黒竹
2026-06-01 22:02:09
21030文字
Public 魔法少女ノ魔女裁判
 

シェリハンの短い話まとめ

【シェリハン】Xに画像形式で乗せてた掌編をまとめたやつ


 石畳は昼間の熱をすっかり失い、夜の湿り気を吸って黒く鈍く光っていた。いつしか街灯の数もまばらになり、煤けた壁と壁のあいだに伸びる路地は、どこまでも同じ景色をしている。
 遠野ハンナは握りしめた包みの紐が指に食い込むのも構わず、そんな路地を足早に歩いていた。
 昼間に主人から託されたのは簡単なお使いだった。いつも使っている大通りを少し外れたところにある、指定された店に寄って品を受け取り、そのまま屋敷へ帰る。それだけのはずだったのに、店を出たとき、たぶんどこかでひとつ道を間違えた。それが、こんな場所へ迷い込むきっかけになるとは思いもしなかった。
 背後でなにかが擦れる音がした気がして、ハンナはびくりと肩を震わせる。振り返る勇気はない。振り返った先に何かがいたらどうしようと思うとどうしても勇気が出なかった。それが人であれ、人ではないものであれ。
……だ、大丈夫よ。落ち着きなさい、遠野ハンナ」
 自分に言い聞かせるように小さく呟く。声は驚くほど頼りなく、レンガの隙間に吸い込まれていった。
 ハンナは強がり半分に勝ち気な表情で背筋を伸ばすと、ぎこちなく顎を引き、足取りをほんの少しだけゆったりさせる。急いで、逃げるように進んでしまえばますます怖くなる。震えそうになる膝を叱りつけるように、一歩を踏み出した。
「おや、こんな夜更けに珍しい」
 どうかしましたか、と、穏やかな高い声が暗がりの向こうから聞こえてきた。思わず足を止める。声質からすると自分と同年代くらいの少女のものだが、どうしてこんなところにいるのだろう。ハンナは自分のことは棚に上げて警戒する。
 一歩、声の主が足を踏み出して街灯の下に入ってくる。やはり少女だった。外套を羽織り、夜の色に溶け込むような装いだが、その佇まいだけが妙に輪郭を持って浮かび上がっている。
「お嬢さんがこんな時間にひとりで出歩くものじゃありませんよ。このへんはガラの悪い人たちも多いですしね」
 今度は彼女のほうが、自分を棚に上げてハンナに忠告してきた。「あ、あなたはどうなんですのよ」「私は慣れてますから」軽く肩をすくめる彼女の背後をよくよく見てみれば、薄汚れた身なりの男が気を失って倒れている。まさか、とハンナが顔色をなくした。眼の前にいる少女は筋骨隆々なわけでも、武術の達人みたいな身のこなしをしているわけでもない、ただのそのへんにいそうな女の子だ。いくらなんでも成人男性相手に喧嘩ができるとは思えない。きっと酔っ払って寝込んだ男になにかしようとしていたのだろう。
 だとすると、こちらもあまり近づかないほうが無難か。ハンナ自身の持ち物はともかく、主人に届けるための品物はおそらくかなり高価なものだし。
「し、失礼しましたわ。物音がしたから気になって覗きに来てしまいましたけど、なにもないみたいね。それでは、ごきげんよう」
 地位が低いからと傲慢な態度を取られても困る。ハンナはとっさに主人の娘の振る舞いを思い出して上流階級の人間を装った。下手に手出しするとあとが怖いぞ、という脅しのつもりである。
 街灯の下の少女は軽く首をかしげ、それから懐中時計を取り出して時間を確認する。
「さっきも言いましたけど、ひとり歩きは危険ですよ。おうちはどこですか? 良ければお送りします」
「い、いえ、けっこうですわ! ひとりで帰れますから」
 慌てて断った直後、路地の先から怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら酔っ払いが暴れているようだ。「……っ」悲鳴が出そうになるのを咄嗟にこらえる。ハンナは屋敷付きのメイドだから、いつもは屋敷の中だけで洗濯や掃除、ベッドメイキングなどを担当している。外にお使いに出ることは滅多になかった。こんな夜更けに出歩くのも初めての経験で、踵を返そうとしているのに足がすくんで動かない。
……まあこのとおり、このあたりはトラブルが絶えません。あなた一人では本当に危険ですよ」
 肩をすくめながら言われ、ハンナはどう答えていいか分からずに視線を落とした。
「あ、申し遅れました。私は橘シェリーっていいます。この先の667番通りで名探偵をしています」
「た、探偵……?」
「名探偵、です」
 お近づきの印に一枚どうぞ。そんな軽薄な言葉とともに名刺を渡される。たしかに、667通りに面した住所と、【橘探偵事務所】の表記、それから真ん中に名前が印刷されていた。
「見たところ、どこかのお屋敷のお嬢様では? 名探偵は顔を売るのも大事な仕事でして。よろしければ、お家の人に橘シェリーをよろしくお伝えください」
……お嬢様……?」
 呆けたように繰り返すハンナに、シェリーが不思議そうにする。
「そうでしょう? その気品ある金髪ブロンドに清潔なお洋服、しかも持っているそれの刻印は貴族階級専門の商会のものです。そこにご挨拶に行った帰りですよね。町なかで目立たないように装飾を地味にしてるんでしょうが、名探偵シェリーちゃんの目は誤魔化せませんよ」
 自信満々に言い放ってくるシェリー。金髪であること以外はなにひとつ合っていないが、それはそれとして、ハンナの腹の底は子猫が寝返りを打っているみたいに温かく、くすぐったくなっていた。
 急いで背筋を伸ばし、居丈高に頷く。
「そ、そうよ! わたくし、お金持ちのお嬢様ですの!」
「やっぱりそうでしたか。お名前はなんと?」
「遠野ハンナですわ!」
 時間と場所が許せば高笑いでもしそうな態度で名乗りを上げる。何も考えずに本名を名乗ってから、しまった、と思った。こんなのすぐに嘘だとバレてしまう。
 しかしシェリーは納得顔で深く頷き、「ああ!」と感嘆の声と共に両手を打った。
「あの豪商、遠野商会のお嬢さんでしたか! じゃあその品物は新しい取引を始めるにあたっての手付けですね。なるほど、すべての線が結ばれました」
 たぶん彼女、ナメクジが這った跡にも意味を見出すタイプだ。
 だが、ハンナとしてはなんとも助かる誤解だった。遠野ハンナは生まれつきの苗字を持たない。そういう層で生まれて、お屋敷に来るまではただのハンナだった。それでは不便だからと主人が同じ苗字を名乗ることを許してくれたのだ。だから、【遠野商会のハンナ】という意味であれば間違っていない。
「遠野商会のお屋敷ならよく知っています。というか、あれだけ大きな建物ですから嫌でも目に入りますよね。ここからだと少し距離がありますから、私が案内しましょう」
 道すがら話を聞いてみると、彼女は十五歳で探偵事務所の所長をしているそうだ。ハンナも同じ年である。どうしてそんな若い身空で、と不思議がっていたら、彼女はカラカラと笑いながら「学校を追い出されまして、食うためにやむにやまれず」と言った。いったい何をしでかしたんだろう。
 商会の屋敷の前で、ハンナがペコリと頭を下げる。
「あ、ありがとうございました……おかげで助かりましたわ」
「いえいえ。また何かあったら名刺の番号にご連絡ください。次からは依頼料をいただきますが」
 冗談ぽく答え、シェリーが軽快にウィンクをしてきた。なんだか不思議な人だ。変わり者っぽいのになんだか妙な安心感がある。
 お使い物をメイド長に渡し、自分の部屋に戻ってから、ハンナは小さなため息をつく。
「変な人……
 なんとなくポケットに入れたまま誰にも見せなかった名刺をつまみ、意味もなくクルクルと回しながら、彼女の夕焼けみたいな瞳を思い出していた。