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nekosuimidori
2026-04-20 22:02:06
13128文字
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なみだなみだ不思議なるかな
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「
……
いつからそこにいらしたんです?」
ウツシは愛弟子の問い掛けに答えることなく歩み寄る。一歩一歩歩み寄るたびに重くなっていく空気は、彼からの拒絶の応えだろう。
「君は自分を神様だとでも思っているのか」
「何を言って
……
」
「失敗だってするだろう、届かないものだってあるだろう。君は人間なんだから、神様じゃないんだから」
「今回ばかりは失敗しちゃいけなかったことぐらい俺にだってわかる!!!」
普段はおとなしい彼の激昂に肌がビリビリと震える。その一瞬だけ燃えさかった炎のように声を荒げた彼は、冷静になろうと努めて深く呼吸をした。
「
……
普段のクエストで俺だけが失敗するならまだいい、最悪俺が死ぬだけなんですから。でも今回は違う。里の皆でどうにかできる百竜夜行とは違って、ギルドからも手練が多く派遣される事態にまでなった。それ程までに深刻な事だったと多くの人が理解していたし対策もとられた。里が焼けない為に、多くの人が死なないために」
「
……
」
「
……
ッなのに俺は成し得なかった!」
彼は軋むほどの音を立てて歯を噛み締め、また吠えた。痛ましいほどの悔しさを滲ませた声で。
「俺が弱かったから、俺のせいで遠くない先に皆死ぬかもしれない!皆は俺を信じて送り出したのに!!期待を裏切ったくせに『ああ今回は失敗してしまったなじゃあまた次は頑張ろう』なんて思えるわけないだろ!!!」
これ以上はいけない。コルムの両肩を力強く掴むと無理矢理にでも視線を合わせる。
「たとえ里が焼け命が焼けたとして、君のせいなどと誰が思うか。全てが君のせいだなどと誰が言うものか。その身全てを掛けて戦ってくれた君を誇りこそすれ、憎むものなどこの里にひとりもいはしまいよ」
自分が言ったことは事実だ。もし万が一にでもカムラの里が焼けたとしても、愛弟子を、コルムのことを悪く言う者など一人としていないだろう。自らにはできない使命を負わせたたった一人の気高き若き青年を、責める者などいようものか。
コルムに胸元を強く押されて体が離れる。自身の装備に着いた血を見て初めて彼が怪我をしていると言うことに気がついた。
「っ愛弟子、怪我を」
「憎まないって難しいんですよ」
ぽつりと呟かれた言葉は、雨垂れの雫のようにその場に広がった。
「教官、俺ね、俺の母さんと父さんを食ったモンスターのこと、ずっとずっと憎くて、殺してやりたいと思ってるんです」
コルムの言葉にウツシの動きが止まった。
「最初は母さん、少し経って父さん。父さんは装備の一部しか見つかってない。食われて全部胃袋の中で、骨ひとつだって残ってやしなかった」
「それは
……
」
「知ってますよね、当たり前だ。貴方が狩ったんだから」
ウツシは先程の船の上でのやりとりを思い出した。かの『上位ハンター二名を捕食した雷狼竜』は、コルムの両親を食い殺したものだったのだから。
「もうとっくの昔に討伐されてるのだってわかってる。そいつだって生きるために食っただけだなんてちゃんとわかってます。本当にわかってるんです。
……
それでも俺はそいつをこの手で殺してやりたかったって思うし、憎んでも仕方ないことなのに憎んでしまう」
「コルム
……
」
「恨むって、理屈でどうこうできるとかそういうんじゃないんです。本能なんですよ。
……
故郷が焼け、友や家族の命が尽きた時、信じて託したのに護るべきものを護れなかった人間を、それでも恨まずにいる人などいますか」
俺には無理です。吐き捨てるように発された言葉には自虐的な色が乗っていた。
「貴方が仰る通り、俺は人間ですから。英雄と呼ばれたところで身が竦む恐怖が消えるわけじゃない」
「
……
」
「俺を大切に育ててくれた家族みたいな人達を護りきれずに死なせてしまうかもしれないのが怖いし、憎まれて去られるのも怖い。それが自分の実力不足でってなったら尚のこと。
……
情けない自分を嘆くのはおかしいですか。悪いものを悪いと言うのはそんなに駄目なことですか」
ああ、一体誰だろうか。この子の心をこんなものにしてしまったのは。
こんなに淋しくて、孤独で、
――
柔いものにしてしまったのは。
「
……
自分が全て悪いと思い込むのは、とても楽なことだろうね」
「っ
……
!」
ジリ、と後ずさりをするコルムに逃がさないとでも言うように一歩詰め寄る。
「憎むなとは言わない。自分を責めるなとも言わない。誰しもそうなる時はあるし、そうすることで見える先だってある。特に幼い頃から抱えてきたというそれはもはや君の一部だろう。
……
それを捨てろだなんて言う権利はどこの誰にだってありはしない。
……
だが悪いところだけを切り取って良いところを無かったことにする権利だって、君も俺も、誰ひとりとして持ってやしない。君が成したこと、誇るべきことを君自身が無かったことにしてくれるな」
「俺は何も成せてないッ!」
「古龍を二度も退けてくれた。カムラの里を、皆を護ってくれた」
吠える孤独な彼に、いや、自分は孤独だと思い続けている彼に、ただひたすらに淡々と事実を述べる。他のハンターが束になってもかなわなかった相手をたった一人で退けてみせた。それがなければ、今日という日は来てすらいないのだ。何も成せていない訳がない。それにだ。
「帰ってきてくれてよかったと、無事でよかったと、俺達はそう言ったじゃないか。君が生きて帰ることこそが何よりもの僥倖だと。
……
どうしたら俺達の声は君に届く?どうしたら君は、此処に帰ってきてくれてる?」
「
……
帰ってきたじゃないですか。俺は、ここにちゃんと、皆が願う通り無事に、」
「君の眼は里を通して何処を見ている」
コルムはウツシの言葉にはっとしたように目を見開いた。
「俺の愛し子、俺の片割れ、俺の番よ、よくお聴き。血濡れの宵から帰るのであれば、その身ひとつだけでなく、身を満たす君の魂も連れて帰っておいで。決して深淵に飲まれてはいけないよ。もし帰る道が昏いというのなら、たたらの焔をしるべにして戻りなさい。
……
君が護った、里の命を」
「
……
貴方が、教官がしるべではだめですか」
俺が帰る先も、往く先も、ただひとつ貴方がいい。
そう続けた彼の言葉に仄暗い歓びが浮かんだことを、ウツシは否定できなかった。
貴方がいるから自分は帰って来れるのだと、貴方がいなければ駄目なのだと、彼はそう言っているのだ。愛しい恋人にそう請われれば、頷きたくもなるというもの。
「俺は君の寄る辺にはなれるけど、唯一のしるべにはなれないよ」
それでも、ウツシがそれを許すわけにはいかなかった。
互いの想いが通い合ったあの夜、自分はこの子の命の枷だと思い知ったあの時。言葉にされないそれへの応えは己の胸の内に大事にしまい込んだ。いつか使う日が来るように、この子が真に理解してくれる時が来るようにと祈りながら。
きっと今がその時なのだ。
「君を待つ人は俺だけではないよ。里の皆が君を待っている、君の無事を祈っている」
この眼をウツシひとりの燈に向けさせるのはそう難しいことじゃない。ただ一言「俺の元に戻っておいで」と言えばいいだけだ。現にコルムはそうあることを望んでいるし、それを言うのを待っている。
しかし今、独り闇の中に目を向けるこの子に分からせなければならない。見えないふりをするのはやめろと言わなければならない。ただひとりをしるべとするほど、お前は孤独ではないのだと。多くの祈りが、しるべがお前を待っているのだと。
目の前の身体を抱きしめる。いつもは背に回る手が、今は力無くただ地に向かって垂れていた。
「どうか生きなさい」
腕の中の身体が強ばる。
「例えこの先、君と俺が袂を分かつことがあろうとも、俺が君を置いて黄泉路を往こうとも、それでもどうか生きなさい」
この子はウツシが死ねば、さして間も空けずに後を追うだろう。自死ではないだろうが、きっとモンスターの前にあけっけなく散るだろう。ともに在りたい、共にいきたいと願う子に、自分が傍らから消えても生きろというのは、随分身勝手な願いだと思う。だが、それだけはどうかしないで欲しかった。
本当は、自分には彼が昏い微睡みに落ちることを止めることなどできはしないのだ。どの道を選ぶのも、結局は彼の意志ひとつできまるのだから。
それでも言うのは、彼がこの言葉を捨てられないとわかっているから。彼が持つ全てを捨てられる強さに、捨てられるが故に空っぽな彼の心にたったこの一言でひびを入れてしまう。沢山のもので満たされていれば揺らがず、ひびが入ることはないというのに。
それだけ彼の中には自分だけしかいなかったという事実が、ウツシは酷く悲しかった。
「俺を、俺だけを君の枷にしてはいけないよ」
「
……
きょうかん」
自身を呼ぶ震えた声があまりに淋しく響いて、抱き締める腕に力が篭もる。おずおずとウツシの背に回された手は、縋るというにはあまりに弱々しかった。
どうしてと問いたいだろう、酷いと言いたいだろう。いっそ里のために死んでくれと、そう言ってくれた方がよかったとも思っているかもしれない。
それでも彼はそれを口に出すことはしない。自分が願うそれが、歪んだものだと思っているから。
この子にとってどれだけ惨いことを言っているのかなんて、自分が一番わかっている。どれだけ傷付けているかわかっている。それでもこればかりは譲れないのだ。
「練習だよ、愛弟子」
「
……
」
「想いを貰ったら、抱えるんじゃなくて少しずつ咀嚼して飲み込んで、それを自分の支えとしなさい。
……
許したくないものを許さない自分を、許してあげなさい」
「
……
最後、の、」
どういうことですか。小さく呟かれた言葉には困惑の色が乗っていた。「どういうことだと思う?」と問えば、わからないと居心地が悪そうに身動いだ。月明かりに照らされた亜麻色の髪が頬をくすぐってこそばゆく、指で梳くようにゆっくりと撫でた。
「君を死地に送り出し、それでも生きろと言う俺達を、君は許さなくていいんだよ」
耳元で小さく息を呑む音が聞こえた。
自分を呪う彼の願いの底にあるものを想うと、どうにも胸が苦しくなっていけなかった。
彼を想って泣きながら「寂しい」と言ったヨモギも、歳若い彼の無事を祈る老いた船頭も、愛しい子の縋る手を解いたウツシ自身も例外じゃない。カムラの里の全ての民が、自分達の命と、願いと、祈りを彼に背負わせた。
(あぁまったく、潰れるなんてものじゃない)
彼がかの古龍の元へ送り出される時、何度言葉を飲み込んだかわからない。
行ってくれるな。死んでくれるな。自分はお前を贄にするためにここまで育てたわけではないのだと。
あの時言った激励の言葉はまったき嘘ではなく心からの本心だが、それがウツシの心全てな訳がなかった。それでも引き留める言葉だけは言ってはいけないのだと、送り出さねばならないのだと己の立場が己を縛る。
だからこそ、せめて命は無事に帰ってきてくれと、願って。
その願いこそがコルム自身を潰すことになろうとも、願わずにはいられなかった。
他者からの祈りは重いだろう。他人を許さないでいるなんてきっと苦痛でしかないだろう。それでも彼への祈りは絶えず与えられ、彼を傷つける者が消えることは決してない。それならば、それに耐えるための練習をするしかないのだ。
「
……
教官」
「なぁに、愛弟子」
「
……
咀嚼するのも、飲み込むのも、怖くてうまくできないかもしれません」
「ゆっくりでいいよ。急がなくとも君の行路はまだまだ長い」
「うまく飲み込めなかったら、頼ってもいいですか」
「もちろん、大歓迎さ」
「
……
きょうかん」
「うん」
「
……
ゆるさなくて、いいですか」
みんなのことを、あなたのことを、ゆるさなくてもいいですか。
泣き出す寸前の子供のような震えた声で、赦さないことを許してしてほしいと言う。重い願いと祈りを背負わせた大切な人々を、共に往きたいと願い縋った手を解いた最愛を赦さないことを、許せと。
「あぁ、もちろん」
他の誰だってそうしているんだ、君ひとりが許されないわけが無いのだというのに。
それでもこれが、彼が一歩を踏み出すためのものだと思うと堪らなく愛おしい。
「君がそうしたいなら、そうしたっていいんだよ」
危なかったり、間違ったところへ行こうとしたらちゃんと止めてあげるから。戻れないなら手を引いてあげるから。そういうと、弱々しかった縋る手が力強くウツシを抱き締めた。
心の内は自由なのだと、そう教えたのは他でもないウツシだ。
「大丈夫、愛しているよ。君がどんな選択をしたって、俺は君を愛してる」
じわり、じわり。肩に感じる雨の気配は、きっとこの愛しい子の歩みを阻む凍りが溶け出したものだろう。
あぁそうだ、そうやってゆっくり溶けていけばいい。
溶けた先に残ったものこそが、きっと君の心を埋めるに相応しいものだ。
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