deutzialaughing
2026-05-09 21:00:00
29926文字
Public 大穢
 

甌穴の海

大崎さんが人魚の青海さんと暮らす対話体SS集



0 |名月(命日)

1955年9月。
あの日、青海さんは自らの首を掻き切り、意識不明の重体となった。
翌日、八丈島の病室で刑事から聴取を受ける最中、こんな相談を受けた。
青海さんにも同様に聴取が入る予定だったが、記憶の混濁が見られ、症状も重い。通常のやり方では難しいだろうから、事情の分かるものに補助役として入ってほしい、と。
自分に白羽の矢が立ったのは奇跡に近い出来事だった。後で聞いたところによると、他の生存者には断られたらしい。

「どなたですか」

……自分は、あの日、大江島に居合わせた者です」
「大江島」
……覚えていないんですね」
「はい。断片的にしか」
「あなたを診た医師からも、そのように伺っています」
「では。あなたは事情をご存知だと」
……多少は」
「でしたら教えてください。私がなぜここにいるのかを」

……島で怪我をされたんです。それも、かなり大きな」
「怪我。誰かに負わされたのですか」
「いえ、……ご自分で」
「そうですか」
「どこか、体調に違和感はありませんか」
「喉が痛みます」
……
「それと。脚が」
……脚、ですか? そちらも痛みますか、」
「いえ。分かりません。動かし方が。動くのかすらも」
……そう、なんですね」

「私のいるべき場所でないからだと思います」
「いるべき場所、ですか?」
「水の中に。深く沈んでいるべきだと」
……
「おかしなことを言っている自覚はあります。ですがそうでもなければ噛み合わないんです。身体の感覚が」

……まるで、人魚みたいですね」
「人魚」
「きっとあなたは人魚なんです。……そう思えば、痛みは和らぎますか」

「そうかもしれません」

「では、今はそういうことにしましょう」
「はい」


……こうなった以上、後には引けなかった。

警察に押収された彼の手荷物に、彼の身分を証明するものは入っていなかった。
足の不調があるとはいえ、大病院にも長くは置いてもらえないだろう。
自身が何者であるか分からない青海さんを、放っておくわけにはいかなかった。
かといって須賀の下宿に連れ帰るのは悪手だ、大家にも他の下宿人にも迷惑が掛かる。
何より、青海さんはもう「水の中にいるべきもの」として自分の身体を認識し始めていた。

ならば、それを崩さずに済む場所が要る。
水のある場所が。
少なくとも、そういうことにできる場所が。

そこで思い出したのが、自分と瓜二つの顔をしたあの人だった。


「大崎君、俺たち接触禁止の誓約書を交わしたばかりじゃなかった? なのに早々に俺に連絡を寄越すなんて。もしかして、俺が恋しくて会いたくなっちゃった?」
「違います」
「即答は酷くない?」
「ですが、あなたにしか頼めないことなんです。他の人ではなく」
「そこまで言われちゃあ仕方がない、一肌脱いであげよう。何をしてほしいんだ?」

「もし空き家をお持ちであれば、暫くの間貸していただきたいんです」
「空き家?」
「出来れば、藤沢に通いやすい場所だと助かります」
「新居探し……ってわけでは無さそうだ。今住んでるところを追い出されたとか?」
「いえ。ですが大家さんや他の方にご迷惑をお掛けするかもしれないので」
……まさか、殺しでもやった?」
……
「冗談だよ、そんな睨む必要ないだろ」
「睨んでいません」
「そうだな、蒲田に使ってない別宅がある。折角だから君に掃除の依頼でもしよう。家賃は俺が持つし、部屋も好きに使ってくれていい」
「そこまで気を遣っていただく必要は、」
「兄貴がここまでしてるんだ。こういうのは乗っておくものだよ、大崎君」


こうして自分たちは、二人で暮らすことになった。
青海さんが息を続けられるよう、嘘で覆ったまま——