望月 鏡翠
2026-05-07 00:39:39
30378文字
Public 庭師は何を口遊む 霊山班
 

儀式的ニトロ その6

#庭師何を口遊む_霊山班/二次創作


 爆弾事件は続報がない。
 近頃メディアも、新しい動きを見せないその事件に飽きつつあるようだ。
 精神科医の小野は予約表を見た。
 そこに並ぶ名前の一つに見覚えがあり、微笑む。
 もちろん担当する患者の全てに見覚えはあるが、新患で見覚えがあるとなるとそれは別の意味を持っている。
 比叡 明治。
 いつか、その男の名前がそこに並ぶ日が来ると、思っていた。以前きたときは取調のためで、彼は仕事のためにそこに立ち続けようと、努力をしていた。
 かわいそうに。
 診察の扉を開けた彼は、一人だ。あの時の大男は隣にいない。それはつまり、そういうことなのだろう。
 哀れみを持って、小野は彼を出迎えた。
 初めてここにきたとき、すぐにわかった。
 不安定な男だ。そして、隣に立つ男に依存していた。その存在を意識しているのが全身から伝わってくるのに、視線をやろうとしない。不安で体のどこかを握りしめるように掴む癖。
 それで刑事なのだという。
 その生き方は、さぞかし辛いだろう。
「こんにちは。どうぞ、そちらに掛けてください」
 比叡は暗い目をしている。目が合わなかった。以前来たときはそれでも目を合わせるくらいはしてくれたのだけれど。
 精神科医の仕事の大半は、話を聞き流すことだ。共感している態度はとっても、本当に共感してはいけない。思い入れを持つのもいけない。
 患者が話したいことを引き出し、問題を整理し親しみを与えながら聞き流す。そうしてこちらの提案が少しは受け入れてもらうことができるようにする。
「今日は、話をしに来ただけです」
 心を閉ざした声をしている。
「そうですね、話をしましょう」
「あなたに聞きたいことが」
「はい。なんでしょう」
 患者からの個人的な質問に答えることはない。ただ、答えないという態度も取らない。
「山下医師を、どこにやったんですか?」
 思わぬ名前が出た。
……はい?」
「救急救命医の山下医師です」
 もちろん、同じ病院で勤務していている以上、名前を聞いたことくらいはある。
「いらっしゃらないんですか。個人的に親しいわけではないのでどこにいらっしゃるのかは存じ上げないのですが……
 比叡は眼鏡の位置を直す。ようやく目があった。
 本心を誤魔化しているのだとすぐにわかる嘘くさいにこやかな笑顔が、引っ込んでいる。もともとの印象は胡散臭い以上のものではなかったが、柔和な印象がなくなって視線の鋭さが目立つ。
 その視線の凄絶さの理由が、小野には理解できなかった。
「彼は今回の件の重要参考人です。生きたまま返していただければ、僕たちの仕事が一つ減り、あなたの罪が少しだけ軽くなる。亡くなった人の数も、把握しやすいでしょう」
 せん妄症状でも出ているのだろうか。警備を呼ぶべきなのかもしれない。
 内線電話との距離を測る。細身の男だが、急に襲いかかってきたら抵抗できないかもしれない。看護師を呼ぶべきだろうか。
「比叡さん、落ち着いてゆっくりお話ししましょう」
「確かに、僕は冷静さを欠いているのかもしれません」
 比叡は大きく、ため息をつく。
 背もたれに体重を預けると、体を逸らせて天井を見上げた。
「でも、どちらでもいいんです。この先は、僕の仕事ではない。ここで僕が壊れてもあとは霊山先輩がうまくやってくれる」
 話が読めない。
 返事をできないでいると、比叡は元の姿勢に戻り元の暗い目つきに戻った。
「ゾンビを作るのって、どれくらいの魔力が必要なんですか」
 突然、話の内容が変わる。
……他の病院を紹介した方がいいみたいです。ここには入院設備がありませんから。職場にもご連絡差し上げないと」
「残酷なことですが、精神科医の方に頭がおかしいと言われてしまうと、大抵の人間はそれを信じます。実際、僕も心が安定しているわけではありませんから」
 肩をすくめて見せる。その言葉には、皮肉げな響きが混ざっていた。
「怖いですよね。そういうことがないように、強制的な身体の拘束に関しては二人以上の医者の言葉が必要なのかもしれませんが、実際に心を壊してしまえば簡単です」
 比叡は饒舌だった。今のところ口以外のところを動かす気配はない。
「あなたには、自分の病状の自覚がおありですか。比叡さん」
「いいえ。でも確かに僕はもう狂っているのでしょうね。ゾンビや魔術。異形の神やここではない世界の生き物。到底正気の沙汰ではない。もう正しい世界には戻れないんです」
「治療して差し上げましょうか」
 さりげなく椅子から立ち上がり、人を呼ぶ手段を探すべきかもしれない。彼はもう引き返せない場所に行ってしまっている。
 誰が見てもそれは明らかだ。
 誰が見ても明らかだというのは、何よりも重要だった。
 小野が内心で逃げ出そうとしていることなど知りもしないで、比叡は暗い感情を宿したままの目を細めて笑顔を作った。
「不思議と魅力を感じませんね」
「刑事として、それでよろしいんですか。職場にも休むように言われているのでなくって?」
「アハ、それが案外そうでもなくて。あの人たちは僕の何を見ているんだろうと思ったときもありますが、なんのことはない。誰も僕に正気など期待してはいませんよ」
「そんな人が刑事をしているなんて、怖いですね」
 この男にはどう見てもせん妄の症状が出ている。その妄想の攻撃する相手を小野に選ぼうとしている。
 今すぐここから逃げ出すべきだ。
 そっと椅子を引いた。
 比叡は構わずに話を続けた。
「山下医師は、捕まった人間がどうなるのか知っていながら、若者をあなたとその仲間の元に送り込んだ。許されない行為です。ですが彼が医者として行った治療が間違っていたわけではない。悪人であることとは、その行動が悪であることを意味しません。仕事は仕事です」
「あなたも同じだと? 警察官としての能力と資格が疑わしい人間の捜査に、正当性があるかしら」
「だから、証拠が必要だったんです。精神が不安定な人間の〝言葉〟ではなくて証拠が。あの子が見つけてくれました。その様子だと、ご存知なかったらしい。なら、他のものもあなたの家を探せばまだ残っているかな。安心してください。証拠を見つけたのは、別の人間ですよ。正しい刑事です。そして僕は今、刑事としてここにいるわけではない。ほら、予約表に名前があるでしょう。ただ、話を聞いて欲しかったんです」
「気は晴れましたか?」
「ええ。とても安心しました。この後に及んで、僕に何もしてこないということは、精神操作の魔術は思ったよりも万能ではない。条件が揃っていないのかな。僕が大丈夫なら、あの人は確実に大丈夫です」
 比叡は廊下に続く扉を指した。
「動かないでください。廊下に他の捜査官が待機しています。他の患者さんの心を無用に荒立てる。抵抗はしないでいただけると、助かります」
「本気ですか?」
「ええ。本気です。逮捕状も出ていますよ。ご覧になりますか? 持っているのはもちろん僕ではなく、外の刑事さんたちですけど」
 そこで比叡は言葉を止めて、声色を変えた。
「小野 保子。いいえ、徒 保子と呼ぶべきでしょうか。あなたが全ての黒幕。この件の魔術師。ですが魔術の実在を証明できなくとも、関係ありません。誘拐と殺人。臓器売買。爆弾の製造。これだけで、あなたを逮捕することができるんですから」
 小野は、ため息をついた。
 どうしてばれたのだろう。
 どこに証拠が残っていたのだろう。
 綺麗に片付けたはずなのに。あの男もカメラに写っているのを確認してから爆破した。通信はそのあと途絶えが、脱出できたとは思えない。
 あの騒ぎが収まったのは数時間後だ。爆発に巻き込まれて、死んだはずなのに。
 もしかして児童養護施設に入れられたあとの足取りを辿る手段が残っていたのだろうか。
 いや、理由を考えるのは、今はいい。
 どうやってここから逃げようか。
 この貧弱な比叡という男を、人質にでも取ってみようか。
 医者というのも体力のいる仕事だ。暴れる患者を相手取る精神科医は特に。力は多少ある。
「私が爆弾を持っているから道を開けろ、と言ったらどうします?」
「一緒に死にましょうか。僕は構いませんよ」
 比叡の声色は本気だった。少しも自分が死ぬことを恐れていない人間の声をしている。自殺志願者の中には、どんなに止めてもそれを強い意志で成し遂げてしまうものが何人かいる。
 結局ドアノブと服さえあれば、人は首を吊って死ねるのだ。
 そういう連中と同じ目をして、その上で笑顔を作っていた。
「刑事さんが、そんなことを言っていいのかしら」
「だから、僕は今、精神疾患で受診しているんですよ。重症です」
「無敵の人って、厄介ですね。どうしたら何も失うものがない人を止められるんでしょう」
「永遠の課題です。ですが弱点を一つずつ、根気強く与えていくしかないのだろうと思っていますよ」
 例えば大切な人。楽しみにしている漫画の新刊。ファストフードの年に一回の期間限定商品。仕事が疲れたあとに飲む酒。そういうものが、もうどうでもいいやと投げ出してしまう心を引き留める。
「あなたの弱点は、我が身の可愛さですね。神を信じた祖父、不死を目指した父。その意志を継ぐことはなく、あなたの興味は少しズルをして小銭を稼ぐことにあった。魔術を使ってしたことは保身と誤魔化し。だからここに爆弾はありませんよ。だって怪我をしたら、大変でしょう。自分を投げ打つ覚悟などあるわけがない。あなたはただ、過去の物語の主人公たちが残したものをちょろまかして懐を温めていただけの子悪党だ」
「私を怒らせるのが目的ですか?」
「腹が立ちましたか。それはよかった。仕事中は流石に、犯人にこういうことをすると怒られてしまいますから」
 比叡は椅子から立ち上がる。
「私が、犯人だと。そんな証拠が本当にあるんですか。あなたの言葉なんて、誰が信じるというんです。頭のおかしな男。一人では、生きていけないくせに」
 頭のおかしい男の妄言だ。
 どうとでも誤魔化せる。ハッタリだ。だからこんな回りくどいやり方をして会話をしにきているだけだ。録音していたとして、今の会話を録音されていたとして、何も口にしていない。証拠としては使えない。
 捕まるはずがない。
「長話はこの辺りでやめておきましょう。徒 真彦さんのように心のない人形には、なりたくないですから。さようなら。もう二度と会うことはないでしょう。僕の仕事はおしまい。事件は終了です」
 続く小野の言葉を、比叡はもう聞いていなかった。
 出ていった男と入れ替わりに、部屋の中に私服警官が数人踏み込んでくる。
 そんなはずはない。手錠がかかる瞬間まで、小野はそう信じていた。

         ◇◆◇

 廊下に出ると、霊山が比叡を出迎えた。中に入らないんですかと問おうとして、無意味な言葉だと気がついた。彼はあくまで特殊犯罪捜査零課の班長であり、比叡の上司だ。
 爆弾事件の捜査とは別に動いていたのだから、中で行われている捕物とは関係がない。
「僕があの女を殺すと思いました?」
「お前はやらないだろう」
 だから、その根拠のない確信はどこから出てくるんだ。
 この人は僕の何を見ているんだと、問い詰めたくなるときがある。
「分かりませんよ。僕は、正義なんてどうでもいいんですから」
 だがあの子は、それは望まない。
 今回の件は、比叡のミスだ。情報を読み違えた。地下の件も、爆弾の件もそうだ。捜査を間違った方向に誘導してしまった。
 手がかりは、たくさんあった。そもそも最初から碧斗の通信履歴にもっと注目していれば、もっと早く山下に辿り着き、彼から証言を引き出せたかもしれない。
 山下の証言も、違和感はあったのだ。
 比叡は「ご家族」としか伝えていないのに、彼は母親と断言した。小野から話を聞いていたか、直接会ったことがあったか。
 おそらく、今回の事件のきっかけは片貝親子だったのだろう。
 犠牲者の大半は、世間からも家族からも見捨てられたような若者たちだ。遺体の状況が凄惨なこともあり、引き取りに関しても渋い顔をされるような有様だ。
 しかし碧斗は、母親に強く必要とされていた。
 それがいいことなのか悪いことなのかは別として、その関心が小野たちには邪魔だった。
 小野に聞き取りにいったとき、令状も持っていなかったのに、彼女は嬉々として片貝が残したというノートを提出してきた。ショッピングモールの爆破が警備員のせいでうまくいかず、片貝を巻き込み損ねた。そこに警察がやってきて、当初の目的通り話が進んでいると気づいてチャンスだと思ったのだろう。
 追い討ちをかけるために、そのあとすぐにメディアに情報をリークした。
 ゾンビのことがどのように扱われるのかは知らないが、おそらく伏せたままそれ以外の証拠だけを提出し、進むのではないだろうか。
 魔術の存在を、この世は認められない。だから触れないようにその周りだけを手探りで慎重に触れながら、事件記録として残していく。
 今回の件も、ゼロが扱ったたくさんの不可思議な事件としてファイルされる。
 比叡は刑事として病院にきているわけではない。仕事中の刑事と長話する理由はない。
 立ち去ろうとする背中に、霊山が声をかけた。
「山穂の見舞いによっていくんだろう。犯人は捕まえたと、伝えてやれ」
「班長の口からで、いいのでは?」
「仕事の途中だ」
 煙草を吸いに行きたそうな顔をして、我関せずを貫いていた癖に。
 一課に華を持たせてやるという意味ももちろんあるのだろうが、この隙に病室に足を向けたとて、誰も気にしてはいないだろう。
「僕が……。僕が見舞いに行ったとして、一体何の意味が、あるんです」
 顔を見たからといって巩心の怪我が早く治るわけではない。励ましてやれるわけでも、痛みを和らげてやれるわけでもない。
 それでも比叡は彼の顔を見にいくのだろう。そうしないと不安だから。昨日よりも少しその顔色が良くなってやいないだろうかと期待して、祈る。
 意味などないとわかっているのに、決まった形を繰り返す。
 おそらく、この世はとっくに破綻している。
 科学で説明できず法に当てはめることができない魔術が、存在している。ルールが通用しない異形がいる。世界を滅ぼす神がいる。
 それなのに、世界はまだ正常だという信仰を守るために、全人類で揃いも揃って決まった手順を繰り返して生活している。日常という上っ面を守る作法の繰り返し。
 それはとても滑稽で、儀式的だ。
 だが、無意味だとは思わなかった。