【ダミュ+ユリ】騎士と少年

下町で出会った若い騎士と少年の話。
※虚空準拠



6.

 一週間ほど降り続いた雨は、次の一週間でますます酷くなり、更に三日経った現在もやむ気配を見せない。
「異常気象ってやつかね?」
 ダミュロンは、堤防脇に停めた輸送用貨車から土嚢を降ろしながら、隣で同じ作業に従事していたキャナリに声をかけた。キャナリ小隊は、概して汚れ仕事や面倒ごとを押し付けられやすい。平民と貴族が入り混じった隊であることに加え、当の隊員たちが「市民にとって必要なことである」と割り切っているがために、それらの〝嫌がらせ〟にほとんど全く堪えていないという点も不気味がられる要因なのかもしれない。今回はそれが、大雨降りしきる中での堤防整備だったまでのことだ。
「たしかに、雨量の多いトルビキア大陸でも、こんなに連続して降ることは稀ね」
「だからここの堤防は嵩上げが必要だと、私は以前から訴えておったのです」
 キャナリの向こう側から、ヒスームの不満そうな声が聞こえた。この程度の堤防高ではいずれ水害が起きる、というヒスームの訴えが、隊長格の面々から悉く一笑に付されたのは記憶に新しい。それが一変「盛り土を増やせ」と命令が下るのだから、序列集団というのはなかなかに理不尽だ。
 帝都の河川は長い。普段は滅多なことでは泥にも染まらない物静かな大河も、今は滔々と湛えられた水が木から何から乱暴に押し流し、川幅を徐々に広めている有様だ。数えきれないほどの隊がそれぞれ割り振られた範囲で作業に当たっているが、ここ数日はこの作業にかかりきりで下町に顔も出せていなかった。町の中心部に配置された水道魔導器 アクエブラスティアがある限り、下町全体が水浸しになることはないだろうが、ダミュロンは気掛かりでならなかった。
 昼休憩にしませんか、とソムラスが呼びにきてくれたのは、それから更に数刻経った頃だった。昼休憩と言いつつも、頭上は曇天、時間の感覚もないため今が午前なのか午後なのかさえ分からない。腹が減ったら休憩、という緩い基準が今は丁度よかった。いくつか停められた輸送用貨車の幌の下に潜り込み、土嚢に腰かけて握り飯を堪能していると、ひっきりなしの雨音の隙間を縫って微かな声に呼ばれた気がした。ダミュロンが、誰か呼んだか、と周囲に呼び掛けても、皆一様に首を横に振った。この雨の中を好き好んで遊び歩く者はそうおるまい。しかし、何と言ったかも定かではないその声が、確かに己を呼んだような気がして、ダミュロンは耳を澄ませた。  
 その時、吹けば消えそうなその声が確かに、せんせい、と呼ぶのを、ダミュロンの耳は捉えた。
 ダミュロンは幌から顔を出した。この貨車から三つ向こうにある貨車の、更に後ろにある橋の袂に、二つの小さな影があった。右に左に駆け回りながら、口元を両手で覆い、先生、ダミュロン先生、と呼んでいる。ダミュロンは、ヒスームが呼び止めるのも構わず幌から飛び出した。
「ティラ! ヒューゴ!」
 呼ばれた二人は、目当ての人がこちらに向かって駆けてくるのを見つけるや否や、くしゃくしゃの顔を更に歪ませて「せんせえ、」と飛びついた。降りしきる雨で、涙も鼻水もあっという間に紛れてしまう。ダミュロンは自分が泥まみれであることも忘れて、小さなきょうだいの肩をぐっと抱き寄せた。
「危ないじゃないか、二人とも。早く家に」
「ユーリが!」
 ヒューゴが叫んだ。
「ユーリが、川に」
 ダミュロンは駆け出した。ダミュロン、と背後で呼んだのはキャナリだったろうか。ダミュロンは、全身に打ちつけてくる雨を掻き分けて、一心不乱に下町へ駆けた。視界の端でヒスームがふたりを保護するのが見えた気がする。すまない、と胸中で詫びてダミュロンは駆けた。
 
 すまない、すまない。

 河川整備の話があがった時点で、下町の優先度が最も高いことになぜ気付かなかった。
 雨の日は水かき、水かきじゃよ、と肩を竦めてみせたハンクス爺さんの少し寂しげな笑顔を、どうして今まで忘れていた。
 ユーリが一人になれる場所。少しでも心癒される場所になればと願った場所が、水路の脇であることを、なぜ、どうして、忘れていたんだ。

 ダミュロンが下町に辿り着くと、大人たちが目まぐるしく駆け回っていた。
「ナンガさん家の裏手は流れが速い! もっと人数割けないか」
「俺たちが行く。イースの店先はもう溢れかえってて駄目だ」
「網でも何でも持っていけ、竹棒は短すぎる!」
 焼けるように熱い胸に、湿気交じりの空気を必死に吸い込んで、ダミュロンは人々の間を縫って駆けた。ふと目をやった先の軒下から、ハンクスが「自分も捜索に」と飛び出そうとするのを、数人の女性たちが必死に宥めているのが見えた。
「ハンクス爺さん」
「! ダミュロンか」
 ハンクスの表情がいくらか和らぐ。訳知り顔のダミュロンに、ハンクスは前提を省いて状況を伝えた。
「例の水路から、落ちたんじゃ」
……!」
「たまたま見つけたのはフレンという少年じゃ。下町総出で探しているんじゃが」
……分かった」
 ダミュロンは、ハンクスの肩に手を乗せた。
「分かった」
 ダミュロンはそれだけ告げると、すぐさま踵を返し、ユーリが落ちたという水路へ向かった。轟々と音を立てる濁流が、足元までひたひたに溢れかえり、ダミュロンや捜索隊の足をすくっていこうとする。ダミュロンの姿を認めた幾人かの人々が、ダミュロン、先生、と駆けよってきた。
 ダミュロンは、もう大丈夫、と声をかけた。
 無責任な『大丈夫』は、後々人々を苦しめることがある。騎士団入隊時にはそんなことを言われた気がする。根拠のない自信を今すぐ捨て去れ、地に足の付いた具体的な手立てを。今のダミュロンには、地に足の付いた策も、根拠のない自信も、何もかもありはしない。駆けてきた足とこの身があるだけだった。それでもダミュロンは、自分自身に言い聞かせるように、彼らに声をかけて回った。
 大丈夫。
 ユーリは絶対に大丈夫。
 ユーリを信じろ。
 それが事実であれどうであれ、絶望に染まる人々の表情がいくらか和らいだことはたしかだった。
 震える膝を叱咤して水の流れを確認しようとしたその時、下町の入り口方面から聞き慣れた声が響いた。
「キャナリ小隊、救援に入ります! 南東地区はウィリアム、北東地区へヒスーム、南西と北西を私とゲアモン! 以上、各チーム持ち場へ!」
「分水路の地図を各自持っておけ!」
「適宜報告を忘れるな」
 頼もしい仲間たちの声が、ダミュロンのいる宿屋裏手の水路まで届く。すぐさまダミュロンはゲアモンとキャナリに見つかり、「馬鹿」と一発ずつ、拳骨を落とされた。すっかり濡れた目元をダミュロンは乱暴に拭い去り、謝罪の代わりに一つ、頷いた。
 大丈夫、ユーリを信じろ。
 ダミュロンは地図を頼りに、水路沿いを足早に見てまわった。樋門が悉く使い物にならなくなり、土砂交じりの水がどちらへ向かって流れているかも判然としない。この水の勢いでは、西地区から東の方へ流れてしまっている可能性も高い。そうキャナリへ進言しようとした矢先、ダミュロンの目が、小さな違和感を捉えた。
 ミゾレヤナギの葉は丈夫だ。ちょっとやそっとの張力ではびくともしない。風と、荒れ狂う奔流にざわざわと音をたてるミゾレヤナギの葉を、川の中から生えた小さな両手指が、掴んでいた。
「発見!」
 ダミュロンは叫んだ。すぐさま下町と小隊の両捜索隊が反応し、使える限りの救助用器具をかき集め始めた。
「少年!」
 ダミュロンの叫びに応えるように、ミゾレヤナギを必死に掴む小さな両手の傍で、見知った少年の頭が、しきりに浮いたり沈んだりを繰り返している。こんな状況にも関わらず、その少年はダミュロンを見るなり、小さく笑ったように見えた。
「遅ぇよ、バカダミュロン」
 その時。
 打ちつける雨が、突風を連れてきた。
 くるくると嘲るように吹き荒れるその風が、ミゾレヤナギの葉を滅多矢鱈と振り乱す。小さな両手が、掴んでいた葉からするりと抜けた。
「ユーリ!」
「ダミュロン!」
 ダミュロンとキャナリの叫声は同時だった。ダミュロンは、地を蹴って、濁流の中に身を投げた。