mishiadd
2025-03-16 09:13:07
34822文字
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この世界にはまだ苦しみが足りない

【転生パロ】『いおりとごはん』続編。過去の愛人契約についてセイバーに昔話をする伊織さんと何かが決壊するセイバー。※自覚のないまま次々に契約者を破滅させていくオム・ファタール伊織さんのフルコースです【モブ伊/剣伊】
前作『いおりとごはん』:https://privatter.me/page/67c9cde5e5fc2
続編『ADDENDUM.1』:https://privatter.me/page/67dead216dfbf


六、

伊織の『契約書』には独占契約条項がない。現在契約中の相手以外と別の契約を締結するという状況をそもそも伊織が思い付きもしていなかったが故のことだが、初めてその穴をつく事態が起こった。

四番目の契約者と四つ目の『愛人契約』を交わし、その男とルームシェアをしていた頃のことだった。
この頃になると、「衣食住を現物支給で完全に相手に依存する」ことに関して散々痛い目を見てきた伊織は、いくら契約相手に提案されようとこれを対価とすることを忌避した。家賃も折半、光熱費などの生活費も折半――衣食住に関する収入は、『愛人契約』とは別の収入源――つまりアルバイトをして稼ぎ、『愛人契約』の報酬とは切り分けることとした。
四番目の男には契約の対価として月額定額を支払ってもらい――三番目の男の支払額に比較するとかなり控えめであったが、伊織は特になんとも思わなかった――その代わり、伊織は男の求めに応じてその体を許す。ただし、伊織には月に三回までの拒否権がある。

今までの契約者に比べ、四番目の男はさっぱりした男だった。今までの疑似恋愛のような雰囲気とも異なり、どちらかというと気の合う男友達のような――そしてたまにその気になったときにお互いスポーツ感覚で事に及び、その後は後腐れなくビール缶片手にテレビでも見て笑い合う――というような、随分気楽な関係だった。伊織の方から誘うということはまずなかったので、伊織が相手に付き合ってやる代わりに相手は少額の金を払う――というのは、互いの対価としても順当なように思えた。

ルームシェアであったので、食事すら別々の日もそれなりにあったが、都合と気が合えばどちらかが二人分の食事を用意することもあった。三番目の男は食事といえばとかく外食を好み、たまの機会でも伊織を連れ回しては食べさせることを好んだのでしばらく披露していなかった料理の腕も、「お、伊織って料理も上手いんだ?」などと褒められたので、少なくとも鈍ってはいないようだった。

四番目の男は別の大学に通う同い年の男だった。たまに相手が部屋に大学の男友達を連れてきて家呑みなどをしているときに伊織と顔を合わせると、「こいつ、■■大学の伊織。俺のルームメイト」とあっさりと紹介されたりもしたので、伊織にとってはその距離感も心地の良いものだった。

たまの夜の誘いとそれに対する金銭のやり取りさえなければ、実際それは普通のルームシェアとなんら変わらないのではないか、と伊織は思った。なんなら、無理してこの契約自体続ける必要もないのかもしれなかった。実際、「この『愛人契約』は今月末で終了して、以降は普通のルームメイトとして過ごしたい」――と提案したとて、この契約相手ならば「おう、そっか」とでも言ってあっさりと頷いてくれるのではないかとすら思えた。

とはいえ、現状では特に契約を結んでいて困ることはない。夕食後に男の好むサッカーの試合を共有スペースであるリビングルームで一緒に見ていて、贔屓にしている側のチームが勝ったのでひとしきりビール缶を開けて祝い、その流れで「すまん伊織、なんか興奮が変な方に行った」などと特に悪びれずに言われるので、伊織の方も苦笑しながら応じてやる。二番目の男ほど壊れ物のように扱うというわけではないにせよ、一番目の男ほど手酷く扱うというわけでもない。特に特徴のない、普通のセックス――という評価を実際本人がどう思うかはわからないまでも、伊織にとってはそれは利点であるように思えた。所要時間も短くあっさりとしていた。三番目の男のように夜通しさまざまなことをさせられるということは決してなかった。
最中やそれ以外でもキスをされるということもない。伊織が拒んだわけでもなかったが、男友達同士のスポーツ感覚でのセックスでキスもないだろう――ということなのかもしれなかった。

だから、なんとなくで契約を続けていた。別段困っていないのだから、急いで何かを変える必要もない。曖昧なことを曖昧なまま、諾々とそのままにしておく――伊織にはそういった面倒くさがりなところがあった。あるいは、何事にも頓着できない彼の本質の発露なのかもしれなかった。

伊織が生活費を稼ぐためのアルバイトの働き口を繋いでくれたのも、このルームメイト兼契約相手だった。

「大学の同期のバイト先で家庭教師ひとり探してるって」と言って紹介された先であっさりと採用が決まった。受験を来年に控えた二年生の男子高校生が教え子だった。







――よく解けているな」

前回指摘した公式の当て嵌め間違いを的確に修正してきた回答に、伊織はうっすらと笑みを浮かべて頷いた。「あ、ありがとうございます」と少年が尻すぼみに言い、照れたように俯く。

「いや――感心した。まさかあの一度の説明でここまで理解するとは」
「先生の説明がわかりやすかったから……。あの、先生ってもしかして弟とかいるんですか。それか妹とか」
「なぜそう思った?」
「話し方が――なんとなく」

ぽつり、とやはり照れたように言う。人見知りな性格なのか、なかなかこの少年とは目が合わない。
几帳面な文字で書かれた回答に赤ペンで大きく丸をつけながら、伊織が言った。

「妹がひとりいるよ。血は繋がっていないが」

――そういえば、大学に入学して以来会えていない。もし少し前までの生活の様子でも見に来られていたら今頃大変なことになっていたかもしれないな――などと、今更ながらに思う。

「お兄さんなんですね、やっぱり。……僕は一人っ子だから、兄弟とかいなくて」
……そうか」

もじ、と少年が机の下で緊張を誤魔化すようにしきりに両の手をこすり合わせている。あるいは、無駄な私語をしたとでも思ったのかもしれなかった。
ふむ、と伊織がかたちのよい顎にふと手を当てる。ぽん、と少年の頭を撫でてみる。「あわわわ」と小さな慌てたような声が聞こえ、俯いたうなじがみるみる赤く染まるのが見えた。

「俺は、おまえの兄にはなれないが――そうだな、少なくともおまえの先生ではある。そういう契約だ。……いや、待て。あるいは、そういう契約をすることもできるのだろうか」
――『契約』?」
「いや、こちらの話だ。……関係性を樹立させるのに――義兄弟関係を成立させるのに、『契約』という手段は、あるのだろうかと」

ふと、思う。――たとえば伊織は今、契約によって家庭教師という立場でここにいる。
あるいは、伊織とルームメイトのあの男が『愛人契約』を結んでいるからこそ愛人関係が成立しているのと同じように――もしこの少年が望むのならば、義兄弟契約、というものは、あるいはあり得るのだろうか。

再び目の前の問題に取り掛かりながら、伊織は考えていた。――あるいは。

四度の『契約』を経て、伊織の『愛人契約書』の完成度はかなり上がってきているように思えた。あるいはこれを雛型として転用し、『義兄弟契約書』にすることはできないだろうか。
――無論、この少年がそう望めば、の話ではあるが。

持ってきてみるだけの価値はあるか――と、頭の片隅にメモをした。



七、

その次の回で家庭教師としての時間を終えたあと、「この後少し時間あるか?」と少年に尋ねると、一瞬呆然とした様子の少年は、ぶんぶんと激しく何度も首を縦に振った。
少年の参考書などを脇に除け、少年の勉強机の上にぱらりとA4サイズの印刷物を広げる。――「これは、」と少年が低く掠れた声で尋ねた。

「これ自体は、俺が今別口で締結している『愛人契約書』だ。あくまでも、これはおまえが望めばの話なのだが――この内容を少し書き換えて、『義兄弟契約書』のようにできないかと思ってな」
……え?」

ひどく乾いたいらえに伊織は気付かない。条項を上から順に指でなぞり、「ここの――役務内容項目とか、このあたりを少し弄れば――いや、待て」と、はたと伊織が押し黙る。ぽり、と柔らかな栗毛の癖毛の頭を掻いた。

「よく考えてみたら、『義兄弟』の間で提供する役務とはなんだ。――その対価とはなんだ? しまったな。……すまん、うっかりしていた。これはかなり、性質が異なるものだ。――紳士協定のように対価を伴わない契約であれば、あるいは――
「『愛人契約書』?」

少年がぽつりと言った。やがて、伊織の顔を見上げて言った。初めて目が合ったように思った。

「『愛人契約』――とは、一体なんですか? 先生。そんなものを結んでいらっしゃるのですか
「ん? ああ、うん――そうだ。これは確かに今俺が結んでいる契約書で、ただ、これを何とかして転用して――
「僕もそれがいいです」

「ん、」と伊織が言葉に詰まる。きょろ、と目の前の少年の顔を見た。ひどく真剣な顔をしていた。

僕もそれがいいです――転用とか、要らないです」
「んん? ――いや、そういうつもりでは」

そういうつもりで持ってきたものでは毛頭なかった。――まさか、こちらの契約書自体に食いつかれるなどとは想像してもいなかった。

「この契約書は――いや、おまえとは無理だよ。おまえは未成年だし――
「なら、それこそ転用してダメなところには制限をかけてください。……先生、お願いです。そうしたら僕、もっと受験頑張れる」

――伊織には押しに弱いところがあった。そもそも意識がふわふわとしていて何事にも頓着できず、一応道徳や義理などの指針はあるものの、自らの信条として本当の意味で信奉できているわけでもないため、相手の強い感情に晒されれば押し負けてしまう。

少年に懇願するような目で見つめられ、頭の片隅で「まあ、ちゃんと子供向けに修正すればいいのか……」と妥協点を考え――こくり、と頷いた。

「よくわからんが――それがおまえの望むものなら。おまえが支払う対価は――いや」

小遣いも普通の高校生並だろう子供から金銭を受け取るのはさすがに心苦しい。うん、と少し考えてから言った。

「成績――ということにしよう。学校での成績でも、模擬試験の成績でもいい。あるいは、今日のように俺がおまえに課した小テストの成績でも」
随分子供に甘いんですね、先生。――嬉しいです、頑張ります」

その言葉に若干の引っ掛かりを覚えつつもすぐに霧散してしまう。A4用紙に印刷された『対価』の項目に取り消し線を引き、伊織はメモ書きとして『成績』と書き添えた。
それから、伊織側の――『乙』の役務提供項目に目を遣り、『その体を許すこと』の文言にも取り消し線を引こうとする。それを、少年に遮られる。

「それ――消さないでください。削除しないで」
「え? ――いや、さすがにこれはダメだ。本当に」
すぐには行使しない。僕だって自分がまだ子供なのはわかっています。――最悪、先生にだって迷惑がかかる」

ぽり、と伊織がボールペンの頭で長い前髪に隠れた白い額を掻いた。――その認識があった上でこれを自分に強請ねだるのかと、目の前の少年の少年らしさに若干の違和感を覚えつつも、やはりそれもすぐに霧散してしまった。
「では、どうする」と伊織が少年に尋ねた。

僕が十八歳になって高校を卒業するまでは適用外としてください。――そうしたら、対価も変えてくださっていいです。普通に金銭をお支払いします」
「んん――

「背伸びをして大人ぶりたい年頃なのだろうか」、と思う。――今すぐに行使できない権利でも、約束をされているだけで心持ちは違うものだろうか。

但し書きをメモとして伊織が残す。――そのボールペンの先の動きを見つめていた少年が、ぽつりと問うた。

「キス――は、ダメですか、先生」

「どうだろう、」と伊織は思う。頬や額にならばまず問題ないだろう。唇は――どうなのだろう、と考える。

「舌を――入れなければ、恐らくは」

軽く触れ合うだけの他愛のないキスならば、あるいは問題ないのではないだろうか。頬や額にするようなキスが、たまたまずれてしまっただけ――という建付けならば。

もはや考えていることがパチンコ屋の三店方式並であったが、伊織は至極真剣で、かつ冷静であった。問われたから考えていた。そこに伊織自身の感情の挟まる余地は一切なく、ただ可否を検証する。――その端正な横顔を、少年が火のついたような目でただ見つめている。

「うん。――軽くであれば、問題ないだろう。それこそ、契約書は締結し損ねてしまったが――兄弟同士のようなものであれば

くすり、と少年が嗤う。兄弟同士でキスをするなど一人っ子の自分でも聞いたことがなかったが、黙っておいた。

「じゃあ――キス、させてください。『愛人』である先生に。……僕の、成績がよかったら」

くす、と伊織もかすかに笑った。こうして言葉にしてみれば随分と無邪気な、可愛らしい『愛人契約』だと思った。

「わかった。――清書したものを、次回持って来よう。そこで互いにサインをして、契約成立だ」
「はい。――すごく、すごく楽しみにしています。先生」

ふ、と口許に柔らかな笑みを浮かべ、伊織が荷物をまとめる。帰宅するために少年の部屋から出る。