錘(つむ)
2026-06-01 20:33:42
14845文字
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水の怪

現パロというか この世ならざる者たちと縁の深い立香が出会った犬連れの少年は



 だいぶ暗くなった外は、少し歩いただけで人や車の気配が消えていく。民家もあるにはあるが、時間帯にしては不自然なほど気配がない。
「だらしのない姿を見せてしまった」
立香がフォローを入れようとすると、男は苦笑した。
「だが、そうでなければならない。これからやることの景気づけだな。安酒が一番いい」
 街灯だけははっきりと点いていた。昼間の道とおそらく違う。いつもの場所とレイヤーが違う場所、とでもいえる、こういった場所に立香は慣れていたから、特に説明を求めなかった。
「神社に何かあるって、あの子もあなたも考えているんですね」
「そうだな。不自然なくらい気配がなかったのは、逃げ去っていたのだろうな。まずは原因を掘り起こす」
 湖と、石の鳥居にたどり着いた。湖は不気味なほど静かで、真っ黒だった。男は湖を無視して鳥居をくぐる。立香もあとに続いた。
「どうするんですか」
「呪いで色付けをする。祭神方には社に入れなければお目こぼし願おう」
 男が髪を解くと、霧のような靄のような何かが足元から広がり、境内に広がっていった。木の一本だけ、その根本を不自然に避けていく。
「あそこか」
 靄は止まり、男は高価そうな靴でためらいなく雑草を踏みしめ、先程の木に向かう。まさか、と思ったときには腕まくりをし始めたので、立香は叫んだ。
「素手!?」
「君は触らないほうがいい。どんな呪詛かわからない。それほど深く埋めてはいないだろうし」
「いや、それにしたって素手は! 爪に土が、手を痛めますし! これ、使って!」
 見た目に反して思い切りが良すぎる。急いでリュックをがさがさと漁り、折りたたみ式のスコップを広げて渡した。大きくはないが金属製なので掘りやすいはずだ。
「用意がいいな」
「こういう事、多いので。荷物、多くなりがちですけど」
 男はしゃがむとがつがつと土を穿ち、言ったとおりにそう深くないところに埋められたビニール袋を掘り当てた。男はそれを一瞥し、小さくため息をついた。立香が覗き込もうとする。
「悪意の塊だ、見ても気持ちがいいものではないぞ」
「見慣れてます。……
 ありきたりなレポート用紙にくるまれた写真と、漆で加工された犬の下顎骨。紙は古びておらず、傷んでもいない。つい最近埋められたのは明らかだ。
 呪、と何度もボールペンで書き殴った筆跡は、筆圧で時折紙を破っている。対象と思われる古い写真は、半分ほどに引き裂かれ、表面が布のように加工してあって光らないもので、映っているのは子どものようだ。ようだ、というのは身長と服装から判断したもので、針か何かで掻きむしられ、顔は特に判別も出来ないほどだ。
 強い憎しみ、衝動によってなされたものだろうが、系統立てた呪術の知識は全くと言っていいほど感じられない。立香は呪術のたぐいの専門家ではけしてない。周囲に専門家ややたら詳しい人や始めからあちらがわが多すぎるだけだ。それでも、これは素人の手によるものだと分かる。うわべ程度も齧った形跡はないのに、呪具としてけして安くはない骨董品を添えて土中に埋める、そのアンバランスさに生々しい悪意を感じる。
「独学というより、それらしくしただけのような」
「そうだろうな」
「相手は子供……ですよね?」
「どうだろうか。古い写真だ、おそらく、関係性の悪化など何らかの理由で現在の写真が手に入らなかったのではないか? アルバムから抜いたなら恐らくかなり近い身内。仮に半世紀前のものだとしたら年齢的に相続あたりか。考えても詮無きことではあるが」
 男は立ち上がり、石畳を引き返した。立香も後を追う。
「人は己の感情に高値をつけすぎるきらいがある、他者の感情をどう扱っているか考えればその偏りが分かりそうなものだが。これだけ呪っているのだからそれらしき何かが良いようにしてくれるとでも考えたのか。どうあれ、貴重品を無為に土中に埋めただけ、本来なら呪具にもなりえなかった。が、場所が悪かった」
 鳥居の外は、黒一色だった。鳥居を覗き込むように、獣の両目が見開かれている。飛び出た、丸い、赤茶色の目。
「獺どもにしてみれば、この社は安全な場所と認識して眠っていたはずだ。そこを荒らされたのだから約定破りに怒りもしよう。今度こそ滅ぼされまいと。祀られて要らぬ知恵をつけたな」
 思わず足がすくんだ立香を振り返り、男は柔らかく目を細めた。
「大丈夫。私程度で十分なモノだ、これは」
 長い髪が風にそよぐ。青白い炎が服を撫で上げると、黒い長衣へと変わった。棘の冠が髪を刺している。手にあった紙片も、写真も、燃えて消えた。ただ、獣の顎骨だけが、鎧われた指先に残る。
 男は静かに鳥居の外のモノに呼びかけた。
「代わりに詫びよう。これを除くということで、許してはもらえないだろうか」
 返事の代わりに、くわあ、と口を開けた。下顎の牙が突き刺さりそうな、肉食獣の牙である。
「相わかった」
 指示もなく、二頭の獣が足元の闇から躍り出た。鳥居を駆け抜けたのは、むく毛の大きな犬だった。かなりの大型犬で、犬種は立香にはわからない。
 犬が吠えた。顔のある闇は明らかに動揺し、身じろぎをした。夜空が覗き、小山のような黒に顔がついた形状だとわかった。犬は恐れることなく食らいつき、肉を剥ぐように首を振る。何か、塊が投げ出され、地面に打ち付けられる。
 じりじりと後退する塊を、男はゆっくりと追い、鳥居を出てから手を挙げた。禍々しい蔦のような塊が現れて闇を貫いた。犬たちは命じられたかのように食いつくのをやめ、吠えながらゆっくり前進し、追い立て始めた。
 塊は大きさを半分ほどに減らし、それでも一戸建てほどの大きさ高さを保ったまま、湖のほうに逃げる。
 来るなと言われなかったので大丈夫だろう、という雑な判断の下、立香も鳥居を出た。月がまばゆい。水の怪が水源である湖に移るのは、力の供給が容易になることで、通常は避けたい事態だ。だが、あえて追い立てているなら、何か手立てがあるのだろう。
 湖に逃げ込んだ闇は、目に見えて膨れ上がった。最初と同じか、それ以上かもしれない。激怒した猫のような威嚇音が響き、それは同じ意味の人語をかぶせてきた。

 でていけ、でていけ
 ここはニンゲンの場所ではない
 おれたちの、すみか

「領地を主張したな?」
 声音も表情も、笑ってはいなかった。ただ、確認をしただけだ。
「ならば、お前たちの地を穢すこととしよう」
 跪くように膝を降り、地に触れた。呪いが地をひび割れのかたちに砕く幻が見え、それは同じ形で水をも割った。水とつながった、闇の塊も。
 ボタボタと、塊がこぼれ落ちていく。肉片のようで不気味だったそれをよく見ると、それぞれが水の獣の姿をしていた。立香は見たことがない、おそらく絶滅してしまった生き物。こんなに狩ったなら、一匹残らずいなくなりもするだろうし、恨まれたと思うだろう。
 形を保てなくなった闇のこごりは湖に沈み、見えなくなってしまった。
「倒しちゃった?」
「いや。散り散りに逃げただけだ。呪った本人にぶつける方法も無くはないが。少々の手間で行える、いまからでもそうしようか」
 立香は大きく首を横に振り、男は静かに頷いた。
「ならばこのままにしておく。原因は除かれている。そのうちに安全と気づいて社に戻っていくだろう」
「ありがとうございました。……ううん、ありがとう。同じ、だよね? 犬も、君も。昼間も会った」
 男は眉根を寄せ、視線を一瞬、遠くに投げた。すぐに観念したように目を閉じて、ため息を付く。
「慧眼だな。いつから気づいた?」
「ちょっとおかしいな、って思ったのは、散歩をするような犬連れの子がこの辺に住んでないはずがないなって」
「成程。それはそうだ」
 男はそっと袖で顔を隠し、すとんと身の丈が縮んだ。
……喋るの苦手だからって、すぐ俺に押し付ける!」
 隠した手がのけられると、現れたのは昼間の少年だった。服装は、ひらひらと飾りの多い衣服に変わっているが。
「ま、同じ俺なんだけどな……。助かったよ。こんなに早く済むなんて思わなかった。君のおかげだ。この土地に引っ張られて、誰かが誰かを呪ったせいだとまではわかった。俺を使い呪いを果たすために喚んだのか、それとも俺は単に巻き込まれただけなのかを調べたかった。呪いをばらまいてあぶり出すにしても、術者がいるなら逆効果だからな。絡め取られる危険性がある」
 やはり人ではなかった少年は、少し寂しそうに微笑んだ。
「これで、明日わざわざ来てもらう必要もなくなった。駅まで送るよ、気をつけて帰れよ」
 立香は大きく首を傾げてみせた。
「え。なんで? 明日も会おうよ、遊ぼうよ。さみしいこと言わないでよ」
「いや、そうじゃなくて。だって、わざわざ来てもらうような手間は、」
「じゃあ、うちのほうにくる?」
「あのな。人でもそうじゃなくても、怪しいやつに最寄り駅とか、家とか教えるんじゃない」
「はーい。じゃ、さっき決めたとおり。明日、10時に駅で」
 少年は観念したように頷くと、袖を振った。昼間の服装に戻り、足元から二匹のコーギー犬が飛び出てきた。
 まだ、少年は骨を持っていた。
「どうしようね、これ」
 骨を指で差すと、触らないように遠ざけられた。
「そうだな。残った気配からしてこの辺に住んでいそうだ。ポストにでも返しておくか」
「大丈夫かな。悪いことになったりしない?」
「あんな気持ちの悪い呪い方したやつのことでも気にするんだな。心配しなくても、もう無害になってる、というかコレ自体はもともと無害なんだ。ウサギの足と同じだ」
 この骨を買った人物が写真の相手を呪った理由も、相手がそれほど憎まれた理由も立香にはわからない。埋めたはずの骨が戻ってきたら震え上がって、もう二度と同じような行いはしないのではなかろうか。そうあってほしい。呪とはあっても、死だとか殺だとか、そんな言葉までは書かれていなかった。何も起きなかった幸運で、何もなかったように過ぎていってほしい。
 少年は身をかがませて、順々に犬ににおいを嗅がせた。犬たちは合点承知というようにステップを踏み、意気揚々とちまちま走り出した。
「追えちゃうの? さすが」
「いや。探すのは俺だ。犬は雰囲気でやってる。こいつら、手伝えてなくても手伝えてる感がほしいんだと思う」
「働くお犬……
 犬たちが堂々と道を曲がりかけたのを、さっそく「こっちだぞ」と綱を引かれていた。
 少年が探し当てたのはごく普通の邸宅で、郵便受けに入れると、少しだけ大きな音が夕やみに響いた。
 今度こそ、駅に向かう。

 改札を前に振り返る。抱き上げた茶黒いコーギー犬の手を取って、ばいばい、と振ってくれた。コーギーはなすがままに、なぜか少し得意げな顔に見えたし、足元の薄茶コーギーは鼻先で少年の足をつついていた。