▼魔法薬学実験室
そう言えば、オクタヴィネルは業者を入れていたんだっけ、とリンが不意に思い出したのは、メインストリートを進みだしてすぐだった。
皆が手作りで頑張っている中、勿論すべてがすべて業者頼みではないということは、これまで相対した業者の仕事内容的に、リンが一番よく分かっている。ただ、業者を入れたからと言って、生徒達の装飾が引けをとらないかというのは別問題だ。
上手くいっているといいなぁ、とリンはそそくさと進んだ。時折、オクタヴィネルの生徒たちが「中は狭いので自撮り棒は使わないでください」などの案内を行っている。
狭い実験室に入るために、多くの人が列を成して大人しく並んでいるのを横目に、リンは、さっさと最前へ進んだ。スタッフの特権である。
実験室の中を覗き込んで様子を見ているらしいオクタヴィネルの生徒に声をかけようとして、───リンは、ぱりん、という音を耳にした。
「───どいて」
「っ!」
びく、と体を強張らせた寮生を押しのけて、中を覗き込もうとした客に「少々お待ちを」と一言短く告げる。
あ、スタッフ、と誰かがリンの背を見て呟いた。それを振り切って、中へ足を踏み入れる。
「っ、あなたは、」
「何か割れる音がしたが、どうした」
「は!?」
「アズール、待ってください。その声は、
……リンさんですか?」
「そうだけど。ん、あぁ、お面か」
リンはお面を少しだけ持ち上げた。見慣れたリンの顔が垣間見えて、アズールは「驚かせないでください」と目を半眼にさせた。
「ハロウィンウィークにサプライズは付き物だろ。で、何が割れた」
オクタヴィネルの設営に感心している場合ではない。リンは素早く実験室内に視線を走らせた。
「僕達も、今、確認しようとしていたところで
……」
「そんなこと言ったって、ここにあるもの、飾りでしょ? ハロウィンの!」
「ハロウィンウィーク終わったらどうせ壊すし、捨てるんでしょ? 別に良くね?」
どやどやと、客の数人が薬品倉庫の方から賑やかに出てくる。その背後から、凄まじい形相のフロイドがゆらりと姿を見せたので、リンは思わず、お面の下で目を剥いた。
「フロイド、これは」
「あいつら、マジで絞める」
「待ちなさい、一体なにがあったんです、」
アズールとジェイドが、尋常でない様子のフロイドの前に立つ。
リンは、不意に視線をやったそこ、自撮り棒の先端に、何かしらの薬品が滴っているのを見留めた。
「───失礼、」
「っうわ、」
「は? おい、なんだよアンタ、」
横から伸びた手が、自撮り棒を躊躇なく捕まえる。有無を言わさぬ力で引っ張られ、客はその先を訝し気に見やり、そして、ぎょっとした。
空恐ろしい形相をしたバケモノが、傍らに立って、自分たちの自撮り棒を掴んでいる。
「っ、なに
……?」
「おい、離せよ、」
「いえ、このまま事務局まで御同行願います」
「は?」
静かに、重い声で。そして、はっきりと告げた般若に、客は揃って不満気な目を向けた。
「まず、あなた方が不注意で割ってしまったものは、ハロウィン用の装飾ではありません。これは、魔法薬です。精製するために何ヶ月もの時を要し、資金のかかる、高価なものです」
「
…………」
「
…………」
淡々とした説明と、有無を言わせぬ圧に、客たちは言葉を失った。どういうことだと、視線が彷徨う。
「その高価で、貴重なものを、ハロウィンウィークだから、特別に公開しているんです。生徒たちは、狭くて危険だからと、何度もアナウンスしていましたね?」
「いや、それは
……」
「聞いてねえとは言わせねえぞ」
地を這うような低い声が降ってくる。
ゆらりと前に出ようとするフロイドを、アズールとジェイドが注視している。リンはさり気なく、フロイドを遮るようにして立った。
「事務局までご同行願えますね。お話を詳しく聞かせて頂きまして、責任者の判断を仰ぎました後に、然るべき機関を通して損害賠償を請求させて頂く場合があります」
「ッはァ!?」
「金払えってこと!? たかが自撮り棒がぶつかっただけで!?」
「───たかがそれだけのことで、授業に必要で大切な薬品が破壊されたんですよ」
重い、重いその声は、煩雑に張り上げられた耳障りな文句を、瞬きひとつで一掃した。
「っ
……、」
怒りに染まった般若が、目前に迫る。
「壊したんです。あなた達が。生徒たちの案内を無視して。奔放に振舞ったが故に」
何を言われてもふざけて取り合わなかった客が、小さくたたらを踏んで、身を引いた。迫る鬼からどうにか逃げようと、震える視線を走らせる。
それを、フロイドが、許すはずもなかった。
「───ふざけんなよ」
リンを越えて、長い腕がぬっと伸びる。気付いたリンが、はっと息を呑んで止めようとしたが、遅かった。
「ッヒィ!!」
客が、反射的に腕を振るう。それにつられて、凄まじい勢いで自撮り棒が振り回された。
「、うぉ」
勢いに引きずられて、リンが体のバランスを崩す。転倒を防ごうと、反射的に、リンの手が自撮り棒から離れてしまった。
「リンさん!!」
咄嗟に腕を伸ばしたジェイドがリンを支える。その合間に、客は慌てて実験室を後にしようとしていた。
「どけよ!!」
「うわっ!!」
中の様子を伺っていた生徒が突き飛ばされる。その場にいた誰もが、目を見開いた。
「何やってんの、」
「大丈夫か!?」
咄嗟に面を外したリンが、生徒の傍に駆け寄る。
実験室に入るために並んでいる客と足下で蹲るリンたちが邪魔で、外に出られない。そうこうしている間に、客の姿は人混みに紛れて消えてしまった。
フロイドが、それと分かるほど高く舌を打つ。空恐ろしい形相に、何人かがびくりと肩を跳ねさせた。
「
……新人ちゃんたちのせいで捕まえられなかったじゃん」
「てめぇはいつから警察になったんだ」
「
…………」
生徒を支えて立ち上がりながら、リンはすっぱりと言った。
「客でもねぇ器物損害犯にかかずらってる暇があるならお客さんの相手をしな」
「
…………客じゃねーなら絞めてもいーじゃん
……」
「良くない。そりゃただの喧嘩だ。ハロウィンウィークだぞ」
「だからァ俺我慢して
……」
ぐらりと長身が揺れる。ぼす、と音がして、リンの肩の上で綺麗な帽子がぐしゃりと潰れた。フロイドが体を折り曲げて、リンの肩に顔を埋めようとしたのだ。
リンは嘆息したが、しばらくは好きにさせてやることにした。
「
……まぁ、確かに、いつになくフロイドは耐えていましたね」
「あんなに穏やかな先輩は初めて見ました」
「そうか。頑張ってるじゃないの」
「
……おれえらぁい
……」
「偉い偉い」
潰れたハットを抜き取って、形を整える。空いた手で頭を撫でてやると、フロイドはむずがるように唸った。
「薬品室は片付くまで立ち入り禁止だ。だめになった魔法薬はなにか分かるか」
「ええ。僕たちが片付けるにも危険はないものです。ですが、しばらくはあのままにしておこうかと
……犯人を捕まえるのは難しいかもしれませんが、こういうことがあったということは、証拠として残し、学園に問題として認識してもらわなければ」
アズールの言葉に、「それがいいだろうな」とリンも賛成した。
「クルーウェル先生を呼んだ方がいいな。お前たちの監督不行き届きではないが、先生は知らないから、理由を聞かれるまで答えちゃだめだぞ。言い訳になっちゃうからな」
「心得ております」
「んふ、新人ちゃんさあ、そーいうとこあるよねえ」
のっそり、フロイドが起き上がる。
その顔はどこか疲れていたが、先程までの怒りや苛立ちは、どうにか霧散したようだった。
「もう大丈夫だね」
「うん。俺達、慈悲のオクタヴィネルだからねえ」
「そうだろうとも」
リンは思いっきり背伸びして、フロイドにハットを被せてやった。少しだけ前屈みになっていたフロイドも、姿勢を正す。
「さて。こんな調子じゃ、他の会場も悲惨なことになってそうだな」
「そうでしょうね。今年はゴーストさん達のマジカメのおかげで、客数が跳ね上がってしまいましたから」
「
……あいつら、大丈夫かな
……」
苦い顔をして唸るリンに、アズールはにっこり笑って、「良かったらフロイドをお貸ししましょうか」などと言い出した。
「いいよ、お前たち生徒はお客さんの相手をしな。迷惑な犯罪者予備軍は私らがなんとかするから」
かぽ、とリンが般若の面を被る。なにそれおもしれー、とフロイドが眦を弛めた。
「つーか新人ちゃん、そんなカゲキな言葉使っちゃっていいのォ? お客に失礼だって、クレーム来ちゃうかもよ?」
「器物破損を謝りもしない奴が客なわけねえだろ。お客様は神様じゃねえのは、お前たちの方こそよく知っているものだと思ったがね。ん?」
違うかい、と般若がオクタヴィネルを覗き込む。海底から陸へ上がった慈悲深い人魚たちは、にっこりと微笑んだ。
▼オンボロ寮へ【
10≫】
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