錘(つむ)
2026-06-01 20:33:42
14845文字
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水の怪

現パロというか この世ならざる者たちと縁の深い立香が出会った犬連れの少年は



 後は帰るばかりの立香は、しかしぐずぐすと居座っていた。
 年下の男の子が、一人で……いや、誰かに頼むと言っていたが、それにしてもなにか頑張るわけで。その結果を聞くだけというのも、どうも収まりが悪い。喫茶店でさっきもらった資料を読んで時間を潰し、薄暗くなってきたので夕食が食べられそうな場所を探す。ひょっとしたら、あの子とまたばったり会うかもしれないし。
 チェーンの大衆居酒屋で、どこかの居抜きかテラス席があり、そこに絵画から抜け出してきたような男が一人座っていた。
 長身、痩躯を仕立てのいい服で包み、長い紫混じりの髪を無造作にまとめている。憂い含みの瞳はペリドットが灯り、さっきの少年によく似ている。やっぱり身内の人なんじゃなかろうか。思わず見とれて、足が止まりそうになる。
 店内から、店員が盆を持って現れた。口を一文字に引き締めて、少し震える声を静めて。
「ピーチサワーメガジョッキお持ちしましたー……
「ご苦労」
 ピーチサワーメガジョッキ?
 つい顔を上げて目を見開くと、思い切り、目があった。
「む」
 向こうが反応したのをいいことに、立香は近づいて、声をかけた。
「あの、もしかして」
 みなまで言う前に、男は微笑未満の顔をして、椅子を示した。
「アレから聞いている。……立ち話をさせるのも悪い、座るといい」
 立香が戸惑っていると、タブレットで店員を呼び一名追加を伝えている。先ほどと同じ店員はプロ意識で極めて淡々と案内してくれたが、恐らく内心は疑問符が荒れ狂っているだろう。
 先程の少年の関係者だとは言うが、詳しい関係性までは説明してくれなかった。立香も深入りはせず、どう切り出したものかと悩んでいると、男はメニュー表を差し出した。
「こういう場所で悪いが、好きなものを頼んでくれ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……
 頼まないで座っているのも変だし、遠慮せず食事にありつくことにした。ご飯物も揃っており、ここはシンプルなチャーハンが美味しいと大学の先輩が言っていた。合わせて適当なノンアルコールを端末でオーダーした。
 それにしても。所作も優雅で上品で、何と言っても声がいい。淡々と話していても冷ややかさを感じない。
 理想のワインを追い求めた結果、フランスにブドウ畑と蒸留所を持っており道楽で金を注ぎ込んで賞とか取っていそうな外見をしている。ご自宅にでっかいワインセラーとかあってなんかそのへんで見たことない犬とかダース単位で飼って趣味は乗馬とか、いや馬持ってるとか、一般家庭育ちの立香の想像力の限界がその辺なのだが、とにかくそういった世界を想像させる佇まいである。
 たこわさとなんこつから揚げを割り箸でちまちま摘む姿が、眼の前の現実であるにも関わらず非現実味を帯びている。
「家に帰らなかったのか」
「まだ五時台ですよ? 知らない街を歩くの、好きなんです。ちょっと心配でしたし」
「そうか」
 目元に憂いを漂わせ、そっと伏せる。目元の血行が良くないのが、壊れ物のように美しい。
 植物とか植えられそうな大きさの巨大なジョッキに入ったピンクの炭酸飲料を口元に添えているのが本当に、脳がなかなか理解してくれない。
「これから、どうするつもりなんですか?」
 男はジョッキを置いて、こちらを見た。
「それほど時間はかからないと思うが。待っていてくれと言ったらききいれてくれるか、君は」
「きかないですね!」
「わかった。ここを出たら先程の神社に向かうつもりだ。ついてくるといい」
「えっ、物わかりがいい」
「尾行されるよりは危険ではないからな、君が」
 尾行する気満々だったので、立香は笑顔のまま首をすくめた。
 立香の頼んだチャーハンと数品、烏龍茶が届いた。
 男は整えられた顎髭を神経質そうな指の関節で撫で、メニュー表をじっと見ている。視線がデザートコーナーを漂っているので、立香は口が滑った。
「好きなの、頼んで大丈夫ですよ。あっいやその」
 奢るほうの人と同じ事を言ってしまった。男は不快な様子を見せずに、小さく頷いた。それでも動こうとしないので、覗き込む。
「パフェ、いいじゃないですか。飲み屋さんの甘い物、美味しいですよ。桃パフェありますよ」
 緑色の瞳が伺うようにこちらを見た。
……君も頼むか? どれがいい」
「いいんですか? チョコパあるんだ……。いや私も桃、桃にします」
 しばし後、今度は桃パフェ二つにメガジョッキハイボールが運ばれてきた。
 あまおうサワーに目が泳いでいたのを目ざとく見つけていた立香は、そっちを頼めば良かったのにと思ったが、パフェに合わせたのかもしれないので何も言わなかった。
 なんだかよくわからないコース料理を食べてシェフを呼べしていそうな男が、桃パフェをつまみにしてハイボールを飲んでいる。やはり、まだ脳は慣れなかった。

 店を出る時、会計で男はブラックカード、ではなく、プリペイド式の無記名カードをかざした。犬の鳴き声を模した決済音が鳴った。