▼コロシアム
校舎からメインストリートを臨むと、そこは人、人、人であふれかえっていた。視界を人の頭が埋め尽くし、川のように絶えず流れて動いている。
「うひゃー、初詣のときみたい」
ちょっとした休憩も兼ねて外に出たかったリンとしては、敢えて人混みに飛び込もうとは思えなかった。となると、向かうはサバナクローのスタンプラリー会場である、コロシアムだ。
会場を見てきたらしいユウは「もうスッッッッッゴかったです!!!!!!! スッゴイの!!!!!!!!」と目をきらきら輝かせてコロシアムがどえらいことになっているらしいのを教えてくれたが、具体的には「百聞は一見に如かずですから!!!!!」と秘密にされてしまったのだ。
ジャックもレオナも何やら自信ありげな様子だったことも思い出されて、リンはちょっとだけ楽しみにしながらグラウンドを横目に進んだ。
時折ブルーシートを引いて、ランチタイムとしゃれこんでいる家族連れも見受けられる。微笑ましいが、リンはこどもに気付かれないようにそそくさと進んだ。スタッフとはっきり記されているとはいえ、角の生えた般若の面をつけた黒ジャンパーに黒スラックスの人影が歩いていたら怖すぎる。こどもを泣かすのは本意ではない。
コロシアムは、その広さ故か、人はまばらに感じられた。いや、植物園や図書館があるエリアと同程度の客が訪れているのだろうが、スペースを確保できている故か、人口密度が低いだけなのかもしれない。
「かわいーよね、このコイン」
「細部までこだわってるって感じだよな!」
───へー、あれ、持ち帰りオッケーにしたんだ。
ユウとグリムが夜遅くまで起きて作業していたものも中には混じっているはずだ。リンはちょっといい気分で客の会話を聞き流し、コロシアムの中へと足を踏み入れた。
「───」
直後、目の前に広がる圧倒的な光景に、リンは絶句した。
さざ波の音がそっと耳朶に触れて消えていく。遠くには切り立った崖が並び、岸辺には横穴の空いた古い船が乗り付けていた。
そして、風にはためくのは、髑髏が刻まれた、海賊旗。
───魔法、いや、
……一から全部、手作り。
木材を発注し、足場を組み立てて、この湖を作って、効果や宝石をちりばめて。
「はー
……どえらいことしよる
……」
中も見れるのだろうか、とリンは視線を彷徨わせた。客誘導をしている生徒の傍で、他の寮生が何やら話し合っている。そのすぐ近くに「関係者以外立ち入り禁止」の札を見つけ、リンはそちらを利用させて頂くことにした。
「おーい、お疲れさん」
「っ、え」
「は!? 誰だアンタ!」
「アッ事務員です」
リンは慌てて般若の面を持ち上げた。あぁなんだ、事務員さん、と身構えていた寮生たちから肩の力が抜ける。
「あっ、もしかして、ジャックから話聞いて来てくれたんスか!?」
「、えっ? 話?」
「それならそうと早く言ってくださいよ!! あの客ども、どうすればいいのかもうわかんねえんス!!」
「えっ?」
あれよと言う間に、関係者専用通路に押し込まれる。何が何だか分からないリンをよそに、「頼んます事務員さん!!」と生徒たちはぐいぐいリンの背を押した。
どうやら何やら客関連で揉めているらしい。リンは「分かったから押すな押すな」と面をかぶり直した。ちゃんとつけて、角の高さが分かる状態にしておかないと、張り出した木材や飾りにぶつかってしまいそうだった。
「いいか。次に俺を触ったら、生まれたことを後悔させてやるからな
……!!」
まるで地を這うような、おどろおどろしい獅子の唸りが狭い部屋に響く。リンは驚いて、これはただごとではないと気を引き締めた。
「えー、めっちゃ尻尾動くじゃん!!」
「!」
「かわい~!!」
客が手を伸ばす。背後の生徒達がヒィ、と息を呑んだのをよそに、リンは人生最大の瞬発力を持ってその手とレオナの間に滑り込んだ。
「ちょ
……っとお待ちくださいお客様、」
「、え、は?」
「なに、え、つか、」
こわ
……、と客のひとりが呟く。客がたじろいだその隙を逃さず、リンは意識して声を低くした。
「彼はうちの生徒です。今、何をしようとしていましたか?」
「え?」
「いや、いやいやいや、見れば分か」
「なにを、しようと、していましたか?」
「っ、
…………」
「
…………」
あくまでも笑って流そうとしていた客を、般若の面が遮った。
その場に、気まずい沈黙が下りる。
答えは、と言わんばかりに、恐ろしい鬼が、ゆるりと小首を傾げて見せた。
「
……その
……写真、を
……」
「他には?」
「
…………」
客は、何度か口を開閉させた。
触ろうとした、と言葉にして言うだけなのに、いざ改めて言おうとすると、どうにも息が塞がってしまう。なにより、鬼の面の発する圧がおそろしくて、視線すらも上げられない。
できるなら、今すぐここから逃げ出したい衝動が、客たちを襲った。
「
……、」
意識が外に向いた瞬間、その客は、周囲の視線が自分たちに突き刺さっているのをまざまざと感じた。心臓が、どくりと変な音を立てる。
「
……え、っと
…………」
客の足が、半歩、引き下がった。それを皮切りに、周りにいた何人かも、揃って後ずさる。
───かつん、
「っ!」
一歩。
鬼が、距離を詰めた。
レオナに何を言われても、ガタイのいい寮生たちに声を張り上げられても茶化していた客たちが、揃って固唾を呑んでいる。
般若の発する圧が、この空気を乱すことを、許さないからだ。
「
……生徒が嫌がるようなことを、していたように、見えましたが」
静かな声が、一言ひとことを、はっきりと告げる。
かつん、と。また一歩、鬼は距離を詰めた。
「私たち学園関係者は、何事も、生徒の安全を第一に考えて行動しなくてはなりません。ですので、あなたたちが、我が学園の生徒に、何をしようとして手を伸ばしていたのか、お話を聞く必要があります」
「、ヒ
……!」
とうとう、客のひとりがもうひとりにしがみつく。
「───一緒に、来てもらおうか」
一際おそろしい声が、すべての雑音を掻き消した。
「っす、」
「すみませんでしたぁーーーッ!!!」
勢いよく、客たちが身を翻してその場から飛び出した。どん、といくつかの荷物がリンに当たり、自撮り棒などがすぐ傍を掠める。
「いっ、て」
「!」
「リンさん!! え、いやリンさんっスよね!? とにかく大丈夫っスか!?」
少しよろけただけのリンに、わっと生徒たちが群がった。リンがくるりと振り向くと、皆が一様にびくりと肩を跳ねさせる。
「あぁうん、リンさんだよ。ちょっと当たっただけだから、大丈夫。レオナは? 大丈夫?」
「
………………べつに」
ぴしり、とそれはもう不機嫌そうに、尻尾が揺れる。その表情も、まったく「べつに」という言葉とはかけ離れていて、リンでさえもうっかり身を引いてしまうような怒りの迫力に満ちていた。
「
……ラギー、何があったの」
「あ、ちょっとこっち向かないでもらえるっスか、夢に出そう」
「
……しょうがねえな」
リンはお面をずらして斜めにつけ、顔を出した。何人かの寮生があからさまにほっとする。
「いや、いつも通り、レオナさんがそこで寝てたんスけど」
「はぁ? アンタ、お客の目につくとこで寝てんじゃないわよ」
うぐ、とその場の空気が音を立てて固まった。
「
…………ド正論は、今は横に置いといてくださいっス」
「そしたら、客の何人かが『置物かな?』『彫刻みたーい!』つって、レオナさんをべたべた触りだして」
「勇気あるわね
……」
リンはいっそ感嘆した。
なんという無謀だ。眠れる獅子は絶対に起こすなという格言のようなものを知らないのだろうか。怖いもの知らずにもほどがある。
寮生たちも、神妙な面持ちで頷いた。
「いろんな意味で、寿命が縮みました」
「だからまあ、安全とか、その他もろもろのために止めようとしたんスけど、レオナさんが動いたら動いたで『動いた~!』つって」
「あぁ
……」
後はリンが見た通り、ということだろう。
リンは「災難だったわね、」とレオナを労おうかと思ったが、客の目の前で堂々と寝姿を披露していたという事実が、その労いを胃の腑へ呑み下させた。
「
……まぁ、あんた、顔だけはいいからね」
「あ゛?」
「褒め言葉よ。で、他には何かあった?」
「ありまくりっス!!」
寮生たちの声が一息に揃う。彼らはびっくりしているリンをよそに、堰を切ったかのようにしてぎゃんぎゃんと今まで起こった出来事を言い立てた。
「あいつら、コインとか、勝手に持ち出していくんスよ!!」
「それに、飾ってあった服とかも勝手に着てボロボロにするし!!」
「狭い船内なのに自撮り棒振り回すし!!」
「装飾とかも勝手に弄って、宝石とかその辺に放り投げるし!!」
「皆で拘ってセットしたのに無茶苦茶にされてんですよ!!」
「報復されても文句は言えねえっスよね!?」
「、ほうふく、ん、いやいやいやいやいや手は出したらだめだぞ」
「なんでですか!!!!!!」
どっかん、と再び全員の声が揃った。
「頑張って作ったセットが壊されるの、黙って見てろってことっスか!?」
「違わい!! そこまで言ってねえだろうが!!」
「あっ! なるほど、」
したり顔でラギーが意地悪く笑う。
「───バレないようにやれってことっスね!?」
瞬間、周囲の生徒の空気が色めきたった。レオナも満足そうに息を吐く。
リンはすう、と呼吸を整えると、静かに般若の面をつけ直した。
寮生たちが、まじまじと般若の面を見つめる。少しの間を置いて、リンは「いいか、」と静かに、重く、切り出した。
「
……手は、出すな。足も、出すな」
「
…………」
不満げに、寮生たちが半眼になる。ぎらりと不穏な光を漂わせるそれを、面の下でまっすぐ見返しながら、リンはそれでも、はっきりと言った。
「ただ、口だけでどうにかしなさい」
「
…………」
般若の発する圧に、寮生たちは揃って目配せをしあったが、結局は誰も何も反論を出せなかった。
「何かあったら事務に来ていいから。
……分かったね」
「
……ウス」
「
……はーい」
柔らかく、嘆息しながらの言葉に、生徒たちが渋々頷く。ただ一人、ラギーはレオナを伺うように覗き込んだが、彼は口を開かなかった。
「とにかく、ああいう客が多いのは分かった。ジャックもそれでいないのね?」
「あ、ハイ」
「誰か呼んでくるって行っちまって」
「それでリンさんが来たのかと」
「見事にすれ違ったな
……」
リンは、外の方を見やるように視線を巡らせた、ようだった。お面をつけているので、傍から見るだけではよく分からない。
「
……そもそも人気に火を点けたのはゴーストたちだ。ちょっと心配だから、様子を見てくる。その後は事務に戻るから、何かあったらそっちか、先生のとこに行ってね」
「了解っス」
「あざッした」
「あいよ。めげずに頑張りな、サバナクローだろ。今度は遊びに来るから」
じゃあね、とリンは素早く身を翻した。関係者通路をさっさと進み、あっという間に見えなくなってしまう。
「
……リンさんはあぁ言ってましたけど。どうするんスか、レオナさん」
「
…………フン。あいつは、ああいう風に言うしかねえだけだろ」
「?」
あぁそっか、と表情を綻ばせるラギーの傍で、何人かの寮生がどういうことだと顔を見合わせる。その様子を見て、ラギーはそっと声を潜めさせた。
「リンさんなら、こっそりバレないようにやっても、オレ達に協力してくれるかもってことっスよ!」
「
……なるほど」
「
……確かに」
───いいか、私は何も見ていない。私は何も聞いていないからな!
そう言いながら、寮生たちを手伝ってくれる様子が、まざまざと思い描ける。リンは確かに、そういう人柄であるように見受けられた。
「いやあ、さっすがレオナさん! よく分かってるっスねえ!」
「まともな客がいるのも確かだ。下手は打つなよ」
「ウッス!!」
「了解っす!!」
寮生たちが気合を入れ直す。それを背後に聞きながら、レオナは一度、客の立ち入らない場所で休むことにした。
▼オンボロ寮へ【
10≫】
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