小夏🍊
2026-03-13 13:34:58
95355文字
Public Planet a room
 

Planet a room

全体まとめ


δ.告白


 厳しい残暑がようやく過ぎ去り、街路樹の葉が赤や黄色に色づき始めた秋の半ば。夏の終わりの星空観測会以降も、原田は全く変わらぬペースで科学館へと通い続けていた。
 以前と少しだけ変わったことと言えば、館内のスタッフたちからの扱いくらいだろうか。
 
 事の発端は、いつだかの上映後のことだ。いつも通り出口へ向かおうとしていたところで、ホールから出てきた藤堂に捕まり、「……ちょっと、手、貸してください」とひどく不服そうな顔で半ば強引に連れ出されたのが始まりだった。
 連れて行かれた先で、藤堂はふと我に返ったようにピタリと足を止める。半ば強引に客である男を連れ出してしまった事実に今更思い至ったのか、気まずそうにこちらを振り返った。
「あ、あの……すみません、勢いで引っ張ってきちゃいましたけど。原田さん、この後お時間に余裕はありますか……?」
 申し訳なさそうに尋ねてくる姿に、原田は目を丸くしたあと、次いで柔らかく吹き出す。こういうところなんだよなぁ。
「ああ、全然構わねえよ。んで、何を手伝えばいい?」
……壁のポスターの張り替えです。あそこの、一番高いところの」
 示されたのは、曜日や時間帯ごとに細かく区分けされたプラネタリウムの上映プログラムのポスターだ。秋の新作を反映した内容へと張り替えるのだろう。四隅を画鋲で固く留められたそれは、原田でも腕を上げないと紙の上辺には届きそうになかった。
「いつもなら、脚立を使えば僕でも届くんですけど……
 そう言って藤堂が困ったように視線を逸らした先では、受付の女性スタッフたちが脚立を使って、楽しそうに落ち葉や焼き芋といった秋仕様の飾り付けに精を出しているところだった。彼女たちの邪魔はしたくないが、かといって藤堂の背丈ではどうしても届かない。それで仕方なく、自分より背の高い原田を頼った、ということらしい。
 なるほど。それでこんなに悔しそうな顔してんのか……
 仕方なく自分より大きな男を頼るしかないその不服そうな顔がたまらなく愛嬌があって、原田は内心でふ、と笑いを零した。
「ほら、」
 声に出して笑えば機嫌を損ねるだろうとグッと堪えつつ、原田がひょいと腕を伸ばして古いポスターの画鋲を外し始める。
……次回からのプログラムは、秋の四辺形とエチオピア王家の神話がメインで……
「エチオピア王家?」
 壁に新しいポスターの端を合わせながら原田が短く相槌を打つと、藤堂は「はい」と小さく頷いた。
「古代エチオピアの王妃カシオペヤが神の怒りを買って、娘のアンドロメダ姫が化け鯨の生贄にされてしまう神話です。秋の星座は、その登場人物たちが集まってひとつの大きな物語になってるんです。……あ、もう少し右です」
「右。このへんか?」
「はい、ばっちりです」
 作業を代わってもらっている手前、無言でいるのが気まずかったのだろう。あるいは、純粋に星にまつわる話が好きなだけか。藤堂がぽつぽつと新しいプログラムの内容について話し出し、原田がそれに耳を傾けながら手を動かす。
「なるほどな。面白そうだ」
……だと、いいですけど」
 どこか曖昧に言葉を濁すように、少し自信なさげにぽつりと呟かれた声。いつもプラネタリウムの解説ではあんなに堂々と星を語っているのに、やはり新作の初回は不安なのだろうか。メッセージのやり取りも悪くないけれど、実際に隣に並んでその不器用で、少しだけトゲの抜けた声を聞きながら作業するのは、原田にとって酷く心地の良い時間だった。
 無事にポスターを貼り終えた頃、脚立を使い終わった女性スタッフたちがこちらに気づいて小走りでやってくる。
「藤堂さーん、ごめんなさいね! 脚立お待たせ!」
「あ、わざわざありがとうございます! えっと、すみません、こっちは大丈夫でした。この人に替えてもらったので」
 藤堂が原田を示すと、女性スタッフたちは藤堂の隣に立つ、見上げるような長身の、見覚えのある赤い髪の男を見て目を丸くした。原田もぺこりと頭を下げておく。
「あら、もしかしていつも来てくれるお客さん?」
「あんまり格好良いから私達も覚えちゃったのよねえ。長年受付してるけれど年間パスポート購入してくださる方って少ないもの」
「藤堂さんのお友達だったの?」
 思いがけない問いかけに、藤堂はきょとんと目を瞬かせ、原田の顔をちらりと見上げてくる。
「お友達……、です、かね……?」
 自信なさげに首を傾げる藤堂に、原田はひょいと面白そうに片眉を上げた。
「藤堂さんがその認識なら、そうなんじゃねえか?」
「ええ……? えっと、う、うーん……
 友達かと言われると会話した数はあまりにも少ない。プラネタリウムの中で一方的に聞いてる時間の方が断然多いだろう。なんとも煮え切らない二人のやり取りに、女性陣は「あらあら」と顔を見合わせて微笑ましそうに笑った。
「そ、それより、脚立! 重かったでしょう。あとは僕が片付けておきますよ!」
 藤堂がそう申し出ると、女性陣はそれ以上は追求せずに「ありがとう、助かるわ」と脚立を任せて持ち場へと戻っていく。残された藤堂は、よいしょと軽々と脚立を抱え直してから、原田に向かってぺこりと頭を下げた。
「原田さんも呼び止めてしまってすみません。お手伝いありがとうございます、とても助かりました」
「おう、俺でよければいつでもどーぞ」
……ええ。気を付けて、帰ってくださいね」
 そう言って、藤堂はそのままスタスタとバックヤードへと消えていく。その頼もしい背中を見送って、原田も今度こそ出口へと足を進めた。夏にも思ったが藤堂は甘いルックスと背丈に反して、しっかりと鍛えられている。どうも彼の受け持つ力仕事に関しては、原田の出番はないらしい。流石にその脚立を奪ってスタッフ専用のバックヤードまで運び込むのは、いくら顔なじみとはいえ一般客である原田には出来ないこと――のはずだったけれど。

 もともと大柄で目立つ姿が共有されていたことに加え、この一件を境に、原田はずるずると、いつの間にか藤堂がいないところでも、他のスタッフから声をかけられるようになっていったのだ。その主たる面々――ただの受付の人間だったお姉様方とは、すっかり顔馴染みになっており、訪れる度に一言二言世間話をするまでになってしまったせいもあるだろう。
「あっ、原田さん! ちょうどいいところに! すみません、これ運ぶの手伝ってもらえませんか?」
「ん? ああ、いいすよ。どこに運びます?」
 原田は来館するたびに展示物の搬入や重いパンフレットが入った段ボール運びなど、ちょっとした力仕事を当然のように任されるようになっていた。傍から見れば、ただの都合よく使われている気のいい常連客でしかない。だが、原田としては全く苦ではなかった。むしろ、作業を手伝うという名目で館内に長居でき、目当てである藤堂の傍に堂々と居座れる口実が増えるのだから、これくらい安いものだ。
 ひょい、と軽々と段ボールを持ち上げながら、原田はふと視線を感じて顔を上げた。
 少し離れたプラネタリウムの入り口付近から、藤堂が壁に半分身を隠すようにして、こちらをじとっと窺っているのが見えた。目が合うと、藤堂はほんの少しだけ目を見開いてから、ぺこりと会釈してパタパタと小走りで奥へと引っ込んでしまう。
 原田はそんな藤堂の姿を捉えながら、内心で小さく息をついた。
 ……なーんか、複雑そうな顔してこっち見てんだよな。
 プラネタリウムの解説員である彼に近づくために、こうしてせっせと外堀を埋め、雑用までこなしている男の腹の内など、真面目な藤堂には理解しがたいのだろうか。原田はせいぜいその程度にしか考えていなかった。

 日が落ちるのがすっかり早くなった、ある日の夕方。プラネタリウムの最終上映が終わり、来館者たちが家路についた後の静まり返った科学館で、原田は一人、スタッフに混じって閉館後の作業に手を貸すために残っていた。
 秋の特別展示に向けて、ホール周りでは大掛かりな展示替えが行われている。
「原田さん、ごめんなさい! そっちの端持ってもらえますか?」
「うす、了解です」
 スタッフからの指示に応じながら、原田は手慣れた様子で重いパネルを持ち上げる。長身で力のある原田は、こうした力仕事においてすっかり顔馴染みとなり、重宝される存在になっていた。こうした雑用を手伝う代わりにこっそりと、都度購入制であるプラネタリウムチケットを三割ほど割引してもらっている。最初はチケットそのものを譲られそうになったので、慌てて固辞させて貰った。お人好しがすぎるし、何よりあの声で紡がれる世界に対して、きちんと対価を払いたかったからだ。
 淡々と言われた通りに作業をこなしていると、ドーム内の片付けと戸締まりを終えたらしい藤堂が小走りで合流してくる。
「僕もやります!」
「藤堂さんもお疲れ様! じゃあ、そっちの大きなパネル、原田さんと二人で運んでもらえるかな」
「分かりました」
 他のスタッフの指示で、自然な流れで藤堂と手分けして作業を行うことになった。大きなアクリルパネルの端と端を持ち、互いの歩幅を合わせてゆっくりと運ぶ。
 視線を落としがちに歩いていた藤堂が、ふと、ぽつりと声を零した。
……いつも、すみません。本来ならお客さんにやらせるようなことじゃないのに。僕があの時、ポスターの張り替えなんか頼んでしまったせいで……
 パネル越しにちらりと様子を窺うと、藤堂はひどく申し訳なさそうに眉を八の字に下げていた。自分が不用意に頼ってしまったばかりに、原田が都合のいい労働力として使われているのだと、一人で勝手に責任を感じているらしい。なるほど。それで誰かを手伝う度に、あんな顔して見てきたのか。
 その真面目すぎる気まずそうな様子に、原田は思わずふっと目を細めた。
「気にすんな。俺が好きでやってるだけだ」
「でも……
 なおも食い下がろうとする藤堂を制するように、原田は軽く肩を竦めてみせる。
……どうしても気が引けるってんなら、帰りにあそこの自販機で、温かい飲み物でも奢ってくれ。それで手打ちってことでどうだ?」
 気負わせないように少しだけおどけた調子で提案すると、藤堂は瞬きをしてから、小さく息を吐いた。
……飲み物だけで、いいんですか」
「ああ」
……分かりました。それじゃあ、後で」
 原田の言葉を受け取った藤堂が、小さく頷く。無事にパネルを所定の位置へと運び終え、二人は一度それぞれの作業へと戻っていった。

 それからしばらくして、展示替えの作業は無事に終わった。原田はスタッフたちに「お疲れ様でした」と口々に挨拶を交わしてから、一足先に館外へと出た。すっかり日の落ちた秋の夜風は、作業で火照った体には心地いいが、立ち止まっているとじわじわと肌寒さを感じる。
 原田は建物の裏手にあるスタッフ用の出入り口付近の自販機の前で、壁に背を預けて静かに待っていた。
 やがて、ガチャリと重い鉄扉が開く音がして、秋物コートを羽織った藤堂が姿を現す。
「お疲れさん」
……お待たせしました」
 約束通り合流した藤堂は、自販機で温かい缶コーヒーと、自分用にと甘いココアを買うと、コーヒーの方を原田へと差し出した。
「どうぞ。先程のお礼です」
「サンキュ」
 カシャン、と温かいスチール缶を受け取る。藤堂もココアのプルタブを開け、ふうと白い息を吐きながら一口飲んだ。二人はすぐに歩き出すことはせず、自販機の明かりに照らされながら、その場に留まってぽつぽつと話し始めた。
​「そういえば……原田さんって、普段はお仕事何されてるんですか?」
 両手でココアの缶を包み込むように持ちながら、藤堂がふと尋ねてくる。
「ん? ああ、しがない会社員だ。一日中パソコンと睨めっこするデスクワークの方だけどな」
「へえ……。でも、いつもスーツじゃないですよね。なんとなく、もっと体力仕事かと思ってました。全然見えないですね」
「よく言われる。うちの職場、服装が自由だから、お堅いスーツより動きやすいラフな格好の方が都合がいいんだよ。だから、こうして時々身体を動かせると、俺としてもいい気分転換になって助かる」
 原田が事もなげに笑って缶コーヒーを煽ると、藤堂は「……そうですか」と小さく呟き、再びココアに口をつける。
「藤堂さんは、こっから電車通勤か?」
「はい。原田さんは?」
「俺はあそこ。駐輪場に停めてあるバイクだ。さっきの都合がいいってのは俺自身がバイク乗りなのもある」
 原田が顎で指し示すと、藤堂は「あんな大きなバイクに乗ってるんですね」と少し目を丸くして、興味深そうに黒い車体へと視線を向けた。
「おう。気になるなら、駅まで後ろに乗っけてってやろうか」
 気安く笑って冗談めかすと、藤堂はココアの缶を持ったまま、呆れたように小さく息を吐いた。
「駅、歩いてすぐそこじゃないですか。それにヘルメットだって一つしかないでしょう」
「んはは。じゃあ今度、おまえ用のやつ買っとくか」
……、そういう適当なこと言うの、やめてください」
「適当じゃねえよ。……バイク、乗ってみたくねえ?」
 半分冗談で、半分本気。機会があるなら、興味があるなら、あわよくば。そんな下心が滲んでしまった真っ直ぐな声で問いかけたからか、藤堂が息を呑むのがわかった。何かを言い返そうと口を開きかけたものの、結局言葉を見つけられずにそれを飲み込み、唇をきゅっと噛んでふいっと顔を背けてしまう。
 そこから、ぴたりと会話が途切れた。
…………
 ふいに落ちた沈黙の中で、原田はようやく隣の藤堂の空気がおかしいことに気づいた。視線を向けていなかったわけではない。館を出てからずっと、ココアの缶を両手で包む仕草も、顔を背ける横顔も、ちらちらと目には入っていた。けれど、それらをただの気まずさや照れの延長だと勝手に思い込み、本当に機嫌を損ねているのだと今の今まで気づけていなかったのだ。
 先ほど館内で作業をしていた時や、仕事の話をしていた時までは普通だったのに、星空観測会の時のような穏やかさは今はなく、どこかツンケンとした刺々しい空気を纏っているのだ。視線は手元のココアの缶に落ちたまま、こちらを見ようともしない。
 ……何か怒らせるようなこと言ったか?
 無言のプレッシャーに、原田は内心で少し焦りを覚えた。急に距離を詰めて怯えさせないように、急いては事を仕損じると、気を付けてたはずなのに。次に会った時には当然のように自分用のヘルメットを持ってきていたような、新八ダチへ向けるのと同じ気安さで叩いた軽口が、かえって気に障ったのだろうか。
 重苦しい沈黙が二人の間に降り積もる。やがて、その空気に耐えかねたのか、藤堂がココアの缶をぎゅっと握りしめたまま、唐突に口を開いた。
……今日、秋の星がすごく見頃なんです」
 ぽつり、と。見上げた夜空についての話題だった。
「天気も良くて空が澄んでますし、今日は月明かりの無い新月なので、暗い星までよく見える日なんですよ。頭の真上にはペガスス座の四辺形があって……
 それは、つい先ほどドーム内で藤堂自身が語っていた今日の星空プログラムの内容そのものだった。なぜ今になって、その解説をそのまま繰り返しているのか。原田にはその意図がわからず、邪魔をしないようにとりあえず黙って聞きに徹した。
 だが、その沈黙がいけなかったのか。藤堂は説明を途中でふいと打ち切り、こちらを睨みつけるように鋭い視線を向けた。
……まあ、あなたには、つまらない・・・・・話だと思いますけど」
 予想外にトゲのある言葉を投げつけられ、原田は面食らって言葉を失った。
…………え、何でだ?」
 純粋な疑問だった。藤堂の語る星の話をつまらないと思ったことなど、ただの一度もない。それなのに、何故そんな意地悪な言い方をされなければならないのか、原田には全く理解できなかった。
 原田の真っ直ぐな問い返しに、藤堂は「だって、」と反射的に口を開きかけた。
 しかし、続く言葉を紡ごうとして、急に苦しげに顔を歪める。言いたいことをぐっと飲み込むように唇を強く噛み締め、そのまま足元へと視線を落としてしまった。街灯の明かりに照らされたその顔は、怒っているというよりは、ひどく傷ついたような、今にも泣き出しそうな脆さを帯びていた。
……あなた、いつも聞いてはくれるけど……、僕に、星の話をしたことはないでしょう。何度来ても解説は真面目に聞いてくれるし、こうして手伝いまでしてくれる。……でも、それだけです。あなたから星の話をしたことは一度もない」
 ぽつり、ぽつりと、絞り出すような声だった。両手で握りしめられたココアの缶が、微かに震えている。夜気よりも冷たい棘が、静かに言葉の端に滲んでいた。そこまで言って、藤堂はきつく眉を寄せた。自分でも口にしたくない本音だったのだろう。けれど一度零れたものは止められない。

「だから……僕には、分からないんです。あなたが、何を見に来てるのか」

 俯き加減で絞り出すように吐き出されたその言葉に、原田は目を見開いた。
 ……ああ、そうか。こいつ、俺が――星だのプラネタリウムだのを口実にして、自分のことをからかって遊んでると思ってんのか。
 キャンプの夜、衝動に任せて耳元に落としてしまった「おまえが、ほしい」という言葉。あんなことを言われた後では、疲れて果てて爆睡こそしていたものの、藤堂が自分に対して警戒するのは火を見るより明らかだ。だからこそ、原田はあえてあの夜のことには一切触れず、蒸し返さないと決めていた。
 まずは友人のような気安い距離感で接し、警戒心を解いてやろう。いきなり男として踏み込んで怯えさせるより、少しずつ外堀を埋めていく方が確実だ。……それが、原田なりの不器用な配慮・・だった。警戒させたくない、急かしたくない、そんな考えは、ことごとく裏目に出ていたらしい。
 ――僕に星の話をしたことはないでしょう。
 その言葉の意味する重さが、原田の胸にズシリと圧しかかる。
 思い返せば、原田は「分かりやすかった」と感想を伝えたことはあっても、自分から星について熱く語ったことはなかった。ただ彼の声を聞いて耳を傾けるばかりで、ただの一般客だった自分が、あの合宿以来、藤堂と言葉を交わせることに浮かれていた。くだらないやり取りを交わせる、それだけで舞い上がっていたのだ。
 ……それが、藤堂の目にはどう映っていたのか。
『ただ、何度も足を運んでくださるくらい、星が好きだとお見受けしたので』
『! 僕も好きなんです! 同性同世代の方で星が好きな方って中々居なくて……!』
 そうだ。藤堂は最初からずっと、星が好きな人なかまを探していたのだ。
 それなのに、原田はそうして呼ばれた場で、実際に見上げた満天の星と解説するその姿を目の当たりにして、いてもたってもいられず衝動的に言葉を吐いた上で、有耶無耶にした。そのせいで、藤堂が本気で向き合っている仕事も、星への情熱も、俺は口説くための口実として踏みにじっている。そう思わせてしまっていたのだ。
 どうしようもない後悔が、じわじわと胸の奥を焼いて、原田は心の中で激しく舌打ちをした。どう言えばいい。何を言えば、ちゃんと伝わる。ただ違うと否定するだけじゃ足りない。そんな薄っぺらい言葉で晴れるような誤解じゃないことくらい、原田にだって分かった。
 だったら。だったら、もう――見せるしかない。
 原田は一度きつく目を閉じてから、藤堂を真っ直ぐに見た。
……藤堂さん」
 呼びかけると、藤堂がびくりと肩を揺らす。だが顔は上げない。ココアの缶を胸元に抱え込むようにしたまま、頑なに俯いている。その姿に胸の奥が軋んだが、原田は逃げずに口を開いた。
「頭の真上には、ペガスス座の四辺形がある」
……え?」
「その北側には、Wの形をしたカシオペヤ座。そこから星を辿っていくと、鎖に繋がれたアンドロメダ姫と、その姫を救うために駆けつけた英雄ペルセウスの姿が見えてくる」
「な、んで、」
 ぽつり、ぽつりと。だが淀みなく紡がれていく言葉に、藤堂が弾かれたように顔を上げた。原田は構わず続ける。
「秋の星座は、それぞれが離れているように見えても、ひとつの神話として繋がってる。……遠い昔の物語でも、今こうして同じ星を見上げていると思えば、少しだけ身近に感じられる――
……、」
……ここ、好きだった」
 思わず零れた本音に、藤堂の目が大きく見開かれる。
「あと、その後の。『昔の王族も、今を生きる僕たちも、同じ夜空の下にいることだけは変わらない』ってところも。言い回し、すげえ綺麗だと思った」
 原田は少しだけ困ったように笑った。藤堂は何も言わない。星になんて興味がない、自分の話など聞いていないと思っていた男の口から、自分が推敲を重ねた言葉がそっくりそのまま紡がれる。それが、あまりにも予想外だったのか、瞬きすら忘れたような顔でこちらを見つめている。
「つまらなくなんかねえよ。星は嫌いじゃねえ。……好きだ。好きになっちまった」
 信じられないものを見るように目を丸くする藤堂に対し、原田は誤魔化すことも、大人の余裕ぶることも完全にやめ、飾らない本音だけをぶつけた。
「名前なんか全然知らなかったのに、最近はバイクに乗るまでの間に空見上げて、あれが何座かって考えるようになった。こないだ飲みに行った時なんか、ずっと上ばっか見て歩いて帰ったせいで首寝違えた。空見て首が痛くなるなんて、初めて知った」
 照れ隠しのように自嘲気味に笑い、原田は自身の太い首の後ろを撫でる。いつもなら呆れたようにひと言返してきそうなところなのに、藤堂はまだ呆然としたままだった。原田は缶コーヒーを持つ手に少しだけ力を込める。
 誤魔化すのは、もうやめだ。
「全部、藤堂さんのおかげだ」
……は、」
「藤堂さんが語るから面白かった。藤堂さんの声で聞くから、覚えたくなった。もっと知りたくなった」
 ひとつずつ、噛みしめるように言葉を置いていく。
「最初に覚えたのは春の大曲線。その頃は本当に、純粋に星が好きになって聞きに来てるんだって思い込んでた。藤堂さんが紡ぐ声によって、前はただの点にしか見えてなかったもんに、一つ一つ名前が与えられて、勝手に物語ごと浮かんでくる。つまらなかった世界が色付いて、広がったように感じた」
「けど、……あの日、追いかけてきた藤堂さんに声を掛けられて、初めて顔を合わせて会話して、それだけじゃねえって思い知らされた。星空観測会で、満天の星の下で真剣に、楽しそうに解説して仕事してる姿を実際に横目で見て、はっきりと自覚した」
 そこで一度、息を継ぐ。もう引き返せないところまで来ていると分かっていながら、不思議と怖くはなかった。ただ、ちゃんと届いてほしかった。

「星も好きだ。藤堂さんの解説も好きだ。その上で、……おまえのことが、好きなんだ」
「おまえが大事にしてるものごと全部ひっくるめて、欲しいと、思ってる」

 秋の夜気が、しんと二人の間に降りる。
 藤堂の頬が、見る間に赤く染まっていった。耳まで真っ赤になって、口を開いては閉じ、何かを言おうとしては言葉を失っている。その反応だけで、胸の奥がじくりと甘く疼く。だが今は、そこに縋るような真似はしたくなかった。
「あの夜のこと、茶化したみたいになって悪かった。思わず、つーか、好きだって自覚したばっかで……あー、少しは意識してくれたらいいかって思った。……けど、ほぼ初対面で言うことじゃねえなって後から反省、したんだ。だから、蒸し返さないようにはしてた。……ごめんな」
 原田は視線を逸らさずに続けた。
「今の告白も、別に今すぐ返事が欲しいわけじゃねえ。ただ……全部、本気で好きで……揶揄いでも遊びでもねえってことだけは、ちゃんと伝えたかった」
…………
「勝手に悩ませて、怒らせて、悪かった」
 藤堂はしばらく、微動だにしなかった。ココアの缶を抱えたまま、ただその熱でどうにか自分を支えているみたいに立ち尽くしている。
 やがて、ぎこちなく唇が動いた。
……ずるいです」
「ん?」
「そういうの……、急に、言うの。……僕はまた、悩んでしまうじゃないですか」
 掠れた声だった。怒っているようで、泣きそうでもあって、そのどちらでもないような、ひどく不安定な声。
「しかも、そんなの…………覚えてるなんて、思わないでしょう、普通……
 そこまで言って、藤堂は耐えきれなくなったようにふいと顔を背けた。原田は思わず、ふっと息を漏らした。拒絶ではない。その事実だけで、張り詰めていた心臓がわずかに楽になる。
「悪い」
「悪いじゃないです」
 棘のある返しのはずなのに、声は震えていた。藤堂はしばらく黙り込んだあと、やっとのことで小さく言った。
……でも、……星が、嫌いじゃないなら……その、いいです」
「おう。……そりゃ、よかった」
 最後の方は、消え入りそうなくらい小さかった。けれど原田の耳には、驚くほどはっきり届いた。原田もまた、静かな声で返した。今すぐ手を伸ばしたい衝動を抑え込みながら、なるべくいつも通りに笑ってみせる。
「じゃあ、次も聞きに行っていいか」
……来なくていい、とは言ってません。精々、科学館にお金落としてください」
「そりゃどうも」
「でも、雑用まで手伝うのは、ほどほどにしてください」
「善処する」
「今の、絶対善処しない人の言い方ですよ」
 ようやく返ってきたいつもの調子に、原田は胸の奥でそっと息を吐いた。赤くなった顔を隠すように少し早足で歩き出した藤堂の背に、原田は声を掛ける。
「駅まで送ってくか?」
「結構です!」
 返事はまだ貰っていない。けれど、もう十分だった。少なくとも、自分は嫌われてはいない。あの星空観測会の夜に蒔いた火種は、まだ消えていない。なら、あとはもう、誤魔化さずに向き合っていくだけだ。
 吐く息の白い秋の夜道を歩く背を見送りながら、原田は静かに決めていた。
 どうやらありがたいことに藤堂は悩んでくれるらしい。だったら畳み掛けるだけだ。この先どれだけ時間がかかっても、もう二度と半端な逃げ方はしない。こいつを手に入れるまで、絶対に引かないと。