しくるの納戸
2024-10-05 22:44:48
45524文字
Public 影日
 

桜のしたに埋めてきた

影日/三年になった影←日の日が恋慕を殺す話。



幕間・2

 
――だから、結局影山とは何も無いですよ」
 日向はつっけんどんに言い放つと、汗をかくグラスを煽った。並々と注がれたただの水を飲み干し、話のピリオド代わりとしてテーブルに叩きつけると、不揃いの氷がカロカロ鳴って日向を揶揄するかのようだ。その音は、モニターの奥でニマニマと笑みを浮かべる及川の表情にぴったりハマった。
 リオディジャネイロでのビーチ修行中に偶然出くわして以来、及川とは数ヶ月に一回、こうしてモニター越しに食事会をする仲である。それに伴って日向の中の及川徹への印象も『意外と面白く面倒見の良い先輩』で固まろうとしていたが、今のように人のウィークポイントをあえて踏み抜いてくる一面は、かつての『あの影山に「性格が悪い」と言わしめた大王様』を否応にも思い出させた。「ふぅん?」
 大王様――否、及川は、含みのある笑みを浮かべながらパスタ麺をフォークに絡める。相変わらずトマトソースのよく似合う顔立ちだ。彼が今居るのはアルゼンチンであり、イタリアではないが。つい先週、イタリアに旅立っていったのは影山である。
「それ、この間言ってた低糖質のスパゲティですか?」
「そうそうオーツブランの。小麦の外皮だから食物繊維も摂れる」
 でもあんま美味しくないなボソボソしてるし、と及川がボヤくのを、日向は頭の片隅に書き留める。小麦の外皮、低糖質、ボソボソ。
 及川と世間話や高校時代の思い出話に花を咲かせるのはもちろん楽しいが、食事会の主な目的は情報交換だった。日向より早く単身で海外に飛んだ及川は、トレーニング方法や食事について、新しく質の高い情報を持っている。及川も、影山に対してはああだが本来は面倒見の良い兄貴肌らしく、日向が質問すれば「敵増やしたくないのになー」などと軽口を叩きつつ答えてくれた。
 プロの世界は生活がかかっているせいもあって、質問をしても露骨に嫌な顔をする人や、偽の情報を掴まそうとしてくる人が稀にいる。だからこそ及川のような遠慮なく訊きに行ける人はとてもとても貴重なのだ。
「糖質ってたっぷり摂った方がいいんじゃないですか?」
「ショーヨーみたいに代謝がバカ良いヤツはそうかもね。それでも摂り方ってもんがあるんだよ。GI値高いと血糖値一気に上がって疲れやすくなるし、食物繊維と一緒に取った方が糖のエネルギー変換効率も良い」
 へーそうなんですか。及川の解説に頷きつつ、日向は密かに胸を撫で下ろした。このまま、話題が流れてくれたら。
「やっぱ告ったらイケたと思うけどなー?」
 日向の淡い期待はあえなく砕け散る。
……その話止めません?」
「やぁだね! ヒトの恋路からかわないとやってけないんだよ!」
 及川は、スパゲティをくるりと巻きつけたフォークで日向を指した。
……なんかあったんですか」
「なにもないからこうなってんの!」日向を指したスパゲティは及川の頬に含まれ、やがて嚥下される。その間にも、決してモテない訳じゃないんだよ、むしろ強くて可愛くてサイコーってキャーキャー言われまくりよ、でもさぁ……と及川の口は回り続けていたが、残念ながら電波に阻まれ、日向にはノイズとしてしか届かなかった。
 きょとりと首をかしげる日向に、及川は咳払いをひとつ。「それで、」荒んでいた瞳は既に、好奇一色に塗り替えられていた。切り替えが早い。
「トビオちゃんだってお前のこと嫌いじゃなかったでしょ、っていうかゼッタイ好きでしょ。どういう『好き』なのかは、さておいてさ」
 及川の視線は、モニタ越しにも関わらず日向の心情を見透かしてくるようだ。
 日向がその話題から逃げたがっていることも、恐らく知っている。知っててやっている。相変わらずイイ性格だ。
……影山にとって、俺がトクベツなとこに居るのはわかってます。俺と同じかは、どうでしょうね。好きに種類があることもわかってないかも。影山だし」
 だから、と続けようとして、日向は一度ためらった。もう一度水で喉を湿らせ、意を決したように再び口を開く。
「だから俺がコレを捨てたことに、影山は関係ありません」
 全部俺と、俺のバレーのためです。
 静かな声は、端末を隔てた二人の空間によく響いた。日向は塩茹でした鶏ささみを摘む。淡白な味。及川は肩をすくめた。
「殺そうとする程?」
「邪魔じゃないですか」
「うーわ、言い切ったよコイツ」
 及川の頬が引き攣る。ゴーヤとパクチーと春菊を同時に噛んだような表情で、体は後ろに引いていた。引きながらも瞳孔を興味と観察で爛々と輝かせているのが、なんともこの人らしい。
 フォークを置き、画面の手前の骨つき肉に手を伸ばしつながら、及川は問う。
……いいの、それで」
「いいんですよ」
 日向の返答に迷いは無かった。
「俺は影山のこと好きでしたけど。別に影山と付き合いたいわけじゃ無いんで」
 ただ「好き」なだけだった。
 最初からこの感情の目的地など無く、排水口に流さなければただ燻らせているだけの感情。そんなの無駄で、邪魔なだけ。
「その間に、トビオちゃんが他の誰かに盗られちゃってもいいってこと?」
「いいです。恋人が居たって結婚したってアイツの一番がバレーボールである限り、俺もアイツの特別な場所に居ます。それくらいの自信はあるし、逆に、だったら俺が告白して関係をどうこうする必要もないんですよね」
「ええー欲しくなんない?」
……このままでも、たのしいです」
 あっそう、及川はぼやく。日向の返答に納得していないことが明け透けな相槌だった。
「邪魔とは言うけど、相手が飛雄ちゃんだったら恋にかまけてバレーを疎かにする心配なんて要らないと思うけどね」
 むしろ火が着いて集中出来そうだけど、と骨つき肉に噛み付く。腕力と歯でもって骨から肉を剥がそうとする様子は、王子様然とした見た目からかけ離れた豪快さである。この腕からあの強烈サーブが生み出されていると考えれば、さほど意外でもないか。
 肉を剥がす動きも腕力トレーニングになるかな、などと頭の片隅で考えながら、日向は首を横に振った。
「疎かにしないだけじゃ駄目なんです。だってアイツ、ゲームもドラマも何一つ知らないんですよ。宇内さんのメテオアタックがあるまでヴァーイだって読んだことなかった。ずっとずっとバレーボールだけ、そんで影山はこれからもバレーボールのことばっかり考えて生きていく。それに追いつかなきゃいけない状況で、あんな感情に浮かれる余裕なんてなかったです」
 日向は言う。まあね、と及川も頷いて肉を咀嚼した。
「今ならともかく、あの頃の『チビちゃん』ならそうかもね」
「それに、今はもう殺しちゃいましたし」
 だから全部、終わった話なんです。
 及川は、今度は相槌を打たなかった。
 長い沈黙があって、それから最新のトレーニング機器の話が始まる。
 暫くは身構えていた日向だったが、予想に反してこれ以降は話を蒸し返されることもなく身体のメンテナンス方法や地元の近況などの普段通りの会話に流れていく。だから食事を終える頃には日向も肩の力を抜いていた。抜いてしまっていた。
 見計ったように、及川が口を開く。
――終わった話、ねぇ」
 もしかして、本気で自覚ない?
 舌でぬぐった箸先を画面に向けて。及川の笑みは日向の瞳の奥を捉えている。ひと単語ずつ沁み込ませるように紡がれた言葉に、日向は明確に動揺した。油断したのが悪かった。決してこの人の前で隙を見せてはいけないと高校の時も、リオの時も分かっていた筈なのに。
 やめてください、日向の声にならない制止もきかず、箸は日向の心臓を指す。
 
「まだ息あるじゃん」
 
 遥か記憶の彼方から、土の動く音がした。
 



 

幕間:墓荒らしかく語りき