったら堪らないし、なにより長く偽りの神を演じた経験から、大衆の視線を浴びることが怖かった。
 けれど前者の問題はもう解決したし、ちょうど今、熱心にフリーナの出演をアプローチしてくる劇団もある。脚本も中々面白く、なんならフリーナが演じなくとも、それなりに好評を博すとは思うのだけれど、劇団員一同「フリーナ様でないと意味が無いのです!」と折れやしない。
 そこまで熱望されれば悪い気はしないけれど、でもねぇ、と勿体ぶっていたところ、ついに先日言われたのだ。──フリーナ様の演技を見れば、皆よい刺激になると思うのです、と。
 人生、時には刺激も必要だ。退屈平凡なぬるま湯に浸かり続ければ、あっという間に花期が過ぎ去ってしまう。咲き誇り続ける努力を怠ってはならない。そしてそれはフリーナにとっても同様だ。いつまでも足踏みをしてはいられない。
 自身のためにと重ねる努力が呼び水となり、他の誰かにも循環していくのなら。それは中々いい話ではないだろうか。
 今はまだ保留にしているけれど、近く返事をしようと思う。前向きな方のお返事を。

 とまあ、仕事についてはこんなところで。一方プライベートはどうだろう。
 花吐き病が完治した後のこと。心身の疲労が極限に達していたフリーナは、スイートルームで一週間ほど療養した後に(某過保護な最高審判官に熱心に引き留められたが、プラス二週間の静養を条件に)なんとか自宅へと戻った。
 するとなんと! 玄関前にはナヴィアとクロリンデが険しい顔つきで待ち構えていて、それはもうこっぴどく叱られたのだ。
「ヌヴィレットさんに今日が帰宅日だって教えてもらったの。完治してすぐは流石に遠慮したけど、もう大丈夫なんでしょ? だったら容赦しないから! 覚悟なさいフリーナ!」
「シグウィンさんに体調確認も取っています」
 情報源の開示と、主治医の許可まで得たとの丁寧な前置きから始まり、
「なんで独りで抱え込んじゃうのよ。あたしたち、そんなに頼りない? あんたが病気だって聞いて、ほんとにほんっとーに心配したんだから!」
 と、結構な剣幕で詰め寄られ、
「ご……ごめん……、僕、その……
 フリーナは情けなくしどろもどろの言い訳未満を返すことが精一杯だった。
 そうして一通りナヴィアが言いたいことを終えた頃、クロリンデがそっと肩に手を添えてきた。
「フリーナ様にも色々と事情があったのだとは分かります。けれどそれをおいても、私もナヴィアと同じ気持ちです。今後なにか困ったことがあれば、必ず頼ってください。私たちは友達でしょう?」
 そう言って微笑むクロリンデのアメシストの瞳は、とても優しくて。
「そうよ。友達なのに、なんにも言ってくれないなんて、悲しいじゃない……!」
 震える声に気付いてナヴィアを見れば、その空色の瞳には涙が溜まっていて。
 つられてフリーナの涙腺が決壊してしまったのは、無理からぬことだと思う。
 結局三人で抱き合って、フリーナはわんわん泣いた。ナヴィアはぐす、と鼻を鳴らし、流石クロリンデは涙を見せたりはしなかったけれど、フリーナの背を穏やかに撫でてくれた。
 ああ、花吐き病が治ってよかった、ここに戻ってこられてよかった、とフリーナは心の底から、この奇跡のような日常を噛み締めた。
 彼女たちとは今度テーブルトークシアターの約束をしている。リネとリネット、それからフレミネも誘っているらしい。
 きっと素敵な一日になるだろう。今からとても楽しみだ。
 
 勿論、少しは変わったこともある。恋人関係になってより毎日続いていた、ヌヴィレットの訪れがなくなったのだ。
 それは関係が冷めてしまったというわけではなく、お互い過度な無理をしなくなったということだ。
 結果、今は週一くらいの訪問に落ち着いて、月に一度はお互いの休暇を合わせ、取り留めもなく街歩きをしたりなどしている。
 とはいえ、恋人です! と宣言しながら往来を闊歩するのも気が引けて、そこはまだまだ、ヌヴィレットの市井調査であるとのていを貫いている。
 道行く人々に訊ねられては誤魔化すたびに、乙女心を解さぬ水龍は不服そうに眉を寄せているけれど、そこは譲歩してほしい。
 恋の成就を遂げたなら、今度は気恥ずかしさだとか、身分差だとか、新たに色々と思い悩むところが出てくる。生きている限り、悩みというのは尽きないものだ。
 それでも花吐き病という最大級の困難を乗り越えた今、フリーナはどこか気楽に構えてもいる。
 いざとなれば、頼れる友人たちに相談するという道もあるのだから。

 そして現在。フリーナは花吐き病に比べても、複雑な乙女心と比べても、幾千倍もお手軽なことに頭を捻っている。
 今日はヌヴィレットがフリーナの自宅を訪れる日。フリーナは今、お出迎えの最終チェックをしているのだった。
「クラバレッタさん、テーブルクロス、もうちょっとそっちに引っ張って……うん、いいよ……ああ、カトラリーの位置が少しずれてるな……
 カトラリーの微調整をしながら、フリーナは細部にまで目を光らせる。
 先日ヌヴィレットとの街歩きの際に購入した花柄のテーブルクロス。その淡い色合いが白磁の皿を引き立て、磨きあげられたグラスとカトラリーが、キャンドルの光を柔らかく反射する。
 別に今日が初めての来訪というわけではないけれど、それでもやっぱり気は抜けない。フリーナにはフォンテーヌの流行を五百年間引っ張ってきた淑女としてのもてなしの矜恃、並びに恋人としての意地というものがある。
 そして本日の衣装はクラシカルなワンピース。淡い白から夜空のような紺へと溶けゆくグラデーションの生地に、きらめく星屑の刺繍が散りばめられている。ヌヴィレットには初お目見えだ。
 なお食器の磨きあげや部屋の清掃は、シュバルマラン婦人とジェントルマン・アッシャーが共同でやってくれた。今もまた、共同作業でフリーナの髪や衣服を整えてくれている。彼・彼女らはいつ如何なる時もフリーナに寄り添い助けてくれる、最高の仲間たちである。
 もしあの時記憶と感情を失っていたら、彼らにも会えなくなっていたのだろう。というより、道連れだ。
 フリーナによって生み出された彼らは、フリーナなくしては存在出来ない。花吐き病の完治以外に、彼らが存続し得る道はなかった。
 咄嗟にごめんね、と心の中で謝ると、皆一斉にフリーナの方を振り向いて、三者三様ににこりと笑う。
 彼らとは以心伝心。フリーナはそこに、あらゆる受容を受け取った。
……ありがとう。これからもよろしく」
 フリーナが微笑むと、今度はくるりと一回転したり、泡を吐き出したり、これまた三者三様のリアクションを見せてくれた。
 その後はワンピースの裾をジェントルマン・アッシャーが軽く払って揃え、クラバレッタが食器類の指差し確認をする。フリーナはシュバルマラン婦人が泡に入れて運んでくれたコンパクトミラーで、自身の仕上がりを確かめる。
「──うん、ばっちり」
 ミラーをパチリと閉めると同時、耳馴染みのいいノック音が届いた。
 とくりと胸が高鳴る。フリーナはサロンメンバーたちにお礼を言って元素に還した。それから一つ深呼吸をして、扉へと歩み寄る。逸る心を押し込めて、ゆっくりと扉を開けた。
「やあ、いらっしゃい」
「ああ、邪魔をする」
 扉の向こうに立っていたのは、フリーナの恋人ヌヴィレット。しっかりとおめかしをしているフリーナとは対照的に、ヌヴィレットはいつも通りの重厚で優雅な法衣のままだ。
 けれど普段と異なる点もある。ロイヤルブルーで構成された装いの中心に、楕円の紫色がふわりと佇んでいる。
「今日はこれを。花言葉は、不滅の愛」
 長身を僅かに傾け、空いている片手は腰の後ろに。紳士的な手つきで差し出されたそれは、上品にラッピングされた一輪の紫チューリップ。
「ありがとう。綺麗だね」
 フリーナは両手でチューリップを受け取った。顔に近付け、目を閉じる。すぅ、と息を吸い込めば、紫の花弁から微かに立つ甘やかな香りが、胸の奥を柔らかく満たしていった。
 満足感と共に目を開けたフリーナは、花の贈り主を上目遣いにちらりと見遣る。
「──ねえ、その顔どうにかならない?」
 ロマンティックで情熱的な花言葉の贈り主とはとても見えない仏頂面に、思わず笑みが零れた。
……これはいつまで続くのだ」
 しかしヌヴィレットは表情を改めるどころか、眉根を寄せて更に表情を悪くした。
「そうだなぁ、僕は百年罹患していたわけだから、とりあえず同じくらい?」
 冗談めかして返答すれば、怜悧な美貌がはっきりと自己主張する。嫌だ、と。
「キミの表情筋がちゃんと仕事をしているのを初めて見たよ。そんなに嫌なのかい?」
 くすりと笑うフリーナに、ヌヴィレットは気まずそうに目を逸らす。
「嫌……というわけではないが……、君は、いいのか……?」
「またそれかい? いいに決まっているだろう。花を贈ってくれとお願いしたのは僕なんだからさ」
 そう、週一回の訪問のたびに、花の手土産を望んだのはフリーナだ。
 きっかけはフリーナの療養期間中、ヌヴィレットがお見舞いにとフリーナの自宅を訪れた時。今後の二人の在り方について、話し合いを重ねていた頃にまで遡る。
『思えば私たちには、このように本音で語らう機会が圧倒的に不足していたように思う。これを機に、互いに忌憚なく想いを言い合える関係を築いていきたい』
 ヌヴィレットはそう言った。加えて『私は気持ちを表に出すことが苦手で、気の利いた言葉も言えぬ未熟者ゆえ、不快な点はすぐに指摘してほしい』とも。そして問うてきた。
『差し当たり、今後の手土産は何がいいだろうか?』
 毎日ドゥボールケーキは飽きると言ったから、その日は探り探りといった様子で、瑞々しいフルーツの詰め合わせを持ってきてくれていた。
 これは見舞いの鉄板で、そう外れない。事実嬉しかった。ヌヴィレットが水元素でウォーターカッターを作り出し、器用にりんごの皮を剥いてくれたから、より嬉しかった。
 そうは言っても、毎度毎回持ってこられれば、やっぱりそのうち飽きてしまうし、考えなしの手抜きに近い。だからフリーナ本人に確かめるのは、シンプルかつ有効な手段と言える。
 ふぅん、また来てくれるんだ、ふぅん……、と口には出さないまでも、くすぐったさに唇が緩むのを止められず。密かに奮闘しながら考えて。フリーナは件のお願いを思いついた。
『じゃあ、キミの想いを花にのせて伝えておくれよ』
 以上──回想終わり。
 フリーナの願いを聞いた瞬間のヌヴィレットの表情は、今よりもずっと複雑そうだった。いいのか、と先と同じようなことを何度も聞かれた。
 けれど最終的にはフリーナの願いを聞き届け、訪問のたびに花言葉を添え、花を贈ってくれている。今のところ被りはない。
 そして大体が熱烈な愛の言葉を選ぶのには驚いた。今日なんて『不滅の愛』だ。
 花言葉は色や品種、本数によっても変わったりする。例えばチューリップなら、赤は『永遠の愛』、ピンクは『愛の芽生え』。他にも108本のレインボーローズを贈って『結婚してください』とプロポーズをするのは、我が国では定番の文化だ。
 だから選択肢が多いことは確かなのだけれど、それでも感心してしまう。そういう文化も花言葉もまるで知らなかったであろう〝あの〟ヌヴィレットが、という不思議な気持ちも湧いてくる。
 訪問日が近付くと、辞典片手に睨めっこをしているのだろうか。それとも花屋の店員にアドバイスをもらっているのだろうか。どちらにせよ面白い光景だ。
「だが君は……花を贈られることを拒んでいただろう。今になって思えば、裏方仕事だからと贈り物の一切を拒んでいたのも、劇作家の青年からの花束に困った様子を見せていたのも、花そのものを嫌悪していたからではないのか」
 ヌヴィレットが少し言いづらそうに問うてきた。これも当時確認されたことだ。ちゃんと隠していたつもりだったのに、と少々驚きもした。けれどこう何度も確認されてしまっては。
 過保護水龍、ここに極まれり。フリーナは苦笑した。
「花吐き病罹患経験者に花を贈るなんて……って不謹慎を感じてしまうのは、分かるんだけどね」
 特にヌヴィレットは優しいから。龍と人という種族の違いはあっても、自身の価値観を押しつけずに相手に寄り添おうとする、美しき心を持った彼だから。
 そんな愛おしい水龍に、フリーナはふわりと微笑んだ。
「だって花とは美しいものだろう? 僕は美しいものは美しいと、なんの衒いもなく褒め讃えたいんだ」
 百年間、フリーナは花に苦しめられてきた。花とは醜く愚かしい罪の象徴で、不老不死とはまた別の、いわば呪いのようなものだった。
 けれど本来花とは、時に想いを込めるものであり、時に空間を華やかに彩るものであり、時にただ懸命に生きるものであり、時に劇的な物語の名脇役もしくは主役ともなりうるものであり。
 とにかく尊く愛おしいものなのだ。少なくとも、フリーナはそう信じたい。
「だから悪いけれど、まだまだ付き合ってほしい。百年間の闘病生活なんか、キミが全部吹き飛ばしてくれ」
 嫌がる恋人に我儘を言っている自覚もある。でもこんなことを頼めるのは、それこそヌヴィレットしかいないのだ。フリーナが花に想いを馳せるときはいつだって、脳裏に彼の姿があったのだから。
 ヌヴィレットは眩しいものを見るかのように目を眇めた。ややあって溜息をつく。
……分かった。もう何も言うまい」
 それは降伏宣言だ。それから真剣な目でフリーナを見つめてきた。
「実のところ、君が無理をしていないかが心配だったのだ。トラウマ克服に励む君の意気込みに尊敬の念を抱きはするが、自らを追い込みすぎては意味がない。そして君はとても我慢強いので、真っ向から問うても答えてくれないだろうとも」
 だが、とヌヴィレットは続ける。
「全ては杞憂だった。君はこのやり取りを、心の底から楽しんでくれていたのだな」
 そう言って、ヌヴィレットは安堵を宿した笑みを浮かべた。フリーナの胸がきゅうっと締めつけられる。
 我儘に付き合ってくれて、無理をしていないかと見守ってくれて。フリーナはどこまでも大切にされている。
 こんなにも深くて温かい、ひたむきな感情を信じることが出来なかったなんて、本当に愚かで罪深い行いだった。
 思わずごめんね、と口をついて出そうになり、すんでのところで思い留まる。直前のサロンメンバーとのやり取りが思い出されたからだ。
 気を取り直して、フリーナはそっと口の端を上げた。
……ありがとう、信じてくれて」
 ヌヴィレットは僅かに目を見開いた。それから表情を緩めて、「ああ」と応えてくれる。
 そんな短い返事が何故だかとても胸に響いて、フリーナの笑みも自然と深くなる。
「さて、立ち話が長くなってしまったね。そろそろ食事にしよう」
 フリーナはヌヴィレットに背を向け、軽やかな足取りでテーブルに向かった。そして主役のないままテーブル上に鎮座していた半透明な硝子花瓶に、ラッピングから取り出した花を挿す。
「さ、これでセッティングも完了だ」
 くるりとヌヴィレットに向き直ると、彼は勝手知ったるといった具合で、上着をハンガーに掛けていたところだった。
 鋭い龍瞳が、フリーナと活けられた紫チューリップを映し、それからふっと和らぐ。
「ああ、ご馳走になる」

 以前とは少し変わったフリーナの日常。ヌヴィレットのいる日常。
 ……幸せだなぁ。
 ついにフリーナは、にへらとだらしなく笑ってしまった。