外伝 硝子の窓辺に佇む【中編】

あらすじ
かつてこの国には名探偵がいた。あらゆる謎を解き明かしたその探偵は、悪の教典と共に暗い滝壺で眠っている。
舞台は英国。不可思議な事件を巡る、残された者の物語__。
エマ=ジェームズ・ワトソンの元に奇妙な殺人事件の解決依頼が持ち込まれる。貴族家の女性が窓辺に佇むようにして死んでいたという奇妙な状況。さらにその事件には『魔女の絵画』という神秘の遺物が関わっている__。依頼の手紙にはそのような文面があった。依頼を受けたワトソンはシャルルマーニュと共に事件の捜査へ向かうが……?
前編➤ https://privatter.me/page/65afd8e7e75d5
後編➤ https://privatter.me/page/65bb2b071a723

スペシャルサンクス:Littorio様
アマネセール家の御家名、エストレア・アマネセール様、アドレナリーナ・アマネセール様にご登場いただきました。
結構いっぱい喋っていただきました。快くお貸しくださりありがとうございました。


***

3


__数刻後
アマネセール邸



「ァあ? てめえに跨がせる敷居はねえよ。さっさと帰れこの野郎」
「え〜? ツンデレか〜? このこの〜♡」俺は邂逅一番に罵倒してきたエストレア・アマネセールの肩をどつき回す。「お兄ちゃんは素直じゃな〜いね♡」
「誰が!! お兄ちゃんだ!! ボケが!!」エストレアは俺を担ぎ上げてその辺の生垣に向かって投げ飛ばした。
「ひど〜い〜! こんなに可愛い俺を投げるとかどうかしてやがるぜ。見ろよ、この可愛いガチョウセーター。お前のせいで汚れちまったじゃんかよ〜」
「お前のファッションセンスこの世の終わりじゃねえか……

俺の可愛いセーターにドン引きしているエストレアは、俺の背後で妙にニコニコしているハルハイムを見て身の危険を感じたのか、さっと耳を真後ろに倒した。気持ちはわかる。

「つうか何のようだ。暇だから遊びに来たとか言い出したら叩き出すからな。こっちは今法務対応で忙しいんだ。てめえに構ってる暇なんざ一分だってねえ」
「ヘカチェが221Bまで戻ってこないのはそれが理由だったか……」俺は合点がいき、ニヤリと笑ってエストレアの方を見た。
「義妹が何だって?」エストレアは露骨に嫌そうな顔をした。「ヘカチェがいなきゃうちの法務部は終わりだ。殆どあいつが一人で回してる。邪魔すんなタコ」
「ヘカチェは忙しくても、お前は暇そうだけどな」
「だぁ〜〜うるせえ!! 俺は荷運びが仕事だから法務は関係ねえ!! 知るか!!」
「お義兄様!!」ヘカチェが玄関から飛び出してこちらへすごい速度で走り、エストレアの首根っこを思いっきり掴んだ。「この請求は何です!? 器物損壊の損害賠償請求が来ているのですけれど!?」
「ぁあ!? 知らねえようっせえなァ!! 俺は何も壊してねえ!!」
「お義兄様以外に壊す方がいますか! しらばっくれない!」

ヘカチェはエストレアを叱り飛ばし始めた。オカンかよ。
俺とハルハイムは、二人の漫才を眺めつつ寒いから早く入れてくれねえかなと様子を伺っていた。そっと半開きの玄関を伺うと奥で背の高い馬子と目が合う。エストレアに雰囲気は似ているが恐らく異母兄弟だろうか? 瞳の色が違う。彼は玄関扉を引っ張って俺たちを招き入れた。

「兄がすみません。いっつもあんな感じで」
「シャルルマーニュ・ハイドノーブルだ。名乗らなくても知ってた……か?」
「僕はオスカー・ハルハイム。古代魔術を研究している魔術師だ」
「俺はアドレナリーナ・アマネセール。エストレアの弟で、あなたの従姉妹であるハイドヘカチェリーナの夫です。遠い所、よくお越しくださった」


彼は俺たちに順繰り握手をして丁寧な自己紹介をした。
兄弟であるだけあり、顔立ちは似てこそいるものの口から出てくる言葉には気品がある。兄貴を反面教師にすくすく育ったらしい彼__アドレナリーナは、俺たちをすぐに応接間へ案内した。
応接間の天井には美しい星々の装飾が描かれており、巨大な星の早見盤のように時折天が動き星の位置が変わっている。どうやら窓から差し込む夕陽によって、天井の装飾が動くらしい。流石に古い家だけあってこうした魔術的な装飾が所々にある。
室内の壁や装飾は夜の色、ターコイズブルーの布が張られた一人用ソファに俺とハルハイムは腰掛ける。滑るようにやってきたメイドが俺たちの前にこれまた鮮やかな青のティーセットを置き、そこにミルクティーを注ぎ入れた。動作のひとつひとつに無駄がない。流石は貴族家に仕えるメイドなだけあって相当技能が高い者が雇用されているという事だろう。

「ヘカチェはもうすぐ来ます。……兄貴が器物損壊したせいで方々から苦情の嵐です」
「やっぱり器物損壊はしていたんだね」ハルハイムが妙に恍惚とした顔をしながら言った。「いいねえ……とぉっても、元気で……
「ちょっと黙れ変態。……あー、アドレナリーナ。デイム・ロディアの件で色々話が聞きたくてな。守秘義務とかあるだろうし、話せる範囲で構わねえけど」
「アドレで構いません。みんなそう呼ぶ」そう言ってアドレは無作法にティーカップを掴んで茶を飲んだ。こういう所は兄弟っぽいな、と思う。
「じゃあアドレくん。君たちアマネセール家はどこまで『魔女の絵画』に関する情報を知っているのかな」

ハルハイムは先ほどまでの気配を完全に消し、真面目な表情でアドレに問いかけた。アドレは少し困ったような表情を浮かべて答える。

「貴方ほど詳しくは無い。でも依頼されたものを扱う上での注意点や、それに準じること、勿論逸話や作者たるフォックス・トロット・アーキテクトの事も調べましたが……基本的には神秘管理局によって希釈された公開情報よりも深い事は知りません」
「そうか。いや良かった。安心したよ。もしも禁忌事項にまで手を伸ばしていたらとヒヤヒヤした」ハルハイムはそう言って、鮮やかな青色に彩られたティーカップをつまんだ。「そうなったら秘匿事項違反でガサ入れか、最悪処刑だからね」
「いや、んな危険な橋を俺が渡るわけないでしょ。見ての通りいつも暴れてんのは兄貴とかその辺ですよ」
「あっはっはっは。確かに」ハルハイムは朗らかに笑った。
「ですが__まさかアンシーリーコートさえ飲み込むとは。ヘカチェから報告を受けた時全員目が点になってましたよ」
「それは俺も同感だ。でもそれほどワトソンにとってシャーロック・ホームズの死は……そこで時間を止めるに容易く、受け入れがたい事なんだろ」俺はあの時、『魔女の絵画』に視線を釘づけにして乾いた笑いを浮かべていたワトソンの事を思い出す。

『お前にはあの絵が、森に見えるのか』
『あ、ああ。深い……なんか不気味な森に見えるけど。何、お前にはどう見えるんだよ』
『森? 森、だと。これが?』

ワトソンを通して俺もまた、あの青黒く底のない闇を湛えた瀑布を見た。ライヘンバッハの滝。シャーロック・ホームズという存在の終わりを告げた死神のような存在だと思う。
幸いなことに俺が経験した別離はそのような悲劇ではなく、ひとりの馬子の人生の幕引きを看取っただけである。無慈悲に愛する者を奪われ、失う痛みは想像がつかない。

「シャル。……モクペジム卿に話は聞けたかしら」

少し疲れた様子のヘカチェが部屋に入ってきて、アドレの隣に腰かける。そっとアドレはヘカチェの腰へ右手を回し彼女をさらに引き寄せた。

「いや、ありゃあ口がめちゃくちゃ固いタイプでな……。唯一引き出せたのは『ヤードが自分を最有力容疑者としている』ってことと、ブチギレさせて引き出した『何で殺人だと断言できるんだ』ってこんだけ。それ以外はなぁ~んにも喋んない」
「流石に魔術師というわけか。秘匿を守るのは魔術師として最も必要な素養だからね」ハルハイムが横で呟いた。
「そういえばクラウス卿にはめちゃくちゃ親しい友人がいるようなんですが。シャルルマーニュ卿、モクペジム邸で会いましたか?」アドレは思い出したように言った。
「おいおい、卿だとかやめろよな~。俺は名ばかりのハイドノーブル家だぜ」
「今はいいでしょ。アドレ、その方というのは?」ヘカチェが問いかけた。
「あぁ……ヤコフ・ニジンスキーという名前の男で、何て言うかこう、悩まし気な男だった。いや、俺もパーティで軽く自己紹介した程度だから、全然詳しくは知らないんだが」アドレは考え込むように眉根を寄せた。「クラウス卿と昵懇なんだと思う。ただ昵懇、と言っても__単なる親友とか、友人とかでは絶対にない。もっと深い関係だ」
「恋愛関係にあるという事かな?」
「多分そうだと思います。揃いの指輪をしていたので、レディたちがきゃあきゃあ言ってましたよ。クラウス卿もミスター・ニジンスキーも、かなり整った顔をしてらっしゃるからなァ……。それで余計にそういう噂が立ってるのかもしれません」

クラウスと恋愛関係にある男。そんな気配は一切なかったが。そのヤコフ・ニジンスキーという男がこの事件に関わっているとしたら、クラウスがあれ程調査に非協力的な反応を示したのには納得がいく。

「クラウス卿にデイム・ロディアの話をした時、すげえ怒ってたんだよな。まるでそんな話をされても困る、疑われるなんて心外だ、みたいな」俺は残っていたミルクティーを飲み干して続けた。「いや証拠も何もないし、妄想みたいなもんだから聞き流してくれていいんだが。デイム・ロディアは他殺だ、って確定したよな。ってことはもしかしたら、そのクラウス卿の男であるヤコフ・ニジンスキーがデイム・ロディアを殺した可能性もあるわけだ」
「確かに……そうですわね。もし彼を庇っているとしたら……」ヘカチェは俺に賛同の意を示した。
「なあハルハイム。デイムの爪の間には血液と皮膚片が残ってたんだよな。ってことはここは科学捜査の出番だろ。スコットランドヤードに要請して鑑定してもらおうぜ。そしたらデイムを襲い、殺そうとした奴の事は絞れる」
「ふっふっふっ……」ハルハイムは左手の人差し指を立てて振った。動きがだいぶ古臭い。「その結果が丁度出たようだよ。バレル君に頼んでおいたんだ。『君が最も信頼できる鑑識にこれを調べてもらってくれ』ってね」
「お、おっさん~~!! ただの馬子大好き変態ジジイじゃなかったんだな!!」
「アッハッハッハッハッハッもっと言ってくれたまえ。どうだ~凄いだろう~?」
「俺は一体何を見せられてんだ?」

アドレは辟易したように呟いた。ごめんって。