花巻のおでこ

pixiv再掲
モブ視点→花巻視点→モブ視点、です。
松川一静、シンデレラ?ストーリーというより、ちょっとマイフェアレディ的なお話。捏造過多です。



 夜中に急に降ったスコールのような雨は、午前中の部活中にもう止んでいて、今は嘘のような晴れ渡った空が広がっている。
 黒いバンドのお気に入りの腕時計を見ながら、家で着替えが終わって早く着いた俺は、待ち合わせ場所のベンチに座る。さっき寄ったカフェでテイクアウトした期間限定の甘いドリンクを飲んでいた。
 吹く風はもう涼しいから、体を染み渡る飲み物の温かさが心地いい。
 そこは広間で、噴水が風でなびき、子供がかからないように遠ざかって遊んでいたり、販売のワゴンがあちこちに出て並んでいる人もいる。紅葉が進んで緑と赤と黄の織りなす木の色を、のんびり眺めるカップルも数組いた。
 雨上がりの匂いと、売店のお腹の減る匂い。
 ──ふと着信音が鳴る。
「もしもし」
『花巻、ごめん。今もう着いてる?』
「おう、何かあった?」
『あのさ……
 松川の言い分はこうだった。
 部活帰り、着替えて出たら車が側を通り、茶色の水たまりを盛大に走っていったせいで服にかかってしまった。それも派手に浴びたので、車の人も慌てて降りてきてしきりに謝り、クリーニング代を出してくれて、服の代わりも買ってきます、と言ってくれている。
 なので今は、その人の車の中で、服の着替えをするところなのだが。
「お前、サイズ大丈夫かよ」
『うーんどうだろ……無いかもしんないよなぁ』
「今どこら辺の道路?」
 松川が現在地を、周りの建物の特徴を交えて教えてくれる。俺がキョロキョロと辺りを見て、その場所が意外と近いことがわかった。
「俺も行くよ、その人もサイズ探すの困るだろ」
『うん、女の人だし、わかんないと思う』
 はあ⁈ 女の人⁈
 俺は焦った。スマホを切って握りしめ、パタパタと早足で松川に言われた場所へ向かう。
 俺は、真っ黒なポルシェが脇に止められていて、背筋がぴっと伸びる。
 そこからひょこと、今日はメガネの松川が顔を出して、手を振っていた。いつもコンタクトだから、メガネでいるのは珍しい。
 ちくしょう、何でか色々と似合うのはどうしてだよ。しかも女の人というのは、
「ごめんなさいね、ほんとに。私がちゃんと見ていなかったから……
 れっきとした淑女であり、おばあさんだった。
 どうして今、胸を撫で下ろしたんだ、花巻貴大。
 ──とてもすまなそうに松川に何度も謝るその人を見て、俺は服を代わりに買いに行ける旨を伝えてお金を受け取り(かなり高額で手に汗をかきまくった)、近くのファストファッションの店に駆け込んだ。メンズの品数もサイズも豊富で助かる。本当は松川がいて、合わせて決めてやりたいけど、今は自分のサイズ感と鏡で確認するしかない。
 レジを済ませた俺は、おつりをポケットに突っ込んで、小走りで店を出た。
「松川、これ」
「車の中、着替えに使ってちょうだい」
「すみません」
 松川は俺からショップの袋を受け取り、泥のついた全身の服を着たまま、もう一度車の中に引っ込んだ。
「それにしても、お二人とも背が高いのね」
「はい、バレー部なので」
「そうなの、あら、じゃあ青葉城西高校?」
「そうです、よくご存知ですね」
 泥を引っ掛けてしまった松川とよりは、いくらか俺との方が会話しやすかっただろう。おつりを渡した後、おばあさんの表情も柔らかくなる。
 しばらく談笑していたら、目の前のポルシェの後部座席のドアが開いた。
 俺が買ったシャツとスキニーのパンツは、予想通り松川にぴったり。それに偶然なのか、松川の着てきたジャケットにも合う。
 俺の目論見は、また一つカチッとハマった。ゲームを達成した気分。松川もびっくりしている。
 ……まあ誤算は、パンツの丈が少しだけ足りなくてくるぶしが出たことだ。
「嫌味だ」
「ごめんね足が長くて」
 くだらないかけあいにクスクス笑うおばあさんにお礼を言うけど、むしろこちらが、とまた謝られて、俺たちは頭を掻いた。クリーニング代をまたもや多めに受け取ってしまい、彼女は今度は慎重に走り去る。
「良かった、お前の服を選ぶ機会はないかなと思ってたから、ラッキー」
「ん、やっぱり花巻すごいね、センス」
「だろ?」
 へへ、と俺が目を細めて笑うのを、松川も笑って見ていた。
「花巻、嬉しい?」
 ……嬉しい、嬉しい?
 松川が、かっこよくなって?俺の目論見が成功して? そして松川が、嬉しそうで?
「ん……嬉しい、かな」
「そう」
 また頭がくすぐったく撫でられた。

 日曜の昼下がり、腹も減る。水族館の売店でハンバーガーのセットを買って、フードコートで食べた。親指につくソースをぺろっと取りながら、松川も同じことをしていて笑った。
「こっちもついてる」
 アヒル口の端につけてるのも指摘したら、取って、という意味なのか顔を近づけてきた。
 指が震える。爪でちょっと引っ掻くようにして取ってやったら、舌が伸びてそれを持っていかれた。
 俺の人差し指の爪に当たる、湿ったぬくさ。心臓が跳ねるくらい驚いて、俺は爪がぴくんと動いた。その拍子にメガネの淵が手に当たって動いて、俺はズレてしまった松川のメガネを直してやる。「ありがと」って囁く声はどうしてか甘い。そんなの、友達の俺に無駄にひけらかすことないのに。
 彼女に、そういうのやれよ。喉元まで出かかったうめきを、寸でのところで止める。
 こいつに彼女なんていないのに、何言ってんだ俺。という気持ちと、こいつに彼女が今いたら? という気持ち。
 食べ終わったから黒い固い床を歩いて、深海魚のコーナーに来た。そこまで広いフロアではないそこは、不思議な面構えの魚でいっぱいで、小学生くらいの男子がからかいながら早足で次々と魚を冷やかす。
「深海魚って、確かに変わってるもんな」
 水槽に近寄ると、彼らがゆっくりゆっくり泳ぐそこは気持ち良さそうで、ガラスに指を伸ばした。
「目があんまり発達してないんだろうね、こういう魚の類は」
 松川もメガネ越しに覗き込んだら、二匹いた内の一匹の魚がふい、とそっぽを向いてしまった。おかしくて笑うと、松川は面白くないみたいで肩をすくめる。
「目よりもさ、感覚が発達してるから、餌とかちゃんと見つけられるんだって」
「へえ、お前みたい」
「うそ、顔?」
「違ぇよ、目がさ、あんま良くないのに感覚すげぇだろ」
 こいつは先読みが優れている。バレーも、勉強も、日常生活で何気なく喋ることも。きっと頭が良いからだ、と最初は思っていたけど、俺はそれ以上に、松川は意外とセンスと才能でそつなく何でも器用にやれるところがすごいと思ってる。
 照れ臭いけどそんな風に褒めてみたら、赤くなってさっきの魚みたいに今度は松川がそっぽ向いた。
……俺、そんなに花巻に見られてんの?」
 窺うような目線には、暗い館内の非常灯と水槽への淡い光だけが宿る。深海魚が、こぽっと音を立てて奥へ入り込んでいった。
「見てるよ」
 俺は、深くて闇のような置物の中でじっと息を潜める魚が、当分出てこなさそうなのを確かめると、次の水槽に移ろうと歩みを進めた。
 松川が、俺の手を掴む。
……あ」
 どちらからともなく漏れた半端な母音。手というよりも、俺の指先をまとめて握り込んだような松川の掴み方は、弱々しくて潰さないように配慮していた力加減で。
 だから、そういうのは、彼女に。
「そ、りゃ、見てるだろ。お前の服とか、髪型とか、目ぇ離したらまた戻りそうだしっ」
 絡みそうになっていた手は、俺の方からぱっと離した。
……そう、だね」
 掴んだままの形で保たれていた松川の手は、ふらりとあいつの体の方へ戻った。少し、残念そうに見えたのは、きっと俺の目の錯覚だ。俺が、そう思おうとしてるだけ。
 展示は最後に、階段を上がって一階にある、巨大な水槽に差し掛かった。悠々と泳ぐエイや、群れで泳いで隊列を乱さない銀色の魚たち。
 俺たちでも見上げるほどの巨大な水槽は、青い光とゆるやかな水の流れがきらめいて反射させて、二人の足元をゆらゆら揺らした。