racmon
2025-04-19 21:33:36
49793文字
Public
 

【web再録】煙に巻いてくれるな お前

pixivから再掲移しました。
昭和中期パロです。
⚠️地の文も関西弁です。
⚠️モブ→盧笙描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
⚠️名があるモブがいっぱいでます。


 
   ◆    ◆    ◆
 
 生ぬるい潮風は相変わらず鼻の奥にまとわりつく。俺が吐き出した煙がそこへ混じって、思い出と重なる目の前の景色を曇らせた。
 生まれてから街へ出るまでずっとここで生きてきたはずやのに、頭の中に浮かぶのは盧笙と過ごした時間だけ。はじめて声をかけたあの日から、俺の世界は変わってしもた。
 
 大人たちが良かれと思って手配した芸人の興行は、子どもにはおそろしいほど受けが悪かった。呼ばれた方もまさかガキ相手にしゃべくりをやらされるとは思ってなかったやろう。次々とできる空席の中に、最後まで残っていたのは二人だけ。俺と盧笙だけが、舞台の上を熱心に見つめていた。
『なあ、つむじ森くん』
……ツツジモリ、やねんけど』
 田舎の小さい学校で名前を呼び間違うことなんかない。全員の名前と顔と家、飼うてる鶏の数までわかるような環境や。特に盧笙は小学校へ入学するときに都会から越してきたっちゅうこともあって、結構な有名人やった。それを本人も嫌というほど感じていたと思う。幼い俺はそこに目をつけた。
『知ってんで。せやけどいっつもオベンキョしてて下向いてるからな、ぼく、キミのつむじしか見たことないねん。やから、つむじ森くん』
 得意げに胸を張る俺に「なるほど、上手いな」と盧笙はすんなり飲み込んだ。ええとこ『なんでやねん』とかその辺の返し、最悪の場合は不審に思われて終わりやと思っていた。そんな変に達観した俺の予想を、盧笙は気持ちよく裏切ってくれた。
『なにわろてんねん』
 クスリと笑みを含んだ盧笙からのはじめてのツッコミを、俺は一生忘れへん。
 それから俺は盧笙を相方にすべく、必死に口説きにかかった。勉強せなあかんから時間がないと言われれば、ノートにびっしりネタを書いて用意したし、芸人の真似事なんかバレたら叱られると言われれば、おとんが置いてった眼鏡を変装用に渡した。当然そんな安い方法で大人を騙くらかせるわけもなく、おばあさんに注意を受けた盧笙は俺に詰め寄った。開き直った俺は、むしろ隠し通せてもうたら意味がないんやと種明かしをした。
『しゃあないやん。みんなの躑躅森くんを、俺の相方の盧笙にせなあかんねんから』
 九つそこらの言う台詞やないなと、我がことながらゾッとする。せやけどそれに頷くのが盧笙やった。晴れて俺と盧笙は特別な肩書きを手に入れた。
 俺が書いて、盧笙に見せて、ネタ合わせをする。登下校の道が俺らの一番の遊び場で、昼休みに教室で披露するのが最高に楽しい時間やった。
 中学に上がってからもできる限りふたり一緒に過ごした。日が落ちる前に帰らなあかん盧笙を一秒でも長く独り占めするために、水平線がよく見える堤防を稽古場に選んだ。この頃になると、盧笙も漫才に対して積極的になり、家の人からの言いつけを守ることにも不満を持ちはじめていたと思う。俺はひとときだけでも盧笙を自由にしたくて、ある満月の夜にこっそり抜け出すようそそのかした。俺は盧笙の一番になれた気がした。またこうして秘密を共有したいと思った。
 ある日、蝉の声が止んでも盧笙は堤防には現れへんかった。心配になって走り出した俺を遠ざけるように漂ってきたのは、なにかが焼け焦げる臭い。胸騒ぎに怖気付いて逃げ帰った俺は、大切な相方を失った。
 
 二度も手放すわけにはいかん。俺は盧笙の度が過ぎる真面目さに付け込むつもりでこの地に舞い戻った。実際のところ、ばあちゃんにちょっと顔見せるだけで手打ちにしてもらうつもりや。せめて一度だけでいい、俺と一緒に板の上に立って欲しい。
 ──お前が言うたから俺帰ったんやで。せやから俺のお願いきいてぇな。
 そう縋れば、律儀な盧笙はあの時みたいに首を縦に振るやろうと、俺は期待を持って立ち上がった。
「躑躅森先生、さよーならー」
「さようなら。気をつけて」
 そんなやり取りが聞こえてきて振り返った先に、いるはずのない盧笙の姿があった。蜃気楼みたいな儚さはなくて、この町の風景に馴染んでしっかりと立っている。
……盧笙」
「簓、お前なんで」
「お前こそ、東京ちゃうんか」
 盧笙は一瞬怯んだように一歩後退した。それでもすぐにぐっと視線を上げると、真っ直ぐに俺を見た。
「とりあえず、ウチで話そう」
 念願のお呼ばれは、どうも穏やかやなさそうや。
 
 俺の実家とはえらい差がある立派なお屋敷。意味もなくよう眺めてたけど、昔より小さく感じる。俺を招き入れた盧笙は、内側から鍵をかけた俺の手元をちらりと見てからまた背中を向けた。
「開けといてええのに」
「ちゃんと締めや」
「こんな田舎で、なんも起こらへんわ」
 吐き捨てるように言うた盧笙の表情を確認することはでけへんかった。二人分の体重で階段が軋む音に、俺はふと人の気配を探す。
「おばあさんは?」
「自分の部屋から滅多に出てきはらへん」
「具合悪いん?」
「いや、一回体悪ぅしてから面倒くさがるようになっただけやな」
 盧笙が正面の扉を開けて俺に目配せする。なんとなくそろりと慎重に足を踏み入れた。網戸をくぐった風が、盧笙の匂いを運んでくる。
「なんも物あれへんな」
「中学までの教材処分したら、なぁんも残らんかったわ」
「そうか」
「うん」
 しばらく続く気がした沈黙は、案外あっさりと盧笙の吐き出した息に破られた。
「さっきの生徒の挨拶の通り、俺は今ここの学校で働いてる」
「なんで、嘘ついた」
「こないだまで東京におったんはほんまや。ここを出てから進学して、免許取って。順序よう教師になった」
 上京してた頃を懐かしむ盧笙は、俺が見たことのない憂いのある美しさを放っていた。それでも呑気に見惚れてる場合やない。矛盾だらけの盧笙の言動の元を辿る必要があった。
「隠すいうことは、普通の異動やなかったいうことなんやろ」
「理由があって、前の学校に、おられへんようになった」
 細切れになる盧笙の説明に俺の良心が顔を出す。
「い、言いにくかったら別に言わんでも──」
「いや、たいした話やない。ただ、運が悪かったんや。……妻子持ちの恩師を、俺が誘惑した、らしいわ」
「は……?」
 妻子持ち、誘惑、お前いま誰の話してんねん。バラバラやった言葉と目の前の存在が繋がった時、俺はいつかと同じように腹の中のモンがぐるっと回って、食道まで湧き上がってきた。喉の奥に押し込んでも、漏れる声だけは誤魔化しきれん。
「すまん。気色悪いよな、こんな──」
「ちゃう、ちゃうねん。そんなこと言うな」
 俺から距離を取って後ずさった盧笙の肩に手を置くと、びくりと体を震わせた。その過剰な反応に、俺は額にカッと熱が集まるのを感じた。
……なんかされたんかお前」
 遠慮がちに首を振るのは、下手な嘘や。俺は盧笙の体を引き寄せて抱きしめた。
「くそっ、なんやねん!」
 盧笙が、小さく俺の名前を呼んだ。衝動的に触れてしまった体温に慌てて身を引く。背中に回された両手が、それを制止した。
「盧笙、怖ないんか?」
「ははっ。なんも怖ないわ、お前のことなんか……
 無理に笑う声なんか聞きたないねん。せやけどさすがの俺にも、今の盧笙を腹の底から笑わせられる術はなかった。
「すまん、すまん盧笙……
「なんでお前が謝んねん」
 しんどいのは盧笙やのに、大きい手のひらが俺の頭を優しく撫でた。俺はもうどうしようもなくて、ただ盧笙のシャツの背中を力一杯握った。
「引っ張るなて。息、でけへんやろぉ……
 どれくらいそうしてたか分からへん。少なくとも、部屋に入った時に電気を点けとけばよかったと思うくらいには時間が経っていた。徐々に熱くなってくる息は俺だけのもんやなかったと思う。
「こっからどないしたらええか分からへん」
 俺の情けない降参に、盧笙は「俺も」と返した。
 
 照れ臭さに顔を上げられへん俺とは違ごて、盧笙はあっけらかんとしたもんやった。出してもろた麦茶を飲み干して立ち上がる俺を無垢に見上げてくる。
「おばあさんに会うていきぃや」
「そのつもりやったけど、このあと店あるから帰るわ」
「そうか。悪いことしたな」
 盧笙は「バス停まで」と腰を上げた。それを制して、俺は部屋の扉を開ける。
「ええで。人に見つからんように走ってくから」
「え?」
「この町は噂が回るんが早いやろ? ばあちゃんにバレたらごっつ叱られてまう」
「そう、か。そうやな」
「うん。玄関までもええ。あ、鍵はちゃんと締めるんやで」
 俺が念押しすると、盧笙は「はいはい」と適当に答えた。
「ほなね」
「あんな、簓」
 引き止められて、もう一度視界に盧笙を映す。俺の名前を呼んだ盧笙がごっつい綺麗に見えるんは、自惚れやろうか。
「おばあさんと、お前を絶対帰すって約束してもうた。でも俺、教師は辞める気ない」
「うん」
「せやから説得のために、これからもお前のとこに行かなあかんねん。ずっと」
「俺も、お前が相方になってくれへんねやったら帰る気ないで。ずっと」
 交渉決裂の瞬間、俺と盧笙は笑っていた。


 盧笙の家からこっそり出たはええけど、後ろ髪を引かれる思いやった。砂利道で足を止めて振り返った俺に、窓から顔を出す盧笙が手を振った。俺は一度両手を大きく上げてからまた走り出す。残念やけど、俺がいま感じているのは高揚だけやなかった。腹の底では盧笙の『恩師』への憎悪が渦巻いていた。

 俺の知らん盧笙がおる。そんなもん当たり前や。俺かてここまでくるのにいろんなことがあったやないか。今の俺のの居場所に帰り着くまでのあいだ、盧笙が苦しんでいた期間に自分が何をしていたかを思い返した。
 俺はとにかく漫才師になりたかった。そのためにはやっぱり相方が必要や。心の中に盧笙を飼いながらもほかを探してはみたけど、まあどれもことごとく上手いこといかん。そのたびに相手は『なにがあかんねやろう』と悩んで、あちこちに相談を持ちかけていたらしい。俺からしたら理由は分かりきっていた。
 ただその中でも、一人だけおもろい奴がおった。そいつは仕事の集まりがあるとかなんとかで大阪に来ていた、俺より若いガラの悪い男。芸人志望でもなんでもない。もちろん漫才なんかそいつとようやらんかったし、今どこでなにしてんのかもしらん。せやけどあいつにも相方のようなもんが見つかったらええんちゃうかなと、俺は思った。
 なんやかんやあったけど、はやい話が俺には盧笙しかおらへんのや。知らん奴と出会うのはおもろい、ちょっとした冒険も悪ないっちゅうのが一応信条ではあるけど、その冒険の先に欲しいお宝が見つからんことを知りながら無駄な時間を食ってしもた。結局俺はずっとひとりやった。


 煙草の煙よりもなんぼも体に悪そうな空気を吸い込んで、気持ちを切り替える。今日は芸人としての俺を贔屓にしてくれている客が来る日や。いつものボーイの制服とは違う、一張羅のスーツを用意して気合いを入れる。湿気ったシャツから腕を抜いて椅子の上へ放り投げた時、後ろで一服していた先輩の視線がやたらまとわりつくのが気になった。
「なんですのん」
「なあ白膠木ぇ」
「はい?」
 面倒ごとでも押し付けるつもりちゃうかと鏡越しに先輩を見ると、目線は俺の顔やなしに腰から首にかけてをいったりきたりしていた。
「お前、どうせ舞台上がるんやったら脱いだらどやねん」
「は?」
「分かるやろ?」
 ゆったりと近づいてくる影に、俺は一歩もたじろぐことなく着替えを続ける。伸びてきた手が俺に触れようとしたすんでのところで、店の電話が鳴り響いた。
「出てもろてもよろしいでっか」
 舌打ちを放って応対した先輩は、二言ほどなんか言うたあとで「お前に用やて」と、ほとんど投げるみたいに受話器を渡してきた。もしかしたら盧笙かもしれん。俺は声を弾ませた。
「もしもしっ、盧笙?」
『わりいな。俺だよ俺』
「なんや零か」
 期待はずれもええとこや。電話をかけてきたんは、俺の目の上のたんこぶ、天谷奴零やった。いつも見計ったような登場の仕方をしよるから、ほんまに気色が悪い。
『なんだよつれねえな。お前の友達なんて俺くらいのモンだと思ってたんだが?』
「誰が友達やねん」
『で、任せたことは順調か?』
 最近芸の方も軌道に乗り始めたし、この店を辞めて、零とも縁を切ってしまいたかった。支配人の居場所だけさっさと伝えて、はいサイナラ。それができんこともなかった。せやけど今の俺の頭をよぎるのは、盧笙に万一のことがあった場合。念のために例の妻子持ちの恩師とやらについて調べておいても損はないやろう。俺は曖昧に返事をした。
「まだ、様子見してる」
『そうかい。なんか分かったら教えてくれや』
「わかった」
『ほう。やけに素直じゃねえか』
「そっちの方は近いうちにまた連絡する。その代わり、頼みたいことがあんねんけど」
 零は「売った恩を返してもらってるはずなんだがなあ」と笑いながら、俺の話を最後まで聞いた。