黒竹
2026-06-01 22:02:09
21030文字
Public 魔法少女ノ魔女裁判
 

シェリハンの短い話まとめ

【シェリハン】Xに画像形式で乗せてた掌編をまとめたやつ


 柔らかな下生えに腰を下ろし、視線の先に広がる光景を眺める。遠くには虹がかかっていて、地面には色とりどりの花が咲いていた。背が低い花々の名前をハンナは知らない。ただ、きれいだとは思う。華美な洋服を身にまとって、一面の花畑に囲まれている己が少し滑稽だった。まるで【お嬢様】みたい、と口の中だけで呟く。
 見晴らしの良い景色にそっと息をついた。閉じ込められていると思えば絶望的な気分になるような広さだが、それにさえ目をつぶれば穏やかで平穏な光景だった。
 無意識に下ろした手の先に咲いていた小さな花を見つけて、ふと口元をほころばせた。白い、花びらに切れ目の入った可愛らしい花だった。
 花びらを一枚失敬して両手の指でつまみ、唇を当てて息を吹きかける。ピィ、と甲高い音が周囲に響いた。
 懐かしい。満足な遊び道具なんてなかったあの頃、近所の道路脇に咲いていた花でこんなふうに遊んだ。弟たちはうまくできなくて、ハンナがいつもせがまれていたものだった。おかげで簡単な音階なら奏でられる程度には慣れていて、久しぶりに鳴らしてみたが腕は衰えていないらしかった。
 ピィピィと鳴らしていたら、そばで下生えを踏む音がした。
「おや、なにかと思ってきてみれば、犯人はハンナさんでしたか」
 気安い口調の声に顔を上げてみれば、キャスケットのつばでできた影の下、目を細めている橘シェリーが佇んでいた。
「犯人とは言ってくれるじゃねーですの」
「今回は私の推理じゃないので反論は無意味ですよ。なにせ現行犯ですからね」
「犯罪なんかしてませんわよ!」
「花泥棒は……うーん、犯罪じゃありませんでした」
 これは失敗、と悪びれる様子もなく笑うシェリー。花を手折ったわけでも持ち帰ったわけでもないのに、盗人にされてはたまらない。ハンナはいーっと歯を剥いてシェリーを威嚇してから、くしゃくしゃになった花びらを地面に落とした。
「さっきの、花びらを笛にしてたんですか?」
「知りませんの? こう、軽く引っ張って震わせるように息を吹くと、きれいに音が鳴るんですのよ」
 別の花びらを取って実演してみせる。シェリーは花びら笛を知らなかったのか、感心した面持ちで口を開け、「ほえぇ」と間の抜けた声を洩らした。
「私もやってみたいです」
 興味津々、シェリーも同じ花の花びらを一枚引き抜いて、ハンナの見様見真似で唇に当てようとつまんだところで、柔らかな花弁はふたつに裂けてしまった。
「ありゃ」
「力を入れすぎですわよ。かるーく、でもピンと張るように引っ張るんですの」
「こうですか? あ、また破けちゃいました」
「あなた、けっこう不器用ですのね」
 二度も続けて花びらを割いてしまったシェリーが渋い顔をするのに、思わず小さな笑声がこぼれた。「力加減が難しいんですよ〜」弱り目を見せながらシェリーは唇を尖らせ、三度目の正直とばかりに花びらをつまむ。
「そっとですわよ」
「そーっと……お、こんな感じですかね」
「そうそう、それで、口に当ててプッと」
 シェリーが唇の隙間から息を吹き出す。だが、さっきのハンナみたいな澄んだ音は出ずにただ空気が抜ける音がだけが流れた。何度か息を吹いて試してみるが、結果は変わらず、シェリーが諦めて唇を話す。
「この花びらじゃだめなんでしょうか」
「そんなことないと思いますけど。貸してごらんなさいよ」
 シェリーがつまんでいた花びらを受け取り、自分で吹いてみる。打って変わって甲高い澄んだ音が響いた。おお、とシェリーが思わず拍手する。
「ハンナさん、お上手ですね〜。おみそれしました」
「ま、わたくしの手にかかればざっとこんなもんですわ」
 得意げに肩をそびやかすハンナだったが、一拍遅れて気づく。
 今の、彼女の唇が触れた花びらに、己の唇を押し付けなかったか。
…………
 いやいや、別に気にするようなことでもないだろう。ほんのちょっと、爪くらいの大きさの花びらに唇の真ん中をちょっとくっつけるだけなのだから、それはもう言うなれば、触れていないのとほとんど同じではないか。
 そう、彼女の、桜色の唇が。
「ハンナさん? どうしました、私の顔になにかついてます?」
 うっかり見つめてしまっていたらしく、シェリーが首を傾げながら尋ねてきたところで我に返った。「ななな、なんでもありませんわ!」慌ててぶんぶんと首を振る。その拍子に持っていた花びらが破れてしまった。あ、と思ったが、儚い姿を認めたシェリーは特になんの感想も抱いていないようだった。
 新しい花びらを手にチャレンジし始めるシェリー。ハンナはその姿から目を逸らし、シェリーとは逆側の頬を手のひらで冷やした。
 シェリーは何度挑戦してもふーふーと気の抜けた音しか出すことができず、不思議そうに首をひねるばかりだ。
「ハンナさんと同じようにしてるつもりなんですが、うまくいきませんねえ。もしかしたら口の大きさとか関係するんでしょうか」
 なにが違うんでしょうね、と呟いて、不意に手を伸ばしてきたシェリーの親指がハンナの唇をなぞってきた。「っ!?」驚きと、唇をふさぐように当てられた親指のせいで声が出せない。
 固まってしまったハンナの様子には気づくことなく、シェリーはそのまま観察するように、ふにふにとハンナの唇をいじっている。
「柔らかい……柔軟性が必要ということ? あるいは口の開き方……
 真剣にハンナの唇を指の腹で撫でながらひとりごち、シェリーがさらに迫ってくる。
 両手で頬を包まれ、その手の親指で唇に触れられ続け、真剣な表情が至近距離まで近づいていて……
「はっ、離れなさいよこのノンデリ!」
 限界を迎えたハンナが腕を振り回すと、シェリーは豆鉄砲を食らった鳩みたいに目を丸くした。両手を離し、降参というようにその手を肩まで上げる。ハンナは撫でられていた感触をどうしても払いのけられずに、それをごまかすためになおも腕を振り回した。
「失礼ですわ! きょ、許可もなくレディの口に触らないでくださいまし!」
「あれ、私なんかやっちゃいました? ごめんなさい」
「あっさり謝られるのもなんか気に食わねーですわ……!」
 びっくりした。
 きれいなお花畑で、ちょっと変わり者だけれどいつも一緒にいてくれる人とふたりきりで、唇を優しく撫でられて、顔が、近づいて。
 そんなの、まるで、漫画みたいだ。
 彼女がそんなつもりでしたわけじゃないことは分かっている。単なる好奇心の発露であって、うまくできなかった理由を探るためにこちらを観察したにすぎない。
 いつもの観察であり、彼女が言うところの【探偵】としての性分であり、【妖精さん】と呼ばれるゆえんであるところのデリカシーの無さ、それだけだ。
 分かっているのに顔の火照りが治まらない。
 シェリーは再び花びらを手に取っている。懲りない人だ、と内心で呆れながらも、内心では少し安心していた。あの距離感のまま見つめられ続けていたら、たぶん、まともに呼吸もできなくなっていた。
「次はうまくいく気がするんですよねー」
 根拠もなさそうな声で言い、シェリーが花びらに唇を当てる。やはりスカスカの音だったけれど、その中に、ほんのわずかに高い音が混じっていた。
「あ、今ちょっと鳴りませんでした?」
「ちょっとだけですけど」
「さすがシェリーちゃんですね〜」
 へへ、と嬉しそうに笑うシェリーに、ハンナの肩の力が抜ける。
 隣で花びらを取り、手慣れた様子で鳴らしてみせた。シェリーがその様子を眺めながら小さく唸る。ピィと澄んだ音が、ひとつひとつと空にのぼる。「魔法みたいですね」冗談でもなさそうに、シェリーが言った。
 ハンナは花びらが振動で破けるまで音を奏で、シェリーはもう新しい花びらを取らなかった。
「あらシェリーさん、諦めたんですの?」
「そういうわけじゃありませんけど。ハンナさんのを聴いてるほうが楽しいなって」
……そう」
 ハンナの隣で三角座りをした格好で、シェリーはハンナの口元で花びらが震えるのをじっと見ていた。リクエストに応えるように甲高い音を何度も鳴らしながら、ハンナは己の息が上がるのを自覚していた。
「きれいな音ですね」
 軽く目を伏せてシェリーが聴き入っている。
 それからまぶたを上げると、こちらへ眼差しを向けながら穏やかに笑った。
「きれいです」
 ハンナは答えず、唇を当てた花びらを、ピィ、と鳴らすばかりだった。