camellia57
2024-09-02 06:47:23
38497文字
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君の横顔に恋してる

アリスに一目惚れした青火村くんの話。


 少し前までTシャツ一枚で暑い暑いと言っていたのにいつの間にか厚手のトレーナーでちょうどいい季節になっていた。来月はダッフルコートにマフラーの出番だ。手袋はどこに閉まったっけ。
 家を出た瞬間は外の寒さに震えるのに駅に向かう間に軽く汗ばんで、電車の中はぎゅうぎゅう詰めの上に暖房が入っていて不快指数が上昇する。この時期は体温調整が難しい。

「今日はここやったか」
 一服ひろばのベンチに一人でいる火村の隣に腰掛けると、ちらりとこちらを見て咥えていたキャメルを灰皿で揉み消す。
「アリス。探させたか? 悪かったな」
「いや、そうでもないから平気や」
 構内で火村の居そうなところは大体わかってきた。一服ひろば、図書館の隅のコーナー、空き教室の窓側の後ろの席、それに猫の鳴き声がするところ。
 どこにもいないときにはたまに下宿に寄って部屋で待たせてもらうこともある。下宿に向かう途中の本屋についつい長居してしまって、火村とそこでばったりなんてことも。
「君は目立つから見つけやすいしな」
「そうか?」
 だって火村の姿はすぐに分かる。不思議とそこだけ周りより少し明るく見えて。
「結果が出たんや」
「そうか」
 なんの? ともどうだったんだ? とも聞いてこない。
「あかんかったわ」
「厳しい審判が下ったか。まぁ、この次がんばれ」
「正直なことを言えば厳しい……ってこともないんやけどな。君からもらったアドバイスを活かせんかった。時間を言い訳にはしたくないけど」
 それでも一次選考すら通過しないというのはショックではあった。
「そうか」
 下手な慰めの言葉を掛けてこないところが火村らしくて好ましく思う。
「でも、君の言う通り次をがんばるしかないよな。せやからまた書いてきたんや。なぁ、今日これから読んでくれる?」
「もちろん」
「今日は『あぶそるーとりー』やないん?」
 からかい半分で言えば火村も左の口角を上げて答える。
「よく覚えてるな。まあ、こう見えて生粋の日本人なもんで」
「あんとき突っ込みたくなるのをこらえたからな。大阪人の名折れかもしれん。あんなけったいな出会いは忘れられんわ」
 そんなことを二人で言って笑い合う。
「今日はもう講義ないだろ? 冷えてきたから下宿にしないか?」
「おう、そんなら行こうや」

 大通りを曲がった先の遊歩道は春は桜の名所だと以前火村に教えてもらった。
「桜以外も植えられてるんやな。あそこらへんは葉っぱが赤や黄色に染まってて綺麗や」
「あぁ、嵐山には負けるだろうけど綺麗だよな」
 簡易的なウッドベンチが歩道沿いに設けられていて、近所に住んでいるのであろう老夫婦が並んで座りながら紅葉を見ている様子が微笑ましい。前を通り過ぎるときに「こんにちは」とにこやかな挨拶をされたのでこちらも返す。
「嵐山は確かにすごいけど、人の数もすごいからなぁ。正月の四天王寺以上な気ぃするわ」
「観光名所だからな」
「京都はあっちこちが観光地やんなぁ。さっきの通りもまっすぐ進めば銀閣寺に哲学の道があるやろ。大阪も有名どころはあるけど京都は趣が違うわ」
 そんな土地で下宿を長年営んでいる篠宮の婆ちゃんはすごい人なのではないだろうか?
「趣ね。有名どころじゃなくなってこんな風に近所の紅葉をアリスと分かち合うことにだって充分にそれはあるだろ」
「ほぉん、つまり君にとっては『なにを』も大事やけど『誰と』見るのかがもっと大事なんやな」
……そんな話だったか?」
「違ったか?」
「いや、まあ、間違ってはいないが……
「ならええやん。あ、もう着いた。この道歩くのにも慣れたな〜」
「そりゃ、これだけしょっちゅう来てればな」
「先輩たちはやさしいし、婆ちゃんのご飯はおいしいし、君の部屋は居心地ええから」
「はいはい。どうぞ、お客様」

 今回は火村が犯人を外したことに気を良くしていたらアリバイの矛盾や表現したいことはなんとなくわかるが伏線が曖昧すぎると厳しい指摘を受けて撃沈した。
「また読ませてくれよ」
……頼むわ」
「そう言えば法学部は秋からゼミ始まったんだろ?」
「うちは一応任意やからな。と言っても九割くらいは登録するけど。俺はせんかった」
「まあ、ほかにやりたいことがあるならそれは自由だからな。アリスらしいよ」
「君はどのゼミ選ぶか決めてるんやろ? そっちは三回生からやっけ」
「ああ、そのためにここに来たからな。この間説明会があったよ。同じゼミになるのが気の合うやつらだといいけど」
 以前、火村を取り囲んでいた女の子たちはそこにいないような気がした。あの子たちを火村は相手にしなかったけれど同じ志で勉学に励めるような相手だったらどうなるんだろう? 図書館で火村の隣に顔も知らない女子が座っている様子が頭に浮かんで、それを掻き消す。
「アリス?」
 急に黙り込んだこちらを気にしたのか火村が顔を覗き込んでくる。
「あ、すまん。えっと、さっきの話やけど君は院に進んで英都に残っていつかは『火村先生』になるんやな」
 目をパチパチさせた火村が「アリスだって『有栖川先生』になるんだろ」と返してくる。その言葉がくすぐったくて仕方ない。
「君に『先生』なんて言われるのは変な気分やわ」
「俺もだよ」

 ゼミの話を聞いてから浮かんだ想像に意識が引っ張られてしまって、いつもなら続くはずの会話が何度も途切れてしまう。これ以上おかしな空気にならないうちに今日は帰った方がいいかもしれない。次に会うときまでにはこの気持ちを片付けて。
 ……片付けるってなんだ? もやもやしているのはなぜ。

「アリス、どうかしたのか?」
 また黙ってしまっていた。まるでわかっていない顔をした火村に段々と腹が立ってくる。八つ当たりでしかないけれど。その勢いのまま火村に問う。
「気になってる事があるんやけど君は猫が好きやんな?」
「前にも言われたな」
「婆ちゃんのご飯も」
「それはアリスもだろ。その2つに何か関係でもあるのか?」
「じゃあ俺のことはどう思ってるんや?」
「どう、って。ずっと一緒にいたいと思ってるよ」
 薄々気がついていたけれど今までに火村の口から『好き』だと聞いたことはない。恋愛に限らず。その言葉を避けているかのよう。ずっと一緒にいたいと言うのならもっと気持ちを開示してこい。
「いつか君が猫を飼ったとして」
「また猫か」
「君は愛情深いやつやから、愛猫とずっと一緒におりたいと思うやろ? もし君がずっとこの下宿に住むとしたら婆ちゃんにずっと元気でいて欲しいって思うやろ? それと俺はなにが違うんや。それとも同じなんか。君が俺をどう思ってるんかわからん。それなのにそんなこと言われて、どう思えばええの」
 座布団から身体を浮かせて火村の方に身を乗り出す格好になる。火村は胡座をかいたまま、薄い唇に人差し指を当てる。
「俺もアリスに聞きたいんだけど、アリスの言う『恋愛の好き』ってどういう感情のことを言うんだ? アリスと出会ってから俺も自分の気持ちが知りたくて文献を漁ったし、俗なマニュアルも読んだ。恋愛がテーマの小説も読んでみた。でもハッキリとした答えなんてどこにも書かれていなくて。だからアリスと一緒にいればわかる日が来るんじゃないかと考えてた。アリスの考える『好き』と今の俺の状態が一致するかはわからないけど、お互いに少しはもやもやが晴れるんじゃないか?」
 質問したら質問で返されてしまった。
 好きとはどういうことなのか?
 改めて聞かれると戸惑ってしまう。
「そうやな……。ありきたりやけど、相手が笑ってくれると嬉しくて、悲しんでたら自分までつらい気持ちになって、その人のことをもっと知りたいって思う、かな」
「ほかには?」
「う〜ん、これは人によるんやろうけど他の人と一緒にいると嫉妬してしまう、とか?」
「アリスも?」
「俺? 俺はあんまりそう言うのはないなあ……。束縛とかせえへん方やと思うけど」
「ふぅん」
「なにか言いたそうやないか」
「俺の自惚れかもしれないけど、アリスは俺のことが好きなんじゃないか?」
……は?」
 火村が、ではなくて、火村を、好き?
 誰が?
 なんで?
 火村が自分の気持ちを分析するために質問されていたはずなのに?
「こ、根拠はなんや」
「俺といるときにアリスがなにを考えているかは知りようがないけれど、どんな気持ちなのかは多少はわかる。さっき、ゼミの話になったとき様子がおかしかった。前にも同じような反応をしたときがあったよ。それは俺が同じ学部の女子たちに話しかけられたとき。あのときのアリスは不機嫌に見えた。そのことを思い出したか、同じゼミになった女子と仲良くなったら……? って想像したんだろ? それで黙り込んだ。違う?」
 素直に認めるのは癪でつい言い返してしまう。
「そのことと俺が君を好きってことがどう繋がるんや」
「さっきアリスは嫉妬する方じゃないって言ったけど、多分あのときは多少なりとも嫉妬心はあったと思う。アリスは無自覚だったかもしれない。理屈じゃなくて、説明のつかない現象こそ『恋に落ちる』とか『恋の病』と言われるんじゃないかと考えた。すべてがそうとは言わないけれど」
 火村が女の子といるだけで嫉妬しただなんて。それを本人に言われて気がつくなんて。恥ずかしくて。
「急に言われても、……俺、わからん」
 この場所から逃げたくて立ち上がろうとしたところで火村に左手をぐっと掴まれた。
「帰らないでくれ」
「離せ」
「嫌だ」
 振りほどこうとすると火村の手に力が入る。
「今、アリスを帰したら駄目な予感がする」
「なんやそれ」
「このまま帰ったらきっとアリスは明日から俺のことを避けるよ。構内のどこでも会えなくなって、下宿にも来なくなる。想像したくないけれど、そうやってアリスとの距離が開いていくのなんて嫌だ。…………あぁ、いつもアリスが俺を探して、見つけてくれてたんだな。俺は待つばかりで。どうやったら逃げるアリスを捕まえられるのかって考えて、そんなことに今気がついた。ずっと甘えてたんだな、俺は」
 そんなことはないと否定したかったけれど正直図星を突かれているし、こんなにこんがらがった状態で自分でもどんな行動を取ってしまうのかわからないところがある。
……俺から逃げないでくれ。なぁ、その反応は心当たりがあるんだろう? 好きじゃないって言わないってことは、俺が的外れなことを言ってるわけではないんだろう?」
 身体を引くと開いた分だけ火村が近寄ってくる。
「そ、そんなに、詰め寄るな。それに……帰ったりせんから手を離してくれ。近いと落ち着かん」
 伸びた前髪の奥にある火村の黒い瞳にじっと見つめられているのを感じる。
「騙そうとしてへんし」
 隙をついてさっと居なくなる、なんて考えていない。今のところは。
「わかった」
 一旦は納得してくれたようでやっと左手が自由になった。掴まれた箇所に薄っすらと赤い痕がついてしまったのを見た火村が気まずそうに謝ってくる。
「悪い。そんなに強くしたつもりはないんだが……痛かったか?」
「あぁ、俺、肌にこういう痕が残りやすいだけやからこんなんは気にせんでええよ」
 火村が無意識にでも利き手側を避けたことも痛めつけようとしていたわけではないこともわかっている。
「なら、いいけど。それで、話を戻すけど」
 戻ってしまうのか。
「アリスの気持ちが知りたい。俺のことをどう思ってる?」
「ひ、人として、好ましいとは思ってるし、尊敬してるし、俺の原稿を読んでくれる唯一のやつで、ありがたい存在や」
「うん、そう思ってもらえて嬉しいよ」
 それでほかには? と言う目をしている。圧を掛けるな、圧を。
「ほかは……。君に言われたことは、そうなんかもしれん、とは思うけど、考えたこともなかったから。君のことを恋愛としても好きなんかは、よくわからん。でも、君の隣に俺やない人がいるんはなんか、もやもやする……。それが君の言う通り嫉妬心なんかもしれん。そう思うことが恋としての好きってことなんやったら、そうなんかもしれん」
「『かも』だらけだな。供述が曖昧だ」
「しゃあないやろ!」
 お前が追い込んでるんや! と言ってやりたくて睨む。
「大体なぁ、君はどうなんや、君は。こっちの質問にも答えてもらうで」
 びしっ! と指さすと、おもむろに前髪を掻き上げて、見つめてくる。
 なにを格好つけているのだ、こいつはと思ったが、顔を合わせて話したかっただけのようだ。その仕草は誰彼構わずはあまりやらない方がいいと思うが。
「アリスには笑っていて欲しいし、拗ねたり照れたり素直じゃなかったり、一緒にいて飽きないし、ミステリの話をしてるときの瞳の輝きに惹かれたりしてる。これは俺の考えだけど『好き』に理由は必要ないと思う。理屈じゃないんだ。だけど、アリスのことを恋愛として『好き』なのかはまだ断定できない。その気持ちを俺はまだ知らないから。今アリスに対して抱えている気持ちがそうなのかわからない。でも、アリスと出会ってからその種が自分の中に生まれて、同じ時間を過ごす中でゆっくりと栄養になって、その種が芽吹いたのを感じるんだ。どんな花になるのかわからないけれど開花したときにこれが『恋心』なんだとやっとわかるんじゃないかな。気の長い話になるかもしれないけど」
 少し困ったように眉を下げて苦笑する火村の顔に片手を伸ばして頬に触れる。
「お互いに自分のことはわからんもんなんやな」
 自分の中にもいつの間にか種ができて、気が付かないうちに小さな花が咲いていたのか。
「君の花が咲くには俺が必要なら傍におらんとあかんな」
「アリス」
「火村、君がわからんって言うなら君の分まで俺が言うから」
 もう片方の手を火村の手に重ねる。緊張のせいか冷えた指先に火村の熱がじんわりと伝わってくる。
「君が好き。俺と付き合ってください。仮免からでええから」
「仮免?」
「二人とも見習いみたいなもんやろ?」
「確かにな。じゃあ仮免からでお願いします」
 頬に触れた掌の上に火村の手が重ねられてぎゅっと握られて、なぜだか急に泣きたい気持ちになった。火村も同じ気持ちならいいのに。