黒竹
2026-06-01 22:02:09
21030文字
Public 魔法少女ノ魔女裁判
 

シェリハンの短い話まとめ

【シェリハン】Xに画像形式で乗せてた掌編をまとめたやつ


 アスファルトが焼ける匂いがする。靴底越しにも熱が伝わってくるようで、一歩踏み出すたびにじわりと体力を奪われていく。照り返しで視界が白く滲み、遠くの景色は陽炎に揺れて輪郭を失っていた。信号待ちの車列からは排気の熱が立ち上り、風が吹いても涼しさなんて微塵も感じられない、ただ温度の違う空気がまとわりついてくるだけだった。日陰を選んで歩いているはずなのに、そのわずかな影さえ焼けた空気に満たされていて、ほとんど逃げ場の意味を成していなかった。
 首筋を伝う汗が鬱陶しくて、ハンナは何度も髪を払いのけた。肌に貼りつく布地も不快で、呼吸するたびに熱い空気が肺に入り込んでくる。
……無理ですわ。こんな日に外に出るもんじゃねーですわね」
 半ばさじを投げるように言って、ハンナは額に手を当てた。手のひら越しでも分かるほど体温が上がっていて、じっとしているだけでもくらくらする。ぐったりと足を止め、その場に根を張るみたいに動けなくなる。息をするだけで体力が削られていくような暑さに、さすがに顔色も悪い。
「今日は今年一番の猛暑日らしいです。ニュースでやってました」
「道理でですわね……シェリーさん、ちょっと休憩しません?」
「そうですね」
 シェリーは周囲を見渡し、ふと通りの角に視線を止めた。
「あ、ハンナさん、ちょうどいいものがありますよ」
 指さした先には、小さな店の軒先。色あせたのぼりと、簡素なメニュー看板。その一番上に、大きく「ソフトクリーム」と書かれている。
……ああいうのって、余計に喉乾きませんの?」
「そうですか? ひんやりしてて甘くっておいしいですよ〜」
「むむ……
 ぼやきながらも、ハンナはちらりと店を見た。白く巻かれたクリームの写真がやけに涼しげに見える。
 シェリーはすでに一歩踏み出していた。結局、それを追いかけるようにして店の前に立つ。小さな窓口から漂う、ほんのり甘い匂いに、少しだけ気が緩んだ。
 ほどなくして手渡されたコーンは、見た目だけでも涼をくれる白さをしている。
 店先は道路に面していて、その場で食べるには適さない。日差しからも逃れたいし、直射日光が当たらない店の裏に回ってみると、同じことを考える人が多いのか古びたベンチとゴミ箱が設置されていた。
 店の裏手は、表の喧騒が嘘みたいに静かだった。コンクリートの壁に囲まれた細い通路に、じっとりとした夏の熱がこもっている。遠くで車の音がくぐもって聞こえるだけで、風もほとんど通らない。
 ハンナは、溶けかけたソフトクリームを見つめて顔をしかめた。
……これ、外で食べるもんじゃないですわね」
「まあ、そう言わずに。これはこれでおつなものですよ」
 隣でシェリーは、白い渦を丁寧に舐め取りながら笑っている。相変わらず、感情の温度が読みづらい声だ。
 ぽたり、とハンナの指先に甘い滴が落ちた。
「あっ」
 慌てて持ち替えようとした拍子に、さらにとろりと溶けたクリームが手の甲を伝う。ひやりとした感触と、べたつく甘さがじわりと広がっていく。
「あわわ、もったいねーですわ!」
 バッグからハンカチを取り出しかけて、ハンナはぴたりと動きを止めた。これで拭いたら、ただベタベタを広げるだけだとすぐに想像がついたからだ。
 どうしようかと迷っていると、隣からすっと影が寄る。
「ちょっと失礼しますね」
 言うより早く、シェリーの指がハンナの手首を軽く掴んだ。そのまま、ためらいもなく、唇が寄せられ、そこか伸びる舌が触れた。
 指先に残っていたクリームが、シェリーの舌でなぞるように掬い取られる。
……は?」
 思わず間の抜けた声がハンナの口から洩れた。一瞬、頭の中がソフトクリームばりに真っ白になる。
 シェリーは、何事もなかったかのようにもう一度、今度は手の甲に伝った甘さをゆっくりと舐め取った。ひやりとした感触が、くすぐったくて、妙に生々しい。
「ちょ、ちょっとシェリーさん……! なにしてるんですの!?」
「だって、そのままにしてたら汚れちゃいますよ」
「そういう問題じゃなくて!」
 ハンナは反射的に手を引こうとするが、軽く押さえられて動けない。視線を逸らそうとしても、どうしても意識がそこに引き寄せられる。
 気づけば、もう片方の手に持っているソフトクリームが、ぐにゃりと形を崩し始めていた。
……あ」
 ぼた、と今度は逆の手に落ちる。
「ああもう!」
 慌ててそちらを見るが、時すでに遅し。溶けたクリームが指の間を流れていく。
 シェリーが、ちらりとそちらに目を向けた。
「やや、これは第二の悲劇ですねー」
「ミステリーっぽく言わなくていいですわ!」
 反射的に叫んでから、ハンナは顔を真っ赤にしてシェリーを睨んだ。
「ていうか、そのへんのコンビニにトイレくらいあるでしょう!?」
「おっと、これは気づきませんでした」
 くすり、とシェリーは笑う。その笑い方が、妙に作為的でわざとらしい。
……ほんとにもう……
 小さく呟いてから、はっとしてもう一度ソフトクリームを見る。
 もはや原形はほとんど残っていない。コーンの縁から白い液体が今にも垂れそうになっている。
……これ、どうするんですの」
「食べるしかありませんね」
「さっきの騒ぎのせいで余計に溶けたんですけど!?」
「では、手伝いましょうか」
「いりませんわ!」
 即答してから、ハンナは慌てて残りを口に運んだ。少し乱暴に噛みつくようにして、溶けきる前に片づけようと奮闘する。溶けたせいで喉に絡みつく甘さと格闘しながらソフトクリームを口に押し込んでいると、その様子を眺めていたシェリーが「ウサギさんのようですねえ」と妙にほのぼのした口調で呟いた。文句のひとつも言いたいが、頬張っているコーンのせいで声が出せない。
 むぐむぐと声にならない抗議を上げつつ、なんとかソフトクリームの残りを食べ終え、深く息をつく。
「どうしますの、これ……
 ハンナはベタつく両手を持て余している様子をことさら見せつけるように、シェリーへ両手を突き出す。
……ほら、もう両手ともこうなりましたわよ。責任取ってくださいまし」
「責任、ですか」
 シェリーは少しだけ首を傾げて、それから小さく悪戯に笑った。
 あ、なんか嫌な予感がする。
「では、最後まで面倒を見ますね」
「え、いえ、だからそういうのは——
 言葉を整える前に距離を詰められる。空気がひとつ分、近づいた気がした。熱のこもった裏路地で、さらに体温が近づくと、それだけで呼吸のリズムが乱れる。
 シェリーがまた手首を取ってくる。なにをされるのか察したハンナが慌てて手を引っ込めようとしたが、思いの外強く手を引かれて動かせない。
「ちょ、待っ……!」
 今度は先ほどとは逆の手。指先に残った白い筋を、シェリーの視線がゆっくりとなぞっていく。その観察するような目つきに、ぞわりとしたものが背筋を這い上がった。
 やがて、ためらいもなく唇が寄せられる。
 近づく気配がやけにゆっくりで、そのぶんだけ時間が引き延ばされたみたいに感じる。逃げようと思えばまだ間に合うはずなのに、身体がうまく動かない。
 触れられた瞬間、ひやりとした感触が走る。
 ただ冷たいだけじゃない。さっきよりもずっと意識してしまうせいで、舌先が指の間をなぞる軌跡が、ひとつひとつはっきりと分かる。甘さを掬い取る動きがやけに丁寧で、わざと時間をかけているようにさえ感じられた。
 指と指の隙間を通るたびに、くすぐったさと、言葉にしにくい妙な感覚が混ざり合う。
 ひやりとした感触が一層はっきりして、ハンナは思わず肩を震わせた。
……っ、くすぐったいですわ……!」
 抗議する声とは裏腹に、力がうまく入らない。逃げようとすると、逆にしっかりと支えられてしまう。
 やがて、ぺろりと最後の一筋まで拭い取られると、シェリーは満足そうに手を離した。
「こんなものでしょうか。とはいえ、このままじゃちょっと困りますよね。向こうの角にコンビニがありましたから、そこでトイレを借りましょう」
 白々しく言ってくるシェリーが小憎たらしい。ハンナは上目遣いに彼女を睨み上げ、日差しとは別の理由で赤くなった耳を更に紅潮させた。
……ずるい」
「おや、どうしました、ハンナさん?」
……今日、お泊り禁止って言ったの、怒ってやがるんでしょう?」
「怒ってはいません。ちょっと残念だなって思っただけです」
 シェリーの通っている学校が明日からテスト期間に入るというから、今日のデートは外で遊ぶことにしたのだ。どうやら彼女はそれが不満だったらしい。
 だからってこんなやり方はない。こんなことをされたら、されてしまったら……
 おかしいと思ったのだ。いつもならハンナが休みたいと言えば店内で落ち着ける店を探してくれるのに、今日はテイクアウトしかない店を提案してきたり、飲み物もないような裏路地に誘ったり。どこから仕掛けられていたんだろう。問い詰めても意味がないからしないけれど。
 ハンナの手にはまだ、彼女の舌が這った生々しい感触が残っている。夏の日の光に照らされて反射する唾液の跡がいやに胸をざわつかせた。
 いつの間にか壁際に追い込まれていた。ちょうど陽の光が遮られて彼女の顔が逆光で見えなくなる。
「これからどうしましょうか?」
 それは幼子がお菓子をねだるような甘ったれた声だった。耳から染み込んでいったそれがハンナの脳を痺れさせ、首へと落ちてじわりと広がる。
……コンビニ、で、飲み物を買って帰りましょう」
 喉の奥に甘ったるい残滓が溜まっていて飲み込めない。
 シェリーは無邪気な仕草で笑って、それなのにどこか狡猾な光を滲ませながら「はい」といつもと同じ声で応えた。