エス
2024-07-18 09:43:31
87333文字
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〇〇しないと出られない部屋

2023年6月に頒布しました。



 
柴大寿


 成程ね。
 そう内心で呟いた花垣武道の様相と言ったら、まるで玄人そのものであった。何なら本人もそのつもりだった。隣で立ち竦む初体験の素人を導いてやるくらいの気持ちである。偉そうに腕まで組んで見せたのだ。
 その何もかもを分かり切っているような態度の武道の隣で、柴大寿が困惑している。あの強面にこれでもかと眉間に皺を寄せて見せれば、当然ながら花垣武道よりずっと威厳があった。
 二人は真っ白い部屋にいる。視線の先にあるのは、〇〇しないと出られない部屋と書かれたフラップである。最早武道にとってはお馴染みのそれだった。無論、お馴染みなどと言う程の回数を熟したわけではない。二回目だ。ただ、前回一度脱出に成功しているからか、余裕が見て取れる。
「花垣」
「はい」
「テメェ、随分と余裕じゃねぇか」
「二回目なんすよ」
「二回目」
「此処に閉じ込められるの」
「そもそも、何だ此処は」
「さあ?」
 経験はあるが、何と問われて解る程の知識はない。素っ惚けたような態度に、益々大寿の表情が険しくなる。二人が黙ったのを見計らったように文字が動いた。前回同様、反転フラップ式案内表示機である。パタパタと軽快な音を立て動く。自然と目で追ってしまう。ただ、捉えられるような速さではなかった。少なくとも武道にすれば。フラップの動きが止まる。〇〇しないと出られない部屋の〇〇の部分が、確定したのだ。
「悲鳴を上げないと出られない部屋」
 武道が口に出して読んだ。大寿は黙っている。
「楽勝ですね!」
 次いで喜色を声に乗せた武道を、怪訝そうな顔で大寿が見た。
「全く意味が分からんオレが可笑しいのか?」
「そう言う部屋なんですよ」
「どう言う部屋だ」
「条件があって、達成すると出られるんです」
「その口ぶり、出た事があるって言いてぇわけだな」
「まあ」
 少しばかり自慢げに胸を張って見せたものだから、大寿が呆れた。呆れる他なかった。大体、出る以前に、入る事が不運である。そもそも、何故入り込んだのかも分からない。気にするなら先ずそこからではないだろうか、と、真っ当な事を考えていた。喧嘩になると頭の螺子が数本飛んだような言動を繰り返す割に、妙な所で常識人である。
「で、楽勝とは?」
「だって悲鳴上げれば良いんですよ?」
「上げれるのか?」
「余裕ですね」
 大寿は感心してしまった。生まれてこの方悲鳴など、上げた事があるかどうかも分からない。寧ろ、上げさせる方である。今まで数多の人間に悲鳴を上げさせてきた。まさか上げる側になろうなど、思ってもみない。このような事態に遭遇する羽目になるなら、録音でもしておけばよかった。人の悲鳴が録音された音源を持ち歩く男、控え目に言って精神異常者である。
「じゃあ、いきますよ」
 何処へ? 危ない、思わず尋ねる所だった。余りにも花垣武道が平然と言うものだから、つい普通に応答しそうになる。そんな大寿の態度など見向きもせず、武道は息を大きく吸った。そうして、言葉と共に吐き出したのだ。
「ぎゃあああああああああああああああ‼」
 もし柴大寿が幼女なら、恐怖のあまり泣いていただろう。だが柴大寿は幼女どころか、強面の大男だったので、びくっと、体を震わせただけに留めたのだ。無論それすら、実に珍しい態度だった。この男、正気か? そんな思いを込めて花垣武道を見てしまう。視線の先にいるのは確かに花垣武道であって、クリーチャー等ではない筈なのに、得体の知れない何かとしか思えなかった。いやだって、人間とはそんな急に本気の悲鳴を上げられるものだろうか。
「出れませんね?」
 あれ? 可笑しいな? そう、言外に告げているように見えたが、最早そんな問題ではない気がした。大体可笑しいと言うなら、花垣武道が一番可笑しいのである。ファイナルアンサー? ファイナルアンサーだ。悩む必要が無い答えだった。いやそんな平然と普通に戻る? まじまじと大寿は武道を見た。覗き込むように。寧ろ観察していると言っても過言ではなかった。これ、本当に花垣武道だろうか? 残念ながら花垣武道である。残念ながら。
「やっぱ協力してもらわないと駄目なのかな?」
 非常に嫌な台詞が耳に入って来た。協力? ちょっと意味が分からない。いや、分かりたくない。
……オレにも叫べってか?」
「出来ます?」
「出来ると思うか?」
「何事もチャレンジかなって」
 したくない。本気で大寿は思った。悲鳴を上げる柴大寿とかコンプライアンス的に大丈夫か? 動揺の極みである。守るべき規律など存在しないし、ある意味此処は無法地帯である。指令以外何もないので。
「テメェ、前回どうやって出た?」
 ふと、二回目だと言ったことを思い出し問うてみる。武道がきょとんと目を丸くした。先程突然悲鳴と言うより、雄叫びを上げた男と同一とは思えない仕草だった。
「いや、前提条件が違ったんですよ」
「悲鳴じゃなかったのか」
「はい、一発芸でした」
「なんて?」
「一発芸」
「一発芸」
 予期せぬことを言われ、思わず復唱してしまう。一発芸? 大寿は部屋に掲げられている文字を確認した。悲鳴を上げないと出られない部屋、と、書かれている。息を吐いた。安堵の息である。一発芸とかまず無理。柴大寿は、する側ではなく、見る側である。一発芸をするくらいなら、悲鳴を上げた方がマシ。そんな事を思ったが、悲鳴を上げる柴大寿はそれだけで一発芸くらいの価値がありそうだった。
「やったのか、一発芸」
「やりましたね」
「一人で?」
「ココ君と」
「ココと⁉」
 まさかの呼び名が出て来て、驚いてしまった。ココ。つまり、九井一である。あの男が一発芸? 果たして出来るのか? いや、無理だろう。結論が出るのは早かった。自分もそうだが、あの男もそう言うタマではない。絶対にない。無いよな? 少し自信がなくなってきた。隣の男を見る。花垣武道だ。この男に掛かれば、九井一も一発芸くらいしてしまうのかもしれない。何とも恐ろしい。勝手に想像して、勝手に武道の株が上がった瞬間だった。
「何やったか聞いていいか?」
「物真似ですね」
「物真似」
「はい」
「犬? 猫? 鳥?」
「何で動物なんですか?」
「人間は無理だろ」
「ココ君にも全く同じこと言われたんですよね……
 はあ、と、遣る瀬無い思いを吐き出すように、武道が溜息を吐いた。寧ろ、吐きたいのは付き合わされている此方である。大寿は呆れた。
「分かった、爬虫類だな」
「何も分かってませんけど?」
「まさか、人間なのか?」
 ここで武道はハッとした。そう、そのまさかなのだが、もっとまさかな事が起こりつつあった。なんと今、目の前にいるの、物真似のご本人である。よく物真似番組で見かける、ご本人の登場ですが現実になりつつあった。これはマズイ。流石の花垣武道も、アレを大寿本人の前で披露する勇気は無かった。未だ、命が惜しい。
「実はね、大寿君」
「何だ」
「オレの物真似、金取れるレベルなんですよ」
「何⁉」
 急にハードルを上げ始める始末。もう、後戻りはできない。
「だから仔細は、ココ君に聞いて下さい……!」
 秘儀、九井一に丸投げ。この瞬間、九井一の死亡が確定したのだった。だがそんな事知った事ではない。誰だって、我が身が一番可愛いのだ。武道にすれば当面生き延びることが出来れば良いのであって、九井には後で謝ろうくらいの軽い考えだった。寧ろ、柴大寿物真似シリーズ新作でも披露してやるかくらいの。どうもアレが、九井一のツボにはまるらしいので。本人の与り知らぬところで、またもや九井一死亡のお知らせである。
「分かった。分からんが分かった。で、それで出れたんだろ?」
「出れませんでした」
「なんて?」
「物真似をした結果、フラップが回転しまして」
「どうなった?」
「一発しないと出れない部屋に早変わり!」
「なんて?」
「一発しないと出れない部屋」
 堂々と言い切った武道を見て思った。この男には羞恥と言うものが端から無いのかもしれない。神は人間を完璧には創っていないのだ。つまり、この男に与えなかったのは羞恥であろう。そんなわけが無かった。只の現実逃避である。目の前の武道ではなく、何処か遠いものを見るような目で大寿は問うた。
「したのか、一発」
「しましたね、一発」
 何を? 聞いておいて何だが、何を? その疑問が伝わったのか、武道が続ける。
「部屋の中央に、ダブルベッドが現れましてね」
「ベッドが⁉」
「しかも、イエスノー枕付き」
 いやもう、どの一発か確定である。大寿は思った。この男、羞恥心が死んでいる。寧ろ聞いている方が恥ずかしくなってきた。柴大寿の感性はまだ生きていたのだ。
「まああの、軽めの一発で出れたんですけど」
「軽めの⁉」
 どういう事? 一発に軽いと重いがある? 柴大寿大混乱のお知らせである。ただ表情には何ら表れていない所は流石だった。それでも、脳裏に浮かぶのは、あはーんうふーん、である。突然始まる官能劇。これはいけない。しかも、知人。最悪である。これはマズイ。話を戻そう。そう今は、花垣武道と九井一がダブルベッドの上で、イエスノー枕のイエスを上に向けて頭の下に敷きながら、肉体関係を結んでいる場面を想像している場合ではないのだ。見ての通り、具体的な例が出てきた時点で手遅れである。
「さっき、悲鳴上げただろ」
「上げましたね」
「何で出れなかったんだ?」
「足りなかったんですかね?」
 何が? 悲鳴が。だが、柴大寿には悲鳴を上げる自信がなかった。こうなれば、花垣武道に二人分の悲鳴を上げてもらうしかないと思い至る。大概混乱していた。一発のせいである。
「オレが、テメェに悲鳴を上げさせればいいんだな」
「暴力反対!」
「不良が生言ってんじゃねえ」
「いやいや、大寿君に暴力振るわれたら、悲鳴上げるまでもなくノックアウトですけど⁉」
 よく言うよ。半眼で大寿は武道を見た。何がノックアウトだと。延々立ち続ける癖に。嫌になるほどしつこくて、根性ある癖に。無論それは時と場合によるのであって、今の武道は直ぐに昏倒する自信があった。何故なら、柴大寿である。歩くブルドーザーである。謂わば人外なのだ。
「分かった分かった、暴力以外なら良いんだろ」
「暴力以外で悲鳴上げる事あります?」
「マッサージ」
「なんて?」
「足つぼマッサージ」
 柴大寿の口から、全く思いも寄らぬ言葉が出て来て、武道は虚無を背負った。なんて? いや、何度聞いても分からないだろう。足つぼマッサージ? どういう事?
「悲鳴上げてるのよく見るだろ」
「テレビでですね。因みに大寿君、足つぼマッサージの心得は?」
「ない」
「ない⁉」
 あっさり言い切り過ぎでは⁉ 武道の心の中は嵐だった。足つぼマッサージを知らない男が、施術する等と言い出したら、誰だって焦って混乱するだろう。寧ろ絶対に身を任せたくない。これは、拒否の姿勢だ。武道は己を強く持たんと決意したのだ。
「花垣、オレは別にマッサージしてやろうなんざ思ってねえ」
「つまり?」
「痛めて、テメェが悲鳴を上げりゃ万々歳」
「鬼! 悪魔! 柴大寿!」
「クリスチャンに悪魔たぁひでぇ事言うじゃねえか。柴大寿は間違ってないが」
 そう言うや否や、凶悪としか言いようのない笑みを浮かべて、武道へと手を伸ばしたのだ。最早取って食われる寸前の小動物の気持ちだった。柴大寿が怖すぎる。にい、と、持ち上げた口角の恐ろしい事ったらない。無いったらない。秒殺だった。逃げる間もなく押し倒され、靴下を引っぺがされ、足を持たれたのだ。抗う術など何処にもなかった。そもそも、体格が違いすぎて話にならない。逃げるなら、初手で何とかしなければならなかったのだ。動かなかった時点で負けは確定していたのである。大寿は大寿で、武道の足を触りながら、小さい事に驚いていた。そりゃあ、柴大寿に比べれば何もかもが小さいが、こうして、触ると尚実感する他なかったのだ。とはいえ、男の足である。容赦なく足首を持って、足の裏を向けさせると、親指で押したのだった。
「あたたたたたたたたたた‼」
 北斗神拳も驚きである。因みに、一番最初のぎゃああああああああああ‼ を超える声量であった。大寿の目論見は半分成功した。部屋から脱出した時、完全な成功体験になるだろう。
「死ぬ! 死ぬって!」
「大袈裟だな。足の裏押したくらいで死ぬか」
「死なないかもしれないけど! 痛いってば! 折れる‼」
「こっから出てからくっ付けりゃいいだろ」
「オレの足の骨、レゴブロックか何かだと思ってんの痛い!」
 兎に角武道はぎゃあぎゃあ騒いだし、うるせぇなあ、と、他人事のように思いながら大寿は武道の足の裏を容赦なく押したのだった。ツボの存在を全く気にすることなく。武道が床をバンバン叩く。ギブアップのサインである。それを奇麗に大寿は無視して、押した。ぐ、と、薄い皮膚がへこむ。
「オレマジで大寿君の事嫌いになったから! あいたたたたた!」
「テメェに好かれようなんざ思ってねえ」
「嘘! 好き! 痛いって!」
「痛めつけてんだよ」
「サド! 変態! 特殊性癖! いたいいたいたいたい!」
 なかなか開かないもんだな。呑気にそんな事を思いながら、力を込める。悲しいかな、武道の罵倒に慣れ始めていた。後何が足りないんだ? そんなことを思う。既に武道の悲鳴はBGMと化し始めていたのだ。
「このまま続けるって言うんならあいたた! オレ柚葉にある事ない事言うからあいたた! 犯されるより酷い事されたって言う、から! いたい!」
……っ」
 その瞬間、大寿は確かに息を呑んだし、拡大的に解釈すれば悲鳴だったかもしれなかった。いや、恐らく、悲鳴だったのだろう。何故なら、出られたのだ。気付けば其処は、見知らぬ白い部屋ではなく、今現在柴大寿が借りて住んでいる部屋だったのだ。は、と、息を吐いた。いや、自然に漏れたと言うべきか。余りにも信じ難い現象だ。だが、呆けている暇などなかった。
「うわあああああ」
 もう悲鳴など出さずとも良いのに、花垣武道が声を上げ、大寿の傍から離れたのだ。向かった先は九井一だった。そう、二人だけではなかったのだ。乾も併せて四人。四人で時間を潰していたところ、武道と大寿だけがあの特殊な部屋に招かれたのだった。
「花垣?」
 九井にぎゅうぎゅう抱き着きながら泣く。そう、泣いていた。困惑しながら九井が抱き返して、大寿を見た。見られても困る。大寿は眉根を寄せた。
「大寿君に犯すより酷い目にあわされたあああああ」
「えっ」
「えっ」
「えっ⁉」
 何を隠そう一番驚いたのは、九井一である。犯すより酷い目に遭わされた? 犯すより酷い目⁉ 余りにも刺激が強い言葉だった。相変わらず離れようとしない花垣武道の姿が、真実味を持たせている。そうやってある意味仲睦まじい姿を見せつける二人を視界に収めながら、やっぱこの二人出来てるのか……等と言う事を、大寿は考えていた。何せ自分が犯すより酷い目に遭わせたは言いがかりであるが、こちらは本当に一発やったらしいので。因みに一発の方も言いがかりである。未だ、わあわあ泣く武道を見ながら、乾が動いた。大寿の傍によると、肩を叩いたのだ。嫌な予感しかしなかった。
「自首しろ」
「誤解だ!」
「犯罪者は大体そう言うんだ」
 にべもない一言である。大寿の顔が引き攣った。これはいけない。落ち着くべきだ。柴大寿は深呼吸した。そのまま眼光鋭く、武道を見る。
「花垣、いい加減にしろ」
「オレ痛いって何回も言ったのに止めてくんなかったでしょ!」
「えっ」
「えっ」
 柴大寿終了のお知らせである。この状態からでも入れる保険があるんですか⁉ 残念ながらありません。しかも事実である。確かに痛いと何度言われても止めなかったが、それは足つぼマッサージであって、性的な何かではないのだ。因みに武道も、犯されたなんて事は一言も言っていない。犯されるより酷い目としか。十分アウトだった。
「花垣!」
 怒声が飛んだ。いい加減落ち着いてもらわないと、柴大寿の尊厳が死ぬ。寧ろ既に瀕死である。だがここで思いも寄らぬことが起きた。
「いい加減にすんのは、テメェだぜ大寿」
 九井一、参戦のお知らせである。更に事態は悪化したのだ。嘘だろ、オイ。目に見えて大寿が怯んだ。何故なら九井一である。大寿の中では、九井は花垣と付き合っている図式が完成していたので、ここで彼氏の登場は非常に面倒だと思ったのだ。既にこれだけ面倒な事態なのに! どうする? 大寿は悩んだ。何だか何もかもが面倒になってきたのだ。いっそ全員ここで気絶させた方が良いのではないかとすら思い始めていた。つまり、暴力で解決である。不良あるある。だが、取り敢えずぶん殴るにしろ、一応言い訳はしておきたいところだ。目覚めて尚面倒な事態は御免である。
「誤解だ」
「五回も六回もねぇんだよ。花垣がこんだけ泣いてんだぞ」
 因みに精神的と言うより、生理的な涙だった。だって、本当に痛かったのだ。武道からすれば、あんなに痛いと訴えたにも関わらず、止めてくれなかった柴大寿を悪人にするのは当然の流れだったのである。
「仕方ねぇだろ。そうしないと出れねえってんだから」
「出れない?」
 その一言を聞いて、九井の脳裏に閃くものがあった。そう、一発芸である。と、言うか、柴大寿である。え、まさかこの男、アップルパイを見たのでは? その結果頭にきて、犯すより酷い目に遭わせたのでは? 風評被害である。
「大体テメェだって、花垣と一発やったんだろうが」
「言い方! 軽い一発だわ!」
「一発は一発だろうが!」
「全然違ぇわ! ソフトな奴だよ!」
 誤解しか生まないやり取りだったし、この場合誤解したのは、乾青宗であった。
 一発? ココと花垣が一発? 勿論想像したのは夜の重い一発である。携帯片手に乾は、三者を見ていた。因みに通報する為である。幾ら不良とは言え、知人を犯すより酷い目に合わせるような男は、野放しにすべきではないと思ったのだ。至極真面な感性だった。だが風向きが変わった。何と自身が知らない間に、親友と後輩が肉体関係を結んだと言うのだ。その上、元上司が、後輩を犯すより酷い目に遭わせたと言うのだから、困惑しかなかった。何時の間に、こんな爛れた関係になっていたのだろうか。ちっとも、気付かなかった。それはそうである。そんな事実はないのだから。乾は周囲を見渡した。残念ながら武器になりそうなものは見当たらない。最悪、このテーブルで脳天をかち割ろう。そう、天板がガラスで出来ているテーブルを見て思ったのだった。結局の所、脳筋であった。
「テメェ、花垣、いい加減彼氏に弁明しろよ!」
「花垣に当たんじゃねえよ! 被害者だろ!」
「オレだって閉じ込められた被害者だ!」
「だからって、犯すより酷い目に遭わせなくたっていいだろうが!」
「大袈裟なんだよ! ちょっと痛めつけただけだろうが!」
「テメェのちょっとがちょっとなわけねぇだろうが!」
 早い話、軽めの一発等と言葉を濁さず、キスと言ってしまえば終わっただろうが、言えるような九井一ではなかった。だって、恥ずかしいし。妙なところで、開き直れないお年頃なのだ。反して柴大寿も、足つぼマッサージと言えばいいのだが、マッサージ等ではなく、ただ悲鳴を上げさせるためだけの行為だったと自覚しているため、言えずにいたのだ。妙なところで真面目だった。
 あっ、これ収拾つかないな。
 他人事のように思ったのは、花垣武道である。既に涙は乾いていた。何時までも泣いていられるような事態ではなかった。どうしよう。困った挙句、もう一人を見る。現状、第三者である、乾青宗だ。武道と目が合うと、乾は一つ頷いた。助けを求められたと思ったのだ。そうして、当然のようにテーブルに手を掛けた。場は更なる混沌に突入しようとしていたのである。複数の汚い悲鳴が響き渡るのも時間の問題だった。