クピードーの記憶②

続きです。



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 オーブに戻ってひと月。
 十二月に入ってすぐ、チャンドラ家はクリスマスの飾り付けをした。
 リビングの大きなツリーは見上げるほどで、子ども達が三人で楽しそうにオーナメントを飾っていく姿が微笑ましい。
 ノイマンはウィークデーの昼間はチャンドラ家で子ども達と一緒に過ごし、夕方から夜にかけてと週末にリハビリと筋トレをする。
 半年間の入院で萎えた身体も少しずつ鍛えられて、杖さえあれば介助がなくても動けるようになってきた。
 ただ、あくまでも日常生活に支障がない程度に動けるようになっただけで、軍人として働けるかどうかは別だ。

「なぁ、チャンドラ。やっぱり退役しようと思うんだけど」
 残業帰りのチャンドラが一人で遅めの夕食を摂っていた日。今後の生活をどうするか悩んでいたのでダイニングで二人きりになったのをいいことに意見を聞いてみたところ、あっさりと返された。
「そっか、まぁそれもいいかもな。辞めたらどうすんの?」
「とりあえず就職先探すけど」
「就職すんの?」
「働かないでどうすんだよ。結構動けるようになってきたしそろそろ義足もつけられるくらいの体力はついたぞ」
 子どもも二人居るわけだから、子育てするにも金はかかるし無職のままではまずい。
「そういえば生活費とかどうなってる? もしかして全部立て替えてくれてるのか?」
 ノイマンのメインバンクのパスワードはチャンドラに教えてある。というか、アパートの玄関やロッカーのパスコードまで全て共有していた。何かあれば全てを任せるつもりで約束しているからだ。
 だが、それはあくまでも十六年前の話で、お互いパートナーを得た今は流石にパスコードの共有はやめているだろう。となると、個人的に管理しているとして貯蓄の方は、もう四十二歳だし、オーブ空軍二佐として働いていたならそれなりにありそうな気もする。
 色々と考えていたら胸の下で腕を組んだチャンドラにしみじみと言われた。
「生活費なぁ、要らないって言ったんだけど絶対支払いたいからってアルバートがたっぷり振り込んできてるから心配すんなよ」
「ハインラインさんが
 ノイマンはひと月経っても記憶が戻る気配が無い。ハインラインのことは夫と思えないし、朝と夕方挨拶するくらいで会話も続かず、記憶は無いのに何故か苦手意識があり、最近は朝夕の挨拶だけでも少しきつくなってきた。
「俺、全然何も思い出さないのに生活費は出してもらうとか、なんか申し訳ないな
「それ絶対アルバートの前で言うなよ。つーかさぁアルバートともっと話した方が良くない? 流石にちょっと可哀想になって来たっていうか朝、もっとこう話し膨らませてやんねーの? 目も合わせてないだろ」
 ハインラインを直視できなくなっていることはチャンドラにはバレていた。
「だってなんか気まずいんだよ」
「あと、ずっとハインラインさんってのもなぁ。アルバートって呼んだら?」
「馴れ馴れしくないか? あんな世界的にすごい博士のファーストネーム呼び捨てって」
「まぁ、記憶が無ければそうなるよな。でもあいつはお前のこと頑なにアーニー呼びだしむしろ喜ぶと思うけど? ほらほらほら、アルバム見ろ!」
 チャンドラがノイマンの前に出してきたアルバム用タブレット端末は毎日見ているのでずっとダイニングテーブルに置きっぱなしだし、ハインライン家から持ってきたデータも入れられた。
 ノイマンとハインラインの結婚式の写真や、子どもが産まれる前の二人きりの旅行、子どもが生まれた時の写真、赤ちゃんの育児でてんてこ舞いの時期の写真、ノイマンとチャンドラが子ども達とソファで寝ている写真など、何百枚もある。
 写っているのは八割程がノイマンと子どもでハインラインの画像は少ない。つまり、写真のほとんどをハインラインが撮影しているということだ。
 写真の中のノイマンは大概いつも笑っている。ハインラインと自分の間には楽しい思い出がたくさんあるのだとわかるのに、ノイマンは今、写真ですら彼の顔が直視できなくなっている。
 淡い金髪に、青い瞳、端正な顔立ち、写真の中のハインラインは幸せそうに笑っているのにどうしても目が泳ぐ。
 こんなにも気まずくなっている意味がわからない。

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 結局軍を退役することに決め、新しい仕事を探すことにした。
 ハインラインとの会話は減る一方で、代わりにメッセージをやりとりする頻度が上がった。
 転職することもメッセージで伝えると、ハインラインからは『暮らしに不自由はさせませんので再就職先はしばらく探さずにチャンドラの家でゆっくり過ごしてみませんか?』という返信をもらう。
 ノイマンが目を合わせないことには彼も気付いているはずで、メッセージでのやり取りならゆっくり考えられるし少しは気持ちを伝えられるので合わせてくれているのだろう。
 ノイマンは半日悩んで短いメッセージを返した。
『アルバートさんに甘えてばかりも悪いのでこの脚でも出来る仕事を探します。家族のことがなかなか思い出せず申し訳ないです』
 メッセージの中でだが、ハインラインを「アルバートさん」と呼んだら送信して三十秒もしないうちに音声通話の着信が入ったが、驚きと緊張で出ないまま切れるまで放置してしまった。
 その後、丁寧な長文でいきなり音声通話をかけて驚かせたことを謝罪するメッセージが入って余計に気まずくなった。
 彼はノイマンの記憶が戻ることを期待している。思い出せないことや目を見て話せないことに罪悪感が募っていく。

 ノイマンは子ども達と過ごし、リハビリもしつつ職を探し始めた。
 つい目が留まってしまうのは運転手の求人情報なのだが、今の身体では運転は出来ない。
 専用の免許を取るか、サイバネティックス義肢を装着するかしかない。
 得意なものは運転くらいで他に特技は無かったのにな、と思うと流石に落ち込む。
 オーブには帰ってこれたし、生活するのに金銭的な不安は無い。チャンドラもそばに居てくれるし、いつの間にか出来ていた子ども達も可愛い。
 大怪我をして生死を彷徨った割に、信じられないほど恵まれた環境に居ると思うのに、日に日に落ち込んでいくメンタルがどうにもならない。
 あまりにも身分違いな同性のパートナー。
 優しいパートナーを得て子どもに恵まれ幸せそうなチャンドラ。
 ままならない自分の身体。
 いつまで経っても戻らない記憶。
 漠然とした不安と、疎外感、周りに支えてくれる人はたくさん居るのに孤独で寂しい。自分はここにいてはいけないと感じる。
 このメンタルはヤバい、と自覚できるのにこれ以上誰に甘えることも出来ない。
 十六年前はチャンドラと愚痴を言い合って、ミールキットの焼きそばとビールで酔っ払い、そのまま二人で寝ればよかった。
 だが今は人妻となったチャンドラに抱きしめて寝てくれとは言えないし、そんなことを考えるだけで、良くしてくれるコノエにも申し訳ない。
 とりあえず、夕飯にミールキット焼きそばをリクエストしてみるくらいで、ビールはまだ飲ませてもらえない。

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 退役すると決めてから、ノイマンは仕事が思うように見つけられず落ち込んでいた。
 周りは相変わらず「いつか思い出すかもしれないし、ゆっくり過ごせば良いのでは」というおおらかな構えなのも逆にプレッシャーになっている。
 ハインラインとはメッセージでのやり取りがメインになった。彼からのメッセージはいつも簡潔で、レスポンスは五分以内だし、余計なことは書いていない。
 段々と事務的な対応になっていくので、何か失礼なことを書いていないか自分の送信したメッセージを何回も読み直してしまう。
 どう考えても身分違いの人なのだ。いっそ離婚を切り出された方が理解できる。
 だが一向に離婚したいとは言わないし、むしろノイマンの方から離婚を切り出すのを待っているのかも。
 特にこれと言って特技も無ければ、見た目だって片脚を失い、顔は火傷の痕で醜いし、自由に動くことも働くことも出来ないパートナーと一緒にいる意味なんてそう考えるとしっくりきた。
 別れてもナタルはハインラインが親権を持って育てるだろう。貯蓄額を確認したところ、ソーマだけなら贅沢をしなければノイマン一人でもなんとか育てられるかもしれない。もしもの時はチャンドラとコノエに助力を請えば見捨てられはしないはず。
 地位と資産があり、あれだけ見目も良い人だ。自分さえいなければ連れ子が居てもハインラインはもっと良い人と再婚できるはずだ。