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けーだい
2024-11-25 00:19:45
73340文字
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レヴナントの褒賞
下記の要素を含みます。苦手な方は読まないでください。
・一部原作キャラクター(以下「キャラ」)が故人の設定
・キャラの死亡描写
・キャラの身体の分離、欠損描写
・魔物、キャラの殺傷描写
・キャラの自殺願望に関する描写
また、他注意事項として
・リンゼルに子供がいる設定
・リンゼルの絡みがほとんど無い
・(カップリングではない)リンクと他キャラ、またはモブとの会話がメイン
となっています。大変好みの分かれる話ですのでこの他にも心配なことがある方は読まないことを推奨します。
だいぶエロ以外のセンシティブ要素がてんこ盛りですが、書いた人間としては死によって救われるのではなく救われたから終わる、そういう話にしたいと思ってはいます(できてるとは言っていない)。そういうのが好きな人向けです。
リンゼルオンリーにこれを持ち込もうとしている狂気。
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祝福
深い皺を刻んだゼルダの手を握る。十代の、回生前から何一つ変わらない俺の手とは全く違う、ちゃんと時間を重ねた手だった。
「ごめんなさい
……
私
……
また貴方を置いて
……
」
苦しげな息の合間に出てきた言葉に息が詰まる。
もう二度と彼女を置いて死にたくなかった。けれどその願いは、彼女に置いて逝く恐怖を押し付けることだったのかもしれないと、こうなって初めて思う。
今更気付いてももう遅かった。焦点の合わない瞳を見つめながら握った手に力を籠める。俺はもう、どうしたって間に合わない。
だから咄嗟に、嘘を吐いた。
「必ず追いつくから、大丈夫」
それは、初めて彼女に吐いた嘘だった。とっくに死ぬことを諦めていた俺が何を言っているのかと、自分でさえ呆れる。
それでも、ただ笑ってくれればよかった。安心したように笑ってさえくれれば。そう思って吐いた嘘だった。
けれど彼女は、それまでの弱々しさが嘘みたいに力強く俺の手を握り返して、ひどく真剣な眼差しで頷いたのだ。
「待っています」
その声が、心の底から俺を信じてくれているのだと、疑う余地もないほど真っ直ぐ俺の心に響く。
このまま人をやめて生き続けるのだろうと思っていた。老いることも死ぬことも忘れた俺は、彼女の墓の前で百年でも万年でも、石のようにただ在り続けるのだと。
けれど、待っていると言ってくれたから。
「待ってて」
強く握り直した彼女の手から、力が抜けていく。
――
そうして、俺はこの世に取り残された。
*
数日ぶりに戻ったミナッカレの宿場町はやけに活気づいていた。
「はいよ! ミートパイとガンバリハチミツのピザ、それからピリ辛山海焼き! おまちどおさま!」
「配達行ってきまぁす! 馬車借りるよ親父!」
「火薬六十キロ追加だァ⁉ 馬ッ鹿おめぇそういうのはもっと早く言っとけ!」
「ヒダマリカボチャにツルギダケ、各十キロね! はいこれおまけ。ガンバリニンジン!」
俺が力の泉に行く前は旅行者や商売人が経由地として一泊しているといった感じの、街道を兼ねた町の中央通りにさえまばらにしか人がいないような町だったはずだ。それが今は、もう日もとっぷり暮れたというのに通りには人がひしめいて、特に店の並ぶ道の端はろくに進めない程になっている。どうにか人の薄い道の真ん中まで出ても人波は途切れることはなく、脇から裏道に出ようにもまずそこまで辿り着くのが至難の業だった。結局数日前に来た時の倍は時間をかけてやっと宿に辿り着く羽目になった。
「ああ、リンクさん。今日お戻りだったんですね」
ドアを開けるなり受付に座った男に声をかけられて、ああ、ともうん、とも付かない返事をしてしまった。背後でドアが閉まる音を聞きながらカウンターまで行くと、男は読んでいた新聞を開いたまま俺を見上げる。白い髭の中に埋まる口元は微笑んでいた。
「よく覚えてるね、名前」
「王太子殿下と同じ珍しい名でしたからね。それで、泉の方はどうでした?」
記憶力の良い男は俺の行き先まで覚えていたらしい。内心舌を巻きながら閉まったばかりのドアを見やった。
「変わりなかったよ。こっちの方がすごく変わってて驚いた」
扉の向こうにはまだ人が溢れている気配があった。あそこまでの人の中を通ったのはどれくらいぶりだろうと思考が飛ぶのを、男の笑い声が引き戻す。
「大変だったでしょう。昨日からずっとこんな調子ですよ」
俺の疲弊した様子で何があったのか彼は察したのだろう、木製のドアの向こうを見透かすようにそんなことを言った。
「なにかあったの?」
人の多さもだが、誰も彼もやたらと落ち着きのない雰囲気だったのが気になった。心なしか軍人が多かったのはここが砦に近いからだとしても、あの空気とはうまく結びつかなくて首を捻る。
男はそんな俺に笑って答えた。
「軍の公開演習ですよ。これがなかなか、結構ファンも多くてね。掻き入れ時ってやつです」
「あぁ、そうか。もうそんな時期なんだ」
ぼんやりした俺の言葉に男が頷く。毎年冬の始まりになると、アッカレの砦では一般にも公開される演習が行われていた。結構な観光資源になっているようで、この宿場町にとっては一年で一番の繁忙期と言っていい。
最近はすっかり日付の感覚も薄くなっていたから全く気付かなかった。これはまずい時期に来てしまったかもしれない。内心少し焦り始めた俺に、店主は呑気に続ける。
「御存じでしたか。なんでも今日は国のお偉いさんも視察に見えていたそうですよ。おかげで演習も随分気合が入っていたとか」
「お偉いさん?」
あまり聞かないことに首を傾げる。アッカレの砦は海からハイラル平原へ向かおうとする侵入者を拒む要所だ。「お偉いさん」がいるようなエリアからはそれなりに距離があるし、いくら公開演習といってもそうそう国の重役が来るような場所ではない。
珍しいこともあるなと思っていると、男はよくぞ聞いてくれましたという風に身を乗り出した。
「王配殿下ですよ。それもお忍びで。抜き打ち視察ってやつですかね」
「あー
……
なるほどね」
この国の歴代の王配は大体が軍部の最高司令官を兼任している。そもそも女王ではない時代もあったし、王配が軍部の長でなかったこともあるけれど、「王配は女王陛下の剣」と言われるほどには慣例になっていた。確か今代の王配もそうだったはずだ。
軍の総司令というのは指揮だけをすればいいというものではなく、個人の戦闘技術も求められる。自分の身を守ることも問題なくできる彼らは、お忍びと称してほとんど護衛を付けずに視察に行くことも多かった。元を辿れば俺から始まった慣例だけれど、そうした身軽さは今も変わっていないらしい。
「殿下はもうお帰りになられたそうですが、演習は明日もありますから。ぜひとも見て行って欲しいですねぇ」
そう言いながら男は蓄えた顎髭を撫でる。その言葉に思わず「えっ」と声が出た。
「部屋、まだあるの」
「ないんですけれども」
「えぇ
……
」
見えたと思った光明が目の前で消えてまた声が出る。ここが空いていないだけならいいけれど、明日も演習があるなら他の宿も埋まっているかもしれない。
野宿には慣れているとはいえベッドで眠れるに越したことはないし、そもそも町の中で野宿はさすがに目立つ。どうしたものかと思いながら、男に礼を言って踵を返した。
「また来てくださいねぇ」
男の声を背に外へ出る。他の宿も当たってみて、それでもだめなら町を出よう。そう決めてまだ人の減る予感のない雑踏に踏み出した。今度はできる限り裏道を通ろうと、宿のすぐそばの角を曲がって細い路地に入っていく。
そう広くはないこの宿場町には全部で三つの宿がある。さっきは町の北口から一番近い宿だったけれど、それでも着くのに随分時間がかかったから、全部を回るのは少し面倒かもしれない。
やや遠回りをして辿り着いた数ブロック先の宿にも空きはなかった。こちら側にはもう宿はない。仕方なく大通りに面した扉から外に出て道を渡りながら、人をかき分けるのにはこの小柄な身体は不便だと心底思った。人に埋もれて前が見えにくいうえに、うっかりすると人に流されてしまう。どうにか道を渡り切った時には思った場所よりいくらか離れてしまっていた。次の角まではほんの数軒しかないというのに、道の端は相も変わらず人がごった返していて進みが悪い。
(
……
)
ふと、その中に妙な気配が混じっているのに気付いた。俺の方をじっと観察するような視線。慣れた好奇の目とも殺気や敵意の類とも違うそれが後をついてきている。
しかしその気配は少し様子を見た後、ふいに途切れてしまった。不思議には思いながら気にせず角を曲がると、人がすれ違えるかどうかの細い急坂を登っていく。三本ほど過ぎたところに最後の宿があったはずだ。大通りと打って変わって人気のない道を歩いて二つ目の横道に差し掛かった時、突然気配を感じた。
「
――
見つけた!」
考える前に剣を抜いて右の道から飛び出てきた剣を受け止める。思った以上に軽い感触に違和感を覚えながら、弾いた剣が突きを繰り出してくるのを左に避けた。
そのまま坂を駆け上って撒いてもよかったけれど、受け止めた剣の軽さがどうにも気になる。振り返ってみると、ぼろのフードを目深に被った少年が一人木剣を構えていた。声や背丈の感じから多分十にも満たないだろう。道理で軽いわけだ。
どうやら彼はまだやる気らしい。不利な下段にも関わらず間髪入れずに踏み込んで、懐に潜り込むように右から斜めに斬り上げてきた。路地が狭い分避ける余裕はない。歳の割には型と狙いのしっかりしたいい動きだ。
叩き落とすように剣を弾くとすぐさま切り返して今度は足を狙ってくる。どうも諦めの悪いタイプらしい。どうして俺を狙うのかはわからないけれど随分好戦的なようだし、大人しく引き下がってはくれないだろう。
「えっ⁉」
仕方なく剣を放ると彼は面を食らったような声を上げた。その動きが乱れた隙に飛び込むように間合いを詰める。右手で彼の右腕を掴んで身体ごとぶつけながら腕を一気に引くと、少年のフードが外れて落ちた。突っ込んでくる彼の勢いを利用してぐるりと小さな身体を回転させ、すぐに左腕を取ると両手を纏めて後ろ手に締め上げる。
取り落とされた剣がからんと軽い音を立てた。
「
痛
い
っ
……
!」
「気は済んだ?」
褪せた金色の髪を振り乱して藻掻く少年に一応は訊いてみる。でもこの暴れようなら多分まだ諦めていないだろう。
有り余る力の向ける先を知らないのか、少年は物足りなさそうに叫んだ。
「まだ! もう一回!」
「もうだめだ。勝負は着いただろ。ほら、行くよ」
落とした剣を拾って背の鞘に戻すと、少年の木剣も拾って腰のベルトに差しておく。万が一逃げられてもこれならまた人を襲うことはないだろう。動きたがらない少年を半ば引き摺るように歩き出す。彼は慌てたように背後の俺を見上げた。
「嫌だ、おれどこも行かない! おれ、ずっとじいちゃんに会いたかったんだ!」
「
――
え?」
深い青の瞳と目が合う。俺と同じ顔をした少年が、必死の形相で俺を見つめていた。
息を飲んで固まった俺に、少年は畳み掛けるように続ける。
「ねぇ、あなたがあの『リンク』なんでしょ? 初代様の王配で、魔王を倒した。おれ、あなたのずっとずっと後の子だよ。じいちゃんと同じ、リンクっていうんだ」
その真剣な眼差しに、言葉が出てこなかった。とぼけるには彼の言っていることは正確で、かといってどう答えるべきかもわからない。
三百年近くもこの世にいる俺を「知っている」人間なんて、今のハイラルにはほとんど存在しない。直接の顔見知りは長命のゾーラ族しかいないし、あとは公にはできなかった記録を持っている王家の人間くらいだろう。
彼は「リンク」と名乗った。俺が記憶しているその名は、今の王太子の名だ。
「おれ、どうしても強くなりたいんだ。だからお願い、おれの師匠になって!」
「
……
言いたいことは色々あるけど、あんまり大きな声を出さないで。
……
大事になったら殿下だって困るでしょう」
最後は耳打ちするように告げると、彼ははっとしたように大人しくなった。王子が一人でこんな所にいる時点でもうとっくに大事になっているだろうとは思ったけれど、彼は納得したらしい。こくこくと頷くだけで何も言わなかった。掴んでいた腕を外しても逃げる様子を見せないあたり、さっきの「師匠になって」というのは本気で言っているのだろう。
憲兵に任せるつもりだったけれど、さすがに王子の顔は憲兵も知っているだろうし、それを連れてきた俺の顔が瓜二つとなれば話がややこしくなることは目に見えている。
真っ直ぐに俺を見つめる青い瞳を前に、どうしたものかと溜息を吐いた。
*
「今日こそ剣教えてよ!」
朝からエネルギーの有り余る王太子殿下は、どうやらまだ俺に師匠になってもらうことを諦めていないらしい。焼いた干し肉を頬張ったまま、俺に剣をせがんでくる。この調子でもう二日だ。余程諦めが悪いらしい。
ミナッカレを出た後はオルディンに向かう予定だったけれど、王都行きに変更せざるを得なかった。憲兵に任せるにも厄介だし、かといって一人にもしておけなくて、結局俺が送るのが一番手っ取り早かったのだ。
俺一人なら多少無茶な移動でもいいけれど、子供がいるとなると話は変わってくる。行きは父親の馬車に隠れて乗っていたという彼は、ここまでの道さえよくわからないようだった。そもそも王都から出たことが無かったという彼は見るもの全てに目を輝かせていて、まるで不安そうな様子がない。豪胆なのか呑気なのかわからないけれど、その目まぐるしく変わる表情にはなんだか懐かしいものを感じた。
「今はだめ。王都に帰るのが先だよ」
「
……
ケチ」
何度目かのやり取りに少年が拗ねた顔をする。その尖った唇を見ながら、ふと疑問が口をついて出た。
「どうしてそんなに強くなりたいの?」
「
……
おれ、じいちゃんや父上みたいになりたいんだ」
そう告げる少年の唇は依然として尖っている。否定されるかもしれないと思っているようなその顔は、それでも意志を曲げない頑固さを滲ませていた。
「じいちゃんも父上も、国を護る剣士だったんでしょ? おれだって剣なら得意なんだよ。だから早く軍に入って、みんなを護る剣士になりたいのに
……
、父上は認めてくれないんだ」
そう言った少年は軽く俯いてしまった。悔しそうに干し肉を刺した串を握り締めて、だからもっと強くなって認めてもらうんだ、と言った。
その呟きがどうにも危なっかしくて、少年には悪いと思いながらつい彼の父親に同情してしまった。
いずれ王を継ぐ彼を今の年齢で軍に入れるのはあまりにも問題がありすぎる。一番の下っ端にしては彼の地位は高すぎるし、士官候補にしては幼すぎるのだ。いくら剣の実力があっても、それだけで集団での戦闘ができるわけではない。それを彼は理解していなかった。
彼は多分、自分が強くさえあれば誰かを護れると思っている。現実を知らない無鉄砲さは微笑ましくもあるけれど、親としてはさぞかし心配だろう。
「みんなを護る
……
か」
どう言えば彼に響くだろうと考える。彼の願い自体は間違いなく尊くて、けれどその方法があまりに短絡過ぎることが問題だった。それをどう伝えたらいいのだろうか。
急に考え込んだ俺を不思議そうに見上げる少年の丸い瞳が青く輝いていた。真っ直ぐ見つめてくるその無垢な眼差しに、思わず伸ばした腕で少年の頭をくしゃりと撫でる。丸い頭の感触を掌に感じながら、俺が知っている中で最も多くの人を護ってみせた人のことを思い返していた。
「人を護るのに必要なのは、剣だけじゃないよ」
「え?」
不思議そうな顔の少年が訊き返してくる。頭を撫でるのをやめると、彼はくしゃくしゃになった髪を少し嫌そうに手櫛で直しながらまた俺を見上げてきた。
「例えば、俺の知ってる一番強い人はね。剣は使えなかったけど、それでもハイラル中の人達を護ってたんだよ」
「ハイラル中の
……
?」
ぽかんとした顔のまま、それでも俺の言ったことを想像しようとしているようだった。多分彼の中の「護る」という行為は、差し迫る危機から救け出すイメージなのだろう。確かにそれも護ることには違いないけれど、そうした護り方はすごく限定的だ。その危機を知らないといけないし、その場にいないと助けにも入れない。
そういう難しさを多分彼はまだ知らない。いつかは知るときが来るのだろうけれど、それはきっとまだ先の事だ。
「そう。魔物と人の住む場所を区切る仕組みを作ったり、争いが起こらないように調整したり
……
そうやって危ない目に遭う人を減らしてたんだ」
俺の言葉に少年は目を丸くしていた。きっと彼の中にあった「護る」という行動のイメージと違うからだろう。戸惑うように少し俯いて、それでも懸命に俺の言葉を受け止めようとしているようだった。
「そんなこと
……
おれにできると思う?」
「さぁ。それはこれからの君次第だから」
なんだよ、と少年がむくれる。その顔につい笑ってしまったから、少年はへそを曲げたようにそっぽを向いてしまった。
「何も、同じ事をしろって言ってるわけじゃないよ。得意なことを伸ばすのも、強くなろうとするのも悪いことじゃない」
その横顔にもう一度声をかける。俺達の願いを受け継いでくれた彼が今後どう生きていくのかはわからない。けれど少なくとも、このハイラルを護り続けてくれることだけは信じられた。
「ただね、強ければみんなを助けられるとは、思わない方がいい」
「
……
じゃあ、どうしたらいいの」
むくれた少年の視線を感じる。少しは響いているようで、その目にはどこか真剣さが見えた。なにか考えるように、探るように俺の言葉を待っている。
「どうしたらみんなを助けられるのか、自分に何ができるのか
……
考え続けるのが一番大事なんだと思うよ。軍に入っても
……
別の場所に行ってもね」
「
……
うん」
少年は再び俺を見上げて頷いた。その頭をもう一度くしゃりと撫でると、今度こそ抗議の声が上がる。それでも抵抗はなかったからひとしきり頭を掻きまわすと、どこか照れたように少年がはにかんだ。
「思ったより遅くなっちゃったな。そろそろ行こう」
「はぁい」
残った最後の肉のかけらを口に放り込むと、少年はさっさと立ち上がった。その気の早さに笑いながら野宿の後始末を終えて街道を歩いていく。
切り立った崖の先にある林に入ると日が遮られて少し肌寒くなる。いつもなら右手に広がる崖から登ってくる風がデスマウンテンの熱気を運んでくれるけれど、今はそれもない。俺はともかく慣れない旅をしている少年は大丈夫かと心配だったものの、彼はまだまだ元気なようで少しも寒そうな様子を見せなかった。子供は体温が高いから平気なのかもしれない。
俺が見ていることに気付いていなかったのだろう。少年はふいに俺を振り返ると、目が合うなり肩を跳ね上げた。
「わっ
……
なに?」
「いや、寒くないのかと思って」
「全然。ね、それより
……
さっき言ってた一番強い人って、初代様のこと?」
無邪気に首を傾げる少年は好奇心に彩られた目をしていた。その目に見つめられるのは昔から弱かったなと思いながらひとつ頷く。
「そうだよ」
「どんな人だったの?」
切り返すように飛んできた質問は予想出来ていたのに、言葉はすぐには出てこなかった。
傍の木から鳥が飛び立つ。つられて見遣ればあっという間に高いところまで昇って、翼を広げたまま気持ちよさそうに滑空し始めた。影も落ちない程遠い小さくなった鳥を見上げたまま、そうだな、と口を開く。
「心がね、すごく強かった。多分、俺よりずっと」
「じいちゃんより?」
信じられないというような声が聞こえて視線を下ろすと、丸くなった目で少年が俺を見上げていた。それに笑って頷き返す。
「うん。どれだけ苦しくても、最後まで自分にできることを探し続けて
……
それがどんなに辛いことでも、必ずやり遂げる。
……
そんな人だったよ」
少年は何かを考えるように視線を彷徨わせている。想像を巡らせているらしいその目にも、俺の知っている彼女の姿が映ればいいのにと思いながら、かつての彼女を想った。
きっと苦しかったのは彼女の方だったと、今でもそう思っている。俺はもうとっくにこの身体を受け入れてしまっていて、彼女はそんな俺を誰より近くで見守り続けていた。いずれ一人になる俺をずっと心配して、寄り添って、そうして過ごしたあの日々は確かに幸せだったけれど、そうして俺を置いて逝った彼女はどれだけ苦しかっただろう。
それでも彼女は最期に約束を残してくれた。それがあるから、俺はまだ人でいられている。
「
……
じいちゃん?」
腕を引かれる感覚に意識が引き戻されて、いつの間にか立ち止まってしまっていたことに気付いた。少年は心配そうに俺を見上げている。
最近は昔のことを思い出すとすぐこうなってしまう。またうっかり過去に囚われて、ぼんやりしたまま一日を消費してしまうところだった。
「ああ
……
ごめん。なんでもないよ」
笑って見せると少年はおそるおそる腕を離した。そんな場合ではないと気を取り直して視線を前に向ける。
急な下り坂はまだ続くけれど、道自体はほとんど一本しかない。街道沿いには魔物の巣もないし、そうそう危険はない道程だ。とはいえ少し気が緩んでいたかもしれない。
歩を進めながら背後を探る。見失わないぎりぎりの距離なのだろう、かなり離れているからあまり気にしていなかったけれど、俺達が歩き始めたのに合わせて動いた影があった。人数はふたり。尾けられている。
事態を把握して追いかけてきた少年の護衛か、それとも彼の命を狙う者か。どちらだろう、と考えながら少年の様子を見ると彼はまだどこか心配そうにちらちらと俺を伺っていて、目が合うとどうしたのと聞いてきた。どうやら後ろの気配に気付いてはいないらしい。
「大丈夫。ちょっと色々想い出してただけだから」
「
……
」
いまいち信用が薄いのか、少年は露骨に疑うような目をした後ふいと顔を背けてしまった。ご機嫌を損ねたのか、少し足早になった彼が俺から離れる。背後の気配は動かない。
けれど彼が五歩目を踏んだ瞬間、まずい、と思った。
「じいちゃんもそう言うんだ。みんなそうやって
……
」
「逃げろ!」
「え」
少年に一息で迫って突き飛ばす。左の木陰から飛び出してきた巨体が真っ直ぐに突っ込んできて、俺の腹を牙がえぐった。
「っぐ」
鈍い音を立てて跳ね上げられた身体が地面に落ちる。どうにか受け身は取ったものの、最初の当たりどころが悪くて息ができなかった。それでも顔を上げると、興奮状態の猪はもう一度体当たりを仕掛けようと身構えている。
少年はまだ突き飛ばされて座り込んだ状態のままだ。状況は芳しくない。けれどこのまま俺に突っ込んでくれれば、後ろの崖に落とせる。
「だめ
……
!」
だから少年のその叫びは、悪手以外の何物でもなかった。猪の気が逸れる。俺ではなく少年の方を気に掛ける素振りに、身体の内側が一気に冷えていく。
「あ
……
!」
息もまともにできないまま気合だけで剣を抜き、猪に向かって駆ける。音と殺気に反応して振り向いた猪が、半ば反射のように突っ込んでくる。
ぶつかる瞬間、首に突き刺した剣は致命傷にはならなかったようだ。興奮状態の猪は俺の左腕に嚙みついて、引き摺ったまま突き進んでいく。恐怖と混乱に飲まれた獣は、その先に地面がないことを認識していない。
「っ!」
剣を何度も刺す。それでも猪は俺を離さなかった。
「じいちゃん!」
地面が途切れる。腕の肉を食い千切った猪と共に落ちる直前、少年が見えた。
いつか見た、怯えに染まった目。俺を
――
化け物を見る目が、逆さになった視界から消えていく。
*
あの目を、俺は知っている。
さっきまでざんざんと響いていた水の音はいつの間にか聞こえなくなっていた。川沿いから山をひたすら登り、魔物達をやり過ごしながらキースの巣食う洞窟の上を通って高台に出ると、谷を挟んだ向こうの尾根の上に橙色の光が見えた。シーカータワーだ。
ゾーラの里に振り続けていた雨は止んだ。神獣ヴァ・ルッタに巣食うカースガノンを倒したのはつい昨日の事だ。里はまだ喜びに沸いているけれど、どうしてもここに来る前に見つけた記憶が気になって早々に里を出た。
暗い森の中、おれに手を引かれて走る少女。自分のせいでたくさんの人が死んだと泣き叫ぶあの姿が、頭から離れなかった。台地でおれを導いた王様も、おれへの伝言を預かっていたインパも、神獣の中に囚われていたミファーも、皆が心配していた「姫様」。それがきっと、あの泣いていた少女なのだろう。
想い出さなきゃいけないことがまだたくさんある。とはいえ、写し絵しか手がかりのない記憶を地図もないまま闇雲に探し回るのも無謀だ。後回しにしてしまっていたけれど、里の異常も解決した今なら落ち着いて塔を目指せる。そうしたら、写し絵の場所の見当も付けやすくなるだろうと思った。
遠目にはずっと見えていたし、里に行く時はその脇の谷底を通ったから大体の場所はわかるものの、塔の足元がどうなっているかはよくわからなかった。隣の峰からこうして見てみると、巨大な魔物の住処の中に建っているらしいことがわかる。粗雑に組まれた櫓が塔を囲うように林立していて、いくつか魔物の姿も見えた。けれどどれも山の向こう、開けた川の方にばかり建っていてこちら側には一つもない。背後が山だからあまり警戒していないのだろう、魔物の数もそう多くはなかった。せいぜい峰のてっぺん、塔の右側に数匹のボコブリンとウィズローブが一体いるくらいだ。
ここからなら塔の近くまではパラセールで飛んでいけるだろう。けれどあまり近づくと魔物に気付かれるから、左側の崖に降りて登るしかない。
道に見当を付けると軽く踏み切って宙に飛び出した。風にはためく布の音を聞きながらゆっくりと近づいてくる岸壁に集中する。運良く魔物はこちらを見ていない。ぎりぎりまで近寄って、左に舵を切る
――
その瞬間、背筋を悪寒が走った。
「っ!」
咄嗟にパラセールを閉じる。身体が落ちて狙いがずれたのだろう、矢が右腕を掠めていった。ほとんど垂直に近い岩場にどうにか掴まって矢の飛んできた方を見上げると、身体をぴったりと覆う赤い服が見えた。イーガ団だ。
里に入る前に何度か喧嘩を売られたことがあったけれど、まさかこんな山の中で襲ってくるとは思っていなかった。何の恨みがあるのか知らないけれど、こんなところで待ち伏せするほどだ。あの男が本気でおれの命を狙っていることだけはわかる。
迎え撃つには壁面にしがみつくのがやっとのこの足場ではあまりにも分が悪い。どうする、と視線を走らせるうちに男がまた矢を番えるのが見えて、反射的に壁を突き飛ばすように後ろへ跳んだ。重さに引っ張られるまま壁面沿いを落ちていく。
おれのいた場所に矢が刺さった音を聞きながら身体を捻る。さっきまでへばりついていた壁面を背にすると、突き出た岩肌を蹴った。飛ぶように落ちて、目前に迫った地面の手前で気持ちなだらかになった壁面に踵を突き刺すように踏ん張る。無理矢理な減速で殺しきれなかった勢いのまま地面に飛び込んで、転がるように着地した。
「クソッ!」
すぐに起き上がると男の悪態を背に駆け出す。おれの身長よりも少し高い段差を飛び降りてとにかく谷底を真っ直ぐ走った。どこへどう逃げるか考える余裕もなく、逃げる。
正面の林が視界に入った途端、逃がさないとでもいうように目の前に札が舞うのが見えた。剣を抜き真上から振り下ろされる刀を受ける。
「っ
……
あ!」
甲高い音と共にどうにか撥ね飛ばす。左へと飛んだ男は空中で体勢を整えると音もなく着地して、今度は身を低くしたまま突っ込んできた。刀が草に隠れて軌道が読めない。駆け抜けるよりも迎え撃った方がいいと振り向いて、勘に任せて剣を振る。瞬間、火花が散った。
「なん、で、おれに
……
かまうの!」
今度は弾き切れずに押し合いになった。がちがちと金属の擦れる音を響かせながら間近に迫った白い仮面に問いかける。逆さになった目の模様からは何も読み取れない。
「お前が王家の犬だからだ
……
よ!」
「ぐっ!」
腹を思い切り蹴られて吹き飛ばされた。山肌に叩き付けられ、そのまま地面に転がる。反射的に蹴られた腹を庇ったせいで受け身を取り損ねた。息が、できない。
「か、っは」
それでも迫ってくる気配に咳き込みながら顔を上げた。とどめを刺そうと駆け寄る男が、止まる。
「あ
……
あ」
地面を揺らす重さを感じた。男はもうおれを見てはいない。ぞわり、と背筋を這う嫌な感覚に後押しされるまま、右手の林に釘付けになった男の視線を辿る。
深い緑の合間、ほとんど木のてっぺんに近い位置にぬっと黒い顔が出てくると、その真ん中にある大きな一つ目が獲物を見つめていた。多分人間から奪ったのだろう、その身体には小さな武器を首からいくつもぶら下げた巨体が、異様に細い腕を男へと伸ばして真っ直ぐに迫っていた。
「う、」
男の喉から絶叫が迸るのと同時に地面を蹴る。ろくに息をできていない身体が悲鳴を上げた。けれど魔物の手に捕まった男の叫びが潰れるのを聞きながら、更に強く踏み込む。
「は
……
!」
気力だけで剣を振る。男を掴んだ腕が届かなくなる寸前、渾身の力で斬り上げてどうにか指を叩いた。背後で何かが落ちる音がするのと同時に、怯んだ魔物が手を庇いながらよろめく。男は咳き込んではいるものの生きているようだ。
魔物は尻もちをついている。逃げるなら今しかない。道が塞がれている以上、左の崖から飛び降りるしかないだろう。背後の男に声をかけながら、踏み込む。
「逃げ
――
、」
駆ける直前、衝撃を感じた。
背中に熱が灯る。ずるり、とその塊が引き抜かれたあと、じわじわと身体の外へなにか暖かなものが流れていくのがわかった。
「あ、?」
足に力が入らない。身体が嫌に重くて、引きずられるように膝をついた。目の前の魔物はもう立ち上がってこちらを見ている。早く逃げるべきだと感覚は告げているのに身体は言うことをきかなくて、気持ちだけが焦る。
「は、やった、勇者をやったぞ
……
!」
高揚した男は周りが見えていないのか、低く重い風切り音に気付いていないようだった。怒りに任せた魔物の手が、おれ達を叩き潰す。
「がっ⁉」
男の潰れる声と同時に、ぱき、と呆気ないほど軽い音が頭蓋の中に響く。次の瞬間、生暖かな液体と共に頭の中身が少し飛び散るのがわかった。
視界が消えて暗闇に呑まれる。多分頭骨と一緒に眼球が潰れたのだろう。捕まったのか、それともただ倒れているだけなのか、それさえわからない。全身の感覚は仕事を放棄して、自分の輪郭がぼやけていく。
それでもなお、辛うじて無事だったらしい左の聴覚だけは男の声を拾っていた。
「や、やめろ、やめ
――
!」
濁った絶叫が延びて、途切れた。男が死んだのか、それともおれが死んだのか、それさえもわからなくなる。
眠るように意識が閉じていく。
――
けれど、瞼は再び開いた。
横向きに倒れた視界に山肌が映る。おれの身体はどうやら叩き潰されるときに崖の方へと吹き飛ばされていたらしい。黒い巨体が背中を丸めて座り込んでいるのは、さっきまでおれ達のいた場所だった。少し離れたからか、魔物はおれに気付いていない。
多分そう時間は経っていないのだろう。ねぐらに帰る頃にはおれに気付いて襲ってくるかもしれない。身を隠せるような場所のない開けたここに長居することはできなかった。どうにか逃げようと静かに身体を起こす。
「ぅ
……
あ
……
」
微かに呻き声が聞こえた。よく見ると蹲る巨体の向こう、足元に小さな影が蠢いている。
白を通り越して青い皮膚。地面を掴むように這うそれがまだ生きている人間の手だと認識した瞬間、考える前に身体が動いていた。
「あ
――
!」
落ちていた剣を手に駆ける。勢いを乗せて背中に斬りかかると、呻きを上げて巨体が振り向いた。真っ赤に染まった口元、その上にある黄色い目玉がぎょろりと動いて、おれを捉える。
振り下ろされる腕を後ろに避けると、苛立つように魔物はおれを追いかけてきた。途中の木を引きちぎると、今度はそれを振り回してくる。
「こっ、の!」
叩き付ける拳を避け、薙ぎ払う大木を飛び越えて気付けば崖まで追い詰められていた。足で縁を確かめながら魔物の動きを見つめる。もう後ろには下がれない。避けるなら前だ。
腕を振り上げた瞬間、足元に飛び込む。叩き付ける衝撃を感じながら急いで股下を潜って反対側に出ると、転がっている拳大の石が目に入った。魔物は見失った俺を探して地面に顔を近づけている。今なら、当てられる。
咄嗟に石を掴んで構えた。魔物が振り向いて、目玉がおれの姿を映す。その黄色めがけて思い切り石を投げつけた。
怯んだ悲鳴を上げて巨体がよろける。崖の縁まであと一歩のところにいる魔物の脛へ、全ての力を乗せた剣を叩き付けた。ぐらりと大きく体勢を崩した魔物がそのまま崖から落ちていく。
「
……
っ、は」
忘れていた息を吐く。振り向くと遠くにまだ倒れている赤い装束が見えた。動く様子のないそれに近づく。その赤が服の色でないことに気付くのに、そう時間はかからなかった。
「
……
」
俯せに倒れた身体をひっくり返す。遠目にももう脚がないことはわかっていたけれど、前はもっと酷かった。赤い肉の中に腰骨の白が見えている。本来ならその内側にあるべきはずのものはいくらか千切れたように外へと零れて、どす黒いしみが服を染めていた。
割れた仮面の隙間から見える目がおれを認めて限界まで見開かれる。この人はもう持たない。むしろまだ息があることの方が、おれにはよほど恐ろしかった。
せめて早く楽にしてやらないと、と持ったままの剣を喉に突き立てるように構える。柄尻を押さえると、男の唇が微かに動いているのが見えた。何を言うのかと耳を澄ませる。
「ば
……
け、も
……
」
怯えに染まった目が、おれを見ている。そうして男は、引きつった顔のまま動かなくなった。
*
雲一つないよく晴れた空が、遥か遠くにある。崖と木に切り取られたその中に太陽は見当たらなかった。木に阻まれて陽の届かない地面は冷え切っていて、背中から体温を奪っていくのを感じる。
それでも、まだ俺は生きている。
固く冷たい実感と共にぼんやり空を見上げていると、視界に誰かの影が差した。覗き込んでくる俺と同じ色の青が、不安そうに揺れている。その眼差しに今は死んでいる場合ではなかったのだと反省する。
この子を放り出してしまうところだった。随分長いこと誰かを護ることもなかったから、忘れてしまっていたのかもしれない。危なかったと息を吐くと、少年も気が抜けたように溜息を吐くのが聞こえた。
少年に手を伸ばしかけて、頬に触れる前に止める。少し驚いたような顔の少年に構わず身体を起こすと、おそるおそる、といった様子で少年が話しかけてきた。
「動いて、平気なの
……
?」
地面に両手をついて座り込む少年の怯えた様子に無理もない、と思う。崖から落ちた人間がひとりでに戻ってきたり、噛み千切られた腕の肉が元通りに生えるところを目の当たりにしたのだ。実際のところそれがどういう状態だったのか俺にはわからないけれど、きっと
悍
おぞ
ましい光景だっただろう。
「なんともないよ。君は? 怪我はない?」
「ない
……
」
「そっか。
……
よかった」
服に空いた穴を確かめて、ポーチの中から布を出す。服に染みた血の跡を隠すように腕に巻き、口を使って結ぼうとしていると、少年が何も言わずに布の端を取って結んでくれた。
「ありがとう」
少年は俯いたまま小さく首を振る。その目は布の巻かれた俺の腕をじっと見つめている。今は隠れた、傷があったはずの場所を見ているようだった。
「怖かったでしょ。
……
ごめん」
ぱっと顔を上げた少年は驚いたような顔をしている。どうして、と返す声はどこか不思議そうで、何故謝られているかわからないようだった。
背後についている気配は一人減っているもののまだ俺達の様子を伺っている。彼の命を狙うには随分悠長だ。だから多分、あれは待機を命じられた少年の護衛なのだろう。俺の異常を見てなお保護しに来ないのがどういうことなのかはわからないけれど、少なくともその気配に動揺や敵意は感じられなかった。
「危ない目に遭わせたし
……
酷いものも見たでしょ」
彼らに任せて俺は離れた方がいいんじゃないか。
そう考えていた俺の腕を少年が引き留めるように掴んだ。布越しにその手が震えているのを感じる。嫌なことを思い出させたかったわけじゃないのに、どれだけ長く生きても相変わらず俺はこういうことが下手らしい。
彼を驚かせないよう、握り締められた手にそっと手を重ねる。すると少年は何かを堪えるような顔をした後、俯いてしまった。
「酷くなんて
……
」
ぽつりと溢して彼は黙り込む。俺を傷つけないよう言葉を選んでいるのか、少年は動こうとはしなかった。けれどこのままずっとこうしているわけにもいかない。どうしたものかと考えながら少年の手を腕から外す。
「じいちゃんは、どうして旅をしてるの」
全く関係のない質問に面食らった。けれど再びこちらを見上げたその顔に怯えや恐怖は見えなくて、そっと息を吐く。
これ以上俺と一緒にいても無暗に怯えさせるだけじゃないかと思っていた。けれど、彼は思ったよりも真っ直ぐに俺を見つめてくる。
「初代様に、もう一度会うためだよ」
俺のおかしな答えを少年は真剣な眼差しのまま受け止めていた。もう何十年も前に死んだ人にどうやって会うのかと問われたらどうしようかと考えながら、何を望んでいるのかわからない彼の言葉を待つ。
「
……
会えるの?」
「どうだろう、わからない。けど
……
大丈夫だよ」
彼の表情が変わった。曇ったその顔には怒りと悔しさが滲んでいて、そういえば猪に襲われる前にも彼はそんな顔をしていたなと思い出す。
「大丈夫じゃないよ」
呟くようなその声には苛立ちが滲んでいた。どこか悔しそうなそれに、彼が強さを求めるのも、誰かを護りたいのも、力になれないもどかしさを知っているからなのかもしれない、とふと思う。それはいつかの自分を見ているようで、あるいはかつての彼女を見るようでもあった。
「みんなそう言うんだ。全然大丈夫じゃないのに。おれ、そんなのはいやだ。だから
……
」
誰もが等しく無力だった。けれどこの少年は、自分の無力さに抗おうとしている。
そうして何かを決めたように少年は俺を見上げた。
「だから、王太子としてあなたを
招聘
しょうへい
します。おれの家まで来てください」
「家に
……
?」
彼が何を考えているのかはわからない。ただ、その目には強い意志があった。どうしても、何があっても、俺を連れていくという意志だ。
「じいちゃんは、初代様に会いたいんだよね。それなら一緒に来て。お願い」
「
……
わかりました」
それに抗う理由は俺にはない。頷く俺の手を少年が握った。
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