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エス
2024-07-18 09:43:31
87333文字
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〇〇しないと出られない部屋
2023年6月に頒布しました。
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乾青宗
花垣武道は死んだ目をして、前方を見ていた。近年稀に見る程、ある意味模範的と言っていい程の、死んだ目であった。息絶えた魚よりずっと死んだ目であった。今にも白目が濁ってきそうな具合である。しかしそれも無理はなかった。何故なら、周囲は白一色にて、四方は壁。部屋の体裁を取りながら、出入り口は無し。視線の先には、反転フラップ式案内表示機。そう、又しても、閉じ込められてしまったのだ。例のあの部屋に。武道は隣を見た。いるのは、今回の同行者である。何故かこの部屋、誰かと一緒でないと招かれないのだ。しかも武道は皆勤賞でありながら、相手は毎回違っていた。今度の相手は、乾青宗だった。武道は密かに心配していた。今までの二人よりずっと、融通が利かないような気がしていたのだ。
「何だ此処」
周囲を見渡しながら、呟くように乾が言った。それはそうだろう。武道は内心で同意した。此処が何なのかは分からないが、それでいて、出る方法は知っているのだ。何せ三回目である。武道は溜息を吐いて、フラップを指差した。
「あのですね、イヌピー君。あそこ、注目して下さい」
「あの、回転してるやつか」
そう、フラップは回転し始めていたのだ。パタパタと軽快な音を立て、札が流れていく。簡単な内容でありますように。祈りながら、追えもしないのにずっと目で見ていた。その内動きがゆっくりになり、止まる。文字が表示される。武道は口を開けた。それはもう、あんぐりと、開けたのだ。呆れ、驚き、放心? 兎に角色んな感情が綯交ぜになった結果、口が開いたのだった。そんな武道の様子に気付くことなく、乾が声に出した。
「絵描き歌を完成させないと出られない部屋?」
止まったフラップには、そう書かれていたのだ。
武道は思った。素直に思った。無理では? 一発芸は何とかなった。物真似と言う特技があってよかった。出来はどうであれ、本人的には特技にカウントしていた。アレだけ九井一に受けたのだから、特技と言って差し支えないと思っているのだ。また、悲鳴も何とかなった。あんな方法で上げさせられるとは思わなかったが、出る事には成功している。だが、今回のはどうだろうか。絵描き歌? 絵描き歌って何? 武道の脳内は大混乱で、思わず救いを求めるように、乾を見たのだ。
「イヌピー君、絵描き歌、得意ですか?」
「オレはな、花垣」
「はい」
「数え切れねぇくらい喧嘩してきたが、絵描き歌が得意な不良なんて見た事ねえ」
「確かに。オレも、そうです。東卍も結構な大所帯でしたが、絵描き歌が得意な人見た事ないですね」
神妙な顔で話しているが、内容は滅茶苦茶である。そもそも、いたとして、恐らく出会う機会がなかったが正しいのだ。大体抗争の真っ最中に、おあああああああ! と、誰しもが景気づけに雄叫びを上げる中、ぼーがいっぽんあったとさああああああ! と、歌いながら敵陣に突っ込む不良は居ないのであって、例え絵描き歌が得意な不良がいたとして、発覚する筈がないのである。
「大体、何だ此処」
「あー、何て言うんでしょうか。あそこに書かれてる、あの、絵描き歌を完成させるってあの条件を達成しないと出られない部屋なんです」
「訳が分からん」
「オレも分かんないんですけど、実はぶっちゃけ三回目でして
……
」
「三回も絵描き歌を作ってんのか?」
「いえ、絵描き歌は初めてなんですけど
……
」
あ、この流れ、覚えがある。武道は思った。恐らくも何も、説明する流れだろうと。だったら聞かれる前に言ってしまおう。勿体ぶる必要もない。
「実は最初はココ君とで、一発やらないと出られない部屋、で、二回目は大寿君で、悲鳴を上げないと出られない部屋だったんですよね」
「えっ」
聞いて思わず乾は辺りを見回した。何もない、真っ白な部屋だ。そうして、息を呑んだのだ。この、不可思議な空間で、九井一に性的に一発やられて、柴大寿に犯すより酷い目に遭わされたのだと、そう、思ったのだ。とんだ勘違いである。だが現時点で誰も訂正する人間がいなかった。不幸な事に。乾は溜息を吐き、何処か、労わるような視線を武道に向けた。
「絵描き歌で良かった。花垣、オレはオマエに酷い事したくねえ」
「アッハイ」
余りにも真摯に言われたものだから、つい返事してしまったが、意味は分かっていなかった。酷い事って何だろう。ズバリ、そう思っているのだ。確かに柴大寿には、足が折れるんじゃないかと言う程、強い力で押されまくったが。まさか自分が性的に酷い目に遭わされてきたと思われているとは、想像だにしていなかったのだ。
「兎に角、まずは一度やってみませんか」
話していても、時間が経つだけで無意味である。出来る出来ないは別として、先ず、取り掛かってみるべきだろう。見れば四方の白い壁は、ホワイトボードに変化していた。試し描きし放題である。そして気付けば足元には色とりどりのペンがある。何でも描いてみろと言わんばかりだった。部屋に挑戦状を叩き付けられている。何故か、そんな気持ちになり、取り敢えず武道は黒いペンを手にして、壁へと向かった。ペンの蓋を取る。ボードに、ペンを立てる。きゅ、と、音が鳴った。絵描き歌の始まりである。
「楕円形のお皿があったとさー」
歌いながら、楕円を描いた。隣で興味深げに乾が眺めている。その後少し悩む素振りを見せながら、円の中に線を走らせた。
「逆さにした台形かなー? スカウターかな? そうだよ!」
逆さにした台形はスカウターだった。そうだよ、と、言ってしまっているので間違いない。
「ベジータか」
「正解!」
円と、逆さにした台形、もとい、スカウターだけで当てられてしまった。それはそうだろう。
「スカウターで分かった」
スカウターが無ければ十人中、十人分からない出来栄えだが、スカウターがあるので十人中、十人分かる出来になったのだ。しかも当てられたらもう書く気がなくなったのか、そこで終了してしまったのだ。完成しなかったので、部屋から出る事は出来なかった。当然である。僅かに首を傾げ、今度は乾が黒いペンを手に取った。どうやら、やる気になったらしいと知った武道が、催促するよう無言で眺めている。
「棒が一本あったとさ」
言いながら、棒を描いた。棒は棒でも、木ではない。だからと言って、一本線でもない。立体的な棒ではある。合いの手を入れるかの如く、武道が口を開いた。
「鉄パイプですか」
「ああ」
終わった。絵描き歌終了である。もしかして、日本一短い絵描き歌ではないだろうか、等と武道は思ったが、歌にする必要すらなかった。何せ、見たまま棒である。
「出れねえな」
乾が呟くように言ったが、出れると思う方が間違っていた。流石にこの程度で出してくれる程、部屋は甘くないのである。身を以て知っている武道が首を緩く横に振った。このままでは駄目だ。何とか打開策を見出さなくてはならない、と。そうして今までの事を考える。過去二回は、一体どうやって出ただろうかと言う事だ。
「協力」
ふと、言葉が口を突いて出た。
「協力?」
「ええ、今までの二回は、二人で協力したら出られたなって思って」
そこで乾の脳裏に浮かんだのは、肉体関係を結んでいる姿であった。協力は協力でも年齢制限のある協力である。だが今回は、絵描き歌なので、そのような事をする必要はない。絶対に無い。乾は胸を撫で下ろしていた。
「何か案が?」
「交互に書いたらどうですかね。一節ずつ」
「成程」
確かにそれなら協力と言えるだろう。二人で一つの絵描き歌を完成させる。この上ない協力である。流石は花垣武道だと感心していたが、この二人、肝心な事を決めずに始めようとしていた。一体何を絵描き歌にするか。そう、題材である。何一つ話し合う事をせず、武道がボードへとペンを突き立てる。そうして、口遊むのだ。
「まぁるいお皿があったとさー」
歌いながら、今度は楕円ではない、丸を書く。因みに二人で書くことを想定してか、随分と大きな丸を描いていた。
「皿好きだな」
「いえ、土台がないと駄目かなって」
「成程」
確かに絵には土台が必要である。要らないのは、鉄パイプくらいだろう。納得しながら、乾もまたペンを走らせたのだ。因みに乾も丸を描いていた。
「林檎だよ」
林檎である。林檎かな? ではなく、林檎だよ、と、言い切っている以上、只の丸にしか見えないが、林檎なのである。その林檎を見ながら、武道も又ペンを動かした。今度は円ではない。逆三角形のような物の上辺に、皿を含めた河童の頭のような物が描かれていた。
「苺だよ」
苺である。こちらも言い切ってしまっていた。つまり、完全に苺なのだ。言うまでもなく、乾につられていた。最早絵描き歌ではなく、ただ、皿の上にフルーツが乗っているだけの絵である。しかも、終わらない。
「蛇の目だよ」
突然フルーツではなくなった。何と、蛇の、それも目である。林檎は只の丸であったのに、目の画力はそれなりだったものだから、恐ろしい出来栄えであった。
「タピオカかな? 蛙の卵だよ」
丸が連なったものを描く。一々答えを言ってしまうので、果たして絵描き歌とは何なのか? と、言う疑問が生まれつつあった。
「団扇だよ」
急に扇ぎ出した。
「アップルパイだよ」
林檎そのものではなく、とうとう加工品が出てくる始末。もしこの場に九井一がいたなら、崩れ落ちた後、柴大寿を描いただろう。だが残念ながらいるのは、全く絵心の無いズレた二人だったので、柴大寿が描かれることは無かったのである。
「宇宙だよ」
とうとう、規模が巨大化し始めた。そもそも、宇宙とは何だろうか。ただ、乾は黒く空いている部分を塗り潰しただけである。
「神降臨!」
皿に羽が生えた。シンプルに羽である。翼でなくて羽。蜻蛉の翅のような適当な四枚の楕円であった。つまり、その程度の画力なのである。
「あーっと、言う間に
……
何だこれは」
「何でしょうねこれ」
描いた二人が分からないもの、誰にも分かるはずが無かったのである。武道、乾、二人顔を見合わせ、狙ったかのように同時に首を傾げたのだった。
「何のつもりで描いてた?」
「いえ、出来上がって見えたものが答えかなって
……
」
「で、何に見えるんだ?」
「深層心理?」
誰の。もしこれが誰かの深層心理だと言うなら、ある意味危機的状況である。またそうでなくとも、下手な前衛芸術的な何かにしか見えなかった。つまり、無である。協力はしたものの、完成しなかったのだった。初手で躓いているのだから、完成したら驚きである。武道は困った。前回、前々回に比べ、難易度が格段に高い。出れる気がしなかったのだ。絵心もなければ、歌も作れない。絶望しかなかった。
ふと、その時音が聞こえた。パタン、と、何かが倒れる様な音だ。聞こえた方へと目を動かせば、フラップが動き出していた。何とこのタイミングで、条件が変わると言うのだ。じ、と、射貫くかの如き眼差しで、武道はフラップを見ていた。何と言っても死活問題である。頼む難易度下がってくれ! その思いが届いたようなタイミングで、フラップが止まった。
「絵しりとり、百回続くまで出られない部屋」
「但し、声に出したら最初からやり直し」
何と本当に、難易度が下がったのだった。どうやら部屋が、このままでは一生出られないと判断したらしいと、知る。まさかの部屋に気遣われる始末。いや、そんな気遣いを見せるくらいなら、そもそも閉じ込めないで欲しい。尤もな言い分である。だが、兎に角難易度は下がったのだ。これなら出られるだろう。何と言っても、お互い子供ではないのである。十代ではあるが、物も知っているし、百回くらい続ける事が出来るだろう。よし、と、武道は気合を入れるように深呼吸した。
「じゃあ、オレからで良いですか?」
「ああ」
「最初の文字は
……
」
そう、呟いた所で、壁に大きく、あ、と、表示された。成程、最初は、あ、かららしい。何とも分かり易い。黒いペンを片手に取ると、きゅきゅきゅ、と、軽快に走らせた。どうやら最初から何を描くか、決めていたらしかった。困ったのは、乾である。絵を見て、困ってしまった。あ、と、言ったらこれしかない、くらいの勢いで描いてくれたのは良いものの、さっぱり分からなかったのだ。そう、何を描いたのか、まるで見当もつかなかったのである。これは、絵が下手であったわけではない。寧ろ今までの中では一番の出来であった。ただもう、出来の問題ではなかったのだ。乾が最初に思ったのは、県、である。どこぞの県を描いたと思ったのだ。そういう形に見えたのである。だが、あ、から始まる県が思い浮かばなかった。次に思ったのは、国である。つまり、あそこしかないと思い、乾も又絵を描いたのだ。きゅきゅきゅ、と、音が鳴って、絵が残る。そうして、ブザーが鳴った。ぶっぶー。どうやら、外したらしかった。因みに乾が描いたのは、そう上手ではないながら、一目で分かる亀であった。
「悪い、花垣。何の絵だったんだ?」
「アムステルダムです!」
「なんて?」
当たる筈がなかった。まさかオランダの首都を描いてくるなんて思いもしないし、聞いたって乾には分からなかった。あむすてるだむ? 呪文か? 残念ながら都市の名前である。因みに乾が思ったのは、アメリカであった。どう考えても地名ならそちらを描くべきである事は間違いなかった。だがまだ、一度目である。気を取り直して、続けなければならない。何せ、百回続くまで出られないと言うのだ。
「次はオレから描こう」
相変わらず壁に書かれた文字は、あ、である。乾もまた、迷うことなく絵を描きだしたのだった。あ、と、言えばこれしかない、と、言わんばかりに。だが出来上がった絵を見て、武道は思い切り顔を顰めた。何故か? さっぱり分からなかったからである。見たところ、バットに見える。野球のバットである。だがただのバットではない。一部、黒く塗り潰されているのだ。これで、あから始まる? 武道は考えた。悩んだ。何とか答えを捻りだそうとした。
「ごめんなさいイヌピー君! 分かりません!」
だが結局ギブアップしたのだった。ぶっぶー。無慈悲にも、不正解のブザーがなる。聞いて乾が、困ったように眉尻を下げた。
「アイツを血祭りに上げる」
「文章は禁止で!」
速攻で禁止事項を設けるに至ったのだった。見ての通り、文章を有りにしたら、絶対に終わらないのは明白である。既に現段階で、こうなのだ。続くはずが無かった。だがここで折れるわけにはいかない。何せ未だ、一度も正解していないのだ。寧ろ、始まってもいない状態なのである。さて、今度こそ、と、気を取り直した瞬間、パタ、と、音がした。二人揃って、音の方を見る。フラップが動く。流石にこれは、武道も初めての経験だった。途中で一度変わった事はある。だが、二回目なのだ。しかも、回らない。一回パタ、と、動いて止まった。
「十回絵しりとり成功したら出られる部屋」
難易度が格段に下がっていた。十分の一である。まさかの、部屋に同情される始末。
「声に出したら最初から。文章は禁止」
しかもちゃんと、文章も禁止してくれる優しさ付き。武道は思った。もう、何もさせないで、大人しく出してくれればいいんじゃないかな。部屋の存在意義を殺す意見である。
「あの、イヌピー君。出来れば何ですけど、二文字とかに縛りませんか? オレ達長いの無理そうなんで
……
」
「そうだな。出来れば二文字にするか。出来れば」
「じゃあ、あの、イヌピー君からもう一回行きます?」
「分かった」
意見が纏まったところで、再々チャレンジである。出来ればこれで終わりにしたいところだ。二人の意見が一致しているのは、間違いなくそこだけである。ふう、と、息を吐いて、画家も驚きの真剣さで以て、乾は絵を描いた。分かり易く、丸を描いたのだ。流石にこれが何かは武道にも分かった。分かったが困った。何故なら、乾が描いたのは飴であり、めから始まる二文字の言葉が思い浮かばなかったのだ。
「イヌピー君、ごめん
……
!」
苦渋の選択。まさに、そう言わんばかりの謝罪であった。つまり、二文字を捨てたのだ。これに困ったのは乾である。謝られた理由も分からないが、何より分からないのが、武道の描いた絵だったのだ。しかも、ブザーが鳴らない所を見るに、正解なのだ。乾が飴を描き、武道はめから始まる何かを描いた。その何かが、ちっとも分からないのだ。スライムに足が生えたようで、しかも、兎のような耳がある。目があるから生き物だろう。これが、めで始まる? 乾の辞書にない生き物だった。確実に。悩みに悩んだ結果、乾は絵を描いた。因みに描いた絵は、スイカである。
ぶっぶー。
無慈悲なブザーが襲い掛かる。だろうな、と、思った。当たるわけが無かったのだ。
「花垣、何描いたか聞いて良いか?」
「面蛸です
……
」
「めんだこ
……
」
何だそれ。乾の素直な感想だった。だが、覚えた。あの奇怪な生き物は面蛸と言うらしいと。ココにも教えてやろう。現実逃避だった。二人揃って溜息を吐く。十回続ければいいだけのしりとりが、こんなにも難しいとは思わなかったのだ。もしこの場に、九井と大寿がいたなら震えていただろう。余りにも意思疎通が出来ないコンビの恐ろしさに。発想が常人のそれではないのだ。
「イヌピー君、オレ達、小学生になりましょう」
「どういう事だ?」
「難しく考えすぎるのを止めましょう」
「分かった」
同意したものの、しりとりの難易度を上げているのは確実に花垣武道の方だろうと、真っ当な事を思っていた。その通りである。アムステルダムと面蛸は、少なくとも絵しりとりで出すようなものではない。尤もそれを言うなら、アイツを血祭りに上げるは論外だが。
ふー、と、精神を整えるように息を吐く。そうして、何度目かの絵を描きだしたのだ。相変わらず、最初の文字は、あ、である。未だ部屋も、あ、の可能性を捨てきれていないらしかった。武道が絵を描く。今度は酷く分かり易い絵だった。小学生になるの宣言通りだ。あ、から始まる分かり易い物。蟻である。だから絵を見た乾は、迷うことなく丸を描いた。只の丸であるが、武道にはこれが何なのか分かっていた。先程も見たからである。まぁるいお皿に最初に乗せられたあの丸だ。つまり、林檎である。だから、ご、から始まる言葉を考え
……
手が止まった。普通に考えれば、ゴリラである。だが、ゴリラを描く自信がなかった。次に考えたのは、ゴマである。これは二文字だ。だが、点々を描いたとて、それが乾に伝わるだろうか。先程からの流れを見るに、どうにも乾の方が察しが悪い。自分の絵に問題がある事を棚に上げた感想である。ゴリラを取るか、ゴマを取るか。武道は悩んだ。悩んだ結果、全く違うものを描いたのだった。これに困ったのは、乾である。ご、だ。絶対にゴリラが来ると信じて疑っていなかったのに、全く違うものが現れたものだから、此方も手が止まってしまったのだ。乾は、じっと見た。武道が描いた絵を見た。そう、どう見てもゴリラではない。寧ろ、花である。ご、から始まる花って何だ? ゴミか? 花を見て塵を連想する感性の持ち主であった。息を吐くと、頭痛を堪えるように乾は眉間に皺を寄せ、瞼を伏せたのだった。
「花垣、ギブだ」
「えっ、駄目ですか、これ」
「オレは、ゴリラがくると思ってた」
「あっ、やっぱり
……
ごめんなさいイヌピー君。オレ、ゴリラ描く自信なくて
……
」
「で、この花は何だ?」
「ひまわりです」
「ご、じゃねぇだろ」
「ゴッホ
……
」
「ゴッホ
……
」
乾は思った。無理だ、これ。花の絵を見て、ゴッホを連想できる頭が乾には無かった。乾は思った。一発やる部屋の方が簡単だろ、これ。最初は、この部屋で九井に一発やられたらしい武道に同情していた。だが今は違う。花垣武道と一発やるだけで出れる部屋なら、そちらの方が余程に簡単で早いとすら思えてきたのだ。無論、今武道と乾が性的に一発やったとて、部屋から出られるわけではないので無意味だが。どうしたものか。いや、どうしたもこうしたも、何とか十回絵しりとりを続けなければいけないのだが。この世の終わりかと言う程、真剣な顔をして二人は顔を見合わせた。その瞬間を見計らったように、パタ、と、また微かな音が響いたものだから、急いでそちらを見たのである。力なく動くはずである。表示されていた言葉はこうだ。
「絵しりとり三回でいいです」
部屋が全てを諦めた瞬間だった。そして、表示された言葉は、は、に変わった。武道がすぐさまペンを手に取る。折角部屋が自主的に難易度を下げたのだ。気が変わらない内に出なければならないと思ったのである。だから、先程と同じ絵を描いたのだ。ひまわりである。だが、頭文字は、は、だ。つまり、花である。それを見た乾が負けじと素早くペンを動かした。長靴のような形の物体の上に、バナナを房ごと乗せたような絵。茄子である。最早連想ゲームであった。絵が上手かろうと下手だろうと関係ない。相手の意を汲まなければならないのだ。茄子だと、茄子以外は有り得ないだろうと言う気持ちで、武道が次の絵を描いた。縦縞模様のビーチボール。西瓜である。花、茄子、西瓜。奇跡的に、それも無言で三度しりとりが続いた。二人は感動に満ち溢れた顔で、互いを見た。出来た。出来たのだ。何と言う達成感だろうか。同時にペンを放り出した。放物線を描いて落ちる寸前、パッと視界が切り替わる。ペンが床に落下した音は聞こえなかった。
「イヌピー? 花垣?」
代わりに聞こえたのは、九井一の声だったのだ。急に抱き合いだした二人を訝し気に見て、名を呼んだのだ。
「イヌピー君」
「花垣」
だがそんな九井の声など聞こえないとばかり、二人は感動を噛み締める様にぎゅうぎゅうと抱き合ったのだった。
「何だ? 新しい余興か?」
更にまた別の声がする。柴大寿だ。こちらも訝しげである。それはそうだろう。急に二人の世界を作り出せば嫌でもそうなるだろう。しかも大寿にすれば、武道は九井と付き合っている筈なのだ。それが別の男と抱き合っているとなれば、違う問題が勃発してくるのである。
「出れた」
「ああ、出れたな」
抱き合いながら未だ至近距離で互いの顔を確かめるように、言った。これが現実だと言い含めるように。この二人のやり取りを見て真っ先に反応したのは、九井一だった。
「出れた? 出れたってまさか、あの部屋か?」
そう、他に思い当る節などないのだ。聞いて大寿も目を丸くした。そんな頻繁に誰かが誘われる等、想定していない表情だった。
「そうだよココ君聞いてよ! 大変だったんだから! ね、イヌピー君!」
「そうだぞ、ココ。本当に大変だったんだ」
「お、おう」
勢いよく言われ、ちらりと助けを求めるように大寿を見た。大寿は大寿で、巻き込むなと言う顔をしている。
「あー、どんな部屋だったんだ?」
「最初は、絵描き歌の部屋」
「絵描き歌?」
「絵描き歌を完成させるまで出れない部屋だった」
「途中で変わったのか」
「だってココ君、絵描き歌作れる?」
さも出来るわけがないだろうと言う体で武道は言うが、正直言って九井の気持ちは逆であった。楽勝。これである。絵描き歌なんて、最初に題材を決めてそうなる様に絵を描けばいいのであって、何も苦労する事は無いと思っているのだ。事実、普通の人間だったならそうしただろう。だが残念ながら選ばれたのは、花垣武道と乾青宗である。上手くいかなかったのだった。まさかの九井一も、花垣武道が初手にベジータを選び途中で止めた事、乾青宗が鉄パイプを描いて一節で終わった事など、想像できるはずが無かったのである。
「オマエ、一発芸よりどう考えても楽だろ」
「比ぶべくもないくらい一発芸の方が楽だったよ!」
「一発芸? 一発じゃなかったのか?」
「一発芸が、一発に変わったんだよ」
「まあ何にしろ、絵しりとりよりは一発の方が良いよな」
「えっ」
九井一は思った。絵しりとり? 楽勝だろ。二回目の感想である。どう考えても一発やるより、絵しりとりの方がずっと健全で楽だと思ったのだ。普通はそうだろう。因みに柴大寿も同じことを考えていた。悲鳴を上げる部屋より、絵しりとりの方が絶対的に楽だと。何せ十代後半の人間である。知識量と言い絵心と言い、多少なりともあるだろうと思ったのだ。だが、武道と乾は違う。あの苦労を思い出すと、二度と絵しりとり等やりたくないと言う頭しかなかったのである。
乾は思った。分からせてやろう。
どうやら九井と言い、大寿と言い、ちっとも乾の苦労を分かっていない。それどころか、絵しりとりが簡単だと勘違いしているのだ。そんな事はない。絵しりとりは、非常に高度で難しいゲームなのだ。相手によっては。だから乾は、ペンと紙をすぐさま用意して、武道に渡したのだった。
「花垣、一番最初に描いた、あ、から始まるアレを描いてくれ」
何故そんな事を言われるのか分からないが、断る理由もないので首を傾げ乍ら、武道は再び紙に記した。そう、オランダの首都アムステルダムである。
「オマエ等、これが何か分かるのかよ」
正直乾には、この地図がどれ程正しいのかすら分からない。寧ろ未だに、あむすてるだむなるものが、本当にあるのかどうかも分かっていないのだ。そうして、見せられた二人も、眉間に皺を寄せたのだった。地図だと言うのは何となく分かる。だが、やはり、問題は場所である。
「
……
分かるか、大寿」
「あ、から始まるんだったな」
「うん」
「アイスランド、アメリカ、アイルランド、アゼルバイジャン、アフガニスタン、アラブ、アルジェリア、アルゼンチン
……
後何かあったか?」
「いや、名前が分かっても駄目だろう。形が分からないと」
「つまり当てずっぽうか
……
」
「因みに花垣正解は?」
「アムステルダム」
「えっ」
「えっ」
国名じゃなかった。地名ではあるが。九井と大寿は顔を見合わせると、次に乾を見て、二人同時に労わる様に肩に手を置いたのだった。
「これは無理だわ」
「頑張ったな」
「そうだろ。オレ、頑張っただろ。しかもこれが、百回絵しりとりを続けろって指令の一発目だったんだぜ」
「ぜってぇ無理だわ。よく出れたな」
「部屋が妥協した」
部屋が妥協のパワーワードに二人して黙り込んだ。寧ろあの部屋に妥協とかそう言う概念がある事に驚いているのだ。特に九井一。一発芸をやり遂げたと思ったら、済し崩しに一発に雪崩れ込まれたので恨みが一入なのである。
「部屋が妥協って具体的にどういう事なんだ?」
「最初絵しりとり百回だった。次に十回に変わり、最後に三回になった」
「妥協だな」
「流石は花垣だわ。部屋を諦めさせるって相当だぞ」
「ねえ、それ褒めてます?」
「寧ろ何で褒めてると思った? どう考えても貶してるだろ?」
「褒めてよ! 三回入って三回とも出てきたんですよ⁉」
「寧ろ今となっちゃ、コイツのせいで入り込んだ気すらしてきたな」
「言えてる」
「オレも被害者なんですけど
……
?」
納得できない。そう顔に書いて寄越す様に、武道が顔を顰めたが、誰も意に介す事無く無視をした。どう考えても被害者は花垣武道ではなく、自分だと言う頭があるのだ。だからこのまま言い合っていても、結果は出ないだろう。故に話題を変える事にした。珍しく、乾がである。得体の知れない部屋からの脱出に、気分が上向いていたのだ。
「それで、三回入って三回出てきた花垣は、一体どの部屋が一番簡単だったんだ?」
「そりゃあ、最初のココ君のやつですね」
即答だった。余りにも考えることなく答えたものだから、他の三人の方が驚いた程だった。しかも平然としている。何も、疚しい事などありませんとばかり。だから、乾と大寿は顔を見合わせると、にやりと笑みを浮かべたのだ。意地の悪い笑みだった。
「そうか、やっぱココが一番か」
「お熱い事で」
「ちょっと待て、オマエ等何か勘違いしてないか?」
これに慌てたのは九井一である。絶対に何か良からぬ思い違いをされていると分かる。分かるが、分からない。何故なら、九井からすれば軽めの一発、つまりちょっと、キスしただけなのだ。だが、二人にとっては違うのである。一発と言えば一発であり、重いも軽いもなく、あの何もない部屋で一線を越えたのだと思っているのだ。因みにあっさり答えた武道からすれば、ちょっと物真似して、ちょっとキスしただけで出られたわけで、柴大寿の時のように痛みもなければ、乾青宗の時のように頭を使う事もなく、一番簡単に出られた印象しかなかったのである。
こうして重大な勘違いだけを残したまま、部屋は消失したのだった。
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