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さもゆ
2024-12-10 00:53:45
85123文字
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【スティレオ】とりあえず、ワンモア
名前有りのモブがレオくんに迫るのをモブレオって言っていいならこれは八割くらいモブレオ。
残りの二割で何とかスティレオになります。
こんなに書いといてあれなんですけど、大したこと何も起こらないです。へへ。
2021.3.7 たまごのお粥pixiv投稿作品
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店番をしていた店主は帰ってきたアドルフとレオを伸ばした触手で確かめると何も言わずにカウンター奥の階段へ通してくれた。
いや、カウンターで本を一枚めくっては食べていたから、読書を優先させたかっただけかもしれない。「いいの? あれ」「うん。週に一度は本を食べていいって決まり」「何かぶつぶつ言ってる」「あれはロシア語。困っちゃうよな、俺まだロシア語は読み聞かせできやんから」「アドルフがロシア語を覚えるのが先か、店中のロシア文学が食べつくされるが先か。すげーなほんと、俺英語しかできない」「HLが現れやんかったら、世界共通語さえ話せればいいやん、っていう励ましができるんやけど」「世界思ったより広がっちゃったからねー」
上った二階には夕陽が射しこんでいた。
二階廊下の窓から覗いたでたらめに建ち並んだ住宅街は、遠くの山のように霞んでいた。霧が夕陽を吸って街の輪郭を赤く滲ませていのだ。もう少しで夜のとばりが下りてくるだろう。
アドルフの白い手が廊下の最奥、金色に燃えるドアノブを捻り、開ける。
もともと物置部屋だったところをアドルフが住めるよう提供してくれたこの部屋は、秘密基地じみたごちゃつきと眠るためのベッドしかない、けれど居候するには充分で安全な部屋だ。レオはもう何度も遊びに来たことがあって、雑多で落ち着いた空間はもちろん、異界人の店主が異界から持って来たというごちゃついた品物を見るのも好きだった。
――
ほとんどガラクタだらけのそれらに、もしかしたら、何か義眼に関する物があるかもしれない、そういう期待も微かに持って。
「どうぞ」
「お邪魔します」
促されて入ってしまってから、ああ、と自分に対する失望にも似た感情が一寸過ぎった。“さすがに告白してきた人の部屋にほいほい上がったりはしない” どの口が言ったんだっけ? 少なくとも、この口がそう言った時のレオには、言葉をたがう意思はなかったことだけは確実だった。
埃っぽい天窓から降り注いでいる斜陽が柔らかくレオの頬を焼き、そして後ろで扉が閉まった。
レオはついこの部屋に遊びに来たときの癖で真っ先に壁際のベッドへ足を運びそうになり、立ち止まって逡巡したものの、やはり頭を振って『友だちなんだから』と半ばヤケクソで堂々とベッドに座ることにした。この部屋にほかに椅子はない。あるのは素敵なガラクタが積まれた本棚と、書き物をするための小さなテーブルがベッド脇にひとつ。アドルフがHLに持って来た物と言えばそのテーブルに飾られた家族写真くらいだ。
レオがそちらへ視線をやろうとすると、手が伸びてきて写真を伏せてしまう。そうしたアドルフはテーブルにもたれ立ったまま、ベッドに座るレオを困り顔で見下ろした。
「ちっとも意識してくれやんやん。仮にも抱きたい言ってきた男やのに」
「
……
友だちなので。あと、ほかに座るとこないし。跳ねるから、」スプリングを利かせて見せる。「に、逃げやすいかなって。頭突きとかも、しやすそう」
「それ俺に言うのも迂闊なんよ。内容は結構おっちゃくい奴やけど。そういうとこも好きやに、ほんま」
「あ、ありがとう」
答えながらもいよいよ大きくなってきた違和感に顔をしかめる。
彼の頬はちょうど些細な夕陽に照らされほのかに赤くなっているように見えた。
「
……
アドルフ。体調悪いの?」
「どうして?」
「今日ずっと」今日だけだったか? 「
……
顔色が、悪いよ」
「
……
そう見える?」
アドルフが薄っすらと笑う。レオは目を反らした。あんまりにもスティーブンに似ていたために、多少の悪寒が背筋を這ったからだった。取り繕うように唇を舐めて湿らす。
「それで、アドルフさん。話ってなんの、」
「レオ」
真ん前に跪いたアドルフがレオの手を握り、覗き込んだ。「俺を見て」
大いにびくつき、たじろいだのを、アドルフの濃紺の瞳が自嘲に細くなって見つめてくる。
「み、見てるよ」
「そうかな。ほんとに?」
「いくら糸目でも、ちゃんと見えてるって」
「じゃあ、言ってみて。俺の目はどんな色をしとるん?」
「どんなって」レオは困惑しながらもアドルフを見下ろした。「濃い紺色だよ。群青にも見える。ミステリアスな夜の色。垂れ目で」
「肌は?」
「
……
雪みたいに、真っ白。肌だけなら白雪姫みたい」
「髪は」
「髪は、黒。俺より柔らかそうな癖ッ毛で、
……
」
レオはサイドテーブルに伏せられた写真に目を移しかけたが、握られた手に力がこもったことで意識をアドルフに戻さざるを得なくなった。
レオの手を持ち上げたアドルフは、特徴を連ねさせている自身の顔に宛がわせる。手のひらが血潮の通った肌の感触を知らせた。
「眉は? 続けて」
「眉は、ちょっと太めで、凛々しい感じで」
指先が毛の流れに沿って眉を撫でる。
「鼻は」
「鼻は、鷲鼻。曲線がなだらかで、尖ってる」
指の隙間に鼻を挟んで辿っていく。
「口は?」
「口は、」レオの唇に吐息が掠った、あの冷静にえげつないことを言う唇。「
……
薄くて、口角の上がった、シワの少ない口」
指の腹が唇をなぞり、輪郭を這わせた。
「頬は?」
「頬骨が高くて、
……
」
手のひらが顔の全体を触れ終えたころには、レオは彼の顔から目が離せなくなっていた。
アドルフは笑っていたが、泣き出しそうなちぐはぐな顔つきで、そのまま声音だけ妙に諦念を持って言った。
「俺の負けや。レオ、きみ、好きなやつがおるんやろ」
「何言ってるの。まだでっちあげてないよ」
「あは。好きなやつでっちあげて、俺をキッパリ振るつもりやったん? 言ったやろ、『きみは分かっとらんみたいやけど』って。でも、そっかあ。あー、分かっとったけど。やっぱショックやわ」
「全然分かんねえんすけど。ねえちょっと、アドルフさん?」
「この顔のやつが好きなんやろ」アドルフがレオの手に顔を触れさせながら言う。「凛々しい眉に、垂れ目、鷲鼻と薄い唇。そのひとは女かな、男かな、男やったら悔しいなァ」
「違う」レオは自分の口がこんがらがるのを感じた。「だって、傷が。傷がない。タトゥーもないし、」
「傷? どこにあんの。教えて」
「アドルフさん、」
「なぞって。この顔の、どこに?」
「どこって
……
」
レオは震える指でアドルフのさらりとした左頬に傷を描いた。左のこめかみから、唇の端までを切り裂く稲妻状の
――
――
すると、さらりとしていた感触がざらりとし、見る見るうちに皮膚が突っ張りデコボコとした亀裂を走らせた。
スティーブン・A・スターフェイズのスカーフェイス。
最早異なるところが年齢だけになったその顔がもう一度レオに言う。
「きみはこの顔のやつが好きなんやな? 刺青もなぞらせたろか。きみが思い描ける範囲で」
そしてレオは思い切り義眼を見開いていた。
口なんてとっくに開きっぱなしだったし、叫び声を上げなかったのが奇跡みたいで、寸の間、無差別に人々を堕落せしめるあの怪人のように成り下がりかけた。ところ構わず視界を入れ替え周辺三ブロックにいる生き物の目を回しいっそのこと自分も前後不覚になりたかった。到底できたことではないので、目も口もあんぐり開け、絶句するしか選択肢がなかったが。
代わりに燐光をまともに食らったアドルフがなるほどと声を上げてレオの顔に手のひらをぶつけた。
「神々の義眼か! そりゃ俺の呪いなんて目っちゃうわ!」
「ナッ、な、何っ」
――
神々の義眼を知ってるっ? この混沌しかない場においてもそれだけはいつだってどこだって最優先事項だった。顔に張りついたアドルフの手を引き剝がそうと暴れ、指の隙間から叫び声を上げる。「敵か、味方か!」普通に善良で一般人なレオからこの確認が反射的に飛び出したのは、真に土壇場になると冴え渡る頭が先日のライブラ侵入マグカップ男とアドルフを関連付けたからだった。「俺を騙してたんすね!? 最初から義眼狙いだったんだ、さもなけりゃ俺なんかに惚れるわけがない、そうなんだ!」
そうだとしたら、スティーブンのメッセージ『Good luck』が途端に含みを帯びたものになるし、もっと言えば、レオとアドルフをくっつけたがった理由がよりスティーブンらしくなる。囮に使ったんじゃ? レオのことを。正体の分からない者を誘き寄せるために。アドルフは最初からレオの義眼狙いで、スティーブンがそれに薄々勘づき先手を打っていたのだとしたら
――
。
「なんか勘違いしとるようやけど」
けれど怒気を孕んだ声音が、顔を鷲掴んでいる手指越しに降りかかる。目許は強く覆われ、そのうち痛いほどに暴れる体を抱き竦められた。
「俺がきみを好きな気持ちに嘘はない。マジで。これを疑われたらもう立ち直れやん。泣くで」
義眼の真昼の閃光に照らされた部屋には、いつの間にか朱色の影もなく、静かに夜のとばりが下りてきている。
レオはいくらか息を整え、アドルフに爪を立てていた手で彼の背中を叩いた。「ご、ごめん」少しずつ冷静になっていく。と同時に自己嫌悪でどうしようもなく泣きそうになる。今、俺は、友だちを疑ったんだ。「ごめん。俺、いま、駄目だった。ごめんなさい」
「いんや。でもよく分かった。レオがたまにうざこいほど自己否定に走るんは、その目が原因やってこと」
「なんで
……
」
レオはとうとう泣き声を漏らした。
「なんで、アドルフさんばっかり分かるのさ。俺にも何か分からせてよ。全然分かんねえ、ちっとも、何が、どういうこと?」
「まずその目を閉じてくれやんかな、お願い」
「なんで」
「見たら、狂うから。俺の顔。見とらんよな?」
「スティーブンさんの顔だった
……
」
「“スティーブンさん” がきみの好きなひとの名前かー。男かあ。うわー」脱力してレオに体重をかける。「なんでなんやろう、俺とそいつ、何が違ったんやろ。くっそ。しかも絶対
……
絶対、レオより俺の方が先やのに。いや、分からんけど。そうやんな、恋なんて後とか先とか分からんもんやんな
……
」
「アドルフ、アドルフ。なあ、」
「目、閉じた?」
「まだだけど」
「閉じて。閉じたら、どくし、説明もする。分かるように」
「分かった」
「閉じた?」
「閉じたよ。いつもの糸目」
「じゃあどかなな」
自分から言ったくせに名残を惜しむように顎でつむじを押してきたのでレオはつい笑ってしまった。
あんまりいつも通りなアドルフとひとたび接してしまえば落ち着きがなくなっていた鼓動も徐々に落ち着いてくる。レオの心にはもうアドルフを疑う部分は一つとてなかった。彼は最初から最後まで『いいやつ』でありレオナルドの友人のアドルフだ。あれは自分が卑屈と猜疑心に塗れすぎていた。
アドルフは注意深くレオの瞼を手で覆い隠し、きちんと義眼が隠れているかどうかを確かめてから離れると、また跪いて見上げた。「どう見える?」
糸目のせいで密集したまつ毛を震わし、義眼を堪えて口を開く。
「
……
スティーブンさんに見える。でも、やっぱりちょっと、違うよ。似てるけど
……
」
「きみにその目がなかったら、正真正銘、ホンモノに見えとったはず」
「待って」レオは自分でも考えるべきだと、バラバラに散らばった重要なピース(これまでに覚えた違和感や、既視感の)を懸命に探り当てていった。最初に見つけたのは直近の、すぐそばにもある伏せられた写真立てだ。
レオが初めてこの部屋に遊びに来たときにも見せてもらった。
アドルフと、四人の姉弟が両親とともに写っている家族写真。
閉じた瞼の裏側にあっけなく思い出せる。レオがそうしようと思えば、義眼は決して記憶の反芻を間違えない。
「レモン色だ」自分でも驚くほど疑り深い声が出た。目の前のブルネットを見つめる。「アドルフさんの髪は、レモン色だった。きれいな、子どものころのブロンドが、大人になってもそのままみたいな。きれいなレモン色。それに瞳は、夜明けの
……
アンバーだ」
アドルフの頬に血がのぼった。今度のレオにはきちんとそう見えた。照れ笑いを浮かべた彼は赤くなった顔をごしごし拭うと先ほど伏せた写真を手に取り、レオの隣に座る。スプリングの利いたベッドは沈むことはなかったが、レオはアドルフに肩を寄せ、一緒になって写真を覗きこんだ。
アドルフが十八の成人を迎える前日に撮ったそれには、一軒家を背景に、後ろで並んだ両親がアドルフと長女の肩に手を置き、長女のそばに幼い妹が二人身を寄せ、アドルフの前に彼の手を握る末の弟が、仲睦まじく佇んでいる。父親は濃い茶髪に碧眼だが、母親は薄いブロンドに琥珀色の瞳をした綺麗なひとで、姉弟たちはみんな母親譲りの容姿をしていた。
長女と肩を組んでいるアドルフも、レモン色の髪にアンバーの瞳、それから優しげな釣り目を細めて笑っている。白い肌は少々日に焼けているが、はにかんで赤くなった頬は隠せていなかった。
鼻は高いが、鷲鼻ではない。
輪郭も顎がしっかりしていて、純朴な青年そのもの。
精悍でカッコいいが、スティーブンとは似ても似つかない。
レオは何度もこの写真を見ていたはずだった。
「どういう
……
」写真に青い光を零しつつ瞬きを繰り返す。「どういうこと? なんで
……
いつからだ
・・・・・
?」写真に仕掛けは見当たらない。なら、いつからレオはアドルフを
間違えて見ていた
・・・・・・・・
?
薄い瞼の裏側でころころと義眼を転がしてみるも、それらしい記憶が一向に転がって来ない。どころか、まだ酷使してもいないのに、目の奥に熱を溜め頭を痛がらせてくる。おかしい。この目玉はもっと使えるはずだ。使い方が下手なのか燃費が悪いけれど、それでもいつもなら、自分の記憶を探るくらいでは熱くなったりしない。
アドルフとの思い出を辿り、彼の顔を確認しても、どうしてだか顔がハッキリと映っていなかった。霧のように輪郭がぼやけ、よく見ようとするとスティーブンの顔に近づく。それだけでなく、たった今まで見ていた写真の顔も思い出せなくなる。こんなことは今まで一度だってない。レオはポンコツな義眼の性能を高めようと躍起になり、熱が明確な痛みとなって眉間から鼻先を突き抜ける前に、視界に迫ったアドルフの手によってそれ以上の過去視を止めさせられた。
「今なんか痛いことしようとしとったやろ。アカンに、そーいうのは」
「なんで友だちの顔を思い出そうとするだけで、こんなになるんだ」レオは苛立ちを隠しもせずに瞼を覆うアドルフの手を掴み言った。「こんなのおかしい。俺はちゃんと、見てたはずなんだ。写真じゃない。アドルフさんのレモン色の髪も、アンバーの瞳も、赤い頬っぺただって」
瞼を半ば開くと、指の隙間から青い光が迸る。思いのままその忌まわしい神々の義眼を使おうとしたら、アドルフが更に手を押しつけ、強い口調で制してきた。
「レオ。その目を使わんといてくれ。頼む。俺のためやと思って
……
」
「どうして
……
さっき、さっき『狂う』って言った? アドルフの顔を見たら? それって、俺があなたの顔を思い出せないのと、」瞼を閉じ、手をどけ、隣の彼を見上げる。「
……
スティーブンさんの顔に似てるのと、関係があるんだね?」
その顔がホンモノではないことはもう知っているはずなのに、見つめれば見つめるほど差異が薄れていき、夜に紛れ、見つめるのに違和感のない顔つきになっていく。不快感も嫌悪感も、人の顔に対して抱くマイナスな感情は何一つ湧き起こらず、むしろその反対の感情で頭を占めさせた。
――
“顔がいい”。
レオの細い視線を受けたアドルフは手元の写真に目を落とし、レオも誘われるように視線を落とした。この写真を撮った翌日には十八歳になるレモン色の髪をした少年が、家族と一緒にはにかんでいる。緊張しているのか、姉弟たちは皆どこかぎこちない雰囲気もあった。
「話をするよ。すぐ済むから」頬の傷を歪めてアドルフが言った。「簡潔にね。読み聞かせするには、まだ寝る時間には早いから。子どもっちゃうし、要点を絞って」
「合理的に?」
「そう」
「俺、アドルフさんの読み聞かせ好きだよ」
「そう? あー、じゃあ、一応オーソドックスに始めよう。門外不出。きみのためだけの読み聞かせ」
そうして話し始める。レオは二人だけしかいない物置部屋でひとつも聞き漏らすまいと耳を傾け、彼についての不可解な点に通じる物語を、静かに聞き入った。
「“昔々、あるところに、大変仲の良い姉弟がおりました
――
”」
※
「つまり、」
ヅッ。
レオは垂れてきた鼻水を思いきり啜り、代わりに垂れてきた涙を無造作に拭う。
「アドルフの家系は男はみんな遺伝性の “呪い持ち” で、その周りを鑑みない超ド級の呪いを薄くするために、いつか神性存在と契約した」
「たぶんね」まだおとぎ話の続きのように、静かに答える。「まあ、呪いをかけたんもそれを薄めたんも、話しの通り俺の家の言い伝えじゃ人魚ってことになっとるけど。これは国がイギリスやったら魔女か妖精になっとるんやろな。実際はどれでもなく、レオの言う通り、HLにおるような神性存在やと思う」
「違うよ」レオは涙と鼻水にまみれた顔で一字一句言い直させた。「“クソッタレ神性存在”」
「クソッタレ神性存在」アドルフは大いに頷いて言い直してくれた。
ぐしぐしと溢れる涙を拭い続け、拭っても拭っても止まらず、挙句に嗚咽も混じってきたところでレオは諦めて立派に泣いた。
「な、なんで」アドルフの握り締めている家族写真を見て更に泣いてしまう。「なんで、そんな、理不尽な目に遭わなきゃいけないんだ」
彼が聞かせてくれたノンフィクションの童話は、身に覚えのありすぎる理不尽さと唐突な喪失、そして人間より上位な存在の悪意なき戯れに満ち満ちていた。彼の語りが良いのと自分の境遇に重ねてこんなに狼狽えているが、これが有名作家が書いた童話だとしたら後世には初稿を何十回と校正しすぎて最早原型を留めていない子ども向けに作り直された全くの別話として残されていただろうし、泣きはしても約束されたハッピーエンドに安堵してのことだろう。レオだけに聞かされたお話は何の教訓も得られない、残酷さと外れた道理が剥き出しの、現在のアドルフ一家に繋がる荒い道のりだった。
ずっとずっと昔の話だ。
ずっとずっと昔の、とある姉弟がある日突然
クソッタレ神性存在に弄ばれ
呪いをかけられ
、その呪いを解くためにできることを尽くし、別の呪いでもとの呪いを緩和させた。
最初の呪いは、成人した弟の顔をこの世で最も醜い姿にするもの。見る者の気を狂わすほどに。
二度目の呪いは、醜く変わり果てた弟の姿を、見る者が好意を抱く姿にするもの。違和感も不合理も感じさせないくらいに。
最初の呪いで弟の姿を見た姉の気は狂い、
二度目の呪いは姉の正気を取り戻すための代償として、弟の姿を永遠に無くした。誰の記憶からも。正気を取り戻した姉からも。
それは血に刻まれ今も続いている。
アドルフは成人とともに醜い存在と成り果て、そして『見る者が好意を抱く』姿として映るようになった。彼の姉は彼の成人とともに正気を失くし、そして一瞬にして弟のことを忘れ、取り戻した正気で弟を知らない人間として認識した。
姉以外の家族もアドルフのことを覚えていられない。もとの姿は徐々にぼやけ分からなくなる。写真を見たとしても彼がどのようにして育ち、どんな癖があり、どうやって笑い、髪の色も目の色も、喋り方ですら、思い描けなくなる。
幸い、と言っていいのか分からないが、あえて言うならば、幸い、その呪いは “書物” には無効らしく、アドルフの先祖による忘れ去られた者たちの手記が、彼の家にはたくさん残されていた。童話のように言い伝えられ、話して聞かせられるのはこれが理由だ。姿を忘れても、確かに自分たちには家族がいたことを、文字に記して。
「じゃあ、アドルフは、子どものころから、」
レオが何とか嗚咽を堪え口を開くと、問いかけが終わる前にアドルフは頷いた。
「覚悟しとった。みんなね。うちに姉弟が生まれたら、必ず
……
父方の呪いやから、父さんがすっげー気に病んどってさ。そんなん、しゃーないのに。だって俺も父さんの顔、写真見やな思い出せやんし」そう言えるまでに、一体どれだけの葛藤があったことだろう? 「ああ、でも、弟と妹二人は小さかったから、どうかな。今なら分かってくれとるやろうけど
……
」
「ねえ、待って。まさか妹さんたちも」
「ううん、姿が変わる呪いは、最初の姉弟だけ。こいつらはこのまま、健やかに、きっとべっぴんになる」
「そう、そっか
……
」
「姉貴は完全に俺のこと忘れとるけど。まァ、いいんよ、俺が覚えとる」
「いくないよ、駄目だよ、そんなの。なんで
……
イヤだよ、かなしい」
「もうこのことについて泣きはしやんと思っとってん。でもきみが泣くと、つられそうになる。ちゃうよ、これはそれほど悲劇じゃない」
「分かってる。アドルフさんは前を向いて、光を見て生きてる、ちゃんと。分かってるけど、」
「あーもう、泣かんとって」
ほとほと困った声音で遮り、レオを抱きしめる。その温かさと力強さに、本当ならレオが何か慰めを言うべきなのに慰められた心地になって、情けなくなりながら強く抱きしめ返した。アドルフは一度だけ鼻を啜ると、「俺の身の上話はどーでもいいよ。もう分かったね? こっからが重要」と打って変わって明るい声で言った。
体を離し、暗くなった部屋では闇と同化しそうなスティーブンに似た顔で、ニンマリ笑った。
「きみ、この顔の男が好きなんやろ。いい加減認めた方がいい」
レオはひっく、と嗚咽にもしゃっくりにも取れる呼吸をした。「まだ、」泣き過ぎで酸素供給の薄くなった脳みそでもこれがただの時間稼ぎにしかならないことを悟っている。「まだ、分かってない。どうして俺の目玉が神々の義眼だと分かったのか、アドルフの呪いが俺にだけ効きづらかったのか、まだ」無駄な悪あがきというやつだ。
アドルフは優しいので、それを全て分かった上でひとつひとつ説明してくれた。
「オーケー、まず神々の義眼についてね。答えは簡単、俺は呪い持ちで生まれたから小さい時からそういう方面を調べつくした。何より、家には摩訶不思議な、古い手記がたくさんある。ほかに同じような目に遭った人間がおることも載っとるよ、今度見せたげる。神々の義眼を実際には見たことないけど、世界中の数少ない証言からレオの目がそうやと思った。俺のドギツイ呪いにあんま影響受けやん目玉は、きっとそれぐらいやから。レオも何か、言いたくないならいいけど、理不尽な目に?」
「突然、選ばされた。俺は何も選べなくて
……
妹が視力を」
「そうか」
身を切り裂かれたような表情を浮かべ、レオの肩を抱き寄せる。まるで同じ痛みを共有していた。しばし黙り、そうしたのち、アドルフは続けた。
「俺の呪いがレオにすぐ効かんかったのは、やっぱりその目のおかげやろうな。言うなれば、神性存在同士の能力拮抗。きみは、
……
もうあやふややろうけど、俺と初めて会ったとき、俺の髪をレモン色として見とった。久々やったよ、もとの姿で認識されるんは。最初は、そう、ただ嬉しくて」
「アドルフさん」
「それで惚れたわけっちゃうけど。でもきっかけは、たぶん」
「俺は平眼球の支配者だよ」レオは珍しく乱暴気味に言った。「目に関することなら全能なんだ。アドルフさんの姿を見間違えるわけがねえんだ。本当だよ」
「うん。でも、だめ。それで万が一、きみの気が狂ったら、俺は一生自分が許せやん」
「なら、調べる。調べ尽くす。俺は、」何のためにHLに来て、秘密結社ライブラに所属したと? 「妹の暗闇とこの目のほかに治したいもんがひとつ増えたくらいで、諦めたりしない。絶対探すから。探し出して、ムカつく神サマの眼球掻き回してやる。アドルフの分も、アドルフの家族の分も。そしてレモン色の髪にアンバーの瞳のアドルフさんと、山を見に行く。170メートル以上の、れっきとした山だ。それから、」
「きみの妹さんの綺麗な瞳に、写真を見せる。もとの目に戻ったレオと、もとの姿に戻った俺と、山が映った写真を」
「そうしよう。それがいい」
「最高。きみのそーいうところが、」本当に好きだ、アドルフが囁きに近い声量で言った。神々の義眼について俺も調べてみる、必ず実現させよう、そう続けられた言葉の力の強さったらなく、せっかく引いて来ていた涙が再び波打つほどだった。
濃紺の瞳がレオの泣き腫らした糸目を見つめ、偽の頬の傷を指でなぞって見せた。「俺は答えたよ。次はきみの番」
説明できなかった全ての違和感を正しく教えられ、後回しにしてきた問題がとうとうほかに回り道のない眼前まで来てしまった。
アドルフの姿は、見た者の脳に好感情を抱かせる姿として認識させる。
レオには、ほとんどスティーブンに見えていた。
「違うよ」何が? 「違う、全然そんなんじゃない」
「諦めろって」スティーブンのような姿でスティーブンのようなことを言う。「今の話聞いとった? 俺は相手の好きな姿になれる。深層心理の奥深くまで、男でも女でも、普通なら違和感を抱かせんレベルに。それを利用してきみを丸め込まんのは、俺がほんまにきみに惚れとるから。きみの感情と、理性を尊重したい。きみがほかのやつに惚れとるってんなら、もとから言っとったように、潔く身を引くし、もう口説いたりしやん。友だちに、まあ、頑張って戻るよ」
「俺別にスティーブンさんのこと好きじゃない」
「嘘やん」
「俺の感情と理性を尊重してくれるんじゃなかったの」
「嘘と誤魔化しは尊重しやんよ」
「誤魔化しなんかじゃ、だって、だって俺、無理だもん。むり。ほらだって、アドルフは俺のこと抱ける意味で好きって言ってたけど、俺はスティーブンさんをだっ」その先を口にしそうになっただけで吐き気を催した。「
……
俺の大事な息子を男のケツに挿れるなんて、ひたすらに無理」
「抱かれる側は平気ってことっちゃうん?」
「スティーブンさんの大事な息子を俺のケツに挿れるなんていうそんな可哀相な真似できるわけないだろ!!」
「おーう出たよ、変なとこで卑屈になるんが」
「どーせ俺はたまに
うざこい
・・・・
ほどネガティブだよ
……
」
「ごめんって。でも、なんでなん? そんなにこの顔の男、惚れたらアカンようなやつなん?」
「惚れたらアカンっていうか」レオはもごもごと唇を解く。「いや、カッコいいよ。たった一人の王さまを守る、忠義深い騎士みたいでさ。俺とは考え方も違うし、たぶん見てるものも違って、どうなったって、立ってる場所が違う。怖いし、笑顔でひとを脅してくるし、何よりも利益を優先するひとだけれど。それもどうあれ皆のためだし、まだガキな俺じゃ分からない、絶対に必要なことなんだと思う。怖いけど、何考えてるか分からないし、怖いし、俺は絶対あーはならないしなれないし、なりたいとも思わんですけども。ねえ、だから、こ、怖いよ。こんなふうに思ってるひとのこと、俺ほんとに、
……
そうだと思う?」
窺って見上げた先、黙って聞いていたなんとも言えない微妙な顔つきをしたアドルフが、頬傷を歪めて口を開いた。
「なんかそれって、ホラー映画苦手な人間が怖がりながらも観ちゃう心理とおんなじような感じする」
「言い得て妙」
「つまりは嫌よ嫌よも好きのうちっちゅーことなんよ」
「言わんこっちゃない。言うんじゃなかった」
「それが本当に恋なんか、確かめる方法教えたろか?」
レオはぱちりと糸目で器用に瞬きをして、いつの間にか相談相手にすり替わっている何ものにも代えがたい友人に体ごと向き直った。アドルフがスティーブンそっくりに、けれど頬を悪戯っぽく上気させて笑う。
「キスしてみればいい。それで解けるんは、おとぎ話だけっちゃうんよ。これは数少ない真理やね」
レオはウワッと叫んだ。
「言うは易く、行うは難し! 何なんすか、いい男ってみんなそう言うの!? 俺みたいなのがねえ、そんなんしたらHLPDにお世話になるの待ったなしっすからぁ!」
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