しくるの納戸
2024-10-05 22:44:48
45524文字
Public 影日
 

桜のしたに埋めてきた

影日/三年になった影←日の日が恋慕を殺す話。


金木犀を灰にして

 
 帰り支度を終えた日向が部室の扉を開けると、色なき風が甘い香りとともに吹き込んだ。巻いたばかりのマフラーから顔を出し、日向は鼻をひくつかせる。
「秋の匂い!」
「キンモクセイの匂い嗅ぐと、秋が来たって感じがするよね」
 先を歩く山口も頷いた。
 続いて階段に足を掛けながら、日向が首をひねる。
「これキンモクセイ?」
「それ、毎年聞かれる」
「名前と匂いが結びつかねー、いっつも忘れるんだよな」
「分かるけどさあ」
 錆びた外階段を降りる二人分の足音と笑い声が、夜空に響く。
 日向の後ろでは、最後に着替え終えた月島が部室に施錠をしたところだ。
「三年も同じやりとりしておいて?」
 木の名前ひとつすら覚えらんないのに、ポル語とか大丈夫なワケ?
 背後からクリティカルな一撃を放たれて、日向はグウと心臓を押さえた。
「ブラジル行く頃には、覚えたこと全部忘れてたりして」
 山口が月島に追従してからかう。
 それに対し、日向は胸を張って鞄を叩いた。
「忘れないように、毎日勉強中です!」
 一年生の同時期より重みの増したそれには、二色のボールの他に、ポルトガル語の教科書やスポーツ栄養学の本などが詰め込まれている。そのどれもに日向の日々の努力が刻まれており、特に、谷地に手伝ってもらいながら作った単語帳は、いつ破けてもおかしくない程の使い込みようだった。
「そうだね」
 山口は噛み締めるように同調して、ささやかな笑い声を空気に溶かす。
 月島から出たのは笑いを含んだため息だけれども、本気で揶揄したり、呆れている訳では無い、ということは日向にも分かっていた。
「そういう所は見習うべきだよね、王様も」
「影山ぁ?」
 不意打ちで飛び出した名前に、日向の心臓が跳ねる。
 影山に対して日々産み出されている感情は、まだ日向だけのものだった。
 影山本人にはもとより、バレー部の誰にも伝えていない。そして、日向の中から漏れ出さないうちに殺している。初めの頃は痛みによる動揺を伴っていたそれも、最近は何食わぬ顔でこなせるようになった。と、思う。
 ――だから、平気だ。
 動揺を覆い隠すように、日向はわざとらしく唇を尖らせた。
「まあアイツはVリーグ一直線ですからね! っつか、その影山は?」
 残り二段の段差から、手すりを乗り出して日向が辺りを見回す。
 遠くできらめく星々の下に、その姿はない。ただ道の脇に整列した木々が、甘い匂いを放つだけだ。
 日向の見た影山の最後の姿といえば、体育館の片付けを終えた後、日向が後輩に呼び止められている間に体育館から出て行った背中か。
「影山なら、ヨシセンに呼ばれて職員室」
 日向の問いに、山口が答える。
「ああ、ヨシセンか!」
 日向は納得の声を上げた。
 ヨシセンこと吉川先生は、影山のクラスの担任だった。
 進路指導届の提出が今日までだったことを思い出して、日向はアイツのことだし紙を出し忘れたのだろう、とこっそり笑う。
 鉄階段を降りて、橙の花がひしめく地面に足を踏み出した。
 山口に並び校門の方へと身体を向けた時、今しがた日向たちが降りてきた階段の下から、ひょっこりと小さな姿が飛び出した。
「「谷地さん!?」」
 日向と山口の声が重なる。
 谷地は彼らの呼び声に勢いよく振り向いて、満面の笑みで迎えた。
「三人とも!」
「どうしたの、こんな時間まで」
 後輩たちは、マネージャーを含めて全員先に帰らせている。
 てっきり谷地も、彼らと一緒に帰ったものだと思っていたが。
 首を傾げる山口の隣で、日向は谷地の肩に掛けられた、彼女の身長に見合わないスポーツバッグに目を留めた。
……影山の」
 日向の呟きを拾って、谷地はコクコクと小刻みに首肯を繰り返す。
「影山くん、体育館脇に鞄を置いてたみたい」
 流石に、誰も見てないところに置き去りは良くないかと思いまして。
 鞄と、教室棟の入り口を交互に見遣りながら、谷地は困ったように眉を下げる。
「戻ってくるまで、ここで私が命に替えてもお護りするつもりだったんだけど」
「いや、鞄より命大事にしてね」
「どうせ中身スッカスカなんだから捨てとけば」
 谷地の発言に、山口が慌てる。月島が鼻で笑って、流石だと二人は苦笑した。
 そのやり取りを静かに眺めていた日向は、おもむろに口を開く。
「俺が持ってるよ」
 その言葉は、場違いに剣呑な響きを持って、四人の空間に落ちた。
 山口と谷地の顔から笑みが引き、ぽかりと口を開け放ちながら日向を見つめる。月島の瞳は冷ややかにすくめられた。しかし、それら全ての反応に気が付くことなく、日向はただ、谷地の肩で重たげに揺れるスポーツバッグへと視線を注いでいる。
「夜遅いし、谷地さんそろそろ帰んなきゃでしょ?」
 山越えるヤツが何言ってんの……とは、月島の遠い呟き。
 谷地は、困惑に彩られた瞳で幾度かの瞬きをした。しかし、やがてその目尻を柔らかく弛めて、肩からスポーツバッグを外す。
「じゃあ、お願いしちゃおっかな」
 日向の両手に鞄の肩紐を乗せて谷地が手を離すと、ずしりと重みが乗っかった。影山は滅多に教科書を持ち帰らないから、この重みは着替えと水筒と弁当箱、それからトレーニング用具で出来ているのだと知っている。それを手のひらで感じ取って、日向はふ、と力を抜いた。
 力を抜いて初めて、身体をこわばらせていたことを自覚する。
……あれ、」
 俺、今、何を考えて。
 はっと目線を上げると、谷地の笑顔があった。
 日向へ向けられた、純粋無垢な笑顔があった。
 ヒュ、日向の喉が締まる。
「っ、谷地さん」
「日向?」
「谷地さんごめん、ありがとう」
「えっと、お礼を言うのは私の方だよね?」
…………ううん、俺の方」
 日向が力なく首を横に振ると、そっか、と困惑まじりの返事が戻る。
 生まれたぎこちない沈黙。
 だがそれは、すぐに山口の悲鳴によって打破された。
「っうおぁ!」
 同時にドスン、と土埃を立てる鈍い音。
 山口が、自分のスクールバッグを下敷きにして、盛大に地面で転げていた。
「山口!」
「ひぇっ、山口くん!?」
 これには日向も谷地も、先ほどまでの空気を投げ捨てて山口に駆け寄る。仰向けになって投げ出された腕を片方ずつ掴み、倒れていた身体を起き上がらせた。
 傍に立つ月島は、そこから一歩も動かず呆れた顔で、二人に手を借りる山口を見下ろしている。
「何やってんの」
「枝に足を取られました……!」
 地面に擦れた膝裏と、鞄から砂を払いながら山口は答える。
 淀みなく立ち上がれたことから特に足を捻ったわけでも無さそうで、日向は胸を撫で下ろした。何故なら明日はジャンフロ攻略の為に、山口にはめいっぱいレシーブ連に付き合ってもらう約束だからだ。それでなくとも最後の春高まで時間もなく、ここで山口に怪我をされる訳にはいかない。
 きっと、似たようなことを谷地も考えたのだろう。
「怪我は無い!?」
「それはない、大丈夫!」
 尚も心配そうに瞳を揺らす谷地に、山口は親指を立てて頷いた。
 月島は、そんな山口の足元から一本の小枝を拾い上げる。
……枝ってコレ?」
 ちょうど月島の手のひらぐらいの長さをした、金木犀の枝。
 今は電灯に照らされて花も葉も、はっきりと日向たちの目に入ってくるが。確かに、少しでも明かりから外れてしまうと、あっという間に闇と見分けがつかない。気がつけば、そんな時間だった。
「今日風強かったもんね。他にも落ちてるかも」
「丁度花で埋もれて、見えなくってさ」
「足元でワサワサ煩い……日向みたい」
「最後の必要ありました??」
「あはは、色も似てるもんねツッキー」
 月島はため息をつく。
「また転ぶ前に帰るよ山口」
「はーい。谷地さんも帰ろ」
「あ、うん、そうだね!」
 歩き出した月島に頷きながらも、谷地は様子を伺うように日向を見遣った。
……えっと、また明日!」
 日向はそれに、今度こそ満面の笑みを返し、思い切り手を振る。
「また明日な谷地さん、山口、月島ぁ!」
 
 
 
 
 影山が体育館前に姿を現したのは、それから二十分後のことだった。
「あ? なんでお前いんだ?」
 扉を背にしゃがみこみ、オーバーハンドトスの練習を繰り返す日向を見て、影山は怪訝そうに顔を歪める。
 日向は真上に放ったボールを両手で受け止め、隣のスポーツバッグをぽすりと叩いた。
「荷物番。谷地さんから引き継いだ」
「別に放っておいても、」
「甘いですよ影山クン。ブラジルだったら秒で盗まれるからな!」
 影山の口が尖る。
……ここは日本だ」
「ハイいいわけ」
 スポーツバッグを拾い上げるのを見届けて、日向も立ち上がった。ショルダーバッグにボールの膨らみが戻る。段差を降りて、駐輪場から引っ張ってきた自転車のカゴにバッグを詰めると日向はスタンドを蹴り、影山に笑いかけた。
 影山はいまだ、憮然とした顔をしている。
「帰ろーぜ」
 まだサドルには乗らない。
 分かれ道まで急ぐには、勿体ないから。
 腕で押していく自転車のフロントライトは、電灯だけでは心許ない帰り道を眩く照らした。淡いオレンジのカーペットに、タイヤの線が引かれていく。
「足元、木の枝落ちてるから気をつけろよ」
 山口さっき転んだから――そう言い切る前にガザリと派手な音がして、日向は驚愕した。
「気をつけろっつたじゃん!」
「違ぇ!」
「何が違うんだよ!」
 影山曰く。
 日向の忠告に従って足元ばかりを気にしていたら、横の並木にぶつかったのだと。
 コートを降りた影山は、結構抜けている。『そのクセ試合モードになると頭キレキレになんのずるいムカつく』に、『なんか憎めない放っとけない』が加わったのは、いつからだろうか。
 日向は目尻を緩めた。
……花、からまってるぞ」
 夜と同化した髪を、星の形をした小さな花が飾り立てている。影山が頭をぐしゃぐしゃと混ぜて払おうとすると却って深く潜り込んでしまう。その様子を、日向はじ、と見つめた。
 月島たちの会話がリフレインする。
 日向みたい。
 色も似てるもんね。
「取ってやるよ」
 ほら屈め、日向が手を伸ばすと、影山は素直に頭を下げた。艶やかな黒髪に、もう少しで指が触れる。身体が近づいて、花の甘さの中に制汗剤と、汗の匂い。
 無意識にその香を吸い込もうとしたところで風が吹いた。
 日向の思考を見透かしたように。
………………あ、」
 息を吸う。
 影山の匂いも制汗剤の芳香も金木犀の香りも押し流して、清廉とした空気が肺を洗った。
 さらに、強い風は髪の毛に絡まった花も根こそぎ奪っていったらしい。
……いまので取れたっぽい」
 そう笑いかけながら、日向は何も掴めなかった手を下ろす。
 追い縋る感情に鉈を振り下ろした。
 何事も無かったように、再び歩き出す。
 橙のカーペットを抜けて、校門の外では、コオロギが月明かりに向かって鳴いている。
 恋心を殺した瞬間の、この感覚にも随分と慣れた。
 慣れてしまったのが、最近少し、怖い。
 都度殺しているから、と免罪符を掲げて、恋の存在を赦してしまいそうになる。
 だから先ほども谷地に、みっともない態度を取ってしまったのだ。
 甘えるな、と日向は自分を叱咤する。
「メントレが足りん……
「何だいきなり」
「あ、いや何でもない」
 思わず口をついて出た言葉に、影山は訝しげな声を上げた。
 日向は慌てて、話題を変える。
「それにしても、ヨシセンの話長かったなー!」
「ヨシ……?」
「吉川先生。お前の担任!」
「あー」
 やはり影山にあだ名は通じなかったようだ。補足でようやく頷いた。
「入るチーム、正式に決まった」
 日向は目を見開いた。自転車のハンドルを握る手に、力が籠る。
 影山の舌は、日向の様子を気にすることなく淡々と回った。
「そんで準備とか、練習に参加させてもらったりとかで休みが増えるだろうからって」
 出席日数とかどうするか、相談してたら長くなった。
 その言葉は少し早口で、見た目には出ていないが高揚していることがわかった。
 あるいは高揚を噛み締めて、逃さないような抑え方。
「チームって、」
 どこ、なんてわざわざ口に出すまでもない。
「アドラーズ」
……!」
 アドラーズ。
 シュヴァイデン・アドラーズ。
 Vリーグの中でもトップ層である証、V1ライセンスを保持している、V1リーグのチームのひとつ。そして、その中でも例年上位賞を獲得しているまさに「王者」。かの世界のロメロ、日向たちバレーボールを愛する者たちならば誰しもが憧れるニコラス・ロメロが移籍してきたというニュースは、日向の記憶にも新しい。昨年度からは牛島若利と星海光来も所属して、磐石な強さに更なる磨きをかけるチーム。
 そんなところに、影山は来年度から所属する。
 しかも向こうからのスカウトで。
…………クソ、」
 日向は急速に渇いた喉へ、唾を流し込む。
 煮えていた。
 下腹からグラリと欲が這い上がる。カラカラの唇を舐めた。
 先程までぐだぐだと燻らせていた「恋」を軽く燃やし尽くしてしまうほどの、暴力的な欲。
 今まで殺してきた恋心なんて、おもちゃのようだと知らしめられるような。
 今までしてきた恋慕の殺害など、ごっこで程度だと思い知らされるような。
 欲しい。
 影山の心より、もっとずっと、欲しいもの。
 日向と同じ温度で、ずっと求められ続けているもの。
 ――はやく。
 はやくおれも、そこに行きたい。
 はやくそこで、お前と戦いたい。
 はやく、はやくお前を、お前の、お前に。
 知らず知らずのうちに、口角が上がる。定位置から影山を見上げる瞳孔は限界まで開かれ、奥底で鮮烈な光を放っていた。
「日向」
 その光を真っ向から受け止めて、影山もニヤリと笑った。
 興奮を、抑える素振りもない笑みだった。
「はやく来い」
「すぐに行く」
 即答して、日向は思う。
 
 ああ、やっぱり。
 おれの恋を殺すのは、お前なんだな。