しゅう as 猫田しゅうぞう
2021-11-23 12:55:58
28153文字
Public ソーロキ
 

九割不在

MP39発行 新書/46頁/600円 ドラマロキをベースにしたソーロキです。
どんなロキにもソーがいて、ロキの中にある欠落はいつもソーの形をしている…みたいな話。
ワイシャツ姿のロキ(2012年のロキ)が変異体ロキたちの過去を膨らませて勝手に語ります。
中身は全部ここで読めますので冊子は紙で欲しい人向け頒布です


アイム・ヒア
キッド・ロキと虚無

黄金の睫毛に縁取られた目玉はいつもきらきら眩くて、宝石のようだった。覗き込めば映り込んでいる自分が見えそうなぐらいのぴかぴかで、その青い瞳はいつだってその存在の絶対性を信じさせる力強さがあった。磨く必要もない天性の輝きだ。さざ波に煌めく海のように深く美しい青。その青い瞳が驚きに瞬き、それから暗くくすんで――うっすら潤んだ。そうして驚いた兄の唇から音もなく力が抜けるのがわかると、それが最後の瞬きだということもわかった。静かに、けれど確かに変わってしまった瞬間はそのようにやってきたのだ。静けさのせいで、ロキはいつかソーが投げ入れた小石が湖面を揺らしたことを思い出した。二人で波紋を残しながらボートを漕いだ記憶は、まださほど遠いものではなかった。ふいに場が静まる度にどちらともなく「小石」と思い出させて笑いを誘った出来事だった。それはソーが投げた小石がしばらくして大蛇に姿を変えた事件のことだ。大蛇のおかげで突然の大波に揉まれることとなり、二人のボートは転覆しかけた。そこで慌てて飛び上がったソーがムジョルニアで大蛇の頭を力一杯叩き、その巨体を再び水中深くへ沈める羽目になったのだ。何気ない小石一つで。結局シーソーよろしく極端な揺れに見舞われたボートは奇跡的にも転覆しなかったが、二人ともずぶ濡れで顔を合わせ、ボートを沈めてしまいそうな水を魔法で汲み取りながら大笑いした楽しい思い出だった。
自分より一回り以上大きい兄と連れ立てば、そのように大抵の場合は賑やかで、退屈とは無縁だった。もちろん時には穏やかに静かな時を過ごした日々もあった。それだって数えられないぐらいの多くの日々で、健やかなるときも病めるときも連れあう伴侶のように肩を並べ、じゃれあって過ごす日々は楽しかった。どんなにロキの猜疑心が強くとも、ソーの持ち前の素直さによってお互いに腹の内など探り合わず隣にいられた。たとえ他の誰が陰口を叩いても構わなかった。それこそ兄はいつも一歩先に踏み出しては大人げなくも誇らしげに煽って来たし、負けじと肩をぶつけ返すのがお決まりだった。いつも。いつまでもそうして過ごすはずだった。
それなのにいまやロキの小さな膝の上でソーは醒めることのない眠りについている。口から溢れた血はきれいに拭取れたとは言い難かったが、それでもただ眠るように穏やかな顔だった。整えるように兄の髪を指ですきながら、その死に顔をぼんやりと眺めて思い出に浸っているといつまでもそうしていられるような気がした。だがそこへ時間変異取締局はやってきた。
だからロキは兄の遺体がどうなったか、そしてアスガルドがどうなったかを知らない。ただ、被告人席に引っ立てられてようやく、兄の死が自分以外の現実でもあったとわかっただけだ。
結局のところロキにとって兄を殺した事実の前では、裁判が名ばかりの処刑だろうが何もかも意味を持たず、どうでもよいことだった。ソーの死は確かに大きな出来事で、宇宙規模の損失だと言われて否定はできない。だってこれから先、ラグナロクの予言すらハンマーで軽々と打ち壊すような日が来たかもしれない。あの兄ならそうしたかもしれないと思わせるような、欠けるはずのない存在だった。
それなのにその罰らしい剪定という行為が与えてくれる物は死ではなかった。槍で刺されたと思った次の瞬間に、放り出されたその場所は誰もいない湿った野原だった。生き物は潜んでいるかもしれなかったが、物音はなく柔らかな風が草を揺らす音しか聞こえない。流刑かと呟くその声さえ聞く者はいなかった。
それで行くあてもなく小石を蹴りながら歩けば、野原はやがて終わり、蔦の絡まる建築物の残骸に行きあたった。倒壊し、半壊以上のありさまも少なくなく、まるで遺跡だと思ったが理由はすぐにわかった。嵐のせいだ。
長らく名前を知らずにやり過ごすことになるこの意思のある嵐との初遭遇に、ロキは思わず笑ってしまった。なにしろ体は勝手に走り出し、避難場所を探したからだ。そうして一度笑ってしまうと、何もかもちっともよくない自覚があとから追いついて来て、もう諦めて身を放り出すことはできなかった。ロキにはソーのように天候を操る魔術もハンマーもない。対抗手段はない。だが身を投げ出すような真似をしたら、もう二度とソーに肩をぶつけ返したりする自分には戻れないと思った。思ってしまった。ソーならどうするかを。そんなのはもちろん決まっていて、立ち向かうに決まっている。だがロキが立ち向かうのはただの無謀だし、ソーだってだめだとわかっていることはしない。
だから逃げた。嵐がロキを見失うまで必死に。
結局それからも度々遭遇することになったその嵐は、エネルギーを求めて徘徊している生き物らしかった。嵐から逃れようとする生き物を見つけて、ロキはそれを理解した。
行くあてのない日々は続いていたが、まず出会ったのは兎だった。大きな耳に力強い脚、それに黄金の兜と胸飾りをふわふわの毛並みに埋もれさせた兎だ。赤茶けたまだらな毛並みにつぶらな瞳、忙しなく動く鼻先はかわいらしかったが、まだその頃はさまざまなロキに出会っていなかったので、まさかロキだとは露ほども思わなかったが。それは次に出会った蛇にしてもそうだった。まだその頃はロキの知らぬ世の流行かなにかだとばかり思っていたが、腕に四重にも巻きつく体長のこちらも、黄金のツノを冠していた。ただ、意思疎通さえできたなら違う結末を迎えていたかもしれないが――この二匹はひと目でお互いを敵視しあって、最終的には不幸な結末を迎えた。
その次に出会ったのはロキではない海賊だったが、そこでようやく言語の通じる相手に遭遇し、この世界のことがわかってきた。もっとも、アライオス――これは海賊が読んでいた呼び名だ――だけでなく、その後は海賊の乗り回す車からも逃げ隠れすると誓うような出来事ではあったし、剣の腕を磨こうと密かに決心させられもしたのだが。
とにかく嵐からも海賊からも身を隠しながら、ロキは、ずいぶん長い間一人で過ごした。彷徨うなかで見つけた隠れ家を転々としながら、迷った時の判断基準を思いきってすべて『ソーならどうするか』に定めた。もちろん、ロキでは現実的ではない選択肢になることも少なくはなかった。なにしろ二人はまるで違っていて、能力だって近くはなかった。けれどもそうして選び続ければ、不思議と局面を乗り切ることができた。そしてそんな晩はいつも、深く眠ることができた。
それからとうとうナイフよりも魔術よりも剣に手のひらが馴染んだころになって、ロキはようやく二足歩行の別のロキに出会った。一度出会うと、不思議なことに堰を切ったように新入りのロキはいくらでも増えるようになった。ロキには怪盗もいたし、捜査官を気取ったやつもいた。ただ共通しているのは皆一緒に過ごしてみると、自分の嫌な部分を見つけてしまうようでなかなか長くは一緒に過ごせないことだった。それに歳だってばらばらでのくせに、子どものロキは現れる兆しさえ見せなかった。女性の姿をしたロキもだ。タイムキーパーの仕事の偏りが偶然であるのか気になってきたその頃に、政治家のロキが現れた。そして老人のロキが。
政治家のロキはそれまで出会ったロキのなかでいちばんの権力志向で、いよいよ同じ場所にいるとうんざりするので他のロキたちが離れていったのを真似て、今度は自分から離れることにした。
「支持者になれなくて残念だ。心からな」
そうして心にもないことを言って、眉尻を下げたスーツ姿に別れを告げると、老人のほうは平然と「では行こうか」と後をついてきた。それで結局はしばらく二人になった。
そこに合流したのが鰐のロキで、老人が「ロキだ」と言い出したのを疑わしく思っていたが、これもどこかのありえた自分かと思うとおもしろくて、親しみが持てた。なにより鰐の言葉がわかると言う老人が語る顛末がなかなかおもしろかったせいもある。抱き上げても抵抗せず、気持ちの良い肌触りの背中を撫でさせてくれるところも、なにもかもが気に入った。それに鰐のほうも満更ではない様子なので、隠れ家を移る度に水場を作ってやることにもした。
剪定される数が増えているのか、虚無は賑やかになりつつあった。最初のころにはとても考えられない。時々自慢屋がロキを頼りにやって来るが、度々裏切ってはまた戻ってを繰り返す。
「懲りないやつだな」
「そこはやはり我々だから」
しかたがない、と肩をすくめる老人と同意するように吠える鰐だけは長らく一緒に暮らせている。もしかすると、それこそいつかまた小石が投げ入れられる時が来るまではずっと、この繰り返しなのかもしれなかった。