エス
2024-07-18 09:43:31
87333文字
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〇〇しないと出られない部屋

2023年6月に頒布しました。




二、


「情報を整理しよう」
 徐に切り出した。表情は苦渋に満ちている。纏う空気も張り詰めているように感じたが、場所が全てを台無しにしていた。何せ、ダブルベッドの上である。しかもイエスノー枕が配置されていた。ノー一択ですけど? 九井は思いながら視界に入れないように努めていた。ちらちらと、武道が枕を観察しているのにも気付かない振りをしていたのだ。
「ねえ、ココ君あの枕」
「オレがスルーしてんの気付けよバカ!」
 気付かない振りが見事空回った結果がこちらになります。思い切り九井は大声を出した。狭い部屋に声が反響することすら、苛立ちを助長させる。だが全く心に響かないとばかり、武道は首を傾げたのだった。
「いや、そもそもさあ、それ言ったらだよ、ココ君」
「何だよ」
「ベッドの上で向かい合って正座してる時点で駄目なんだよ」
「それはそう」
 何古き良き新婚初夜のような体裁を取ってしまったのか。いや、違う。何故花垣武道の悪ふざけに乗ってしまったのか。全てはそこからであった。相変わらず部屋に出口は現れないし、一発しないと出られない部屋の文言に変化もないし、寧ろ変化があったのは花垣武道だけである。あの時確実に一緒に呆然としていたのに、すぐさま我に返ったのだ。余りにも早かった。九井など、一発の響きに頭が真っ白になり、正常な判断を下す事も出来ずにいたのだ。
「ココ君、ベッドだ」
「ベッドだな」
 抱き合いながら、至近距離で顔を見合わせてそんな事を言ったのだ。最早情事の始まりであっても何ら可笑しくはなかった。なのに武道はするりと九井から離れ、ベッドに上がったのである。九井はその様を、ただ何をするでもなく見ていた。そう、ベッドの上で正座をした武道を眺めていたのだ。
「ココ君どうぞ!」
 いや、何が? 自分の向かいを差してそんな事言うものだから、全く意味が分からない。意味が分からないなりに、何か考えがあるのかも知れないと従ってしまった。そう、言われるがままにベッドに上がり、向かい合って正座をしてしまったのだ。いや、何で? 自分で自分に突っ込む始末。大概可笑しくなっているな、と、感じていた。そもそもそれを言い出したら、部屋自体可笑しいし、最初の一発芸から全てが可笑しかった。でも一番可笑しいのは、花垣武道だろうと思ったのだ。この男、順応力が高すぎるのである。
 そして、冒頭へと続くのだ。
「取り敢えずですよ、ココ君。一発って何だと思います?」
「えっ」
 思い切り九井は動揺してしまった。いやだって、この状況で一発等と言ったら、もう答えは一つしかないようなものだと思ったのだ。大体、イエスノー枕がある時点で絶対にそうである。なのにこの男、態々相手の口から言わせようとしているものだから、鬼かと思った。少なくとも花垣武道はそんなキャラではないだろう。ない筈だ。九井一にとっての花垣武道とは、得体の知れない何かではあるものの、気のいい男であった。つまり、そう、優しいオマエでいてくれ! そう、願ったのだ。最早只の願望である。
「どうぞ、素直なココ君の思う一発を聞かせて下さい」
「何これ? 圧迫面接? 訴えんぞ?」
 素直な一発って何だよ。一発に素直とか捻くれてるとかあるのかよ。見ての通り、質問の意図すら理解出来なくなってきていた。仕方がない。圧迫面接ってそう言うものだ。正常な思考を奪うのである。そもそも、圧迫面接ではない。目の前にいるのは後輩である。早く思い出すべきであった。
 諦めたように、九井が溜息を吐いた。とうとう観念する事に決めたようだった。
「いやそりゃ、オマエ、ここ何処だと思うよ」
「ベッドの上」
「そういう事聞いてないんだよ。何処のベッドの上だよ?」
「一発しないと出られない部屋」
「そうだけど、違うだろ? あるだろ?」
「普通ラブホにイエスノー枕ってあります?」
「分かってんじゃねぇか! 何人の口から言わせようとしてんだよ!」
「えっ、九井一君、童貞じゃないんですか⁉」
「センシティブな話題止めて貰えます⁉」
 もう、駄目だ。死ぬ。九井は項垂れた。ダブルベッドの上で項垂れたのだ。話が通じているのに、通じない男を相手にする事に限界を感じていた。花垣武道は、九井にとって相性が悪すぎたのである。絶対コイツ、オレの事先輩だとか思ってない。そのような感想を抱いたが最早その感想自体ズレていた。普通に先輩後輩の関係だったこと等一度もないのだ。俯く九井の視界に、あるものが飛び込んできた。武道が、枕を差し出したのだ。NOを上にして。うるせぇ! こっちだってノーだよ! 突然の意思表示に、内心で叫んだのだった。
「兎に角ですよ、ココ君。オレは考えたんですよ」
「オマエが考えて良かった試しが一度もないので忘れて下さい」
「一発って言ったら、アレじゃねぇかなって」
「イエスノー枕を使わない一発? 殴り合いか?」
「元ヤンすーぐ、暴力に走る。平和って言葉知ってます?」
「人を脳筋みたいに言うの止めろ。訴えんぞ」
「脳筋じゃない元ヤンて死ぬ程少数派じゃないです?」
「オレ死ぬ程少数派の人間なんだわ」
「えっ、ココ君結構オレに暴力振るいません?」
「アレは、暴力じゃなくてしつけなんです。言葉が通じない畜生に対するようなものなんです」
「童貞の癖に調教師みたいな事言うじゃん」
「童貞が童貞詰るのマジで止めろ」
 会話が直ぐ脱線するので、全く話が進まない。いや、お互い分かっていた。現実逃避である。何とか時間経過で部屋が消滅しないかと思っているのだ。だが、全くと言って良いほど変化は訪れない。ただ、疲労だけが溜まるのだ。しかも言い合う内容が不毛過ぎて、余計に疲れるのだからどうしようもない。口を閉ざし、武道が九井を見た。射貫くように見たものだから、嫌な予感がした。この覚悟を決めたような目が嫌いだった。碌な結果にならない事を知っていたのだ。
「ファイト一発ですよ」
「ファイト一発? ファイト一発ってアレか。あの、筋骨隆々の男二人でやってるやつか」
「そう。もう、アレしかないなって」
「ちょっと待て」
「何です?」
「まさか、アレを、オレとオマエでやるとか言ってんじゃねぇだろうな?」
「そうとしか言ってませんけど?」
 ねぇよ。速攻で突っ込んだ。呆れながらも、脳内には映像が流れてしまっていた。あの、有名な、CMである。某栄養ドリンクの。程よく日に焼けた筋骨隆々の男二人が、危機的状況で叫ぶのだ。ファイト一発。まあ、確かに、一発ではある。本当か? 本当にアレを一発カウントしていいのか? 疑念しかなかった。しかも、やりたくないのだから猶更である。
「いや、無理だろ」
「何がです?」
「アレを一発って言うのは無理があるだろ」
「えっ、じゃあ本気で童貞同士で一発やろうってんですか?」
「何で殴り合い抜かすんだよ!」
「痛いの嫌かなって」
「オレは童貞同士の一発の方が嫌だわ」
「じゃあココ君オレに殴られてくれます?」
「嫌ですけど?」
「ほら、嫌なんじゃん!」
 堂々巡りであった。睨み合う様に、向かい合う。どちらの意見を最優先にするか、無言で押し付け合っているのだ。九井は思った。だから、この目が嫌いなんだと。意志が強すぎるのだ。強いだけなら未だしも、相手事掌握し呑み込もうとするかのように感じるのだ。結局先に目を逸らしたのは、九井であった。敗北である。武道が笑みを浮かべたのが、酷く癪に障った。後で殴ろうと思う程には。
「ファイト一発が駄目だったら、オレ、オマエの事殴るからな」
「それで駄目だったら、意味深の方の一発するって事ですか?」
「するか!」
 絶対に平然と口にする内容でないにも関わらず、武道が普通に言うものだからつい怒鳴ってしまう。アレは絶対する気が無いから言えるのだ。解っている。解っているのに、大声を出さずにいられない自分を悔やんだ。落ち着け、九井一。未だ慌てるような時間じゃない。等と思ったが、このような意味不明な部屋に閉じ込められた時点で、焦って当然の事態であった。
「じゃあ、オレがベッドの下で寝転びますから、引っ張り上げて下さい」
 何でもないように言うと、ベッドから降りて、本当に寝転んだのである。呆気に取られながら、九井は見ていた。武道の姿が見えなくなり、漸くベッドの端に移動する。いや、これ、意味ある? 今更過ぎる疑問だった。
「いや、何で引っ張り上げるんだ?」
「え、大体崖とかで落ちそうになってません? だから、少しでも近付けた方がいいかなって」
 納得できるような、そうでもないような。首を傾げながら、腑に落ちない表情を浮かべる。正直言って、言葉だけ再現すれば良いと思ったのだ。動作までいるだろうか。分からないが、それを言えば、何一つとして分からないのだ。正解不正解を決めるのは、二人ではないのである。
「あ、ココ君。ファイト派ですか? 一発派ですか?」
「聞いたことも見たことも考えたこともない派閥出してくるの止めろ」
「じゃあ、オレ、ファイト言いますんで、一発で引き揚げて下さいよ」
「へえへえ」
 何だかなあ、と、思いながら、ベッドに俯せになって、手を伸ばしてやった。武道の手が触れる。どちらも、ごつごつした手だった。それは勿論、元ヤンの男の手なのだから当然である。ただ、珍しくも何ともない手の感触を不思議に思ったのだ。言うまでもない事だが、温かい。そういや、手を繋いだ事なんてなかったな、そんな事を思う。武道が息を吸うのが分かった。一発か。一発って言えば良いんだな。諦め半分にこちらは息を吐く。諦念しかなかった。武道が口を開いた。
「ふぁあぁいぃとおおおおおおお‼」
「ぐふっ」
 一発は飛び出てこなかった。寧ろ九井は手を放してしまったのだ。哀れ武道は崖下に落ちてしまったのだった。アーメン。
「ちょっと、ココ君」
 呆れたように武道が立ち上がる。簡単に這い上がってきてしまった。何せ最初から崖下のようなものである。何平然としてんだよ、テメェ。笑いの発作に襲われて、掛布団に顔を押し付けたまま、九井は肩を震わせていた。一見、泣いているようにも見える。いや、泣いていたかもしれない。それ程の衝撃だった。いや、確かにやるとは聞いていた。オレ、ファイト言いますんで。そう、言っていた。だが、あんなに本気でやる等とは思ってなかったのだ。完全に花垣武道を見縊っていた。一発芸に柴大寿を選んだ男のポテンシャルの高さを舐めていたのだ。オマエの辞書に妥協の二文字ねぇのかよ。オレが書きこんどいてやるわ。ぜえぜえと、息を荒く吐きながら思ったのだ。流石は花垣武道である。九井一の予想を軽々と飛び越えていくのだ。その上で思った。頼む、これ以上予想出来ない事をするのは止めてくれと、それはもう真剣に心の底から願ったのだ。そうでないと、死ぬ。多分、この部屋に入ってから、確実に三回は死んで蘇生した自信があった。普通持たない自信である。九井は深呼吸を繰り返した。息を吸って、吐いて、吸って、吐いて、吸って、
「出来るかぁ!」
 ガバリ、と、勢いよく顔をあげ、怒鳴ったのだった。
 視線の先で武道が、きょとんと眼を丸くしている。可愛い顔しても許される事と許されない事があるんだよ。大概血迷った感想を抱いていた。
「え、何で?」
「何で? オレ、オマエ程自分捨ててねぇんだよ」
「いや、この際、恥も外聞も全部捨てて下さいよ! オレが全部受け止めるから!」
「軽率に殺しに来るの止めろ!」
 何でこの男直ぐ殺し文句吐くの? 殺したいの? 死ぬんですけど? 限界だった。九井一の精神状態である。見ての通りかなり追い込まれていたのだ。武道が余りにも余裕そうに見えるから、尚である。常軌を逸した環境への対応力が桁違いであった。花垣武道に比べれば、九井一など詰まらない常識人でしかなかったのである。
 九井は身を起こすと、ベッドの上に胡坐をかいて座った。そのまま腕も組む。見るからに思考している。考える事は二つである。殴るか、殴られるか、ファイト一発かである。三つであった。数も数えられなくなっている始末。因みにもう一つの一発は選択肢にも上げなかった。目を閉じる。考える。纏まらない。目を開け、思わず仰け反った。眼前に、花垣武道の顔があったからだ。
「な、なに」
 明らかに動揺しながら、問うた。武道が困ったように笑みを浮かべた。
「あっ、目開けちゃったか。いや、キスしようかなって」
「なんて?」
 素で問うた。え、まさか、本当に一発(意味深)に走るつもりかと思ったのだ。舵取りが急すぎて振り落とされそうだった。心臓がドクドクと高鳴る。焦り? 驚き? どちらにせよ、動揺している事に違いはなかった。
「いやほら、キスも一発カウントに入るんじゃないかって思ったんですよね」
「何で」
「童貞同士の一発なんてその程度かなって」
 だから、童貞が童貞を詰るの止めろ。そう、先程口にしたことを再度思った。思いながら、考えた。有りかも知れない。少なくとも、一番ハードルが低いように思えた。思えてしまった。後から冷静になってみて解る事だが、大概可笑しくなっていたのだ。恐らく、お互いに。だから、男同士で一発やろうだとか、キスしようだとかいう発想に至るのだ。可笑しくなかったとしたならば、そこには純然たる好意しかない。つまりどうあっても、他に取れる選択肢などないも同然だったのだ。
 九井が口をひん曲げた。大概不本意であると、示す様に。なのに両手で武道の顔を挟み込み固定したものだから、可笑しくなってしまった。結局この人流されるじゃん。そんな事を思われているとも知らず、顔を近付けたのだ。見知らぬ不可解な部屋の中、イエスノー枕が置いてあるダブルベッドの上で、童貞同士、触れるだけのキスを交わしたのだった。正直、目を閉じたかどうかも、良く分からなかった。
 シュッ、と、何かがスライドするような音が聞こえた。
 出口が出現した? そう思い辺りを見渡せば、そこは知らない場所ではなく、見慣れたD&D MOTOR CYCLE SHOPの中だったのだ。二人とも、最初に乾を待っていた状態に戻っていたのである。まるで、白昼夢を見たようであった。余りに非現実的な体験をしてしまった。ふと、未だに武道の顔に触れている事に気付き、九井はすぐさま距離を置いた。急にキスの余韻が蘇ってきたように感じ、居た堪れなくなる。確かに、したのだと、解ってしまった。何て、とち狂ったことをしてしまったのだろうか。その場で顔を覆って蹲る。死ぬ程気恥ずかしかった。しかも、相手が何も思って居なさそうなので尚である。何か思っているなら、こうして近付いてきて、労わる様に背を撫でたりしないだろう。どう見ても介護であった。
 ふと、足音が聞こえた。床しか見ていなくても分かる。乾だと思った。
「どうしたんだ、ココ」
 案の定であったが、顔を上げる勇気がなかった。多分、酷い顔をしている。その上で考えた。もし、あの部屋に入ったのが、自分と乾だったならどうなっていただろうかと。恐らく、一発芸の時点で詰んでいただろう。そういう事が出来るタイプではなかった。お互いに。そう思えば、花垣武道は凄かった。すぐさま、やり切ったのだから。お陰で九井は、柴大寿に当分会う事が出来なくなったし、何ならアップルパイも食べられなくなったが。残した爪痕が大きすぎた。しかも、自身の黒歴史まで発掘された挙句、殺し文句でイチコロの有様である。何もかもが駄目だった。九井は思う。知っていたが、再確認した。何とも常識外れた酷い男であると。別の言い方をすれば、凄い男であるとも言えた。だから、自然と言葉が口を突いて出たのだ。
「花垣は、ボスの器だなって……
 乾が笑った気配がしたので、顔を上げてしまった。自分でも何を言っているのかと思うのだから、笑われて当然だ。だが、乾の顔はそう言う、嘲るようなものではなく、謂わばオレがオマエを選んだのだと告げた武道の顔によく似ていたのだ。
「何言ってんだココ。花垣はずっとオレ等のボスだろ」
 しかも、事も無げにそんな事を言ったものだから、呆気に取られてしまった。いや、そう言う意味じゃない。そう、言おうとして、声にならなかった。そうか、コイツはずっとオレ等のボスだったのか、なんて、感化されたように自然と納得してしまったのだ。
「ココ君」
 呼びかけられ見た顔は、やはり乾のように優し気で、自分が同じように目を細めたことに九井は気付かなかった。そのまま、武道の口が動くのをぼうっと、見ていたのだ。魅入られたかのように。
「イヌピー君も童貞かな」
 結果、容赦なくぶん殴ったのだった。これは暴力ではない。言葉が通じない畜生に対するしつけと同じなのだと内心で言い訳しながら。例えボスの器だろうが何だろうが、所詮、花垣武道であった。