エス
2024-07-18 09:43:31
87333文字
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〇〇しないと出られない部屋

2023年6月に頒布しました。




九井一


 九井一が辛うじて息をしながら地面に蹲っている間に、事態は更なる展開を迎えていた。顔を覆っていたが為に九井自身は気付くのが遅れたが、隣で背を摩っていた武道は直ぐに異変に気付き、そうして、ハッと息を呑んだのだ。すると、九井も何やらおかしいと察知した。自身の背を撫でていた手が止まる。物音がしない。非常に嫌な予感を抱えながら、そろそろと、顔を上げる。
「またかよ!」
 吠えた。
 ペース配分が間違っていやしないだろうか。そんな事が脳裏に浮かぶ。そもそも何のペースだと言う話である。気付いた時には全てが遅い。此処はそう言う場所だ。目に映るは白一色。出た筈だ。出られた筈だ。ラッパーになったのだ。いや、やはり、なってはいなかったのか? それを言い出したら、一番ラップとは程遠かった柴大寿がいない事の理由が付かない。あの男が一番何もしていなかった。少なくとも、九井はそう記憶している。何せ、よ、しか言っていないのだ。九井とて最後には濁流に呑み込まれるが如く流され、ラップらしき事をしてしまったのだから。そもそもラップをする、が、正しい日本語かどうかも分からない。果たしてラップとはするものなのだろうか。刻むのか? どちらでもよい話である。現実逃避だった。
 のそのそと九井は立ち上がった。今すぐにでも床と仲良くしようと思えばできる。そのような風体だ。これが抗争時だったなら戦力外通告間違いなしである。どう見ても無傷でありながら。取り敢えず花垣武道の隣に並ぶと、何もない壁を睨んだ。三回目である。此処からの展開は嫌と言う程理解していた。花垣武道に至っては五回目である。最早熟練者であった。そうして常ならば、壁に反転フラップ式案内表示機が現れ、不快な音を立てながら不安を煽ってくる。その筈であった。だが今回ばかりは勝手が違っていたのだ。確かに現れた。白い壁に浮かび上がったのだ。しかしそれは予想に反し、文字だったのである。
 九井、武道両名、揃って無言で目を通した。

『やあ (´・ω・`)
ようこそ、出られない部屋へ。
このクリームソーダはサービスだから、まず飲んで落ち着いて欲しい。アップルパイも付けよう。
うん、「また」なんだ。済まない。
仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。
でも、このパイを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。
殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい。
そう思って、この部屋を作ったんだ。
じゃあ、お互いを格好良いと思おうか』

 九井、武道両名、揃って無言で目を通し終え、この上なく眉を顰めたのであった。
 しかも読み終えたと思しきタイミングで現れる、バーカウンター。勿論無人である。なのに、しゅっと、勢いよくグラスがカウンターの上を走ってきたものだから絶句する他なかった。更にピタッと、ブレーキでもついているかのように、二人の前で止まってみせる。中身は当然の如く緑である。その上壁に、古めかしい如何にも年季物の扉が現れたものだから、ウンザリしたのだった。ご丁寧に上部にはベルが付いている。何を知らせるつもりだろうか。誰も入ってこないだろうに。寧ろ出せと言う話である。
 兎に角二人は顔を見合わせ、先に口を開いたのは花垣武道だった。
「突然趣向が変わりましたね」
 そう言う問題ではない。感想がズレていた。大体九井からすれば全く面白くも何ともないのである。無駄に凝った状況を作り出すくらいなら、先ず招き入れるのをやめて欲しいのだが、文句の宛先が不明なのだ。そもそも何なのだと言う話である。根本だった。
 九井は息を吐いた。それはもう、深く深く息を吐いた。自身の中に燻る、ありとあらゆる不平不満を吐き出すかの如く。そうして、酷く座った眼をして、しゅわしゅわと音を立て、ぽかりと白いアイスが浮かぶ緑の液体を睨みつけたのだ。
「爆破しかない」
 どうやって。現状明らかに無理であろうことをさも当然のように口走ったものだから、武道は呆気に取られてしまった。大概病んできていた。九井一こんなだっけ? 花垣武道の中の九井一も迷子になりつつある。
「いやでもほら、無いですし」
 取り敢えず否定するのは不味かろうと、物凄く気を遣って返答したのだった。九井一が限界なのは見ての通りである。突発的な事態に弱かったのだ。花垣武道が強すぎると言うか、深く物事を考えない質だから尚である。武道の言葉を聞き、これでもかと苦悩を表情に乗せ更に言うのだ。
「常に体に爆弾を巻き付けるくらいの事すべきだったんだ……!」
「知り合いが爆弾魔とかシンプルに嫌なんですけど」
 それはそう。恐らく誰が聞いても同意しかないだろう。
「じゃあ、テメェ、他に解決策あんのかよ!」
「いやあの、あそこにね、指令書いてあるからね」
「無理に決まってんだろ!」
「絶対見てないでしょ!」
「見た結果だよ!」
「爆弾魔になるより全然楽でしょ⁉ オレ、ココ君の事、ボマーココノイとか呼ぶの嫌だよ!」
「オレだって呼ばれたかねぇよ! 何だよその三下感溢れる呼び名!」
「ボマーハジメもちょっとどうかと思って……
「一々人の名前に爆弾魔付けんの止めろ」
「ココ君が言い出したのに⁉」
「展開が早いんだよ!」
 因みに展開が早いと言うが、何も進んでいないのである。現状、入った時から何も進展などしていないのだ。ただ言い合っているだけである。
「大体テメェ」
「何ですか」
「本当に読んだか?」
「読みましたけど? 何なら今音読しますけど?」
「理解してるか?」
「嘘でしょ? そこから疑われてんの?」
 不本意。そう、顔に書いて寄越す様に不満げな顔で武道が見れば、真っ向から受け止めるように九井が見返した。両者一歩も引く気はない、そう、言わんばかりの空気、だが現実問題、引くも引かないも無かったのである。九井とて分かっていた。本当に、花垣武道が理解していないとは思っていないのだ。寧ろ、理解し難い思いを抱えているのが、九井なのである。
「オマエ、本当に、思えるのか」
「何がです?」
「だからその、格好良いってヤツだ」
 酷く言い難そうに口にすれば、武道が目を丸くした。
「余裕ですけど」
「えっ」
 思いも寄らぬことを言われた。恐らく、互いがそう思っていたのだ。武道にすれば九井一を格好良く思う事自体、何の苦でもなく、逆に九井にすればあっさりと肯定されたことに驚いていたのだ。
「オレ、本当普通にココ君の事、格好良いと思ってますけど」
「えっ」
 その時、微かに鈴の音が響いたのだ。ちりん、と。この部屋で鈴がある場所など今や一つしかない。ドアである。鈴が鳴ったと言う事は、僅かでも扉が動いたと言う事だ。九井は思わずそちらを睨みつけた。そうして念じたのだ。開くな‼ 本末転倒である。この部屋から出る条件は今のところ一つ。互いを格好良く思う。それだけだ。つまりあの時、本当に花垣武道は九井一を格好良いと思ったのだろうし、九井一も又、心が揺れたのだった。危ない。九井は焦っていた。簡単に開いてはならないと思ったのだ。何故部屋から出られないと思ったのか。それは、九井が花垣武道を格好良いと思っていないからだ。思いたくなかった。変なプライドが邪魔をしている。いや、格好悪いわけじゃない。いや、格好良い男でもない。いやでも、堂々巡りである。兎に角確かな事は、簡単に開いてもらっては困ると言う事であった。九井一はそんなに単純ではないのだ。すぐに絆されたりしないのだ。九井一改め、チョロノイハジメになるわけにはいかないのである。この時点で大概限界であった。
「だ、大体だな」
 あっ、この後どうしよう。
 九井一、花垣武道に指まで差して大体等と話し始めたものの、何のプランもなかった。大体? 大体何だよこっちが聞きてぇよ! 自分の中の自分と対話し始める始末。
「オマエはその……馬鹿だし」
「急に罵倒された」
「考え無しだし、勢いだけだし、一発芸は似てねえし、ラップは滅茶苦茶だし、絵描き歌も出来やしねえし」
「イヌピー君も絵描き歌無理でしたけど」
「イヌピーは良いんだよ。面が全部カバーしてるだろ」
「ひでぇ」
「だから、別に格好良くは、ないだろ」
 武道に告げるというよりも、己に言い聞かせているような口調だった。決して花垣武道は格好良く何て無いのだと、言い聞かせないと駄目だと言っているようなものだった。
「ココ君さあ」
「何だよ」
「オレの事嫌い?」
 武道の問い掛けが、二人しかいない空間に、痛い程響いた。クリームソーダのアイスが溶けて、液体がグラスから溢れている。そんな事にも気付かずに、見つめ合った。全く他意はないと言わんばかりの、平然とした口調だった。だからこそ、問われた方は焦っている。嫌いかと問われて、嫌いと即答できるほど、嫌悪していなかったからだ。
「それは、だからだな」
 言い淀む。
「だから?」
 素直に聞き返してくる。真っ直ぐな視線が実体を伴って刺さってくるように思えた。避けられずに、迎え撃つように口が開いてしまう。
「だから、その、好きと格好良いは違うんだよ!」
 完全に言葉選びを間違えた瞬間だった。不思議な空間に、九井の声がエコーしているような気がした。若しくは気のせいではなく、部屋がそうした可能性がある。そう言う部屋なのだ。武道は、ぽかん、と、口を開けたし、比例するよう九井は頬を染めた。やってしまった。どう考えても失態以外の何でもなかった。好きと格好良いは違う。つまり何という事は無く、嫌いどころか好きだが、格好良いとは思っていないのだと、そう言ったも同然だったのだ。武道は未だ動かない。九井も止まっている。だが、内心は別だ。この上なく焦っていた。此処から挽回する方法を模索している。思いつかない。不意に、不可思議な音がした。この空間に似つかわしくない音だ。二人揃って天井を見上げる。室内である。四方は壁だ。下は床で、上は天上。ただ何処も彼処も真っ白で、そこに又白いものが増えたものだから、唖然とした様に見上げたのだった。
「ココ君」
「花垣」
「鳩だ」
「鳩だな」
 何と一羽の白い鳩が、天井付近を飛んでいるのである。いや、何処から? 二人の疑心に満ちた視線を躱すよう、軽やかに飛んでいる。限られた空間を旋回しながら。そうしている内に、数が増えたものだから、やっぱり呆気に取られたのだった。いや、何処から?
「ココ君、増えてる」
「増えてるな」
「えっ、こわ……
 マジックで登場するような、白い鳩だった。その内の二羽がピンクのリボンの端と端を咥え飛んでいる。何が起こるのかと、じっと見る。するとリボンがふわふわと空を漂い、何と、ハートを形作ったのだった。とんだイリュージョンである。
「何だアレ」
「祝福してんじゃないですか」
「何をだよ!」
 九井の疑問に答えるかのように、鳩が近付いてきた。顔を引き攣らせて、手で追っ払う仕草をする。鳩はめげずに、九井の周りを飛んだ。この上なく鬱陶しい。武道は不思議そうに目で追っている。すると今度は又違う音が響いてきた。鐘の音である。それも、ドアに付いている呼び鈴のような小さいものではない、明らかに重厚な、教会の天辺にでもついていそうな鐘の音だったのだ。
「ココ君、鐘だ」
「鐘だな」
「やっぱ、祝福してません?」
「だから、何をだよ!」
 相変わらず声を張り上げる九井の周りを鳩が飛んでいる。シュールだった。鳥の羽音、至近距離で聞くと割と馬鹿にならない煩わしさである。しかも、更に一羽増えたのだ。やはり同じ白い鳩であったが、嘴に銀色の物が引っかかっている。見た瞬間九井は眉根を寄せ、やはり手を振って追い払おうとしたが、そもそも鳩は九井の方へは向かわなかったのだ。鳩が向かった先は、武道の方だった。この男、九井よりずっと人が好いので、両手を受け皿にして、鳩が持ってきたものを受け取ったのだった。顔を近付けて見る。シンプルな銀色の指輪であった。指輪。そう、何故か今や、武道の掌には、プラチナの指輪が鎮座している。何と鳩は、指輪を一つ嘴に掛けてきたのだった。九井は相変わらず渋い顔をしている。何故鳩が指輪を花垣武道に渡したのかを考えているのだ。武道もまた、首を捻って指輪を見ていた。答えを出したのは、武道の方が早かった。両手の上に乗せていた指輪を右手に持ち直すと、九井に近付いたのだ。何だか酷く嫌な予感がして、九井は後ずさった。こういう時の嫌な予感と言うのは、それこそ、否応なく当たるのだ。故、後になって思うのだ。恥も外聞も捨て、逃げ惑えば良かったと。後だから、思えるのである。現実には、ただ一歩下がっただけだった。尤も足が止まったのは、武道が九井の手を掴んだからでもある。左手を掴むと、何とその場に、片膝を突いたのだ。これは不味い。九井は思った。思ったから何だという話である。鳩が飛んでいる。ピンクのリボンが鬱陶しい。クリームソーダが溢れている。鐘が五月蠅い。全てが九井の思考をかき乱そうとして、だが実際には、無意味だった。
「九井一君、結婚して下さい」
 刹那、全ての音が止んだ。そのように思った。煩い筈の鐘の音に掻き消される事無く、はっきりとそう聞こえたものだから、九井一は固まったのだ。それこそ彫像のように固まり、無言で見つめ合った。一秒、二秒、三秒。ちりん、と、鈴の音。ドアノブが動く音も聞こえた。
「あっ、開いた」
 未だに膝を突いて九井の手を握りながら、目だけは扉へと向けた武道が事も無げに言った。そうして目を離した隙に、前方から酷く重々しい音が聞こえたものだから、また視線を戻す。九井一が俯いたまま、座り込んでいた。
「ココ君?」
 訝し気に呼ぶ。応えるように、九井一の体が傾いた。
「ココくーん!」
 ぐらりと傾くと、そのまま横に倒れたのだった。鳩が飛んでいる。鐘が鳴っている。ついでとばかりに、曲まで流れてきた。お馴染みのあの曲である。新郎新婦の入場、または退場の時に流れるアレ。結婚行進曲が葬送曲って斬新だな……倒れ伏した九井を見た武道の素直な感想である。因みに精神は死んでいるが、肉体は生きているので瀕死である。行進等出来よう筈がなかった。だが多分、退場しろと言われているのだ。そう、既にドアは開いているのだから。もう一度武道がドアを確認すると、そこにあった筈の茶色い寂れた扉は、何とも立派な両開きの白い扉に変わっていた。いや、教会じゃん。二人を誘う様に鳩が飛んでいく。出たいのは山々であるが、もう一人が床とお友達状態から抜け出せないのだ。何とか担ぎ上げる? そのような事を考えていると、巨大なケーキスタンドが現れた。上には、三段重ねのアップルパイが乗っている。最早、出て行かないなら、式を続行しろと言わんばかりである。此処でまさかのファーストバイト? 何のために? 至極尤もな疑問を、手にしろと誘いかけるように浮かんでいるフォークを見ながら思ったのだ。
……とれ……
「えっ?」
 どうしようかと思案していると、とれ、と、聞こえてきたので、本気かと疑いを持って九井を見た。フォークを取れ、と、そう言っていると思ったのだ。いや、本気か? 思わず眉を顰める。流石の花垣武道も躊躇した。全く訳が分からないので。跪いて、指輪を手にして求婚した過去は既に忘れ去っている。これが花垣武道である。何と言っても普通にその場のノリだったので。その武道を責めるよう、突然九井がガバリと勢いよく身を起こしたものだから、驚いて手を離したのだ。そう、未だ掴んだままだったのである。だが今度は九井がその離れた手を掴んだものだから、やはり、驚いたのだった。無言で、暫く見つめ合う。一秒、二秒、三秒。目を合わせたまま、九井が息を吸った。
「責任、取れよ!」
「えっ」
 何の? 浮かんだ疑問は当然とも言えるもので、だが、九井がみるみる顔を赤くしたものだから、聞くことが出来ない。指輪を片手に持ったまま、もう片方の手は掴まれて、さてどうしたものかと思案する。嵌める? もういっそ嵌めちゃう? 常ならば考えるまでもなく、勢いでやってしまっていたかもしれない。だが今回ばかりは武道も考えたのだ。この部屋自体が得体が知れないのに、そこから現れた指輪を嵌めるのは、流石に不味いのではないかと思ったのである。珍しく真面な理由であった。互いに黙り込めば静寂が訪れるわけもなく、未だに部屋の中は騒がしく、鳩の羽ばたき、鐘の音、結婚行進曲と静けさとは程遠かった。そこへ更に、ドスン、と、一際大きな物音が響いたものだから、二人揃って肩を震わせたのだ。手を触れあわせたまま、揃って、音の方を向く。そうして、呆気に取られた。
 何と、ダブルベッドが現れたのだ。
 いつぞやの一発を思い出す展開に、顔を赤くしたまま九井が口を開いた。
「空気を読むな‼」
 最早、出て行って欲しいのか留まって欲しいのか、判断が付かない。部屋の考えている事が分からない。そもそも部屋とは思考するのか。大体この部屋何なのか。何一つとして答えは出ないが、確かな事があるとすれば、扉は開いていると言う事だ。