望月 鏡翠
2026-05-07 00:39:39
30378文字
Public 庭師は何を口遊む 霊山班
 

儀式的ニトロ その6

#庭師何を口遊む_霊山班/二次創作


 頭の中は混乱していた。
 地下がある。そんなはずはない。いや、巩心は優秀な捜査官だ。思い込みで報告をしてくるような子ではないし、くだらない見間違いもしない。
 彼が動いたのなら、何かあったのだ。
 少しして端末にマーキングが届く。家庭用パソコン程度のセキュリティを突破するのは、そこまで難しくはない。あとは情報を抜き出せばいい。
 だが、起動した覚えがないカメラが動いていることに気がついたとき、血の気が引いた。誰かが同じパソコンを覗いていた。その前にいる巩心を、覗き見ている。
 パソコン内のデータを消そうとする動きに気づいて、その操作をブロックする。両手を使っていると、無線の通話ボタンに指が届かない。
「待って、巩心君!」
 叫んだ。
「戻って」
 一秒でも早く、手の届くところに戻ってきて。
 祈りを踏み躙るように、地震のように微かな振動が車両を震わせた。
「きょう、うらくん」
 思わず車の外に、外に飛び出していた。
 会社の方に、黒く煙が見える。火災報知器の音が、少し離れたところにある車両のところまで届いた。
 ず、と地響きが再び足に届く。
 二度目の爆発を感じた。この距離で。
 膝から力が抜けた。
「何が……
『倉庫で爆発があった。山穂と連絡が取れない。消防の手配を頼む』
 霊山の声が淡々と事実を告げる。
「ばく……はつ」
 巩心はどこにいた。今どこにいる。無事なのか。
 いや、無事であるはずが。彼なら必ず言葉を返してくれる。
 トラップは、相手が油断したときに発動させるのが、最も効果的だ。
 わかっていたじゃないか。
 どうして、爆弾はもうないなんて思い込んだ。
 どうして、地下はないと断定した。
 どうして、現場に一緒に向かわなかった。一緒に調査をしなかった。
 どうして先んじて、捜査本部を動かせる証拠を見つけられなかったんだ。
「巩心君、返事して、巩心君」
 一縷の望みをかけて呼びかける。
『明治、落ち着け』
 どんなに名前を読んでも、別人の声しか返ってこない。
 彼の声が聞こえない。
 イヤホンを耳から引き剥がすようにして外した。
 指が震えていた。
 頭の中に、片貝の声が絡みつく。
 ――あなたなら、耐えられたんですか?
 答えは決まっている。だから比叡には答えられなかった。
 耐えられるわけがない。もう二度と、喪失の痛みには耐えられない。
 巩心は比叡の生きる理由であり、縁だった。自分の命を投げ出さずにいるための柵だった。
 もう生きている意味がない。
 ぐちゃぐちゃに潰れた心の奥で、片貝の残した呪詛と比叡自身の吐いた言葉がぐるぐると回っている。
 もっと早く死ぬ決断をしておけば、少なくとも今以上の苦しみを抱くことはなかったのでは。
 死んで妥当だった。生きのさばって何になる。
 今死ねば、もっと酷いものを見て、傷つかずに済む。
 今なら。
 守るべきものを守れなかった。読み違えた。失敗した。早く逃げ出したい。ここからいなくなりたい。現実が視界に入る前に、早急に死ぬべきだ。
「うるさい!!」
 死人が喚くな。
 拳を車体に叩きつける。何度も、打ち付ける。何の役にも立たない城が、そこにはある。
 引き剥がしたイヤホンを、耳に戻す。
 耳の中では仲間の声が飛び交っている。その中に巩心はいない。
 通話のスイッチを押す。
「霊山、せんぱい」
 無線の向こうの声が、静かになる。
……明治、立てるか?』
 わからない。
「わかりません」
 ふらつきながら、車の中に戻る。
 比叡の力ではラックは少しも動かせなかった。非力な比叡の代わりにそれを運んでくれた腕を思い出す。
 壊れてしまった。あの子が。
(巩心くん)
 心が、うるさい。
 痛みだけが、正気を繋ぎ止めている。
 彼のためにあると決めたのだから、彼が助けるために必要なことだけを成せばいい。
 死ぬと決めたのなら、待ち受けている痛みや絶望も考慮する必要などないはずだ。
 僕は死んだ。とっくに死んでいる。だから何も感じるな。悲しんでいるふりはやめろ。絶望なんて感じる権利は、僕にはない。
 ただ、動け。
 考えろ考えろ考えろ。
 火薬と煙。あの下に巩心がいたら。やめろ。考えるな。黒煙が見える。火災報知器が鳴っている。炎を伴うということは、ニトログリセリンではない。犯人が持っている爆発物の量が予測できない。安全が確保できないと救助に向かえない。瓦礫をどかすのに何時間かかる。自分たちが地下に閉じ込められたときは数時間待たされた。彼が怪我をしていたら、どうなる。いや、場所さえわかればいい。爆発物処理班を待つ必要はない。自分の足で向かえばいい。彼の居所。大切なのはそれだ。
 犯人は誰か。敵がどこか。それも今は考慮しない。
 あの子は、今どこにいるんだ。
 どこに行った。地下? どうして地下があるんだ。構造上不可能なはずだ。読み違えた。どうやって作った。いやどちらにしろ、地下にあるのなら水没はしているはずだ。排水設備はどこだ。
 いや、そもそも巩心は本当に地下にいるのか。
 物理的な地下ではなく、魔術的な門でどこかにつながっているとしたら?
 本当にどこに消えたのかわからない。それどころか門が破壊されて二度と入れない可能性すらある。無線では位置情報は取れない。返答がない。地下に入って以来スマホは圏外で、最後にこの辺りにいたという記録しか引き出せない。
 パソコンの前に座る。
 必要なものは何だ。あの子を救うために、何が要る。
 情報が、足りない。
「霊山先輩。僕はあの子が助かれば、何でもいい。他はどうなっても構わない。だから……、だから今からいくつかの法を犯します。巻き込みたくない。やるな、と言ってください。そうしたら僕は命令違反だ」
 無線の向こうで、低く笑う声がした。
『やれ。責任は取ってやる』
「どうして……
 頼んだことと逆を言うんですか。
 だが今は、それに関わっている余裕はない。現場の状況はすでに警察と消防、救急に伝わっている。
 地下であっても、無線は通じていたはずだ。
「巩心君。聞こえていたら返事をしてください。巩心 山穂。巩心 山穂!」
 呼ぶ。声をかけ続ける。今は、それしかできない。
 声を掛けながら施設の施工や設計、従業員、出入りの業者、周辺地図、片っ端から引っ張り出していく。何が役に立つのか、今は判断しない。思考を組み立てるための情報が足りない。ありったけ、頭に詰め込んでいく。
「山穂、お願い。君がいないと僕は駄目なんだ。返事をしてください」
 思考が上滑りする。答えが形すら掴めない。手が止まりそうになるたびに、己を罵る。祈るよりもましなことがあるはずだ。まだできることがあるはずだ。
「信じているから。山穂。答えて」
 何度、声を掛けたかわからない。呪文のように繰り返す名前は、譫言に近かった。
 無線にノイズが混じる。誰かが通信ボタンを押した。
……きはる、サン?』
 掠れる声。
「巩心君! 巩心君、聞こえますか。巩心君」
 向こうからの音は途切れない。単信式の無線だ。通信ボタンを押したままだとこちらの声が届かない。無線の故障か、気づかない間にボタンを押したままになっているのか。
「今どこにいるの。巩心君。お願い。返事して」
 比叡の呼びかけに応じる代わりに、激しい嘔吐と咳き込み、痛みにもがく呻き声が聞こえてくる。
『あー、これ死ぬ……かも』
「巩心君。死なないって言ったでしょう。お願いだから諦めないで」
 届かない呼びかけを続ける。
……なんだ、ここ。神殿……?』
 駄目だ。行かないで。
「どこにいるの、巩心君」
 無線は通じていない。わかっている。これは、独り言に等しい。
 巩心の呟きも朦朧とした意識の中で、目に入ったものを呟いているに過ぎないのだろう。
『川? 水の音』
「川……?」
 頭の中で、何かが繋がった。
 地下。水音。河川に近い立地。存在しないはずの地下。神殿と見紛う景色。
「雨水貯留槽」
 この辺りに地下を作っても、水没してしまう。構造上設置は不可能だと思い込んでいた。違う。そうではない。
 最初から水没することを前提とした地下が、東京の地下にはある。
 神田川や隅田川、目黒川といった大規模な河川以外はそのほとんどが地下に潜り、暗渠化されている。道だと思って歩いている場所は、川であったりする。そして、地上に残された河川が氾濫することを防ぐため、地下には水害を防ぐため、いくつかの大規模な水槽がある。
 古い神殿の遺構のような景観を示す。
 会社がある場所の古い土地の所有者を調べる。やはり今の倉庫になる数年前は、行政の管理区分となってる。財政管理の一環で手放され、民間に降った。そのときに、古い雨水貯留槽はそのままにされたのだ。
 メンテナンスのための入り口の一つが、あの倉庫の場所にある。
 使用するときに、水が溜まっていなければいいのだ。溜まった水は勝手に排水されていく。定期的に水没する地下は、不都合な証拠や人を閉じ込めていた証拠を定期的に洗い流してくれただろう。
 もし雨水貯留槽ならば、メンテナンスハッチは一つではないはずだ。それに、溜まった水を排出するために暗渠とつながっている可能性が高い。
 そこから、瓦礫の除去を待たずに、巩心のところに辿りつけるかもしれない。
 現在は、地下で作業する人員との連絡は、無線通信が主だ。だが古い施設ならば、水没しないエリアに固定電話が置かれていて、それで連絡をとりあっていたはずだ。
 まだ使用できるかわからない。そもそも設備が残っているかどうかすら疑わしい。だが今は、それに賭けるしかない。この手の地下施設の管理は、おそらく水道局の管理。そこのシステムに侵入し、外掌握する。
 周囲の暗渠の構造とマンホールの位置を調べる。
 無線は今、巩心の苦しげな呼吸の声を伝えるだけになっている。
 比叡は即座に井伏のスマホに電話をかけた。
「井伏さん、詳細を説明している時間はないので、必要なことだけ言います。地図を送るのでマンホールから地下に入って、巩心君を見つけてください。場所は地図にマークします。地下はスマホが使えないので、位置情報も頼りにならないし景色も変わらない。目印もない。ですが、可能性があるのはこれだけです。お願いできますか」
『任せとけぇ、必ず連れて帰ってきちゃるけぇ』
 手に入れた地下の図面が、現状の記録とあっているかどうか。もう使用しないと入り口を塞がれていたり、水没していたりしたらそこで救助の芽が潰える。それでも、今はこれに掛けるしかない。
「そのあとは彼を地上に引き上げる必要があります。そこに霊山先輩いますよね。井伏さんが潜った地点に救急車と人手を回すように指揮を取らせてください。僕は……何とかして、彼を誘導します」
 お願いだから、まだ施設の内線が生きてきてくれ。そして電話の音に、気がついてくれ。
 祈るように、巩心の声を待った。