外伝 硝子の窓辺に佇む【中編】

あらすじ
かつてこの国には名探偵がいた。あらゆる謎を解き明かしたその探偵は、悪の教典と共に暗い滝壺で眠っている。
舞台は英国。不可思議な事件を巡る、残された者の物語__。
エマ=ジェームズ・ワトソンの元に奇妙な殺人事件の解決依頼が持ち込まれる。貴族家の女性が窓辺に佇むようにして死んでいたという奇妙な状況。さらにその事件には『魔女の絵画』という神秘の遺物が関わっている__。依頼の手紙にはそのような文面があった。依頼を受けたワトソンはシャルルマーニュと共に事件の捜査へ向かうが……?
前編➤ https://privatter.me/page/65afd8e7e75d5
後編➤ https://privatter.me/page/65bb2b071a723

スペシャルサンクス:Littorio様
アマネセール家の御家名、エストレア・アマネセール様、アドレナリーナ・アマネセール様にご登場いただきました。
結構いっぱい喋っていただきました。快くお貸しくださりありがとうございました。


***

__数刻後
ベイカー・ストリート221B



何も知らないスコットランドヤードの刑事__バレル・ホークアイが221Bを尋ねて来た時には、部屋はお通夜の如く皆静まり返っており酷い有様だった。
ハルハイムは文献を漁ったが『魔女の絵画』に関連する事件・事故の記録を発見できず、ヘカチェはトゥリウンファル・アル・アマネセール卿から「調査続行」を命じられ、そしてその調査には当然ながら、暇人万歳の俺が探偵代理に選ばれた訳で。そりゃあワトソンが不在なのだからそうなるのは分かっていたはずだが、実際代理でも探偵を任されるのは責任が肩に圧し掛かるようで重たい。

「つまり、ワトソン先生はその……『魔女の絵画』の内部に取り込まれてしまったんですか……!?」
「そうです。まさかこんなことになるとは」ヘカチェは蟀谷のあたりを押さえて深いため息を吐いた。
「デイム・ロディアの事だって調べなきゃなんねえのに、ジェームズがいねえんじゃな……」俺はぽつりと零す。存外にワトソンに寄りかかっていたのだということを再認識した。
「デイム・ロディア・カーステアズって」バレルが驚いたように声をあげる。「いや、その話をしようと思ってここへ来たんですよ」
「マジかよ! ナイスタイミングじゃねえか」

俺はカウチソファに居座っていたエッグプラントを、お気に入りの段ボール箱へ移動させてスペースを空けた。バレルは遠慮なくそこに腰かけて手帳の頁を捲る。

「バッキンガム宮殿で起きた殺人というだけあって、殆ど緘口令に近いようなものがヤード内部に敷かれているのですが」

バレルは声を潜め、如何にもここで喋ったことがバレたら勢いよく首が吹っ飛びそうな前置きを言った。

「凶器と思われる短剣……装飾がついているナイフにモクペジム準男爵家の紋章がついていたことから、今神秘管理局がモクペジム家に色々と話を聞きに行っています。ただ現場には不審な血液や指紋の類が殆ど無く、窓辺で立ったまま死んでいたという明らかに尋常ではない状況なので、俺たちは初動捜査のみ少し参加して、後は管理局に丸投げですね」
「モクペジム家ってどんな家よ。ヘカチェ、何か知ってる?」俺は考え込んでいる様子のヘカチェに問いかけた。
「馬子ではない、人間の貴族家よ。一応ハイドノーブル家と縁があるわ」
「マジかよ。ハイドノーブルって案外血が広いのな」
「昔モクペジム家の女性を妻に迎え入れたという記録が一つあるだけ。だからそこまで強い繋がりではないわよ。それに確かモクペジム家というとウィッチクラフトの名家ではなかったかしら」
「魔術師家系なのか?」俺はハルハイムの方に視線を遣った。
「そうだね。彼らは鴉を媒介にする黒魔術を得意とする、魔術師の一族だ。今は随分没落して準男爵家だが、それこそ昔は宰相に抜擢される者が何人もいたそうだよ」
「準男爵家ということは……モクペジム家は厳密には貴族家じゃないんですね」バレルがめちゃくちゃ無慈悲な事を言う。それはそうだけども。

亡くなったデイム・ロディア・カーステアズは、皇太子の息子の従兄弟の妻だったのだという。かなり王室に近い女性であることは間違いない。ゴシップ紙が嗅ぎ付けて胡散臭い記事を書けば、妙な陰謀論がまたいっぱい生えてくるに決まっている。
カーステアズ家に縁ある品だというあの『魔女の絵画』__ということはカーステアズ家もまた魔術師の家系ということなのか。俺はその辺から持ってきた紙に必要な情報を書き付けていく。俺の心の声を読むかの如くハルハイムが「カーステアズ家はね」と口を開いた。

「一応魔術師の家系ではあるんだが、最近はもうほとんど魔術師が出ていない。恐らくもう相伝の秘匿魔術を引き継がず、禁書として神秘管理局に明け渡したんじゃないかな……。カーステアズ家は結構財政難だからね」
「財政難なんですか?」バレルは驚いたように目を丸くした。「そんな風には思えませんが……
「分野にもよるけど、魔術には結構金が掛かる。だから先に魔術関連の物品や、相伝で継承している独自性の高い魔術、これを秘匿魔術と言うんだが……この類を禁書の形に記して、管理局に売る。すると結構纏まった額の金子が手に入る訳だ」ハルハイムは一度言葉を切り、慌てて付け加えるように言った。「あ、カーステアズ家がそうしたかどうかは分からない。あくまで憶測だからね」

俺はあの不気味な森の絵を思う。カーステアズ家が魔術師を店仕舞いしようとしているか否かに関わらず、あの絵を欲した理由。過去の情念を引き金に、絵の中に見た者を引きずり込む力があるあんな絵を欲する理由は一体なんだ?
ワトソンはあの絵の中にシャーロック・ホームズとメアリー・モースタンの二人を見た。愛した者たちの姿を見た。そして誘われて引き込まれた。

(デイム・ロディアには、『魔女の絵画』に縋ってでも会いたい人がいたのか……?)

証拠などどこにもない。俺の妄想でしかない。だがあの絵に引き込まれたワトソンの姿を見てから、その考えが頭にこびり付いて離れない。
現場に残されていた短剣の事も気にかかる。モクぺジム家の者ならば何か知っているだろうか。

「バレル、その話を聞いてるっつうモクぺジム準男爵家の奴って一体何者だ?」
「クラウス・モクぺジム卿という方です。現在は不動産をいくつか所有する資産家、それと馬主で、競馬だけじゃなくレースの方にも出資しているようですね」
「特にレースの方は、欧州では有名なかなりの大口出資者だ」付け加えるようにハルハイムが言った。「服飾ブランドを経営しているからね」

競馬とレースは別物である。前者は動物の馬に騎手がまたがって走るやつで、後者は俺たち馬子が走るのだ。『世界で最も苛烈で美しいランウェイ』という異名をとる陸上競技__それは正式には『クラシック・ホースレース』と呼ばれ、レースと単に呼ばれているものだ。
何と言っても世界的に人気があり、近年は日本も強豪国となりつつある。何せ国内外で暴れまくった俺とか、俺とか、あと俺とか俺の仔たちとかがいるので。
クラウスがレースに出資していたとすれば、純血貴族に近づく機会も大いにありそうだ。俺は紙にそのメモを書き付けた。

「そのクラウス卿はなんか証言してたのか? 短剣の事とか、ロディアの事とか」
「デイム・ロディアとは旧知の間柄だったそうです。だから殺害に関与するはずがないと」ホークアイは手帳を繰った。「それと、デイムは王室関係者と恋愛結婚したわけではないかもしれなくて」
「それはクラウス卿がそう言ったのかい?」

ハルハイムが驚いたように問いかけた。今や政略結婚なんて行われることの方がはるかに少ない。大手を振ってやっているのは純血主義に凝り固まった馬子たちだけだ。

「はい。何でも、デイムがそう言ったとか。ある目的の一致のために結婚したんだ、とも言っていました」
「目的の一致、ですか。ランカスター公爵家の縁者と下級の純血貴族家の婚姻……純血主義に傾いていたならば、王家との婚姻でも蹴る筈。だって王室は人間の家だもの」
「そうなりゃ婚姻の目的は血統とは一切関係ないものだな」俺は頭を捻る。血統とは関係のない目的。そんなもん何があるんだよ、と考えても一切浮かばない。
「その目的こそが『魔女の絵画』なのかもしれないわ」ヘカチェは合点がいったように手を叩いた。「シャル! クラウス卿に話を聞きに行くわよ!」
「何でお前が引っ張ってんの? 一応俺が探偵代理の代理だよな?」
「いいから準備して!!」ヘカチェは俺の耳を片方引っ張って叫ぶ。
「いてててて!!!! わかった!! わかったよ!!」

こいつアマネセールのやつらにだいぶ毒されてきてるな。俺は内心そんな事を思いながら、その辺に引っ掛けてあるワトソンのコートを勝手に借りた。