mishiadd
2025-03-22 21:29:21
21849文字
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ADDENDUM.1

【転生パロ/本編軸】『この世界にはまだ苦しみが足りない』続編。『愛人契約書』の契約内容を更新し、かつて蓋をしていた劣情を武器に人心を狂わせる『怪物』と化した伊織さんと闘うセイバーの攻防戦【剣伊】
前作『この世界にはまだ苦しみが足りない』:https://privatter.me/page/67d61793a9ab1

addendum [ədéndəm] [アデンダム]
(法律)変更覚書。修正契約書。原契約から契約内容を修正する際に原契約への追加文書として調印される覚書。これをもって原契約の契約内容を修正変更する。





一、

あるいはこれは、端からセイバーが負うべき責任であったのかもしれない。

因果関係の話ではない。かつてあの江戸の町で、あの満月の夜、セイバーが苦しみ喘ぐ『彼』に慈悲にも似た引導を渡してやったのは、あるいは彼の中の『鬼』を目覚めさせてしまったのがセイバーだったから――という責任問題とはまったく別のところで、自分には『彼』に対する責任があると当時の自分が考えていたからだと、セイバーは思う。
『彼』のサーヴァントであった責任。『彼』の相棒であった責任。『彼』を理解してしまった責任。理解しようとしてしまった責任。――あるいは、理解してあげたいのだと前後不覚になるまで入れ込むほどに、『彼』を想ってしまった責任。

いつの世、いつの生であったとしても、『彼』を仕留めるのならばそれは自分でなければならなかった。それはセイバー自身の望みであり、自負であり、我らはそういった運命にあるのだという必然であり――そして、セイバーが伊織という存在自体に負った責任であった。

伊織を仕留めるのは他でもない自分である。――『仕留める』が、いかなる意味を持ったとしても。



かつての――強者と魑魅魍魎の跋扈する世界を望んだ『宮本伊織』より今の彼が危険かと問われれば、きっとそんなことはない。だがきっと、被害の規模は違ったとしても、この『怪物』は放っておけば確実に人心を蝕む。きっとそれで実際に命を落とした者はいるし、よしんば命は助かったとしても、その余生は果たして生きていると言えるのか――それこそ、かつての屍のような生を過ごしていた伊織のように。

伊織を、仕留めなければならない。

――その上ではきっと、自分もまた無傷ではいられないだろうし、無傷でいるべきではない。

綺麗なままでは、この伊織とは闘えない。綺麗なふりをしたままでは、この伊織には届かない。――彼を暴いて、彼と向き合うというのならば。自分もまた、向き合わなければ公平フェアではない。



――あの頃に、よかれと思って蓋をして、なかったことにしていた『彼』への劣情と。



あるいはこの巡り合わせこそが――因果応報、ということなのかもしれなかった。



『業』は、必ず巡り巡って、己の許に却ってくる。






二、

『愛人契約書』――の契約内容が一度正式に変更されてしまえば、伊織の順応は早かった。

朝目覚めて寝室を出てみれば、「おはようございます、旦那様」と既に起き出して朝食の準備をしていた伊織がセイバーに挨拶する。
取り決め通り、伊織はもはや無理をしてかつての『彼』のふりをしたりはしない。――たとえそうであったとしても、セイバーからしてみれば伊織は『彼』そのものであったのだが、セイバーももはやそうとも口にはしない。

――にしても、きみ」

互いに洋装に着替え――特に指示がなければ、結局伊織は現代人として着慣れた洋装を好んだ――食卓を囲みながら、セイバーがぽつりと問う。

「なぜ、私にはそのように――敬語なのだ。……話に聞く限り、今までの雇い主相手にはきみはそんな話し方してなかっただろう」
「あなたは特別だからです、セイバー」

「ん、」と思わずセイバーが言葉に詰まる。――それから、それが決して自分が期待したような意味ではないことを察して、押し黙る。

「今までの相手は、たとえ知り合ったのが直前だったとしても、もともと知己だったり対等な立場の友人だったりしたものが、話の流れで愛人契約を結ぶことになったものばかりです。あなたのように何もないところからわざわざ俺を探し出して、『契約を結ぼう』などと持ち掛けてきたのはあなたが初めてです」
……つまり、私だけは『他人』だと」
「はい。――よく知らない相手に気安く話しかけるのは、あまり」
――きみと契約してからそれなりに時を共に過ごしたつもりでいたが」

憎たらしげにそう言うと、フフンと伊織がいたずらっぽく笑った。

「そうですね。――まあ、わざとこうしているんだ。おまえがきちんと『彼』と俺との区別がつくように」
……思ったよりも根に持っているな? きみは」

混ぜっ返しのつもりで言ったつもりが、伊織がきょとんとする。――それから、「……そうかもしれんな?」とぽつりと呟いた。

「あれだけおまえに散々『似てる似てる』と連呼されれば、少しは気になるのかもしれん。――今までの契約相手で、俺を昔の恋人に重ねたやつはひとりもいなかったよ」
「『恋人』――では――

「ない」、と言いさしたセイバーの目を、伊織がじっと見る。重い二重瞼をわずかに眇めるようにしてから、白いカップに注いだコーヒーを口にして、言った。

「『友人同士だった』と言っていたのは覚えている。――だが今回、おまえは俺との契約内容を変更したな? 『友人』を重ねる相手と性交渉を含む契約にわざわざ変更するのか、おまえは」
……きみを『彼』と重ねないために契約を変更したのだと、言わなかったか」

かちゃり、と伊織がコーヒーカップをソーサーの上に戻す。「ふん」とかすかに鼻を鳴らす。不機嫌にも似た表情で窓の外を見遣る。端正な横顔のすっと高い鼻梁の稜線が、ガラス窓から射し込んだ日の光を反射している。

――俺は、おまえが見た目通りの十四歳の少年だとは思わない。なにか事情があるのだと思う。おまえの『彼』――というのも、おまえのこの十四年間の生のうちに出逢った人ではないのではないか、と思う。――その上で言うが……

食卓の上で、伊織がおもむろに両手を組んだ。まるで向こう見ずな弟を説教するときのような――それこそ、『彼』に出逢った当初に飽きるほど見た顔をして、伊織は言った。

「それは、倫理に反する行いだ。仮に『彼』がかつてのおまえの恋人だったとして、『彼』を重ねた別人の俺を抱くのも非道徳的なら、仮に『彼』がおまえの恋人でなかったとして――『彼』を重ねた俺を抱くのはなお悪い。
おまえは見た目通りの『未成年』、ということではないのだろう。だったとしても忠告する。やめておけ。人の道に反している」
……きみがそれを言うのか!?」

あまりの言い草に呆気に取られてセイバーの反応が遅れる。素っ頓狂な声を上げ、がたたん、と食卓に両手をついて思わず立ち上がった。

「きみが人の道を語るのか!」
「心外だな。これでも道徳は日々意識しているんだ。自分自身ではっきり違反だと認識できるものに関してはその道を踏み外したことはないよ

ぐ、とセイバーが言葉に詰まる。これはきっとその通りなのだと思った。――そして、それが人の道に反していると彼自身が認識できないものに関してはたとえ踏み外していてもそれ自体知ることができない

かたん、と軽い音を立てて再びセイバーが席に着く。「……で?」と喧嘩腰に尋ねた。

「それで? きみは私を軽蔑するのか」
「いいや。……ただ、心配している。そんなことをして傷つくのはおまえなのではないかと」
――……

結局彼は優しいのだ。そこに自分自身さえ絡まなければ、彼は人の心の機微に敏感で、聡明で、察しがよく、そして優しい。――反対に、舞台に演者プレイヤーとしての自分が無理やり引き上げられた途端、自我が薄く自己認識の甘い彼の勘は甚だしく鈍り――恐ろしいまでに残酷になる。

しばし押し黙り、やがてセイバーが顔を上げた。さまざまな言葉を呑み込むように白いカップからミルクをたっぷり入れたコーヒーを啜り、言った。

御忠告をどうも、だ。――だが、平気だ。私自身、綺麗なままでいるつもりなど毛頭ないよ。――そうだな」

かちゃり、とカップをソーサーに置く。――言った。

「きみの昔話をしてもらったのだから、今度は私の昔話をしようか。――きみにしてみれば、昔々のこと――



それは、セイバー自身がなかったことにしていた、恥ずべき汚点の話だった。



三、

――ある朝のことだった。

サーヴァントのくせにまたぞろうっかりと意識が曖昧となり睡眠にも似た状態に落ちて、目を覚ました時――股間の布地にじっとりと嫌な違和感を覚えた。
やってしまった――という羞恥と共に、セイバーがそれ以上の絶望を覚えたのは。

まるで本物の十四歳の少年のような生理現象を引き起こしたその夢が、



同じ男性であるマスターをあたかも当然のように暴いて食らいつき、雄の本能のままに貪る自分自身の夢だったからだった。



どれだけ可憐で愛らしい見た目をしていたとしても、セイバー自身は、自分は男であるつもりだった。
体の造りも男性で、精神的にも自分が男性であることは特に疑ったことはなかった。――だから、というのは、かなり乱暴な結論付けなのかもしれないが。

伊織に――そういうことをしてみたい、という欲求を覚えた場合、必然と――雄として伊織の体を貪る、という欲求に至るのは、想像に難くないことなのかもしれなかった。

――そもそも、眠りに落ちてしまう時点でサーヴァントとしてはなかなかの欠陥なのだが、ましてや夢精――までしてしまうとなると、これは真剣に由々しき事態なのではないか、などと頭の片隅で思う。
自分の体はエーテルで出来ていて、こうして吐き出したものも元はといえば伊織の決して多くはない魔力から捻出されたものなのではないかと思う。ここまであたかも生身のような生体反応を示してしまうのは――もしかしたら、本来不要である食事を摂り続けていることとも関連があるのかもしれなかった。

――などと、己の中の罪悪感の気を逸らすために詮無いことを思う。

「なんにも気にすることはないよ、セイバー」

目覚めたあと、すぐにでも一旦霊体化でもしていればきっと事なきを得ていたのかもしれなかった。だが、純粋にショックで反応が遅れた。そうこうしているうちに、長屋の外で稽古をしていた伊織が、セイバーが目覚めたことに勘づいて朝餉にしようと中に入ってきてしまったのだった。

「あ、」と一瞬だけ驚いた顔をしたあと、すぐになんでもない顔をした伊織が、なんでもないような穏やかな口調で「今からちょうど洗濯をするところだから、おまえもなにか洗濯物があるなら持ってこい」と言った。一瞬頬を真っ赤にして泣きそうな顔をしたセイバーが霊体化し、すぐに姿を顕す。

「ない」と消え入りそうな声で言うと、伊織が、ぽん、と大きな手のひらでセイバーの頭を撫でた。

「なんにも、気にすることはない。これは起こることだ」
「童扱いを――

するな、とも言えなかった。わしゃわしゃと自分の頭を掻き混ぜ続けている伊織の手を乱暴に払い除けると、伊織が素直に従う。それから、穏やかな声で言った。

俺にも起こる――この歳になってもいまだに起こるから、気にするな」
――え」

はた、と俯いている自分の顔を覗き込んでいる伊織の顔を見上げる。うん、とこともなげに、あるいは敢えてこともなげに振る舞って――伊織が頷いた。

「生理現象だからな。厠へ行くのと同じように、きちんと自分でしなければならんとは常々思ってはいるのだが。――ついつい飯を抜いたりしてしまうのと同じで、怠けてしまってな。……だから、起こるよ。おまえが長屋うちに来てからも一度あったから、おあいこだ。気にするな」

「さあ、朝餉にしよう」と伊織が立ち上がり、炊事場へと向かう。――伊織が気を遣ってくれていることを、セイバーは重々わかっていた。同性同士なのだから気にするな、という趣旨であることも。



――だがきっと、伊織はセイバーの夢の内容を知らない。



――なぜセイバーが、彼を慰めるために口にしてくれた伊織の秘密に驚いたのか、知らない。



伊織が、セイバーに背を向けて炊きあがった米を覗き込んでいる。そのすらりとした後姿を見て、思う。




ああ、あの体――




「ちゃんと、出来るんだ――と、思う。