黒竹
2026-06-01 22:02:09
21030文字
Public 魔法少女ノ魔女裁判
 

シェリハンの短い話まとめ

【シェリハン】Xに画像形式で乗せてた掌編をまとめたやつ

 見慣れないものがシェリーの部屋にあるのを見つけ、ハンナの片眉が訝しげに上がる。見つけたというか、部屋のドアを開けた途端に目に入ってきたのだ。むしろ視界に入れないほうが難しい。
 くまだった。もちろん本物ではない。ぬいぐるみである。ひと抱えもあり、シェリーがいつも座っている場所の傍らに置かれている。なかなか愛嬌のある顔で首にはリボンがついていた。座った姿勢の、短い手足を投げ出した格好で、それはそこにあった。
「なんですの、これ?」
 この前遊びに来たときにはなかった。いくらなんでもこんなに大きなぬいぐるみに気づかないはずがない。パッと見た印象ではまだ新しい。おそらくここ数日でやってきたのだろう。
 シェリーは「あ、この子ですか?」くまの頭に手を置きながら屈託なく笑う。
「ココさんにいただいたんですよ。本を読む時にこういうので支えると姿勢が悪くならないそうで」
「へえ……それは助かりそうですけれど、ココさんはどうしてこんなものをあなたに?」
「ゲーセンのクレーンゲームで遊んでる時に、ノリで取ったそうです」
「押し付けられただけじゃありませんの」
 やれやれとため息をひとつ。ゲームで遊んだはいいが、手元に来たら邪魔だったということだろう。後先を考えない、刹那的な生き方はどうかと思うが、受け取ってしまうシェリーもシェリーだ。
 シェリーはぬいぐるみを持ち上げると、こんなふうに、と読書時の使い方を実演してみせた。ぬいぐるみを膝に乗せ、もたれかかるような体勢で頭に顎を乗せる。なるほど、無駄に背中が丸まったりもせず、支えがあるおかげで楽そうだ。彼女はこう見えてけっこうな読書家だし、ああいうものがあると確かに便利かもしれない。
「あんまり疲れを感じたりすることはありませんが、この子のおかげで本を読み終わったあと、ちょっと身体が軽い気がするんですよ」
「ふぅん……
 ハンナは腕を組んだまま、じっとその光景を見つめた。視線の先では、シェリーが何の疑いもなくくまに体重を預け、心地よさそうに目を閉じて感触を味わっている。顎をちょこんと乗せる仕草まで、妙に馴染んでいた。
……ずいぶんと、仲がよろしいこと」
 ぽつりと落とした言葉に、シェリーが顔を上げる。
「そうですか? でもこれ、ふわふわで触り心地もいいですし、おすすめですよ。ハンナさんも使ってみます?」
「結構ですわ」
 間髪入れずに返す。自分でも少しきつい声になったとわかって、ハンナはこっそり息をつく。
——何を張り合ってるのかしら。
 シェリーが抱えているのはただのぬいぐるみだ。彼女にとってはただの便利な道具で、単にそういう意味で気に入ってるというだけの話だろう。
 それでも、視界に入るたびに落ち着かない。彼女の膝ですっぽりと収まっているそれはいかにも具合が良い。柔らかな生地と詰め込まれた綿のおかげでシェリーの手も顎もかすかに沈み込み、しかし必要以上に潰れてもいない。
 ハンナの視線はシェリーの手元にそそがれていた。ふわふわのくまを包み、そしておそらく無意識に、さっきから優しく毛並みを撫でている手に。
……
 ハンナがシェリーに一歩近づき、くまと対峙する。くまの顔がにこにことこちらを見上げている。愛嬌のある顔だ。否定はしない。だから余計に腹立たしい。
「その子、名前はなんていいますの?」
「え?」
「あるのでしょう? そういうの、つけるものではなくて?」
 シェリーはきょとんとして、ハンナとくまを交互に見やり、それから軽く首を傾げた。
「そういうの、考えもしませんでした」
「ああ……あなたはそうかもしれませんわね……
 尋ねてから、自分でも馬鹿な質問だったなと気づく。そういう情緒的な行為を彼女に求めるのが間違いだった。
「じゃあ、今つけましょうか? どんなのがいいでしょうね」
 軽い調子で言うシェリーに、ハンナの眉がぴくりと動く。
「や、やっぱりなし! 名前なんてなくていいですわ!」
「? まあ、私はどっちでも構いませんが……
 危ないところだった。うっかり墓穴を掘るところだった。
 名前なんてつけたらどうなってしまうか分からない。シェリーではなく自分が。
 だって名前なんてつけてしまったら。
 それは、あのくまが他の何でもない唯一の存在になってしまう。ただの顎置きではなく、【シェリーの部屋にいつもいる誰か】に成ってしまうということじゃないか。
……けっこう大きいですけれど、重くありませんの?」
「これが見た目ほどではないんですよ。中の綿が軽いんでしょうか、まるで私の魔法が復活したかのように軽々と」
「へえ」
 ぴたり、と視線がぶつかる。
 一瞬だけ、妙な沈黙が落ちた。
 そのままハンナは、すっと腕を伸ばし、くまをひょいと持ち上げた。
「んん? ハンナさん?」
「本当ですわね」
 持ってみると確かに見た目よりかなり軽かった。触ってみて気づいたが、どうやらへたらないように芯材が入っているらしく、それで綿の密度が低くてもシェリーを支えられていたらしい。
 そのままくまをためつすがめつ、顔を撫でたり腕を振らせてみたりしてから、ハンナは満足して両手で抱え直した。
 なるほど、確かにちょうどいい。
「ハンナさん?」
 眼下から不思議そうな声がするが構わない。ハンナはそのままくまを抱え、少しだけ位置を調整して、そして。
 【そこ】に、自分が収まった。
……あの?」
 くまは無邪気に笑ったまま二人の傍らに佇んでいる。
 代わりにハンナがシェリーの膝の内側に座り込んで、すっと身体を預け、当然のように頭をあずけた。先ほどと同じ体勢で、ただし対象だけが入れ替わっている。
……顎、乗せてもかまわねーですわよ」
 さらりと言い放つ。
 シェリーは一瞬、言葉を失ったように目を瞬かせて、それから、困ったようにふっと小さく笑った。
「重いですよ」
「くまには乗せてたじゃありませんの」
「そうですけど、くまさんはハンナさんじゃありませんし」
 そのまま、ハンナの背にそっと腕が回る。
「顎を乗せちゃうと喋りにくいですから」
 あなたといる時は、ただ黙って本を読むんじゃなくて、あなたと話がしたいんです。
 言外に伝わってきた甘えに、ハンナは照れくさくてくしゃりと笑う。
「ま、あなたのお喋りに付き合うには、ぬいぐるみじゃ力不足かもしれませんわね?」
 つんと鼻先を上げながら答えると、「そういうことです」シェリーの指先がやんわりと髪を撫でてきた。さっきまでくまに触れていた手だ、と思った瞬間、ほんの少しだけ胸がざわつく。
……もっと」
「はぁい」
 けれど今、その手はちゃんと自分に触れている。
 それで十分だった。
 シェリーが肩口に鼻先ですり寄ってきて、すんと軽く鼻を鳴らした。
 床に転がされたくまは、相変わらず愛嬌のある顔でこちらを見ていたが、二人とももう、そちらを見ようとはしなかった。