【ダミュ+ユリ】騎士と少年

下町で出会った若い騎士と少年の話。
※虚空準拠



8.

だみゅろん・わとわいす せんせい さま
げんきになつたか
けががなおつたらしたまちにこいよ
ゆーり・ろーうぇる

「随分上手になりましたねぇ」
 ソムラスが喜んでいる。ダミュロンは、「まあまあ、まだまだってとこかね」と葉書をひらひらさせている。それを見とがめたゲアモンが「またそうやってお前は素直じゃないんだから云々かんぬん」とやいやい言っている。
 既にお決まりとなったその光景に、ダミュロンは眉尻を下げた。あの日以降、降り続いていた雨が嘘のようにあがり、今は汗ばむほどの陽気が官舎の窓から降り注いでいた。返事返事、と急かすソムラスにダミュロンは、慣れた手つきで葉書を選ぶ。今日の葉書はミルクココアの柄にしてやろう。
 怪我が治ったら下町に、と書いてあるが、自分よりむしろ重傷だったのはユーリ少年の方ではなかったか。ダミュロンはそう手紙に記そうとしたが、やめた。どうせ明日には下町に顔を出せそうなのだ。その時に怪我人たちの様子も見てくればいい。
 ダミュロンが、手紙に何を書いたものか悩んでいると、ソムラスがテーブルに寄ってきた。いつになく寂しそうなその表情に、彼が何を言わんとしているか、ダミュロンは手に取るように分かってしまった。

 ダミュロンはまず、ヴィリオの店に立ち寄った。可愛らしいイラストはその後もバリエーションを増し、今や露店街の一シンボルとなりつつあった。それを真似したイラスト入り看板も、他の露店へ徐々に広がりつつある。下町のためというより、人目の引きやすさによる集客狙いのものだろうが、目的はどうあれ、ダミュロンは何となく、胸がすっとする思いだった。
「ダミュロン先生!」
「誰が先生だっつの」
 ヴィリオが片手を挙げると、ダミュロンは苦笑いを浮かべながら、リンゴやらオレンジやらの果物を注文した。
「で? 俺は騎士団やめなくて済みそう?」
 ダミュロンが袋を受け取りながら尋ねると、ヴィリオは「そりゃあ、もう」と頷いた。
「いやね、むしろ下町の小僧たちが、うちの店まで買いに来てくれるようになってね。それを店先でうまそうに頬張るもんだから、まあ」
 その光景を思い浮かべて、ダミュロンは頬が緩んだ。それはさぞやおいしそうに見えたことだろう。何せ、自分で看板を読んで、自分でお金を出して、自分の力で買ったものだ。普段「下町のガキが触るものなんか」と敬遠するような人々も、店の前で生唾を飲んだに違いあるまい。
 ダミュロンは両手いっぱいの袋を掲げて、「ありがとな」とヴィリオに別れを告げた。
 ダミュロンが下町を訪ねると、あれよあれよと人が集まってあっという間にもみくちゃにされた。先生ありがとう、ユーリを助けてくれてありがとう、キャナリさんたちにもよろしく頼む、あんたたちは下町の恩人だよ、その他諸々。気持ちはありがたいが、両手に袋を抱えたダミュロンは堪ったものではない。
「ちょっと、タイム、タイム」
 ダミュロンがやっとのことで水道魔導器 アクエブラスティアに腰かけると、ハンクスまでもがやってきて、「本当にありがとう」ときたもんだ。途端に居た堪れなくなって、ダミュロンは「あ、うん、はは、どうも」とその手を握り返した。ダミュロンはまだお礼というものになかなか慣れずにいる。しかしながら、下町の人たちが惜しみなく与えてくれる温かいものを、ダミュロンはひとつ残らず大切にしたいと思っている。
 ようやく人がまばらになったところで、ダミュロン先生の識字講座が始まった。あんなことがあった後でも、子どもたちは目を輝かせて文字を学ぶ。それが嬉しくもあり、同時に寂しくもあった。明日から暫く、自分が下町に来られなくなると知ったら、この子たちは何と言うだろうか。
 ふと、子どもたちの中に、見知った少年の姿がないことにダミュロンは気付いた。
「ユーリはどうした?」
 近くで数字を地面に練習していたヒューゴに尋ねると、「部屋にいるよ。まだゼッタイアンセーなんだって」と教えてくれた。そういえば、足を折っていると言っていたっけ。
 ダミュロンは教室の最後、いつもの挨拶の代わりに、わざとそれらしい咳ばらいをしてみせてから「えー、重大ニュースです」と子どもたちに告げた。
「ダミュロン先生は、明日から長い遠征に行くんだ。だから暫く、下町には来られない」
 ええっ、と驚く子もいれば、えんせいって何? と近くの年長者に尋ねている子もいる。共通しているのは、皆がその言葉の意味を理解するにつれて、徐々に目元を潤ませていることだった。おいおい。
「いや、ちょっと待てって。泣くことないだろ。永遠に来ないわけじゃなくて、ちょっと長い間留守にするってだけだよ」
 ダミュロンが慌てて弁明すると、既に半泣きのティラが「ほんとに?」と首をこてんと傾げた。
「ほんとほんと。だからそれまでしっかり勉強して、帰ってきた俺をあっと驚かしてくれよ。それが宿題」
 子どもたちは、目をごしごしとこすりながら「わかった」「絶対帰ってきてよね」と口々に言って、ダミュロンに抱きついた。子どもの『ちょっと長い間』ってのは、ほとんど永遠に近いんだなぁ。ダミュロンはしみじみと感傷に浸りながら、「大丈夫大丈夫」と頭をぽんぽん撫でてまわった。最後に「というわけで、これはお土産」とヴィリオの店の果物を配る段になると、歓声とともに涙もいっぺんに引っ込むのだから、子どもってのは単純だ。
 子どもらへの挨拶を済ませたダミュロンは、例の水路を訪れた。果たして目当ての少年は、松葉杖をほっぽり出したまま、もうすっかり乾いた土の上に座り込んでダミュロンを待っていた。両足を折っているくせにこの少年は無茶をする。ダミュロンは苦笑交じりでその隣に並んで座り、「はいよ」とリンゴを手渡した。
「いらね」
「おいおい、俺の自腹だぜこれ。人の好意は受け取っとけって」
「リンゴきらいなんだよ」
「嘘つけ。女将さんのアップルパイ、美味そうに頬張ってたくせに」
 ダミュロンがユーリの左手にリンゴを握らせると、ユーリはそのリンゴをじっと見つめて、口を開けたり閉じたりした。こういう時のユーリは、何か言いにくいことを言おうとしている。ダミュロンは、根気強くユーリの言葉を待った。
「これ」
 ユーリが左手に目線を落としたまま、ぽつりとつぶやいた。これ、というのは、リンゴのことだろうか。
「これ、受け取ったら……あんたは来なくなるんだろうが」
 ダミュロンは息を飲んだ。さっきの『挨拶』を、ユーリも聞いていたに違いなかった。ダミュロンは、努めていつものように笑いながら、ユーリの頭に手を置いて、「泣くなよ、少年」と言った。当然、「泣いてねぇし」とそっぽを向かれた。
「さっきの聞いてたんなら、わかるだろ。ちょっと留守にするだけだっての」
…………『戦争』だろ?」
 もう下町 ここまで話が届いているのか。ダミュロンは、そっと頷いて応えた。この少年に嘘はつきたくなかった。
……そ。なんかね、人手が足りないとかで、海の向こうの大陸までいかなきゃならなくなった。だから、帰ってくるのに時間がかかるんだよ。でも、それだけだ。帰ってきたらまた――
「帰って、くるのかよ」
 ユーリは俯いている。じっと左手のリンゴを見つめたまま、ダミュロンの顔を見ようとしない。その声がほんの少しだけ震えているように感じたのは、気のせいだろうか。
「本当に、帰ってくるのかよ」
 喪失への不安。手を伸ばす不安。我儘を言っていいものかと、おずおずと伸ばされる手。
 ダミュロンは、俯くユーリの頬っぺたを両手でぐに、とつまんで、顔を上げさせた。いてぇな、という抗議が聞こえて、ダミュロンは安心した。生意気な少年はこうでなくちゃいけない。
「帰ってくるって」
 ダミュロンは、頬っぺたをぐにぐにとさせたまま、ユーリの額に己の額をこつんと触れさせて、言った。
「すぐ帰ってくるさ。だから、それまでに怪我治して、元気に待っとけよ」
 ダミュロンは、今自分にできるありったけの笑顔でユーリに応えてみせた。ユーリは、その瞳の奥の方までじっと覗き込んで、ぽつりと一言、絶対だぞ、と呟いた。