しくるの納戸
2024-10-05 22:44:48
45524文字
Public 影日
 

桜のしたに埋めてきた

影日/三年になった影←日の日が恋慕を殺す話。


終幕

 二〇二一年八月某日、都内某所、夜八時半。
 影山は数寄屋造りの屋敷、その大きな門の前で歩みを止める。掛けられた藍色ののれんに筆で書かれた店名と、手の中の液晶に映し出された招待メールの文面を見比べて、ここが慰労会の会場で間違いことをもう一度確認すると、揺れる布の下をくぐり石畳の道を踏んだ。
 ヒノキの格子戸をガラリと引けば、浅葱色の着物を纏う女将に出迎えられる。
「あの、男子バレーの、」
「影山様で御座いますね。ご案内します」
……っス」
 三つ指をついてのお辞儀からすっくと立ちあがった彼女の後についていけば、店の奥の奥にある大きな襖の前に案内された。内から昼光色の灯りと賑やかな声が漏れている。一層高らかに上がった笑い声は、紛うことなく木兎のものだ。木兎が居るということは、つまり影山が最後ということである。
「失礼致します、お連れ様がいらっしゃいました」
 影山の傍で屈んだ彼女は、影山が手を伸ばすより先に襖を引き開けた。障子と障子の隙間から、大広間の全体が露になっていく。部屋は横並びの三つの間を、襖を取り払う形で繋げたつくりだった。敷居のみで区切られたそれぞれの部屋の中央には、白い布で覆われた長座卓が鎮座している。どうやら全て掘りゴタツのようで、正座の苦手な影山は密かに安堵した。
 つい先日まで共に戦ってきた天照ジャパンの仲間たちもほぼ揃っており、いくつもの視線が自分を囲う中、影山は小さく頭を下げる。
「すいません、迷いました」
 それに応えて、いくつもの歓声が影山を包んだ。影山の到着をねぎらうものから、遅れようがキッチリ割り勘だからな、と揶揄交じりに言い放つものまで。「だいじょーぶ、俺も来たの十分前!」ストローの刺さったジョッキを掲げたのは木兎だ。すぐさま夜久のチョップが木兎の脳天を襲う。「お前は少しぐらい反省の色を見せろ」
 二人のやり取りの傍らで「間に合ってよかったよ」と影山の肩を抱いたのが黒尾だった。ドリンクメニューを差し出した彼の頬は赤く、息は微かに麦とアルコールの匂いがした。
「ごめんね、駅名にフリガナしなくって」
 読めないよね御徒町。半笑いの謝罪に、影山はグゥと唇を噛み締める。
 おかちまち。アレ、おかちまちって読むのか。
 オトマチと読み間違えたまま道を訊いたせいで、大手町駅へと案内された記憶が影山の頭を巡った。
「ま、こっちはお先にやってたから気にしないで。何飲む? とりあえずビール派?」
「ウーロン茶で」
「あらノンアル派」
 はいよ、と最後に影山の背を軽く叩いて、黒尾は控えていた女将に烏龍茶と他の飲み物も注文していく。テキパキと働く姿はもはや見慣れた光景だ。高校時代もああして忙しなく動き回ってチームメイト──特にあの猫背なセッターの世話を焼いていた記憶がある。
 変わりない姿に背を向けて、影山は小森に手招きされるまま、真ん中の座卓へ向かう。腰を掛けるや否や目の前に置かれた大きな器、その上に山盛りで残されたひつまぶしに目を輝かせた。食べていいのか、と小森に瞳だけで問いかけると、彼は苦笑いで頷いて割り箸を手渡した。
「むしろ食えるだけ食ってって。流石に酒入れてからこの量はキッツイわ……
「いただきます!」
 ならば遠慮なく。影山は手を合わせ、さっそく目の前の器に箸をくぐらせた。ご飯はほとんど冷めていたが、迷子の間ずっと煮詰められていた空腹のスパイスの前には、何の支障もない。一口目で「うまい」と告げたきり無言で掻き込んでいく様子を、小森は微笑みとともに眺めつつ、端によけられていた枝豆の器と、影山分の小皿料理たちをそっと添える。いつの間にウーロン茶も届けられていた。隣の座卓から、角名が追加のひつまぶしを運んでくる。
「あれ、そっち木兎いたのに残ってたんだ?」
 影山を挟んで投げられた小森の問いかけに、角名は肩を竦めた。
「木兎は結構食ってたんやけど、日向と白馬が早々に離脱したのがなぁ」
 影山は、唐突に聞こえた名前にようやく手を止めた。顔だけを角名へ向けて尋ねる。
「アイツ帰ったんですか」
 確かに、普段なら影山が登場すれば真っ先に騒ぎ出すうるさい声が聞こえてこなかった。便所に出ているのかと勝手に思っていたのだが。
 影山の問いに、角名はふるふると首を振った。
「ん? ああ、いや寝てるだけ」
 ほら、あっち。そう言って指さしたのは、襖から向かって左の座卓だ。酔っ払いたちがここ中央の座卓と、角名がさっきまでいた右側に集まっているせいで閑散としたその卓には宮侑の、彼にしてはおとなしく肘をつきながら鍋をつつく姿が小森越しに見えた。しかし、それだけだ。
……いませんけど」
「おっと、たぶん俺が邪魔だわ」
 小森はそう頷いて席を立つ。それで、ようやくあの小さな男が見つかった。
 ──宮侑の、膝の上にである。
 それと同時に、宮侑もこちらを見た。目が合うと彼は露骨に顔を引き攣らせて首を横に振っている。小刻みに何度も、そのうち頭がポロッと取れてしまいそうに激しく。それから唇だけで何かを繰り返し訴えているようだったが、距離があるせいで影山には届かなかった。影山は立ち上がると、食べかけのひつまぶしとウーロン茶のジョッキを手に大股で歩み寄る。
 近くまで行くと、二人の姿勢がよく見えた。奥の壁に寄りかかる宮侑の膝には、日向の頭がテーブルを向く形で乗せられて、左肩が穏やかに上下している。日向の足は侑と違って掘りごたつには垂らされず、両方畳の上へと投げ出されていた。くるぶしの下に彼がもともと使っていたらしい座布団が、淵ギリギリで引っかかっている。飛ぶための筋肉がぎっしり詰まったふくらはぎは珍しく赤らんでいる。この赤みには見覚えがあった。『覚え』といえるほど過去の記憶ですらない。つい数秒前に小森や角名、黒尾の頬に見たものと同じ。つまりは。
 そこまで観察して、影山は再び侑へと視線を戻す。 
「宮さん、」
「誤解や」
「何がですか」
 影山は眉をひそめた。こちらはただ挨拶をしに来ただけなのに、拒むように返された言葉の意味が理解できなかったからだ。しかし侑の方はその表情をどう解釈したのか、箸を置いて自由になった手のひらを影山にかざす。まるで影山を宥めるような仕草だが、宥めが必要そうな動揺を晒しているのは侑の方である。
「違う」
「だから俺何も言ってないっすけど……それよりそいつ、酔ってんすか」
 膝の上のみかん色を指させば、侑はビクリと肩を跳ねさせる。あー、その、と歯切れの悪い言葉を咥内で転がしたのち、すぅと大きく息を吸い込み、口を開く。
「翔陽くん普段この時間だとすでにおやすみタイムらしくてな、しかもウーロン茶とウーロンハイを間違えたせいで余計オネムになって舟漕いでるうちにイイカンジに俺の膝に収まっちゃったってだけでだから別に飛雄くんの心配するようなことはなぁんにもあらへんよ」
…………そうですか」
 とんでもない早口だった。
 それをぴくりとも表情を変えないまま聞いていた影山は。挨拶と同じ平然さでもって返した。
「邪魔ですよね、叩き起こしていいっスよ」
「──────────。」
 絶句。
 侑は口と目をぽかりと開いて、十人中九人が見れば「絶句」或いは「呆然」としか言い表せない顔になる。しかし十人中の残り一人である影山は間抜けな顔しているな、とだけ感じ、それから、もしかしてよく聞こえなかったのかと思い直した。
「今のは、叩き起こしていいですって言いました」
「いや耳クソ詰まってたんとちゃうわ」
 即答した侑が続けて、こちとら伊達にボケ集団に揉まれてへんぞ、とボヤくのが影山の耳にも届いたが、彼の言語野ではそのボヤきの内容をうまく処理できず、そのまま反対側の耳へと流すことにした。唯一咀嚼できたのは、どうやら聞き取れなかったわけでは無いらしいということだけだ。
「じゃあ何でそんな変な顔してるんですか」
「このハンサムな顔面捕まえて変な顔なんて、流石『AN・NAN』抱かれたい日本代表アスリートランキング第一位は違いますわ腹立つ~いやそんなんどうでも良くて……飛雄くん、もっと他に感想無いん?」
「他……? 酔って先輩に迷惑かけておいてよくこんな寝れんなとは、思いますけど」
 例えば日向の頭が乗せられているのが侑の膝でなく肩であったら、影山は有無を言わさず日向を引っ叩いて起こしていただろう。セッターの肩に何をしてるんだと。確かに高校時代、部活終わりになると度々日向が電池切れを起こして菅原や澤村に背負わせていたこともあったが、その頃からは比較できないほど成長した体には重みが増えているのだから、人の体に寄りかからせたら負担だってあの頃とは比にならない。
 それくらいですね、と影山は返す。そろそろ手に持った器とジョッキが煩わしくなってきた。
 はは、と表情に似合わない笑い声が彼の口から漏れた。冷房の効いた宴会場、侑の引き攣った頬には酒の赤みが一切無いにも関わらず、こめかみから頬へと汗が伝う。
……エッグいわぁ」
「えっぐ、?」
「卵とちゃうよ……まあ、ええわ」
 可哀相やけど、こういうのは当人以外関わらんのが吉やろ。侑は肩を竦めると、影山には理解できない呟きを漏らして表情を戻した。それから侑は、向かい側を指先で示して影山に座るよう催促する。影山が会釈とともに従おうとした時、侑の膝の上の物体がもぞりと身じろいだ。
 影山の動きが止まり、二人は同時にみかん色へと視線を向ける。
 二人分の視線を注がれる中、目を瞑ったままの日向は呑気に頬を緩ませた。
 呑気、どころか。
 これ以上の幸福は無いとでもいうほどに蕾から花を綻ばせるように、ふへへ、と口許を緩ませて。
    
――かげやま」
    
 それはあまくて、しあわせで、かなしい響き。
 侑から、息を飲む音が聞こえた。
…………ドラマやん」
 ドラマというものに対する具体的なイメージを影山は己の脳内に保持していなかったが(強いて言うなら姉が一時期熱中していた気がする)、日向の寝言が侑の心情をひどく揺さぶったらしいことは理解できた。侑はそれから、丁寧にセットしたのであろう金髪を自らぐしゃりとかき混ぜて、わざとらしい咳ばらいをひとつ。
「飛雄くんさ、やっぱうちのスパイカー預かっといてくれへん? 俺ずっと便所行きたかってん」
「さっきから起こしていいって言ってます」
……いやいや、こんな気持ち良さそうに寝とったら起こすのも忍びないわ」
 な、だから頼むわ。ここの飯ぜぇんぶ好きに食べてええから。
 侑が右手を真っ直ぐ立てて念押しすれば、影山は断れない。飯につられたのも否定できない。「わかりました」と渋々了承し、日向の頭をそっと両手で包んで脚を抜いた侑から、頭蓋骨ひとつ分の重みを受け継ぐ。先ほどまで侑が座っていた座布団はまだ熱を持っていて、更に太ももに乗せられた頭部も子供のような体温を帯びていた。頭が影山の膝に移された瞬間、左頬に触れる感触が変わったせいかむずがるような声が日向の口から漏れたが、これはすぐに元の穏やかな寝息へと戻った。
 それを見守って、侑は立ち上がる。
「そうそう、翔陽くん起きたら伝えといて。『ヤケ酒ならいつでも呼びや』って」
「はあ……いいっすけど」
 困惑交じりに影山が返すと、侑はふっふと笑って影山のつむじを人差し指でついた。
「っうわ、」
「どうせ意味わかってへんやろ」
 ま、しゃーないな。言い残して侑は持ち場を離れていく。その背にすかさず木兎が駆け寄った。
「ツムツムションベン? 俺もー!」
「なんっでお前と連れションせなあかんねん!」
 軽快なやりとりを交わしながら二人が去れば、端っこの座卓には影山と日向だけが取り残される。日向は見ての通り影山の膝の上で沈黙を保っているため、辺りはとても静かであった。反対側の座卓の、尾白と星海を中心とした賑わいが、得点ボードを挟んだ向こう側のコートのように遠い。
 なんだか、部活後の帰り道を思い出すような。どこか心地よさすら感じながら、影山は再び箸を取った。



 侑は結局、こちらのテーブルには戻ってこなかった。部屋に入ったときに一度だけ影山に片目を瞑った目配せをしてきたが、その意味するところは影山には分からない。
「お開きはしちゃったけどさ」
 穴子の天ぷらを頬張っていた影山の隣に、黒尾がそっとしゃがみ込んだ。小声なのは、尚も膝の上の日向に配慮したからであろう。三人以外は、各々膨れた腹をさすりながら着々と部屋を後にしている。
「すぐ追い出されるわけでもないから、もうちょっとゆっくりしてきな」
 まだ食べ足りてないでしょ。微笑み交じりの視線は、影山の前に並べられた皿たちに向けられている。
 あの後、ぽつぽつと影山の席に来た(佐久早以外の)皆が、それぞれ手土産だと言い張りながら食事の残った皿を置いていったのだ。手土産。なんとも聞こえのいい言葉だが、実際は残飯の押し付けである。ただ、影山本人は遅れて来たにも関わらずコースの料理すべてにありつけて喜んでいるので、正確には利害の一致というべきだろう。
 黒尾の言う通りまだ満腹には程遠かった影山は、素直に好意を受け取って小さく頭を下げた。
「あざっす」
「ん、じゃあ後で。帰るときチビちゃん起こすの忘れないでね」
 襖が閉まる。
 影山がそれから天ぷらの盛り合わせを平らげ、お造りと、三人分のゴマ豆腐と、二皿目のひつまぶしを空にしても、日向はそのままであった。
 静寂。女将が退出の催促をしに来るまで、後どれくらい猶予があるだろうか。
 影山はひとつ、息を吐いた。
……おい、ボゲ」
 一定の呼吸を繰り返す日向から、返事はない。
 影山は少しの沈黙ののち、日向の席に残ったゴマ豆腐を手元に寄せ、差しっぱなしのスプーンで自らの口に運んだ。充分に咀嚼して、再び口を開く。
「寝てるフリ続けたいんなら、それでいいから聞いてろ」
 机の下にだらりと伸びた日向の小指の先が、僅かに身じろいだ。
 それを一瞥もせず、影山は続ける。
「お前、俺のこと好きなのか」
…………
 日向は返事をしない。
 それでも影山は話し続けた。
「卒業式の日。俺がお前の妹にチョコのお返しやったら、微妙な反応したよな。隠すみたいな……アレだ、丁度旭さんに憧れてるの隠してた時みたいな反応。反応っつうか、空気が。スズメ埋めたって言った時もその空気してたから、ああ何か嘘ついてんなって、分かった」
 女将はまだ、部屋にはこない。
 日向も相変わらず、何の反応もしない。
 ただ、身体が少し、こわばっていた。
 一人以外も誰も気付けないくらいに、こわばっていた。
「案の定、墓掘り返してみたら俺のやった菓子が埋まってて。だから嘘ついてんのは、妹がくれたことじゃないのかと思った。お前、妹のこと気持ち悪ぃぐらい可愛がってたし、本当にアレが妹からのなら、俺からのもちゃんと渡すだろ。そもそもお前は誰かの物を粗末にしねぇ……それなら、俺があげたあの菓子は、お前の物に成り損なったやつじゃないのか。あのチョコはお前のか」
 影山は長い長い言葉を締めくくると、肺の底を入れ替えるように深く息をついた。それから、横目で日向を窺う。下を向いたままの睫毛は震えていた。影山の話を聞いているのは明らかである。それなのにまだ現状維持を保とうとしている日向が一体に何に怯えているのか、影山には終ぞ理解出来なかった。
「お前がちょくちょく変になってたのは気付いてた。でも、その時に何か訊いてもお前は絶対言わないだろうし、例え言われてたとしても、俺もどうしていいか分からなかったと思う。大体、そうかもしれないって思ったのもついさっきだ」
 そう。
 先程になってやっと影山は気づいたのだ。先程までは何も知らなかったのだ。
 時折見せる表情の意味、視線の奥に揺らいでいた熱の正体。桜の下の小さな墓に、渡したばかりのクッキーとともに埋められていたモノ。それらひとつひとつが影山に、消化できない魚の骨のような小さな引っ掛かりを残していたけれど。
 それがようやく、影山の名前を呼んだあの声で、すべて繋がった。
 残念ながら確信までは、至れないけれど。
 けれどそれも仕方ないのだ。影山は結局、日向のそれを理解する鍵となる、一番肝心なモノを持てなかったから。
「俺は結局、お前がバレー以外で何したいのか全く知らねぇから、これ以上は言えない」
……
「けど、」
 影山は、日向が変わらず目を閉じていることを確認すると、スプーンから右手を離した。空の器に乾いた音が、断罪のように響く。自由になった手を日向の頭へ添えて、影山は長い体を折り曲げた。高校三年間見下ろし、時には見上げ続けた鮮やかなつむじへ顔を寄せれば、影山の膝に横たえた身体はいとも容易く温度を上げる。
 こんなにあからさまでよく、隠しきれたつもりになったものだ。
 こんなにあからさまなのに、未だに暴ききれないことがもどかしい。

「けど、お前がもし今すぐ寝たフリやめて、本当に俺のこと好きだっつうんなら、」
 
 卒業式以来短く切り揃えられるようになった髪を、長い指先がさらい、赤らむ耳を露わにした。
 影山はその小さな穴に、言葉を吹き込む。
 他の誰にも聞かせないように。ただ一人だけが受け取れるように。
 
「俺のこと、好きにしていい」
 
 一瞬だった。
 影山の膝から重みが消えて代わりに肩へ、指先の食い込む痛みが襲う。それに顔を顰める暇もなく反対側の肩にも日向の腕が、だらりと伸びていた筈の腕が掛かって壁に押しつけられた。
 なんとか後頭部を打ち付けることだけは避けた影山が見下ろす先に、鮮やかなオレンジが居る。
 開ききった瞳孔を囲う、プロミネンスの眼光。
……本気で言ってる?」
 影山を壁に押し付けた日向が、至近距離にて影山を灼かんとばかりに睨みつけていた。
 かつての学ランの襟口では無いトレーナーから伸びる首は、宮城で再会した時よりも更に太く逞しく育っている。そこを震わせて出される声も、あの頃のように純朴な少年のものではなく。
 情欲を隠す気もない、大人の雄のそれだ。
 それを、影山はひどく心地良いと思った。
 当時の日向の見込通り、影山には恋というものが分からないけれど。
 日向へと向ける感情に、「恋」というラベルを貼ることは出来ないけれど。
 ――影山は、日向に求められることが好きだった。
 たくさんのトス。
 あるいは止まるトス。
 あるいは速く高いトス。
 あるいは日頃のささやかな勝負。
 あるいは日常の何でもない会話。
 あるいはネットのこちら側にて請われる勝利。
 あるいはネットのあちら側から乞われる永遠。
 あるいはその他諸々を、飢えた瞳でねだられることが好きだった。
 その渇望が何であれ、この瞳から求められるならば何でも欲しかったし、また、日向がそれをぶつける相手は、出来る限り自分が良かった。
 今、日向の中でぐちゃぐちゃに渦巻いている欲すらも、影山は欲しい。
 他の誰でもない、自分に寄越せ。
 全力で応えてやるから。
 なんでもさせろ。
 俺に。
……冗談でこんなこと言うか」
 頷き告げれば、日向の目が大きく見開かれる。
 仄暗くギラつく瞳に、影山の眼球が映り込んでいた。
 太陽を膨れ上がる熱ごと呑み込もうとする、宇宙の暗がりの視線。
 吸い込まれるように、日向がさらに額を寄せた。
 ふたつの瞳の表面に、衛星みたく浮かばせた水気を揺らして、日向は見つめる。
「好きだ影山」
……
「ずっと、ころして、死んだ筈なのに結局ずっと、お前が好きで、」
 日向の瞳孔の奥で、桜の死骸が舞っていた。
 けれど降り積もるそこに、墓標の立てられた丘は無い。
 代わりに大きな穴がある。
 隣にアイスのあたり棒が、役目を失って転がっていた。
 土の掘り返された形跡と、食い散らかされたクッキー。
 やがてその大きな穴から、ずるり、と這い出たそれは。
 とうとう成仏し損ねた。
 掘り炬燵から脚を抜き、影山の腰を跨ぐ、日向のかたちの。
「影山、」
 僅かに震えた手のひらが、影山の両頬に添えられる。
 続く言葉を催促するように、影山の手が、日向の後頭部をくしゃりと撫でた。
 ふへへ、吐息に笑い声が混ざり、薄い唇をくすぐる。
 それは、あまくて、しあわせで、かなしい響き。
 青い春のにおいを纏って、日向は乞うた。
 かげやま。
 おれに。
 
「ぜんぶくれ」
――――上等」






最終話:傲慢と青春とゾンビ