しくるの納戸
2024-10-05 22:44:48
45524文字
Public 影日
 

桜のしたに埋めてきた

影日/三年になった影←日の日が恋慕を殺す話。


幕間・1 胎児

 
「体験入部会……ですか?」
 日向の言葉に、縁下は頷いた。
「おかげさまで、今年は入部希望者が多いだろう? 実際に入部する前に、ここについて知っておいてもらった方がいいと思って」
 勿論、みんなの賛否次第なんだけどね。
 ホワイトボードを体育座りで囲む部員たちを前に、縁下はそう締め括る。
 体験入部会については新三年生の中では既に話がまとめられているようで、田中と西谷からは「意義なーし!」と茶々が入った。成田、木下はにっこりと頷いている。
 日向も周りを見渡してみたが、特に不満のありそうな者はいない様子だった。むしろ月島以外の新二年生は総じて目を輝かせている。月島の眼鏡の奥は今日も平坦だけれども、日向のこれまでの観察結果によると、これは月島なりの『悪くはない』という意味である。
 反対意見の出ないことを確認して、縁下は少し表情を緩めた後、体験入部会の流れについて説明を始めた。
 まず最初の一時間で軽くレクチャーを行い、普段の基礎練に混ざってもらう。その後の一時間は、二、三年を含めた三人チームを複数作り、二十五点先取一セットのミニゲームを総当たりで行う――という予定らしい。
 新入部員同士の三対三ならば毎年の恒例行事だが、入部希望者だけでなく部員をチームに含めたのには、未経験者も少なくない新入生の補助と、部員が未来のチームメイト候補の実力をコート内で見られるようにする目的もあった。
 が、最大の理由は、ネットの外側から貪欲にこちらを喰らわんとする烏たちの本気、怖さと頼もしさをとくと味わってもらいたいのだ、と縁下は言う。
「基本日向と影山 おまえらは別チーム、後は新入生のポジションを見ながら適宜決めてもらうってことで」
 日向と影山を交互に指差しながら。
 オエィーッス、野太い了解の合唱が響く中、ゴウリテキですねと日向は深く頷いた。後ろの方から、月島の「ちゃんと漢字理解して使ってるの?」というヤジが飛んできたが、全然違う、とは言われなかったから、漢字はともかく使い所は合っていたハズだ。
 わざとらしいため息を(まともに取り合うと傷つくので)無視して、ちらりと横目で隣を伺えば、影山はホワイトボードを見たまま日向と同じ表情をしている。
 大会の試合は勿論のこと、合宿中の練習試合だって、新入生の歓迎が目的のミニゲームだって、相手に勝ちを譲るつもりは微塵もない。勝負に貴賎はなくて、どれも同じくらい敗北は悔しい。大会だとその上に、次の試合ができないフラストレーションが乗るけれど。
 そして影山が相手ならば、負けたくないという気持ちには、一層深い熱が灯る。
 恐らく影山も同じで、縁下は二人の習性ともいえる対抗心を利用したかったのだろう。
 果たして、その目論見は成功と言える。
 迎えた当日。
 体育館の壁に凭れてしゃがみ込み、谷地からタオルを受け取った新入生たちは、目の前で繰り広げられる熾烈な争いに揃って気圧されていた。
 コートの中では、日向・田中と一年生の時田のチームが、ネットを挟んで影山・木下とこちらも一年・八乙女のチームと一セット勝負にも関わらず終わる気配のない試合を続けている。
 一セットが長引く理由は、一点が決まるまでが長いから。
 一点が中々決まらないのは、両チームともにボールを落とさないからだ。
 最初からリベロを志望しているだけあって、八乙女はレシーブが上手かった。時田の低いトスから放たれた田中のスパイクを、乱れながらもあげている。
 そしてボールが上がりさえすれば、影山はどこからでも、どこにでも精密なセットアップが可能なのだ。
 コート中央、アタックラインギリギリ。その位置から芸術品のようなトスを受けた木下のクロスは、コースを読んでいた日向のレシーブが拾った。前腕の内側ですとん、と勢いを殺されたボールが、再びネット前、時田の位置へと山なりに返っていく。先程の反省を脳内で反すうしたのだろうか、時田のトスは、今度は充分な高さを持って田中 レフトへ。
 しかし田中のストレートは木下が上げた。長い両腕を天に掲げ、降りてくボールを待ちながら、影山が一瞬だけ八乙女を見た。脅迫めいた視線を受けた八乙女がぎくりと体を硬らせつつスパイクモーションに移る。その直線上、田中の正面には立ち上がった木下がいた。
 さあ影山はどちらを使う、田中が両方を警戒し構える。時田は突きつけられた二つの選択肢に思考が追いつかないようだった。
 影山の指先がボールに触れる。
 それはそのまま、ネットの向こうへ、落ちていく。
「ツー!?」
 体育館の隅から驚愕の声が上がる――が。
……うらっ!」
「!」
 ボールが木の板に落ち切る前に、小さな手の甲が床との隙間へ差し込まれた。
 いつの間にか、後ろから日向が滑り込んでいたのだ。
 一命を取り止めたボールが、ネット際に舞う。
「田中さん!」
「任せろ!」
 地面に腹を着けて日向は叫ぶ。叫びながら急いで身を起こした。
 すぐに、すぐに戻らなきゃ。
 日向の武器は素早さと存在感だ。
 たとえ振りかぶった腕にトスが上がらなくとも、最後まで選択肢であり続けなければならない。
 田中がボールに触れる前に、影山の正面から逆サイドへと駆ける。田中の手首の角度を見て影山もブロックへ走った。影山は自らのツーアタックを読まれた悔しさと、増やされる選択肢の煩しさに目を竦めている。
 その視線を後頭部に受けながら、日向の口からは知らず知らず笑みが漏れていた。
 
 そうだよ、影山。
 おれを見て。
 その冷たくて熱くて暗くてまばゆい目で、おれを見ていて。
 
 空振りになった日向の奥、時田へアンダートスが上がる。流石に影山は日向につられて飛んでくれなかったが、木下の一瞬の視線と八乙女の思考は奪えたようだった。
 そうして放たれた時田のスパイクは、しかし、惜しくも白線の外側を超えてしまった。
「んんんん!」
「ドンマイドンマイ! 次決めろ!」
 悔しそうに両手で髪を掻く時田。その背を強めに叩いて田中が励ます。正式には入部前にも関わらず、そこには既にチームメイトとして馴染んでいるような雰囲気があった。
 日向は二人の背を暫し笑顔で目に留め、それから、不意に笑みを消す。
 腰を低く落としてレシーブの構えに入り、対面角、いつものサーブ前ルーティンをこなす姿を見据えた。
 視線の先、影山の両手の中で、シュルリと青と黄色が回る。
 ひやり、熱を持つコート内で、影山の瞳だけが冷えている。
 『穏や影山』
 かつて、このような姿で相手に対峙する影山に対し、そう名付けたのは日向本人だ。
 しかし、そんな日向は今までこの影山を、ネットのこちら側でしか見たことがない。
 つまり、このとき初めて。
 初めて日向は、相手の頭から足先まで喰らうような影山の視線を、真っ向から受けたのである。
 背筋が、ぞくりと泡立つ。
 ――ああ、いいなあ。
 心臓の底が静かに煮えて、腰から熱が駆け上った。胃から食道、口の中までが渇ききっていて、唇を舐める。
 限界まで見開いた瞳孔の中で、影山の足が助走の為に床を蹴った。
 美しい指先が、爪の先まで整えられた左手が、ボールを宙へ放つ。
 サーブトスはいつも見てきた、ドンピシャの位置。ヤバいのが来る。
 日向は下半身に為の力を溜めながら、もう一度、思う。
 いいなあ。
 この視線を自分より先に受けた人たちが、羨ましくて仕方がない。
 おれより先にこの眼で射られたなんて。
 そんなの狡い、と煮え過ぎて焦げ付いた心臓が喚く。
 はやく、はやくおれも。
 緩急の為に吐き出した筈の息は、ひどく熱を孕んでいた。
 
 
 
「「アザーっした!」」
 
 結果、二十二対二十五。
 影山たちのいるチームの勝利で試合を終えたところで、声を揃えた新入生たちの挨拶により、歓迎会は閉められる。
 縁下の目論見通り、多くいた入部希望者たちにはミニゲームを通して熱意にやや引き腰になっていた者も、逆に火がついていた者もいたが、実際のところどれくらい入部者が来るかは募集期間が終わってみないと分からない。
 いっぱい、入って来てくれるといいけど。
 そう思いながら得点盤を倉庫に運び終えた山口は、その入り口で佇む今日最大の功労者のひとり、日向の姿を見て瞠目した。
 モップを両手に、壁に寄りかかる日向の視線は虚で、先ほどまでボールを行き交わせていたコートをぽやりと眺めている。
 そういえば、そのモップで床掃除をしている間も、日向の視線はそこに固定されていた。
「どうしたの、日向」
 山口の声に、日向はぴくりと肩を揺らす。
「掃除終わったなら、部室行こうよ」
 周りは、担当の掃除や片付けを終えた者から順次部室に戻っており、体育館にいるのは山口と日向だけだ。月島もネットを片付けてさっさと移動してしまった。もし今、一足先に着替えを終えて職員室に鍵を取りに行っている影山が戻ってきたら、何してんだボサッとすんなさっさと着替えろボゲェ、と説教を受けるに違いない。
 日向と、そして巻き添えを受けるだろう山口自身の為に日向の腕を揺らして急かしたが、しかし返ってきたのは生返事である。
……だな」
 首肯はあれど一向に動く気配はなく、視線もコートから外れない。
 挨拶の間際まで接戦とも言うべき試合をしていたからだろうか。日向の頬はまだ熱を残していて、その姿はふと山口に、先月卒業したばかりの先輩の言葉を思い起こさせた。
 確かそれは、鴎台のブロックを相手に燃える日向への言葉だったか。
 ――まるで恋。
 なぁんてね、山口は心の中でおかしくなって笑った。
 でも、日向や影山を見ていると、その言葉が案外比喩でも無いように思えてくるのだ。
 二人揃って、バレーボールに恋焦がれている。
「相当楽しかったんだね、日向」
 山口が何の気なしに言い放ったその瞬間。
 コートだけを見ていた筈の視線がぐりんと山口の方を向いたから、山口はヒィッと小さく悲鳴をあげた。山口を見上げる日向の瞳が光っている。
「穏や影山のサーブ、初めて受けた」
「ああ、そっか、そうだね」
「うん」
 光を放つ瞳は、山口を見たまま揺れていた。
 日向のまばたきの度に、山口の視界をほの明るく照らす。
 その光に山口は戸惑った。
 だって初めて見た表情だ。
 それは、誰かの凄い技術を見て目を輝かせた時とも、練習が報われ喜びを発露する時とも、似ているが違う気がした。
 日向の放つ光があまりに柔らかく、それから、春のにおいを纏っていたから。
「すげー楽しかった」
 ほとんど吐息のような言葉さえも色づいている気がして、山口が呆気に取られている間に、日向は目を細めた。
 そうすればたちまち、いつものような夏の日差しの笑顔に戻ってしまう。
「よし、部室戻ろうぜ」
「え? ……うん、そう、だね?」
 山口が我に返った頃には既に、声からも態度からも春の気配はカラリと消えていた。
 ねえ、日向、さっきの表情は何?
 きっと日向本人も気づいてしないそれを訊いてしまおうか、いいのだろうか。考えあぐねているうちに、日向はあっさりとコートから目を離してしまった。相変わらずの機敏さで倉庫にモップを戻して、体育館の外、桜を運ぶ夜風の中へ余韻もなく進んでいく。
 気のせいだよ、と、山口の肩をたたくように。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
「全っ然気のせいじゃ無かったじゃん!」
 山口がビアジョッキの底を食卓に叩きつけ、月島相手に絶叫することになるのは、もっと、ずっと後の話だ。