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エス
2024-07-18 09:43:31
87333文字
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〇〇しないと出られない部屋
2023年6月に頒布しました。
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三途春千夜
花垣武道はファミレスにいた。一人ではない。隣に九井一。前方に佐野万次郎。その隣に三途春千夜。何とも奇妙な組み合わせであった。元々武道は不良である。それを言えばこの場にいる全員が元不良であるが、その全員が嘗て関東一帯を巻き込んだ抗争に参加していたのだった。武道にすれば、そこで敵対していた総長、副総長、敵対していたにも関わらず裏切って此方側についた男と言う、何とも言えない組み合わせだった。大体武道自身、トップだったのだ。二つのチームのそれぞれの総長がいると言う、不思議な空間だった。尤も空気は悪くない。そもそも、敵対していたトップ同士の仲がいいのだ。悪くなる要素が無かった。普通であれば。問題は、副総長と寝返ってきた男である。此処の仲が悪かった。三途春千夜はずっと武道の事を気に入らないと言わんばかりの目で見てくるし、九井はそんな三途を牽制しようとする。武道は思った。マイキー君と二人にしてくれないかな、と。そう、少なくとも、佐野万次郎との仲は良好である。
「ココ君、アップルパイ頼みます?」
「殺すぞ」
今まで三途へと向いていた視線が、瞬時に武道へと向いた。しかも、殺意すら滲ませて。三途に向けていたものより余程に険しい顔つきに、前方の二人が驚いたように目を丸くしたのだ。
「えっ、何? 仲悪いの?」
「いいですよ」
「良くねえわ」
「良くねえのに何しに来てんだよ」
「花垣武道を放り出すと何仕出かすか分かんねえからだよ!」
「もう一般人なんですけど」
「オマエはもう、一般人とか不良とかそう言う枠じゃないんだよ」
「タイムリーパーだもんな」
「マイキー君あっさり言うの止めてもらえます?」
「どうせ戻れねえんだろ?」
「いや、思ったんですけど、戻れないって事はオレ、現代で死んでんじゃないかなって」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
三人が同時に意味のない音を発し、信じられないものを見る目を向けてくる。その視線を受けながらまるで気にしていませんと言うよう、武道はメニューを眺めていた。花垣武道が理解出来ず、取り敢えず万次郎がメニューを奪い取ったのだ。
「オマエ、マジで言ってる?」
「いや、可能性の話ですよ?」
大体武道からすれば、死んで戻ったようなものである。あのまま死んでいたとして何も不思議な事は無かったのだ。大体本当にこれで未来が変わったどうかも分からないのである。九井は花垣武道を放り出すと何を仕出かすか分からない、等と言うが、武道からすれば佐野万次郎こそがそうであった。佐野万次郎こそ、放り出すと何を仕出かすか分からない筆頭である。
「まあ、考えても分かんないですし、なる様にしかならないですよ」
あっけらかんと言う花垣武道に、三人ともが胡乱げな目を向けた。余りにも自分の死を軽く捉えていると思ったのだ。大概人の人生に介入しておきながら当の本人がこれである。嘆きたくもなると言うものだった。
「マジで何なんだよ花垣武道
……
」
心底呆れたように三途が言った。
「オレが聞きてえよ」
九井が返す。
「タケミっちさあ、オマエ死んだらオレ、マジ後追うからな」
「一番嫌な脅しだなあ」
「じゃあ、死ぬなよ」
「善処します」
「善処とかじゃねえんだよ」
武道を除いた三人が呆れる。メニュー返ってこないな、と、関係ない事を武道は思っていた。実際武道はそんなに深刻に捉えていなかったのだ。今は戻れないにしろ、その内戻れるようになるかもしれない。折を見て、佐野万次郎と握手していこう。そのように考えていたのである。言わないだけだった。
「ココ君、本当に何にします?」
「一気に食欲無くなった」
「え、どうしたんですか?」
「テメェの所為だよ!」
「えぇ
……
じゃ、三途は?」
「敬称を付けろ」
「頭髪ピンク君」
「殺すぞ」
「元ヤン直ぐ殺すって言う
……
」
おちょくっておきながら被害者の様な事を言うので他の二人が呆れた。基本武道は気が小さいのだが、三途春千夜は別だった。幼少期色々あった事は分かっているのだ。だがその全てが、花垣武道とは無関係なのである。例えば今此処で、武道が過去奴隷のような扱いを受け、逃げた事がある、と、告白する。万次郎と九井は何か思う所があるかもしれない。だが三途は違う。で? この程度である。花垣武道に対する距離感が二人よりも遠いのだ。そしてそれは、武道とて同じなのである。例えどんな過去があったにしろ、三途のしてきた事を丸々受け入れられる程心が広くなかったのだ。つまり、友人を殺そうとしたことも己が殺されそうになったことも、根に持っていたのだった。確かに抗争は終わった。万次郎の件は丸く収まった。でもすべてが無かった事にはならない。そういう事である。それでも武道は自分が大人だと思っていた。だから、三途の事も表面上は普通に接してやろう等と上から目線で思っていたのである。
「タケミっち、春千夜の事嫌い?」
二人の様子を見兼ねた万次郎が、呆れながら問うた。
「寧ろ先方がオレの事嫌いだと思いますけど」
「当然だろ」
「ほらね」
「春千夜は何でタケミっちの事嫌いなわけ?」
「単純に目障り」
「じゃあ来なきゃいいのに」
「そりゃそうだ」
「そう言うテメェは何で居るんだよ九井」
「花垣の目付け役」
「酷くないです?」
「マジで信用ねえからなテメェ」
「オレ何かしました?」
「マイキーに殺されかけた」
「うっ」
身に覚えがあり過ぎる佐野万次郎にとって、痛恨の一撃であった。テーブルに胸を押さえて突っ伏した万次郎の背を、焦ったように三途が摩る。介護かよ
……
。武道と九井が呆れた。
「大体そんな事言ったら、オレ、三途にも殺されそうになったし」
「えっ」
「この人普通に背後から日本刀で串刺しにしようとしたんですよ」
「避けた癖に」
「避けてなかったら死んでんだよ」
「死ね」
「ウルセェトレインマン」
まさかの一言に、九井が吹き出した。ついでに万次郎も反応した。三途だけが笑える筈もなく、顔を引き攣らせている。
「勝手に電車動かして敵味方関係なく全部轢き殺そうとかマジで狂人の発想だから」
「聞けば聞く程ヤベェよな」
「大体関卍ヤベェ人しかいなかったじゃん
……
」
「そう言うタケミっちは二代目東卍で一番ヤバかったじゃん
……
」
「遺憾の意」
九井は思った。自分以外全員狂ってるな、と。この場にいる正常な人間が己しかいない事を再認識したのだった。誰とて自分の事は棚上げするのである。
「そろそろ店員呼びますよー」
これ以上話していても、話題が物騒から遠ざかる気配を見せないので、とうとう武道が仕切り直そうとした。呼び鈴に手を伸ばす。
「待てよ、未だメニュー見てねえだろ」
「ココ君食欲無いんでしょ」
「無くても食えんだよ」
「滅茶苦茶だよ。三途は? 水?」
「テメェ後でマジでぶん殴るからな」
「あっ、水はセルフだから自分でどうぞ」
「タケミっちの塩対応ある意味珍しいから面白くなってきた」
「分かる」
「分かってんじゃねえよ」
そのやり取りを無視して、容赦なく武道がボタンを押した。ぴいいいい、と、何とも耳障りな機械音が響く。しかし店員はこなかった。寧ろ、一切の物音が消えたものだから、武道は目を瞠ったのだ。呼び鈴もない。椅子もない。テーブルもない。己は立っている。周囲は白。出口はない。部屋である。〇〇しないと出られない部屋、再びであった。再びどころか、最早数えるのも煩わしい程の回数である。あらゆるものが、武道の周囲から消えていた。九井一が消えた。佐野万次郎が消えた。だが、三途春千夜は消えなかった。そう、選りにも選って、三途春千夜が残ってしまったのである。武道は終わりを覚悟した。何が表示されても無理である。何せ三途春千夜だ。相性最悪である。灰谷兄弟の時も部屋に骨を埋める覚悟をしたが、その比ではなかった。どうしようもない程の絶望。武道は全てを諦めて、仰向けに倒れたのだった。
「オイ」
武道の奇行に対し、上から三途春千夜が訝し気な表情で見下ろしてくる。
「何ですか」
「何やってんだテメェ」
「諦念を表現しています」
「日本語喋れ」
「いや、そもそも三途の方こそ言う事ありません?」
「どうせテメェだろ」
「何がですか」
「タイムリープに、未来視まで備えた野郎だからな。何したって驚かねえよ」
「残念ながら、こっちも被害者なんですよ」
「意味が分からん」
武道は溜息を吐いた。察しの悪い男だと思っているのだ。渋々と言った体で起き上がる。そうして、壁を指さしたのだった。眉間に皺を寄せたまま三途が視線を送る。真っ白い壁に、突如として現れるのだ。最早お馴染み、反転フラップ式案内表示機である。三途が目を瞠る。二人の視線の先で、パタパタと音を立てて回転し始めるのだ。
「何だありゃあ」
「お題が出るんですよ」
「何の」
「部屋から出る為の」
「全く分からん。日本語話せって言ってんだろ低能」
「理解力なさ過ぎて可哀想になってきた。勝手に察して貰えません?」
「殺すぞ」
「すーぐ馬鹿の一つ覚えみたいに殺すって言う」
険悪なムードが漂っていた。だが察して仲介してくれる人物もいないのだ。睨み合う二人の事を無視してフラップは回り、そして、止まった。音が消える。自然、二人の視線もそちらへと向いた。三途が表情を険しくする。反して武道は、呆気に取られたように目を丸くしたのだ。ある意味正反対であった。何せ、武道の顔には悲壮感がないのである。先程まで絶望の色に染まっていた空気も霧散していた。
「余裕じゃないですか!」
そのまま、声を弾ませて言ったのだ。
「何が」
相変わらず理解が及ばない三途が、硬い声音で問う。
「え、読めないんですか」
「読めるわ。
……
本気の殺意を相手に向けないと出られない部屋」
「ね、余裕でしょ」
「何が」
「え、三途だし」
「何がだよ」
「いや、オレの事殺したいと思ってくれればそれでいいんで」
あっさりと言い放った武道を、信じられないものを見る目で三途が見た。
「はい、どうぞ!」
如何様にも受けて立つ。正にそう言わんばかりの立ち姿だった。腰に手を当て、三途の前に堂々と立っているのだ。取り敢えず顔を顰めたまま、三途は武道の頭を殴ったのだった。
「ちょっと! 手を出す必要はないんですけど⁉ って言うか、出られてないんですけど⁉」
「ウルセェ! 先ず説明しろ!」
「説明する事なんてあります⁉」
「全部だよ!」
「えっ」
全部? 全部とは? そう思っているのが丸わかりだったのだろう。三途が舌打ちした。武道は三途の事を察しが悪い男だと思っているが、三途もまた同じ事を思っていたのだ。
「この状況、テメェが作り出したんじゃねえんだな?」
「そう言ってるだろ」
「じゃあ何なんだよこれは」
「知るわけないでしょ」
「知ってる口ぶりだっただろ!」
「初めてじゃねえってだけだよ! 何故も何処も何も知らねえよ!」
互いに声を張り上げ睨み合う。そう、相性は最悪なのである。何せ互いにいい感情が全くないのだ。正に選りにも選っての組み合わせであった。その事を踏まえれば、今回のお題は悪くない筈だったのだ。疎ましく思う者同士には打って付け。そう、その筈だった。
しかし出口は現れないのである。
「出れないんですけど」
不満げに武道が言う。
「とっとと、本気で殺そうと思って貰えません? 先延ばし良くないですよ。あんなにオレの事殺そうとしてたじゃないですか」
確かにしてはいた。しかしそれは過去の事なのである。何度も何度も蒸し返され、腹が立つと言うよりも、ウンザリしてきたのだった。
「もしかして、ファッション殺意なんですか?」
とうとう聞いた事もない造語が飛び出してきたのである。ファッション殺意とは。思わず三途は検索エンジンで調べたくなったが、ネット回線が無かった。そもそも、携帯電話も消えている。全てが終わっていた。
「大体テメェこそ、オレの事殺したいほど嫌ってんだろうが。そっちこそ殺意位向けて来いよ」
「いやオレ、三途の事好きじゃないけど殺したいと思った事無いし」
「えっ」
「えっ」
急に三途が素っ頓狂な声を発したので、武道もつられてしまった。お互いが訝し気な表情で見合っている。何を考えているのか、分からないのだ。無論それを言い出したら最初からであろうが。
「オレはテメェを殺そうとしたんだぞ」
「知ってますよ。だから早くしてって言ってるでしょ」
「そうじゃねえだろ。殺そうとした相手を殺したいと思わねえのか」
「殺す理由がない」
「あるだろ」
「だってオレ生きてるし。電車も止めたし。カクちゃんも大寿君も死んでないでしょ」
あっさりと花垣武道は言い切ったのだった。そもそも最終決戦も縺れに縺れたものの、程度の差はあれ、怪我人だけで済んだので花垣武道は落ち着いているのだ。もし人が死んでいたならば、まかり間違ってもファミレスで顔を突き合わせるなどと言う事態は起こらない。少なくとも三途と万次郎は塀の向こうである。つまり、上手くいっていたのだった。この大成功とも言える現状で、本気の殺意など生まれる筈もないと武道は言っているのである。大体、人を憎むことに長けていない男でもあった。もし殺意を抱いたとしても、実行はおろか、長続きしないのだ。
「なので、どうぞ」
更に催促する男を見て、三途が理解出来ないと言う顔をした。得体の知れない生き物を見る目だった。
「言っとくが」
「スリーサイズ?」
「言うかボケ。オレは、殺意なぞ抱かずとも殺れる」
今度は聞いた武道が、得体の知れない生き物を見る目を向けたのだった。お互い違う生き物過ぎて全く相容れる気がしなかったのである。
「え、怖
……
性格破綻者じゃん
……
」
「テメェに言われたかねえわ」
「三途友達いないでしょ。生き辛くない?」
「殺すぞ」
「だから、出れてねえんだよ!」
「武器もないのにその気になるか!」
「あっ、そう言うのは出ないから」
「なんて?」
突然訳の分からない事を素で口にしたので、思わず三途も普通に聞き返したのだった。
「割と、部屋が融通してくれる」
「何を?」
「えっ、こう、快適な空間作りを
……
」
「いや、出せよ」
「それはそう。因みに部屋に危害を加える物は出てこない」
「例えば?」
「刃物とか爆弾とか」
試したのかよ。ごく普通に危険物を口にしたので引いていた。殺意無く人を殺せると豪語する男がである。尤も武道にすれば、試したのは己ではないので、完全に他人事の気分だった。躍起になっていたのは、ボマー九井だとかあの辺である。相変わらず三途は不機嫌そうな表情を崩しもしない。武道は溜息を吐いた。
「炬燵」
「えっ」
何に対する、えっ、で、あったのか。恐らく三途自身も分かっていなかった。驚く事が二つあった。突然炬燵、等と口走った花垣武道。そして、直後突然現れた炬燵。そう、現れたのだ。何の予兆もなく、恰も最初からあったかのように存在しているのである。炬燵が。しかもご丁寧にも二人用の、ごく小さいタイプだった。三途が顔を引き攣らせた。いや、どう考えても二人で入ったら、足が当たる。その事を想像してしまったのだった。
「座椅子」
しかも、武道の口が止まらない。快適な空間作り。正にその通りだった。炬燵に対し、向かい合うよう二つの座椅子が登場したのだ。いやもう、明らかに入れと言わんばかりである。実際武道は三途の方など僅かも見る事無く、早々に靴を脱いで入り込んだのだった。
頭が可笑しい。
呆気に取られた顔で、一連の流れを三途は見ていた。付いていけないのだ。
「入んないんですか?」
しかもさも当然のように問うてくる。頭痛がしてきた。
「テメェ、イカれてんだろ」
「一々、罵倒しないと死ぬんですか?」
「事実言ってるだけなんだよ」
「大体ずっと立ってると疲れるでしょ」
その上気遣うようなことを口にしたので、益々苦痛に苛まれる結果になったのだ。何だか突っ撥ねるのも馬鹿らしくなってきた。三途が溜息を吐く。そうして、吹っ切れたように靴を脱ぐと、同じように炬燵に入ったのだった。ついでに、武道の足を蹴る事も忘れなかった。意外と小さい事をする男である。武道が睨んだ。
「脚が長いんだよ」
「純粋にムカつく」
「精々羨んで死ね」
「だから、罵倒するくらいなら出せって話なんだよ」
「部屋に言えよ」
「そう、部屋だよ。詰んでるんですけど、どうします? ちょっと頑張ってもらえません?」
「殺意って頑張って出すもんじゃねえだろ」
「まさか三途がファッション殺意の遣い手だとは
……
ガッカリだなあ
……
」
「一々腹立つ野郎だな。煽らねえと生きていけねえのかよ」
「罵倒しないと生きていけない人よりマシですけど」
炬燵に入って向かい合うと言う、現実の距離感だけを見れば仲の良いそれでありながら、実際はこれである。互いが互いを憎々しげに見た。尤も睨み合ったところで出口は現れないのだが。本気の殺意、中々に難易度が高かった。
「テメェ、今までどうしてたんだよ」
「何がですか?」
「口ぶりから言って、初めてじゃねえんだろ」
「まあ」
「殺意だぞ? テメェ相手に誰がそんな事出来た?」
「殺意なんてお題目は初めてですよ」
言われた意味を理解するまでの時間、三途は目を丸くしていた。これが三途相手でなければ武道ももう少し親切な説明を心掛けるのだが、見てのとおりである。呑気に天板に肘を付いて欠伸などしているのだ。そこには殺意のさの字も無かった。
「毎回違うってか?」
「そう。だから今回楽勝だって思ったのにがっかりしてます」
あくまで三途の所為だと言うスタンスを崩さない。不快気に三途が眉根を寄せた。大体三途とて被害者である。部屋に入りたくて入ったわけではないのだ。気付いたらこの通りである。寧ろ未だに現実ではない可能性を模索していた。夢だと言われた方が未だ納得できる。尤もその場合、夢に花垣武道が登場していると言う事になるのだが。それもそれで受け入れ難いのだからどうしようもなかった。
「楽勝だったことが無いと言いたげだな」
「毎回死ぬ思いしてますよ」
「例えば?」
「灰谷兄弟と組体操」
「なんて?」
咄嗟に三途は聞き返してしまった。思いも寄らぬ名が出てきたからだ。灰谷兄弟? あの? この界隈で灰谷兄弟と言えば一組しかいないのであの灰谷兄弟で間違いないのだが、それでも信じられなかったのだ。
「面識あるのか?」
「ほぼゼロですよ。しかもそのほぼゼロの相手と組体操ですよ⁉ どう⁉」
「死んだ方がマシ」
「オレマジで部屋から出れないと思った」
「出れたって事は、やったんだろ」
「灰谷のお兄さんの方が椅子に座って、その後ろに弟さん立たせて、オレを足元に跪かせて、組体操、王。って、宣言したら出れた」
「組体操とは」
三途は検索エンジンですぐさま組体操を調べたくなった。自分の知っている組体操と違ったからである。組体操、王? しかも今の話を聞くに、全く組み合っていないのだ。宣言すれば認めると言う事だろうか? だとしたら、かなりイージーモードでは?
「楽じゃねえか」
「そこに至るまでが大変だったんだよ。プロレス技かけられたりした」
「ウケる」
「あー、腹立つ死んで欲しい」
「そこで本気の殺意だろ。早く向けて来いよ」
武道は三途を睨みつけたが、残念ながら出口は現れなかった。
「毎回違う相手か?」
「ココ君とは三回入った」
「多すぎだろ。寧ろテメェ何回入ってんだよ」
「これが七回目」
「いっそ住めよ」
「その場合、三途も一緒なんだよ。出られないんだから」
「最悪の極み」
「こっちの台詞だよ早く殺意出せよ」
二人同時に溜息を吐いた。突破口が見つからないのだ。しかも炬燵が駄目である。良い感じに温いのだ。何だか眠くなってくる始末。殺意など湧くような状況では絶対に無かった。
「オイ、寝るんじゃねえよ」
とうとう腕を枕にして天板に突っ伏した武道に呆れたように三途が声を掛けた。
「もう無理だよ。出られないんだよ。寝ても良いだろ」
「良いわけねえだろ。蹴り飛ばすぞ」
「だったら早く殺意出してよ」
「テメェこそやれよ」
「無理だよ、オレ三途の事好きだもん」
「嘘つけ」
「嘘に決まってんだろ」
「殺すぞ」
「出られてねえんだよ!」
顔を上げ、同時に声も張り上げたものの、それだけである。そう、出られないのだ。万事休す。二人が黙れば無音だ。そもそも音楽一つ流れていないのだ。何とも居心地の悪い静かな空間であった。会話が弾む間柄でもないので、一度途切れると、次の話題が出てこない。どうしたものか。やはり寝るしかないのではないか。そう、武道が真に諦めかけた時だった。
パタン、と、微かな物音がしたのだ。
二人同時に視線を動かす。フラップが、動いたのだった。三途が瞬きをする。武道が目を瞠った。
「オイ、動いたぞ」
「変わるんだよ」
「何が」
「出る為の条件」
「は?」
「無理だと判断すると、勝手に変わるみたい」
なんだそりゃ。素直に三途は思った。武道も武道で、このままだと永遠に出られないと部屋ですら判断したんだな、と、呆れていたのだった。この部屋、自我があるのだ。意味が分からないが。パタパタと軽快な音を立てフラップが回転する。止まる。二人はじっと、見詰めた。これ以上変化が訪れないか、慎重に見たのだ。そして、幾分時間が経ってから、顔を見合わせたのだった。
フラップにはこう書いてある。
会話しないと出られない部屋。
格段に、難易度が下がったのである。
「余裕では?」
「ま、それくらいは出来るわな」
フラップの上に、回数が表示される。出た数字は、一、だ。
「一往復って事?」
「多分」
二、に変わった。
「ねえ、これ、何往復すりゃいいんだと思う?」
「知るかよ」
ここで異変が起きた。そう、〇に戻ったのだ。
「
……
」
「
……
」
「は?」
「は?」
全く訳が分からず、呆気に取られたような声を出した。そしてまた、表示される、一。二人はじっと互いの顔を見た。
「オイ、テメェ」
「何ですか」
二、に変わったのを確認する。
「経験者だろ。思い当たる節ねえのかよ」
「会話しろ、だなんて初めてですよ。分かるわけないでしょ」
そしてまたゼロに戻るのだ。武道と三途は考えた。条件である。会話をしろとしか書かれていない。その条件の通りに会話をしている。二、まではカウントする。だが、三が出てこないのだ。何故かゼロに逆戻りである。それどころか、何往復すればいいのかも分からないのだ。確かな事は、現状出口が現れない事である。
「訳分かんねえ、しりとりでもする?」
「先ず喋るのが先決ってか」
一、が表示される。
「そう言う事。じゃあ、炬燵」
「積み木」
ゼロに戻った。二人揃って、フラップの上を睨みつける。容赦なく表示される〇を睨みつけたのだ。
「どうもしりとりは会話にカウントしないらしいね」
「腹立ってきた」
一、に戻る。
「いやオレ等さ、頑張ったと思うよ」
「部屋を破壊するしかねえんじゃねえか」
二、に進む。
「それ大寿君とココ君がやろうとして失敗した」
「死ぬしかねえわ」
ゼロが表示される。最早驚かなくもなってしまった。どうあっても、そこから先に進まないのだ。完全に詰みである。二人は黙り込んだ。会話をする意味すら見出せなくなったのだ。大体、楽しく会話するような仲でもないのである。何方も声を発さなくなれば、また無音になった。とうとう武道は本格的に寝る事に決めた。しかしその決意を嘲笑う様に、パタン、と、音がしたのだ。二人揃って瞬時にそちらを見た。だが、フラップは回っていなかった。相変わらず、会話をしろとしか書かれていないのだ。問題はその下である。上には、〇。そして下に新たに文面が出てきたのだ。
・一〇〇往復するまで出られない。
「無理だろ」
「ゼロに戻すなよ」
表示される、一。結局現状維持である。何故三回目に戻るのか分からないのだ。二人はまた顔を見合わせたが、もう言葉すら出てこなかった。出たのは溜息だけである。そのまま会話を放棄したのだ。暫く経過した後、武道が言った。
「ねえ、三途。見て」
「あ?」
一、が表示された。これは可笑しい。先程も一だったのだから、二になるべきである。なのに、一、なのだ。二人揃って眉根を寄せた。
「時間制限もあるのかよ」
「一定時間黙るとゼロに戻るって? 馬鹿かよ」
二に進む。
「どうせまた、〇に戻るんだろ」
「誰だよ会話なんて楽勝っつったの。花垣武道だろ」
ここで異変が起きた。結論から言えば、〇に戻った。だがその前に一瞬だけ、三が表示されたのだ。フラップを見る目が丸くなる。
「見た?」
「見た」
「一瞬三になった」
「つまりアレだ、名前だろ」
「三回に一回は名前呼べって事?」
「それも苗字じゃない。下の名前だ。武道」
見事、三が表示されたのだった。三の数字は消えずに残っている。ゼロに戻る事もない。二人は喜びを覚えていた。そう、漸く条件が分かったのだ。ホッとする気持ちもあった。だが、割と直ぐ消滅するに至ったのだ。冷静に考えると、何とも度し難い条件だった。三回に一度は下の名前を呼べ? 全く仲良くも何ともないのに? 端的に言って拷問だった。しかも一定時間黙ると、〇に戻るのである。これで、一〇〇回も続けろ? 無理では? また諦めが脳裏を過ったのである。
「思ったんだけど、お互いずっと下の名前を呼び合うってのはどう」
「会話無しで?」
「無しで」
「しりとりが駄目だったんだぞ。ゼロに戻るだろ」
「そうだった、今何回目だっけ春千夜」
「気持ち悪いな
……
」
「オレだって呼びたくて呼んでるわけじゃねえんだけど⁉」
「ウルセェ黙れ死ね武道」
「そうか、語尾の気持ちでつければいいのか春千夜」
「テメェと話したい事がねえんだが」
「オレだってねえよ」
「余裕つっただろ」
「そっちだってそれくらい出来るって言っただろ春千夜」
此処でまさかの出来事が起きてしまった。そう、表示がゼロに戻ったのである。二人揃って絶句したのだった。意味が分からない。会話はしていた筈だ。しりとりでもない。黙ってもない。名前も呼んだ。一体何が悪かったのか。黙して考えるに至ったのである。
「思ったんだけど」
「んだよ」
「そっちの所為じゃない?」
「言いがかり止めろよ殺すぞ」
「多分さあ、名前も交互に呼ばないと駄目なんじゃない?」
沈黙が訪れた。三途は思い返していた。先程の流れである。確かに、武道が二度続けて春千夜と呼んだ気がしていた。もしそれが条件の一つであるならば。三途が頭痛を堪える様な表情を浮かべ、額を押さえた。
「無理だろ、普通に」
「やらないと出られないんだよ」
「いや、無理だと部屋が諦めんだろ。もう一回諦めさせようぜ」
何処か座った目をして、とんでもない事を言い出したのである。最初こそ呆れた武道だったが能々考えればそれも有りな気がした。成程、再度部屋に諦めさせる。思い返せば乾の時も、徐々に徐々に簡単になっていったのだ。今回も、会話が百往復から五十往復になり、最終的に三往復位になるかもしれない。そう思えば、有りとしか言いようがなかった。武道が再度天板に突っ伏した。
「武道?」
「寝るから、条件変わったら教えて」
「ふざけんなテメェ」
「じゃあ、春千夜も寝ればいいじゃん」
因みにちゃんとカウントされている。しかも無意識に下の名前を呼び始めていた。だが諦めると決めた二人には何ら関係が無かったのである。今が一番上手くいきそうな空気を醸し始めている事に、双方気付かなかったのだ。そして本当に二人揃って黙り込み、またカウントはゼロに戻ったのだった。
再度無言の空間が出来上がる。話す事など何もない。そう言った空気が漂っていた。何方ともなく欠伸をして、正にその瞬間を見計らったかのように微かな音がしたのだ。そう、パタン、と。
フラップが動いたのである。
瞬時に武道は体を起こしたし、三途もまた音の方を凝視したのだ。パタン、パタン、と回ったかと思えば、パタパタと軽快な音を立て始める。完全に条件が変わろうとしていた。今度こそ簡単になれ。祈りを込めて強く視線を送る。寧ろ今なら殺意を向けられそうであった。但し、部屋にである。音が止まる。文字が表示される。そして二人は、似たような表情を浮かべたのだ。目を丸くし口をポカンと開けたのだった。
「ものボケしないと出られない部屋」
武道が読み上げた時だった。ガタガタン! と、騒音めいた音が響いたのだ。二人揃って肩を震わせて音の方を見る。炬燵の隣に、沢山の物が現れたのだった。それこそ、何の纏まりもない物の数々だった。三途は呆気に取られていた。全く状況についていけていないのだ。ものボケ? ものボケとは? 先ずそこからだった。脳が働くことを拒否しているようにすら感じる。反して花垣武道は即座に立ち上がったのである。何を考えているか。恐らく、何も考えてはいなかった。ただそこにあるのは、部屋から出ると言う意志一つだったのだ。呆然と三途は武道の動きを目で追っていた。一直線に武道は目的の物へと向かって行ったのだ。そうして、手にした。箒を、そう、何ら変哲のない赤シダの箒を掴んだのである。一体何をする気なのか。三途は固唾を呑んで見守っていた。武道が箒を股の間に挟んだ。そして、睨むような顔つきで、三途を見たのだ。
「私魔女のミチ! アッチはイカれポンチのハル!」
ものボケである。突然巻き込まれた三途は思った。誰がイカれポンチだ。多分突っ込むところは他にもあった。だが脳が働くことを拒否しているのでこれが精一杯だったのだ。三途に出来る事は、魔女を自称した男を見る事だけである。何せ、出られないのだ。そう、出口が出てこないのである。するとすぐさま武道は箒を放り投げた。思い切りが良い。駄目だと思ったらすぐ次へと移行する気である。この辺りの切り替えの早さは中々真似できないものがある。大体、ものボケと表示され、本職でもないのに直ぐボケる事が出来る人間少数派である。三途は思った。花垣武道って何なんだ? 今更である。
次に武道が手にしたのは、輪投げの輪であった。それを両手で持って言うのだ。
「お客さん何処まで? マニラ? 東京から? マニラ? あー
……
行けっかな
……
」
陸路で行けるわけねえだろ。マニラ知らねえのか。三途の内心のツッコミは完全にズレていた。問題は其処ではないのである。そして現れない出口。武道は輪を投げた。諦めが秒である。
次に武道が選んだのは、こけしだった。あの木で出来た細長い胴体に丸い頭、細い目、申し訳程度の髪の毛のあのこけしである。そのこけしを三途の前に置いたのだった。訝し気に三途が眉根を寄せた。炬燵の天板の上、こけしは何か物言いたげに立っている。三途春千夜を真っ向から見るように。
「こちら今日のお見合い相手のこけみさん。こけみさんは、今日をとても楽しみにしてたんですよ。ね、こけみさん?『わたしこけみっていいます! とくぎはひとをのろいころすことです! よろしくおねがいしますわくわく』」
焼却処分しろ。勝手に見合いに参加させられた三途の感想である。こけしはじっとしている。それはそうである。動いたら単純にホラーである。出口は現れない。武道はこけしなど存在しなかったと言うよう、背を向けた。そう、相変わらず三途はこけしと向き合っているのである。いや、どっかやれよ。自分でやればいいのだが、何となく触りたくなかった。人を呪い殺す特技を持っているからである。持っているわけなかった。只のこけしなのだ。
次に武道は壺を手にしたのである。花瓶では無くて、壺。用途が分からない。漬物でも漬けるのだろうかと思えども、蓋もないのだ。その壺を片手に乗せるようにして持つと、もう片方の手を中に突っ込んだのだった。その不可解な格好で、三途を見るのである。何せ観客が一人なので自ずとそうなるのだ。
「はい、皆さんが静かになるまで七十五分かかりました」
かかり過ぎだろ待つなよ壺なんだよ意味ねえのかよ。壺に手を突っ込んだまま集会に臨む校長、こんな校長は嫌だのベスト三十くらいには入りそうである。三途は内心で突っ込んだが、出口は現れなかった。武道が壺を投げたが、割れずにゴロリと転がった。最早材質も謎である。
次に手にしたのはタオルだった。ごく普通の真っ白いフェイスタオルである。それを四つ折りにすると、手で持ち窓を拭く仕草をしたのだ。余りに普通だった。ボケですらなかった。
「こら、そこ! その部分はサンバのリズムでって言ったでしょ!」
何か分からんが、ボケたな。玄人みたいな感想を抱く三途春千夜が爆誕しつつあった。花垣武道のものボケに慣れ始めていたのだ。そして現れない出口。武道は溜息を吐くと、タオルを丸めて投げた。その投げた方向にはこけしが有った為、見事当たってゴロリと転がったのだ。三途が避けた。何となく、触れたくなかったのだ。無意識にこけみを恐れていた。ただのこけしの筈なのに。
段々と花垣武道が苛ついてきていた。三途にも分かる程には。そして納得もしていた。やれどもやれども出口が現れないのである。果たしてものボケとは何か。三途は良く知らないながら、多分これで正解なのだろうとも思っていたのだ。寧ろやれと言われても、自分には絶対に無理だろうとも。花垣武道とは一体何なのか。全く分からないながら、あの男が人から頼られる理由を解し始めていたのだ。ものボケが出来る不良、少数派である。そもそも、ものボケに頼らざるを得ない状況に陥る事がないのだが。
次に武道はバットを手にした。野球のバットである。両手で持つと、バッターボックスに立った様に構えた。そして、振った。何度か振った。バットが空気を切る音が響く。どう見ても只の素振りである。ごくごく普通の。何度か繰り返した後、バットを下ろした。そうして今度は、ゴルフクラブを持つように、バットを手にしたのだ。そのまま、垂直に持ち上げて言った。
「ちんこ」
とうとう、三途が天板に突っ伏した。
「ただの下ネタじゃねえか!」
更に声に出して突っ込んだのだ。
ファミレスに、三途の声が響いたのである。
急に世界に音が戻ってきたのだ。対角線上に座りながら、三途と武道は目を丸くして見つめ合った。出られた。そう、目で言い合っている。何も、変わって等いなかった。そこは確かにファミレスで、武道の隣には九井がいて、その向かいに三途、そして隣に万次郎。部屋に入る前と全く同じ空間だったのだ。
「下ネタって何?」
沈黙を破ったのは万次郎だった。突然変な叫び声をあげた三途を訝しがっているのだ。だが、説明できる筈もない。大体信じて貰えない事は明白である。だから三途は武道を睨みつけたのだ。
「テメェの所為だぞ武道」
「ハァ? 寧ろオレに感謝しろよ春千夜」
「えっ」
「えっ」
あんなにいがみ合っていたのに突然親し気に名など呼び始めたものだから、万次郎と九井が呆気に取られている。
「大体こけみって何だよ」
「春千夜の見合い相手」
「人を呪い殺すのが特技とか言うのと何が悲しくて見合いしなきゃなんねえんだよ」
「お似合いだよ」
「大体マニラ迄陸路で行けるわけねえだろ」
「ボケってそう言うもんだろ」
「誰がイカれポンチだ」
「三途春千夜」
「テメェには敵わねえよ」
「つうか、何か一つくらいやってよ」
「えっ」
まさかの無茶ぶりである。三途は思った。此処で? 寧ろもう、出れたのに? しかも隣に佐野万次郎がいるのに? 拒否しかない案件である。だが出来ないと言うのも己の小さなプライドが邪魔をしてしまっていた。何せ花垣武道ときたら、部屋から出る為にあれ程ボケたのである。つまり、少しは報いなければいけないのではないかと思ったのだ。完全に毒されていた。意を決したように三途が息を吐いた。そうして、手を伸ばして、爪楊枝を一本取り出したのだ。一体何をする気なのかと、三対の目が三途の動きを追っている。気付かない振りで、爪楊枝の先端を武道に向けたのだ。
「ここで、終われ」
「
……
」
「
……
」
「
……
っ」
三人ともが暫く呆気に取られた様に目を丸くして黙り込んだものの、一早く武道が口元を押さえて笑いだした。思い出したのだ。日本刀を上段に構えて、花垣武道を殺そうとしたときの台詞だと。勿論殺されることは無かった。直後に柴大寿が登場し、この男ときたら、バイクでドーンされたのだ。笑う花垣武道を見て、三途がそっぽを向いた。ただ、その頬は羞恥で赤くなっていたが。
最後まで、他の二人は呆けた様子で眺めていたのだ。尤も真に分かっていなかったのは佐野万次郎だけで、九井には思い当る節があった。部屋だな、と、そう思ったのだ。流石花垣武道に巻き込まれて三回も入った男は違うのである。普通に考えれば絶対に出てこない結論であった。
ファミレスを出て、二人きりの帰り道。
「又、出られねえ部屋かよ」
何処か呆れを含ませて九井が問うた。言われ困った様に武道が笑みを浮かべる。実際、武道の意志ではないので、責められる謂れもないのである。
「そうなんだけどさ、オレだって入ろう思って入ってるわけじゃないんだよね」
「よく言うよ皆勤賞」
「ココ君だって、オレが知らない間にイヌピー君と入ってるかも知れない」
「ンなわけあるか。オレはテメェだけだよ」
おや? と、武道は首を傾げた。何だか九井の口調がいつもより刺々しいのだ。思わず足を止める。すると隣を歩いていた九井も止まった。訝し気に見下ろしてくる。その顔をじっと、武道は見たのだ。まるで、見透かすような目をして。
「もしかして、妬いてます?」
花垣武道は何時だって真っ直ぐなのだ。隠し事が下手だと言う事もあるだろう。だがそこには何の裏もなく、只管に事実を、そう、思った事をそのまま口にするのだ。だから何時だって九井は面食らって、言葉を失ってしまうのである。
「
……
は」
嘲るように笑おうとした。だが、続かなかった。武道の目が余りにも澄んでいて、今日の空より青くて、嘘を吐けなくなる。この目が嫌いで、途方もない程焦がれている。嫌でも、自覚せざるを得なくなる。大仰に九井は息を吐いた。体内の酸素を全部吐き出す様に。沢山の諦念を込めて。気分は、白旗を上げた敗残兵である。
「そうだよ。悪いかよ」
「わ、素直だ」
「ウルセェ。直ぐ他所の男引っ掛けやがって」
「引っ掛けてます?」
「ウチの奴らなら未だしも、灰谷に三途だぞ。どう考えても敵だろうが」
「別に今はもう敵対してないんですけど。と、言うか不良辞めたんですけど」
「余計に危機感が足りねえんだよ」
「何の心配してるんですか」
「オレ以外の男に食われる心配だよ」
は、と、武道は息を吐いた。本当は何か言葉を口にするつもりで、でも、驚きの余り音にならなかったのだ。まさか、そんなにも直接的な言葉を九井が吐くとは思っていなかったのだ。何故なら九井一である。花垣武道とは違うのだ。ちっとも素直ではないのである。何時だって、自分の気持ちを誤魔化すような男だった。それが今、らしくない程に、何を偽る事もなく武道と向き合っているのだ。
「言っとくけどな、最初はオレだったんだぞ」
「覚えてますよ。オレの物真似に大笑いしてくれたんだもの」
「お陰で柴大寿と面と向かって話せなくなった。その上、ラップもやらされたし」
「ココ君意外と上手かったよ」
「もう、一生やらねえからな。後、責任、取れって言っただろ」
「言ったね。オレ、返事したかな」
「もし、次があったら」
次、の言葉に武道は首を傾げたのだ。あんなに入りたくないと、部屋を爆破するとまで言い放った男が、次を口にしたものだから、不思議に思ったのだ。しかも、如何にも言い辛そうに目を逸らしているものだから、猶更分からなかった。暫くそのまま九井は黙り込んでいた。明らかに言葉を探していた。だから武道は根気強く待ったのだ。九井の視線が動く。武道を捉える。目が合った。パチッと、音が聞こえるような衝撃。次いで感じたのは、唇に柔らかい感触だった。真昼間の往来で、たった一瞬、触れるだけのキスをしたのだった。
「軽くない一発するから」
しかもそんな宣言までしてきたものだから、武道はもう、口を開けて呆けるしかなかったのだ。
「えっと、それは、イエスノー枕が要るって事ですか」
「ノーは要らねえだろ」
「責任取るの? 取られるの?」
「どっちでもいいだろ。やる事変わんねえよ」
「ねえ、軽くない一発って何ですか」
「教えてほしけりゃ、部屋に期待しろよ」
酷な事を九井が言った。何せ部屋に期待した事など、一度たりともないのである。武道は勿論九井だって、部屋には恨みしかなかった。なのに今になって、部屋に呼ばれたいと思う等、何とも馬鹿げていたのだ。何だか途端に可笑しくなって、武道が笑い出した。
「
……
笑うんじゃねえよ」
顔を顰めてそっぽを向いて言う。不機嫌そうに、でも、顔を赤らめて言ったのだ。同じく笑う武道だって、頬を染めていた。二人揃って、アップルパイの林檎のような顔をして、きっと同じことを考えていたのだ。二つの手が、不自然に空を切る。部屋の前にまず、手を繋ぐタイミングを模索していたのだった。パタン、と、フラップが回転する音が聞こえた気がした。きっとこう書いてある。二人で手を繋いで歩くまで出られない部屋。但し、未来まで。
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