【創作|馬軸】春雷 外伝 不知火 プロローグ

──その星が、俺の行くべき道を示してくれる。
「春雷」では描かれなかった牝馬クラシック路線から贈る、再起と栄光へ至るもう一つの物語。

スペシャルサンクス
Littorioさん 双鶴浅葱さんをお借りしました。めちゃくちゃ勝手に設定生やしてお借りしてめちゃくちゃ喋っていただいております。
山城まつりさん 櫻田翠先生のお名前、真田那央さんをお借りしております。那央さんにはめちゃくちゃ喋っていただいています。
早蕨足穂さん クロフォード先生(お名前は出ていません)をお借りしております。
さけはしろみさん 台詞の一部、設定の一部をお借りしております。
みなさまいつも遊んでいただき本当にありがとうございます。これからもよろしくお願い申し上げます。
※本作品は実在の名称、団体、企業などとは一切関係ない一次創作作品です。


 
「ったくよ〜〜……噛みつかなくたっていいじゃねえか」

 文句を言いながら彼女をウッドチップコースへ導いていく。同行する蒼司は胃腸が痛んでいそうなしわしわの表情になって「ごめん……」と言ったきり、黙りこくって何も言わない。
 無理もない。それはそうだろう。オラリオンは蒼司が惚れ込んで、セレクトセールで買ってきた馬である。しかも懇意の馬主の欲した馬とはかけ離れた馬だったこともあり、色々と(大したことはなかったらしいが)揉めた経緯もある。
 購入当時はおとなしく、どちらかというと引っ込み思案なのか、母馬のそばにへばりついているような仔馬だったらしい。しかし今はこれである。
 女王様気質というのか——とにかく我が強い。とにかくこだわりが強い。そして気性が荒い。父馬の気質を受け継いでしまったのかと後悔してもすでに遅い。オラリオンには一億五千万円がかかっていた。

「桜花賞には間に合わなかったけど、オークスは……
「大丈夫だ、蒼司」 俺は馬上から彼に呼びかける。「こいつは間違いなく走る。それに条件的に考えりゃあ、新馬戦が2000なんだ。オークスの方が合うだろ」
「そうだね。ただ、心配なこともある」 蒼司は端正な顔を少し歪める。「当日の天気予報だよ。雨らしい。この子はほら、良馬場しか走ったことがないでしょう」
「あ〜、まあ、確かに、そうだな」

 俺は曖昧な返事を返す。確かに過去の二戦はいずれもよく晴れた良馬場で行われた。
 光によく映える緑の芝を、よく覚えている。圧倒的な力で捩じ伏せた新馬戦。大幅に出遅れたにも関わらず、最後方から捲り上げて三着へ食い込んだ、阪神JFジュベナイルフィリーズ。あの走りを見れば誰でも、オラリオンは「良馬場得意な追込馬」と思うだろう。だがどれもこれもそれは結果的にそうなったというだけで、おそらく彼女にはこれと決まった型はない。俺は彼女の背でそんなことを考える。

「併せ馬にしなくても、こいつは多分問題ないよな」
「そうだね。まあ、それは——良嗣に任せるよ。少なくともオラリオンはなんだかんだ言って良嗣を信頼していると思うからね」

 蒼司はそう言って微笑んだ。俺は「嘘つけ、そんなわけがあるか」とぶっきらぼうに言って前に歩ませる。

 オラリオンはぐるぐると角馬場を回って、そして一歩。前へ踏み込む。前にいる黒い馬を僅かに気にしたが、彼女は集中を欠くことなく前へ。
 と、と、軽い足取りから徐々に力が篭り、そのたび推進力が、スピードが上がる。加速する度に視界を過ぎる全てが形を失って流れていき、俺は彼女の手綱を軽く持つ。鞭を握る左手に力が籠る。カーブへ差し掛かって、遠心力で外へまわされないようにと軽く握る力を込めた。そして一度軽く鞭を彼女の視界へ入れる——馬の視界は広い。両目で真後ろ以外は殆どが見える上、彼女は鞭を体に入れずとも、視野に入れればその意図を理解する。
 ここから加速しろ。俺の意思を汲んだオラリオンは地面を抉り取るように足首を使ってウッドチップを蹴り飛ばし、

——うわ!?」

 驚異的な加速に突如意識が逸れる。こんな加速をする馬だったか? まさか——そう思って視線を前へ向ける。
 青鹿毛の大柄な牝馬がいる。その背に乗っているのは先ほどオラリオンに振り落とされていた女性騎手、白綾后子。

「ああ、ヒナフソウか」

 ヒナフソウはオラリオンと同じ、沖田厩舎に所属する一つ下の牝馬だ。二歳牝馬ながら五百キロを超えるとても大きな子である。オラリオンは割とヒナフソウを気にしている様子が多かった。馬の社会にも上下関係は存在するわけだが、この鹿毛はどうも前を行くあの大きな後輩を可愛がっている——つもりらしい。
 つまりそういうことである。オラリオンは先輩。ヒナフソウは後輩。三歳馬は人間で言えばティーンエージャー。彼女は後輩に先輩風を吹かせたいお年頃、と言ったところか——俺がそんなことを考えていると、オラリオンはさらに地面を強く蹴り加速した。

「ぎゃーっ!?」

 めちゃくちゃな加速に俺は必死で彼女の背中にしがみつく。オラリオンはイヤイヤと首を振るように俺の制御から抜け出そうと暴れ始める。

「わ、わかった! わかったよ、俺が悪かった! 頼むから落ち着いてくれ!」

 彼女はひとしきり大暴れして満足したのか、それとも俺がもう全てを諦めたのを察したのか、どちらが正しいのかはわからないが、飛ぶように前後の脚を大きく広げ、前へ前へと馬体を運ぶ。元から足が長いだけにその推進力も桁外れだ——新馬戦の時に感じた高揚感が再び俺の内側で湧き上がる。

 二歳新馬戦。東京競馬場。しかも、乗り替わり。それが俺とオラリオンのファーストコンタクトだった。蒼司の厩舎の馬だということを知ったのも、蒼司の指名で乗り替わりを託された時だ。

 そしてオラリオンを担当する厩務員は、かつて無敗の三冠馬としてその名を国内外に轟かせた馬——シャルルマーニュを担当していた。その厩舎の解散に伴って沖田厩舎にやってきたのだが、厩舎の立ち上げにも関わっているので古株も古株だ。
 彼はイギリス出身なのだが、すっかり日本に染まっており、朝ご飯は白米と納豆、大根の漬物、そして味噌汁。イギリス人として唯一残っているのは嫌味の切れ味ぐらいなものである。

「はぁ〜〜……マジで、下手なこと……考えるもんじゃねえな……」 オラリオンは心が読める。厩務員——ジェームズ・ワトソンがそう言っていたことを俺は思い出した。「お前、心が読めたりとかすんのかぁ?」

 オラリオンは俺の方に右耳を向けた。何を言うでもなく、彼女は黙っている。当然だ。馬は喋ってくれない。耳と、目と、態度が言葉のかわりだ。

……良嗣、どう思う?」 ジェームズはそう言って、馬上の俺へやわらかい声音で呼びかけた。「沖田と一緒に見ていた。暴れ散らかしていたな」
「ヒナが前にいたんだよ。先輩風吹かせようとしたみてえだ——」 そういうと彼女は苛立つように勢いよく地団駄を踏んだ。「はい、ごめんなさい。俺が悪いです」
……そんなことだろうとは思っていた。すまない、後で機嫌を取っておくよ」

 ジェームズはオラリオンの口に引き手手綱を取り付ける。そして俺が背から降りたのを見計らって、軽く引っ張って連れて行く。

「足元は大丈夫そうだな」 俺はぐるぐると歩くオラリオンとジェームズに呼びかける。
……今はな。念の為、獣医へ連れて行く。桜花賞のようなことには、なってほしくない」
「蒼司は何か言ってたか? 追い切り見て」
「頭なら抱えていたが、特には何も。オークスでは人気しないかもな」 ジェームズは鼻で笑う。「人気を背負うよりかは、気楽か?」
「それはまあそうかもな」

 俺はその言葉に同意する。オラリオンは頭が痒いのか、首を下げて前足で頭を掻くような動作をした。俺は彼女に近寄って顔を軽く掻いてやる。ふと彼女の目がこちらを睨んだ、ように見えた。あ、これはまずい、と思う。多分俺の行為は、オラリオンが求めた答えとはかけ離れたものだったのだろう。彼女が頭を勢いよく上げた——そして。

「痛っだあぁ!?」

 おもっくそ、鼻先で俺の頬を平手打ちにした。