mishiadd
2025-03-16 09:13:07
34822文字
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この世界にはまだ苦しみが足りない

【転生パロ】『いおりとごはん』続編。過去の愛人契約についてセイバーに昔話をする伊織さんと何かが決壊するセイバー。※自覚のないまま次々に契約者を破滅させていくオム・ファタール伊織さんのフルコースです【モブ伊/剣伊】
前作『いおりとごはん』:https://privatter.me/page/67c9cde5e5fc2
続編『ADDENDUM.1』:https://privatter.me/page/67dead216dfbf


三、

三人目の契約者は外資勤めの男だった。どうやって出会ったのか、伊織はしかと記憶していない。もしかしたら大学の友人に数合わせで連れられていったどこかのバーでたまたま隣に座ったのだったかもしれない。あるいはそれはどこかの居酒屋だったかもしれない。そもそもどうしてそんな話になったのかも覚えていなかった。――ただ、気が付けば伊織は男名義で借りた大学近辺のマンションの一室を与えられていて、そして男が合鍵を持っていた。

伊織にとって男は初めての雇い主ではなかったが、男にとっても伊織は初めての契約愛人ではなかった。そもそも、伊織のやっているこれが『愛人契約』であることを指摘したのもこの男であった。

「今まで自覚なくやってたの? すごいな」

出会った夜に連れ込まれたビジネスホテルの一室で服を脱がされながら、半ば呆れたような、それでいてなかば感嘆したような言葉を掛けられる。身に着けていた衣類をすべて剥ぎ取られて素肌を晒した姿で、全面ガラス張りの窓の前に立つように言われ――上層階で、眼下は高速道路だった――素直に従うと、「……羞恥心とかあんまりない感じ?」とつまらなそうに言われた。

実際、伊織の均整のとれた白く細い体は窓から射し込む月光の下でよく映えた。禁欲的で静謐な――西洋絵画のような趣すらあるその姿に、「あんまりエッチな感じではないね、きみ」と当てが外れたような口調で男が漏らす。

「ま、いいか。――たまにはこういう子でも」

伊織をベッドの上に引き倒す。月光の下で白い肌がぼんやりと光る中、伊織が――月夜を写し取ったような、どこか夢見るようなうっとりとした瞳で、男を見る。「……ん、」と男が怯み、やがて言葉を失う。身を屈めて伊織の唇にそっと唇を重ねる。ちゅ、と軽い音を立てた。身を起こした男が改めてシーツの海に揺蕩っている伊織を見下ろす。

……綺麗な顔」

ぽつり、と誰に聞かせるというでもなく、男が呟いた。伊織の細い腰の、その脇腹を手のひらでなぞるように撫でる。くすぐったいのか、ぴくりと小さく伊織が身を震わせた。ふ、と端正な顔をわずかに背けたのが、男にはまるで恥じらいのように見えた。
じわり、と男の表情に好色さが滲む。途端に興奮したように伊織の細い裸体に覆いかぶさり、鎖骨のあたりに吸いついた。生々しい鬱血痕が白い肌に散る。そのきずに何度も歯を立てながら、男が囁くように言った。

「伊織くん、俺と契約しよ。……今まで学生さん相手にやってたんでしょ? 俺、大人だからさ。もっといい思いさせてあげるよ。――伊織くんのことも、もっとエッチにしてあげる」

そのままひとしきり抱かれたあと、ふたりでバスローブを着込んだ姿で、ベッドサイドテーブルの上で手書きの契約書にサインをした。今までに伊織が結んだ契約よりも格段に条件がよく、そして格段に履行義務が多かった

――甲は乙の住居及び生活費を保証し、かつ本契約の対価として月額●●万円を乙に支払う。乙はその対価として――







男はいつも前触れなく伊織のマンションを訪れる。それは契約書に記載された男の当然の権利であり、それを行使することは男の優越感をくすぐるようでもあった。
男は伊織がレポートや課題の締め切りに追われているところに出くわすことを特に喜んだ。デスクでPCに向かっている伊織を背後から抱きしめて、タイピングをしている伊織の手を止めることを特に好んだ。そのままかたちのよい顎を掴んで上向かせ、その柔らかく冷たい唇を奪う。唇が離れた途端、伊織が控えめに「明日までのレポートがあるから」と抗議するのを喜んだ。

笑いながら椅子から伊織を立ち上がらせ、未練がましくPCのキーボードに触れている伊織の手を掴む。まだデスクの方を見ている伊織の顎を掴んで男が自分の方に向かせると、「ん――」と伊織が眉根を寄せて困ったような顔をする。その顔が男の嗜虐心を刺激するようだった。

「明日の朝に早起きしてやりなよ」
「だが――いつも、朝まで寝かせてくれない――
「伊織が頑張れば、俺も疲れて早く寝ちゃうんじゃない?」

そう言われてしまえば、伊織にそれ以上抵抗する権利などなかった。いついかなるときであろうと男が伊織を望んだときに伊織が拒めないことは、契約書にも明記されたことだった。

元から期待はしていなかったもののいよいよ諦めた伊織が、「着替えてくる」と男に告げて脱衣所へと向かう。ベッドに腰かけた男がにやにやと悪趣味な笑みを浮かべながら待っていると、やがて伊織が戻ってきた。――その姿を見て、「ウサギさん?」と掠れた意地の悪い声で問うた。

男に買い揃えられた馬鹿げたコスチュームのコレクションのうちのひとつだった。そもそも男が伊織をこのマンションに住まわせている理由のひとつが、男のこの趣味にあった。マンションの一室という男にとっての非日常的な密室に愛人である伊織を住まわせ、その中では男が絶対の命令権を持つ。この部屋に男の趣味で何を置こうと、それを伊織に着ることを強要しようと――それは男の当然の権利であり、男の支払いへの当然の対価だった。

ボンデージ衣装や側面に大きくスリットの入った服、はたまた際どい箇所に大きな穴の開いた服に女物の下着やプレイの最中に男がハサミを入れてしまった服――など、クローゼットの中には男の趣味によって増え続けるさまざまな衣装が押し込まれていたが、とりあえず今夜伊織が手に取ったのはコスチュームとしてよくありがちなバニースーツだった。伊織にはよくわからないままだったが――わかった試しなどない――以前にこの衣装を身に着けたときの男の反応が特によかったことを覚えていた。

細い体にぴったりとまといつく黒いスーツに、すらりと細長い脚を包む網タイツ。白い襟にカフス。大きなウサギ耳のカチューシャ。極めて馬鹿馬鹿しい見た目でありながら、細い腰からきゅっと締まった小ぶりな臀部の強調されるその衣装は、伊織が着てしまえばもはや「そういうもの」であるようにも見えた。

「ふわふわの尻尾もちゃんとつけてるんだ。……へえ……

口許にだらしない笑みを浮かべながら、男が伊織にその場でくるりと一回転するように人差し指で指示をする。言われた通りに身を翻そうとした伊織の手首を掴んでベッドの上に引き倒す。
白いカフスごと両の手首をまとめ上げて伊織の頭上に片手で縫い留めながら、男が伊織の上に乗り上がる。白い襟に指をかけ、「――首輪、してあげようと思ったけど今日はこっちの方が可愛いかな。代わりに手首につけてあげるよ」と言って手に持った犬用の首輪で伊織の両手首を縛り上げ、金具で留める。
両腕の自由を奪われることを諾々と受け入れた伊織が何も言わずに男を見上げている。伊織の細い腰の上に跨ったまま、男がベッドサイドテーブルに手を伸ばす。裁ちバサミだった。

「これで俺がもっとお洒落にしてあげるよ。伊織の恥ずかしいところに可愛い穴開けてあげる――伊織のこと、俺がもっとエッチにしてあげるよ」

そういうものか、と伊織は思う。――どうやら求められているのは、『恥じらい』の演技、らしい。
試しに、「ン」と嫌がるそぶりを見せてみる。細い身を捩り、自由の利かぬ両腕をもじもじと揺らしてみる。「ん? どうしたの、伊織」と男が甘ったるい声で尋ねてきたので、敢えて男の顔を直視せずに目を逸らしながら――「恥ずかしい」と小さく呟いてみる。

伊織に乗り上がった男の熱が上がるようだった。クク、と喉の奥で嗤った声がして、裁ちバサミを持ったままの男が身を屈めて伊織の顔を覗き込んでくる。己の役割を――雇い主に求められているものを意識したまま、まるで恥じらっているかのように見えるよう、濃く長い睫毛を悩ましげに伏せながら――伊織が言った。

「勘弁してくれ。そんな恰好を見られるなんて、恥ずかしくて堪えられない」
「だーめ。明日までのレポートあるから今夜は伊織が頑張るんでしょ? お洋服可愛くするところまでは俺がやってあげるから、あとはちゃんと自分で動いて頑張ってね」

言って、男が裁ちバサミをバニースーツに差し入れる。チョキ、と刃物が布を裁断する音を耳に聞きながら、「あと何時間確保すればあのレポートは書き上げられるだろうか」――などと、熱を伴わぬ頭で天井を見上げながら伊織は考えていた。