【ダミュ+ユリ】騎士と少年

下町で出会った若い騎士と少年の話。
※虚空準拠




10.エピローグ

 のどかな日であった。少し風が強いのは季節の変わり目だからかもしれない。生え変わったばかりの新緑がさわさわと揺れて、浮足立った心を代弁しているかのようだった。あの旅からどれくらいの季節を見送っただろう。レイヴンは、下ろした髪を紐で括り上げながら、そんなとりとめもないことを考えた。
 今夜は、明星の仲間たちが幾年月ぶりかに全員揃い、下町の宿屋で食事をすることが決まっていた。たまたま凛々の明星のメンバーが下町に立ち寄ることが分かり、かの姫君が今や魔導界の顔と言って過言ではない天才少女を共にと誘い、せっかくの機会だからと行動力抜群なクリティアの仲間が相棒を飛ばして海の上の仲間にも伝えたという次第。あれよあれよと予定が組まれ、気付けば騎士団長代行と隊長首席を捕まえての誘いは「フレンとシュヴァーンも来ますよね!?」という付加疑問となっていた。
「よう、待ちくたびれたぜ。騎士団長さん」
「よく言うよ、二皿も空にしておいて」
 幼馴染たちのこなれたやりとりが全員集合の合図だった。乾杯からの現状報告、とりとめもない会話。慌ただしい日常の中では話題にすることもないような些細なことさえも、この場所だとするする口から飛び出してしまう。それを受けとめてくれる仲間がいることを、そんな彼らの中に自分がいられることを、レイヴンは嬉しく思った。
「久しぶりにジュディスちゃんに会えて、俺様気分最ッ高! 満タン充電しちゃったわよ」
「ありがと、おじさま」
「馬鹿っぽい」
「あー、リタの『馬鹿っぽい』久しぶりに聞いたよ」
「何しみじみしてんのよ、ガキンチョ」
「いったぁ! ボクもうすぐリタの背越すんだからね!」
「だから何」
「いやぁ、このやり取り……しみじみ懐かしいのお。ユーリ、うちらもそろそろ再会のチューを」
「するかよ」
「あら、照れてるの?」
「そうだな、噂の大海賊様がお相手下さるなんて腰が砕けちまう」
「ワフゥ……
「腰がくだけ……って何です?」
「あ、え、エステル、このお料理美味しいわよ!」
 仲間たちが集まると、時が経つのはあっという間だ。大皿が五枚、六枚と平らげられるうち、この場へ最後に到着した幼馴染の目が伏せられていることに、黒髪の青年が気付いた。
「どうしたよ、フレン。忙しすぎて飯の味もわからねぇってか?」
 軽口でジャブを打つも、フレンと呼ばれた青年は表情を曇らせたまま。仲間たちの視線を集めてしまったことに気付いたフレンは、そっと気遣わしげに、傍らの仲間の一人を――レイヴンを見やった。
 レイヴンは頷いた。ほいほい、おっさんに注目、と両手をひらひらと振ってみせるレイヴンに、仲間たちの関心は向けられた。

 フレン・シーフォに呼ばれた時からなんとなく、そろそろかな、という予感はしていた。失礼します、と告げて男が団長執務室へ入室すると、フレンはいつもの緊張した面持ちをさらに引き締めて、どことなく言い淀む様子を見せた。
「履歴が合わないのです」
 『隊員名簿 シュヴァーン・オルトレイン』と書かれた紙きれが、遠慮がちに執務机に置かれているのを目の端で捉え、男は――シュヴァーンは、そっと息を吐いた。先の戦争で急遽誂えられた、名前と立場。急ごしらえの経歴。この清廉潔白な仲間が気付かないわけがない。
 フレンがこのようにしょい込むことではないと思ったので、橙の隊服に身を包んだ隊長首席の肩書をもつ男は、もうひとつの鴉の表情をほんのり滲ませて、みんなにも聴いてもらっていいかね、と告げた。

「隠すほどのことじゃなかったんだけど、何となく、ね。きっかけがなかったというか」
 レイヴンの告白は、そんな軽口から始まった。何よ、さっさと言いなさいよ。魔導少女が油を差してくれて、それがほんの少し勇気になった。
「おっさんさ、神殿の底に置いてきた名前があるじゃない。シュヴァーンとかって」
「何だかんだまだ働かされてるみてぇだけどな、シュヴァーンさんとやらも」
「おっさん酷使反対! ……じゃなくってよ! ……俺様ね、いや、――シュヴァーンは、って言ったらいいかね」
 片手で弄っていたグラスの中で、溶けた氷がカロン、と鳴いた。

 シュヴァーンの前にもうひとり、いたのよ。

 息を飲む音は誰のものだったろう。そこからレイヴンの口は、自分でも驚くほど淀みなく言葉を紡いていった。シュヴァーン・オルトレインという平民はいないこと。だからして出生記録も存在しないこと。人魔戦争で死んだとされたもうひとり。貴族出身のお坊ちゃんで、ひょんなことから騎士団に入隊した『彼』の話。キャナリと、小隊の仲間の話。フレンが求めていた以上のことを喋ってしまった自覚はあるが、レイヴンの口は止まらなかった。今大切に思う仲間たちに、『彼』の話を聞いてほしかった。
 『彼』が大切に思っていたもの。
 守りたいと思っていたもの。
 かつて『彼』を、大切にしてくれた人たち。
 小隊の仲間たち。
 下町の子どもたち。
 『彼』の名前。
 ダミュロン・アトマイス。
 
 カチャン。
 金属の落ちる音がした。仲間の一人、ユーリが、手にしていたフォークを床に落とした音だった。
「わり、」
 ユーリがフォークを拾い上げると、ユーリの聡い相棒が、その手をぺろりと舐めた。サンキュな、と呟いて、ユーリはその頭を撫でてやる。何かを察したカロルが、「ユーリ、大丈夫?」と身を乗り出したが、「平気平気」と笑ってみせた。そのやりとりを横目で見守っていたレイヴンは、すぐさま表情を鴉のそれに変えて、「公文書偽造の刑罰ってどんなんだったっけ?」と冗談めかしてフレンに問い、リタに引っ叩かれていた。

「よう、経歴詐称さん」
 こちらを見向きもせずにこれだ。レイヴンは、くっと愉快気に頬を上げた。
 食事の時間はあっという間で、「今夜は泊っていきなさい」という女将さんの言葉に全員が喜んで了承した。普段はそれぞれに居場所のある仲間たちでも、再会してしまえば何だかんだ離れがたいものだ。大部屋での雑魚寝を提案したエステルに、いけませんそれは、と慌てたフレンの折衷で、男女別の二部屋という見慣れた形に収まった。どちらの部屋も、名残を惜しむように、つい先ほどまでろうそくの火が灯っていた。
 ユーリが佇んでいたのは、ほうきぼしの裏手にあるあの水路だった。昔からこの場所がユーリのお気に入りで、昼寝をしようが、膝を抱えて泣こうが、誰にも見つからない秘密の場所だった。ある時からこの場所はユーリ一人のものではなく、『彼』と二人の、とっておきの場所になったわけだけれど。
 水路の脇、ユーリの隣へ、レイヴンがこなれた足取りで降りてきた。
「何してんの」
 尋ねておきながら、レイヴンはこちらを見ない。以前よりも葉量の増えたミゾレヤナギが、さわさわと風に吹かれて、月夜の空に揺れていた。
「しゃあしゃあと、よくもまあ……
 ユーリはひとりごちた。それでもレイヴンには聴こえていた。何せ、すぐ隣にいるのだ。
……どうして黙ってた」
 ユーリは、見上げていた目線をすいと落とした。あの日、幼い自分を恐ろしい魔物のようにひと飲みにした水は、今夜はやけに静かで、優しかった。それがひどくもどかしい。子ども扱いをされるのは嫌いだった。
「もうさ、……忘れてると、思ったんよね」
 肩を竦めるレイヴンが、ひどくもどかしくて、腹立たしくて、悔しかった。ユーリはレイヴンを振り返った。レイヴンの両二の腕に手をやって、確かめるように力をこめた。
「忘れる、わけ、ねぇだろうがっ」
 レイヴンが目を丸くしている。そんなに驚くことか。自分があの人を、あんたを、ずっと待っていたことが、そんなに意外かよ。ユーリはひどくもどかしい。どうすれば伝わるかわからないのは、あの頃と同じだ。まだまだ自分は、どうしようもなく子どもだった。
「あんたがオレたちにしてくれたことも、言ってくれたことも、オレたちがどれだけそれで、嬉しかった、とか、……ッ、救われたとか、いっこも、忘れたことねぇよ!」
……青年」
「勝手に、なかったことにするなよ!」
 大事なんだよ、オレにとっては。
 ユーリは一息にそれだけ言うと、顔を伏せた。ぜぇぜぇと息を切らせるその姿に、レイヴンは、ごめん、と言うのも憚られて、口を閉ざした。
 自分にとっても大切だったそれを、『彼』は長いこと記憶の奥底で眠らせていた。驚くべきことに、手配書で青年の名を知った時も、大首領からしたり顔で揶揄われた時も、その名が記憶を揺さぶることはなかった。十年の年月。大切な思い出を霞の向こうに追いやって、仮面を貼り付けて過ごした日々。
 ユーリ・ローウェルの名が、霞の向こうから全身を揺さぶりかけてきたのは、いつだったろうか。
 どうして忘れていられたのだろうか。
 大切なものを、大切だと思える心を、彼らが取り戻させてくれたから。レイヴンは、霞の向こう側へ少しずつ、少しずつ、手を伸ばせるようになっていったのだ。
 レイヴンは、ユーリの両手をそっと下ろして、羽織の袂に手をやった。取り出されたのは、随分と色褪せた一枚の葉書だった。子ども向けに描かれたミルクココアのイラストが縁を彩っている。レイヴンはユーリに、それを手渡した。
「遅くなっちまったけど」
 葉書の表には、「ユーリ・ローウェルさま」の宛名書き。裏へ返すと、懐かしい筆跡でただ一言、

 ただいま

 と、それだけが書かれていた。
「無事に帰れたら渡そうとしてたんよ。本当だぜ?」
 疑ってねぇよ。ユーリは応えようとしたけれど、それは言葉になっちゃくれなかった。
 何が、遅くなっちまった、だ。
 待ちくたびれたぜ、馬鹿。
 本当に言いたいことが言えない自分は、ひねくれた物言いしかできない。ユーリは、鼻をくしゃりと啜って、
「遅ぇよ、バカダミュロン」
 と笑ってみせるので、精一杯だった。