deutzialaughing
2026-05-09 21:00:00
29926文字
Public 大穢
 

甌穴の海

大崎さんが人魚の青海さんと暮らす対話体SS集



49 |真相 - 再開


「私は人魚ではありません」

……青海さんの、静かな声色が突き刺さる。
泣いているわけでも、怒っているわけでもない。ただ、自分の中でようやく辿り着いた結論を、確かめるように口にしているだけだった。
青海さんは聡明な人だ、だからいつかこうなるだろうと、どこかで分かっていた。見ないふりをしていたのは自分の方だった——

「思い出したんです。父のことも。大江島のことも。あなたのことも」
「」
「綺麗なままではありませんでした。何一つ」
「」
「あなたがどういう方かは十分に分かっています。この一ヶ月余りで」

あの日の全てがのし掛かって、喉はひどく狭くなったように動かなかった。
歯の裏に言葉だけが当たって、どれも形になってくれない。
声が出ない自分に気がついたのか、青海さんは真っ直ぐと自分を見つめた。

……あなたは優しい方です。
 人魚とは。声も届かず。想いも報われぬまま。終には泡になるものでしょう。
 あなたは私の声を聞いてくださいました。私が壊れずに済むよう嘘までついて。懸命に報いようとしてくださいました」

「ですが私の望みは。泡になることです」

……何も返せない。ただ青海さんを助けたい一心だったのだと、そう信じていたかった。それ以外の名前を、まだ与えたくなかった。
青海さんは、黙りこくったままの自分にほんの少しだけ眉根を寄せて、視線を伏せた。

……どうか最期まで。優しくいてください」

それ以上の言葉は、やはり出てこなかった。
返事の代わりのように、自分は青海さんの身体へ手を伸ばした。
抱き上げた瞬間、青海さんは抵抗しなかった。こちらの首筋に額を寄せるようにして、静かに身を預けてきた。
その重みが、許されたからなのか、委ねられたからなのか、自分には分からなかった。

本物の浴室までは、ほんの数歩だった。けれど、その数歩がやけに長かった。
……部屋を風呂場と呼んでいた間は、まだ何とでも言えた。水の中で暮らすのだと。あなたはそういう生き物なのだと。
だが、今から向かうのはただの浴室だ。ただ人が身体を洗い、湯を張るためだけに作られた、本物の浴室——

青海さんを浴槽の中に下ろす。
青海さんが栓をして、水を溜めた。
蛇口から落ちる水音だけがやけに大きく響いた。
青海さんは何も言わなかった。浴槽の縁に指をかけ、静かに水嵩が増えていくのを内側から見ていた。

水が溜まり切ったのを見て、自分も浴槽へ滑り込む。
水はすぐに縁まで押し上がり、冷たい滴が床へ溢れた。
浴槽は、大人二人で沈むにはあまりに狭かった。脚は収まりきらず、肩はすぐにぶつかった。
どう考えても、綺麗に終われる場所ではなかった。
それでも、やるしかないのだと思った。

……大崎さん」

久しぶりにそう呼ばれた気がした。

「はい」

やっとそれだけ返せた。

「ありがとうございます。最後があなたでよかった」

違う、と言いたかった。
感謝されるようなことは、何もしていないのだと。
助けたつもりで、ずっと閉じ込めていたのだと。
正しかったことなど一つもないのだと。

けれど、やはり何も言えなかった。

水に身体を沈める。
肩口から熱が奪われていく。
息が溢れていく。
耳の奥で、自分の鼓動だけが変にうるさかった。

このまま沈んでいけば終わるのだと、頭では分かっていた。
青海さんの心を、これ以上壊さないまま。人魚の物語の結末として。
泡になって消える方へ、連れて行ける。

自分が、したいことは——