小夏🍊
2026-03-13 13:34:58
95355文字
Public Planet a room
 

Planet a room

全体まとめ


γ.幕間


 週末の喧騒に包まれた、駅前の大衆居酒屋。
 ひっきりなしに客が出入りし、店員たちの威勢の良い声とジョッキのぶつかる音が店内に響き渡っている。タレの焦げる焼き鳥の香ばしい煙と、充満するアルコールの匂い。そんなどこにでもある熱気の中、テーブル席の一角で、ドンッ、と。
 少しばかり乱暴な音を立てて、藤堂は空になりかけたレモンサワーの太いジョッキをテーブルに置いた。置かれた拍子に、ジョッキの底に溜まっていた氷がガラリと跳ねる。普段の藤堂なら、こんな雑な置き方はしない。
「平助、今日飛ばしすぎじゃない? 程々にしろよ〜」
……そんなに飲んでないですよ」
 テーブルに突っ伏しそうなほど前傾姿勢になった藤堂は、アルコールのせいでほんのりと頬を赤く染めながら、露骨にぶすくれた顔で言い放つ。向かいの席では、そんな彼の幼なじみである沖田が「また何かありましたねぇ」と、薄く形の良い唇を弧に歪め、ひどく面白そうに日本酒のお猪口を傾けていた。涼やかな顔立ちには、藤堂の不満を肴にして楽しむような余裕が漂っている。
「なんです、またストーカーでも出ました?」
……ちがう」
「じゃあ例の常連客の方か」
 頬杖をつきながら、手元の枝豆を器用につまんだのは、もう一人の幼なじみである斎藤だ。図星を突かれた藤堂が、恨めしげな目を伏せて唇をきゅっと噛む。
「常連客ってなんです? 藤堂さん、また変なのに粘着されてるんですか」
 首を傾げた沖田に、斎藤が「いーや」と相槌を打つ。
「今回は平助も早い段階で一応って形で俺に共有してきたんだよな。でも、おまえに直接接触してくるわけでもなく、ただ熱心にプラネタリウムを見に来るだけだから無害だとも言ってたけど」
 斎藤の言葉に、藤堂は何も言い返せずに黙って俯いた。
「へぇ。じゃあ、ただの熱心な星好きのいい人だったんじゃないんですか?」
……そうだったら僕も良かったんですけどね」
「え〜、こないだなんて、夏の体験合宿に誘うかどうかまでわざわざ相談してきてたのに。いざ思い切って誘ってみたら、色よい返事もらえたって、あんなに喜んでたのになぁ」
 斎藤が揶揄うように、けれどどこか核心を突く言葉を落とす。藤堂の肩がビクッと跳ねるのを見て、沖田は可哀想なものを見るような、憐れむような視線を藤堂へと向けた。
……ダメだったんですね」
……っ、うるさいです!」
 カラン、と氷を鳴らして、藤堂はグラスの中の輪切りレモンをマドラーで親の仇のようにぐりぐりと激しく潰しながら、不満げに口を尖らせた。
「ふふっ、可哀想に。……でも、藤堂さんからわざわざ合宿に誘うなんて珍しいですね。どんな人なんです?」
「確かに。どんな人かはちゃんと聞いてなかったかも。平助ってさぁ、人を疑うのを嫌うから騙されやすいけど、懐く相手見極めるのだけは昔から得意だったじゃん。平助が懐いてるなら大丈夫だと思ったんだけどな」
「だけってなんですか」
「口が滑った」
 俄然興味が湧いたといった様子で身を乗り出す沖田に、へらりと目を閉じて悪びれもなく笑う斎藤。藤堂は、じゃあなんであなた達に懐いてるんですかね、なんて嫌味を飲み込んで、肺の空気を全て押し出すように大きな溜息を吐き出した。
……どんな人、と言われても別に普通の人ですよ。平日の最終上映に慌ててくるぐらい熱心で。背が高くて赤い髪だから目立つんですけど……
……は? 赤い髪?」
 ぽつりとこぼされたその特徴を聞いた瞬間、斎藤の動きがピタリと止まった。お猪口に向かっていた沖田の指先も空中で静止する。
 熱心で、背が高くて――赤い髪。
 パズルのピースがハマるように、二人の中で断片的な情報が、カチリと音を立てて一つの明確な形を結んだ。赤い髪という決定的な特徴は、斎藤にとっても今ここで完全に初耳だったのだ。
 ……いくら平助がその手の厄介な人間にモテるとはいえ、平助が懐いた時点で少し考えれば思い当たるのに……
 斎藤は深々と額を押さえ、ぐったりと天を仰いだ。同時に沖田もあちゃ、と肩を竦める。二人の頭に思い浮かんでしまった一人の男。藪をつつけば蛇が出るとわかっていながらも、沖田は口を開いた。
……その方って、もしかして原田って苗字だったりします?」
 探るような、答え合わせをするような沖田の問いに、藤堂はきょとんと目を瞬かせた。
「えっ、沖田くん、原田さんと知り合いなのか?」
「あ、ああ〜〜〜……確定演出……
「そりゃそうだよなあ。知り合いっつーか、一方的に知ってるだけっつーか」
 ひどく曖昧に言葉を濁し、揃ってうわぁ、と遠い目をする二人。沖田と斎藤は、もうそれ以上の詳細など聞かずとも完全に察していた。藤堂の前に現れたその男の正体が、間違いなく自分たちのよく知るあの原田左之助・・・・・であると。
 斎藤は額を押さえていた手を下ろし、静かに盃を傾けた。
 生前に一度。サーヴァントになってからも一度。そしてまたこうして巡り会ってしまったのかと、胸の内で深く息を吐く。
 魂の巡り合わせというものは、かくも業が深く、そして逃れられないものらしい。呆れ半分、諦め半分の斎藤の視線が、テーブル越しに沖田へと向く。目の前でぱちぱちと瞬きをして不思議そうに首を傾げている藤堂には決して気づかれないよう、視線だけの無言のやり取りが交わされた。
 ――相変わらず、ですね。
 ――ああ。
 沖田の面白がるような、けれどどこか懐かしむような視線。それに、斎藤は微かに目を伏せて同意を示す。そんな前世からの腐れ縁たちの心中など露知らず、藤堂の愚痴はまだ止まらない。
「それで原田さんが、……結局その、星じゃなくて………………くそっ、……信じてたのに……!」
 同世代の純粋な星仲間ができたのだと、あんなに嬉しく思っていたのに。まさかあんな下心があって近づいてきていたなんて思いもしなかった。
「大体、星に興味がないなら最初からそう言えばいいんですよ! こっちは真面目に解説してるのに、ぜんぶ適当に聞き流してるだけなんて……ほんと、腹が立ちます! 上映チケットだってタダじゃないのに!」
 最初はただの憤りだった。純粋な星仲間ができたと喜んでいた自分が騙されたことへの、ストレートな怒り。藤堂は勢いよく言葉を吐き出し、表面に水滴の浮かんだグラスをぎゅっと握りしめた。
「学生時代の、天文学部の時もそうだったじゃないですか。星になんてこれっぽっちも興味ないくせに、僕目当てで近づいてきて……そういう不純な人って、僕が靡かないって分かると、あっという間に辞めていなくなるんですよ」
 心底うんざりしたように吐き捨てる。だが、その言葉を自ら口にした途端、藤堂の刺々しい勢いが、ふ、と弱まった。
 プラネタリウムの暗闇の中で熱心に解説を聞いてくれていた姿。キャンプで真剣に夜空を見上げていた横顔。藤堂の指示通りにテントを張って、子どもたちに囲まれて分かりづらいけれど確かに口角を上げていたあの男。あれもすべて、ただのポーズだったのだろうか。星の輝きを分かち合える同志を見つけたと一人で舞い上がっていた己の無邪気さが、ひどく滑稽に思えてくる。
……だから、あの人も」
 ギリッ、とグラスの中の氷が嫌な音を立てた。
「どうせ、原田さんも……きっとすぐ、来なくなるんだ」
 もう、最終上映の後にあの赤い髪を見つけることもないのかもしれない。そう思った瞬間、腹の底がひやりと冷えた。
 ポツリとこぼれ落ちたその言葉は、先ほどの怒りとは打って変わってひどく弱々しかった。伏せられた目元はじわりと赤く、震えた声は怒っているにしてはあまりにも頼りない。藤堂自身すら持て余しているその無防備な執着は、見守る二人の目にはあまりにも明らかだった。
 行き場のない不満をこぼす藤堂の横で、斎藤が手元の枝豆をつまみながら、淡々とした声で応じる。
「いいじゃん。そんなに不快なら、来なくなって万々歳でしょ。いっそ、不純な動機だってわかってるなら科学館を出禁にしたらどうだ?」
 斎藤が、わざと極端な提案を口にする。すると、先ほどまであれだけ憤慨していた藤堂は、ものすごい勢いで顔を上げ、首を横に振った。
「えっ……! えっと、出禁は、でも、違う気がします! あの人別に悪いことなんて何もしてないですし! 上映中のマナーだってすっごく良いし、キャンプの時だって、子どもたちに優しくて……!」
 いざ他人に排除されそうになると、必死になってその男を庇い立てしてしまう。その矛盾しきった必死な姿を見て、斎藤は「……だろうな」と小さく呟き、呆れたように酒を呷った。
 なおも「荷物運びだってすごく手伝ってくれて……っ」と早口に庇う言葉を並べる藤堂へ、向かいの席で日本酒のお猪口を傾けていた沖田が、ふふっと楽しげに笑って唐突に口を挟んだ。
……でも藤堂さん。原田さんに、何か言われたんですよね?」
 ――ピタリ、と。藤堂の口が止まる。
 その言葉が引き金だった。途端に、藤堂の脳裏にあの夜・・・の記憶が鮮明にフラッシュバックする。
 星空観測会の後の、静かな夜の森。落ち葉を踏む音。不意にぐいと強引に引き寄せられた時の、心臓が跳ねるような感覚。そして、暗闇の中で耳元に落とされた、ひどく熱を帯びた低く甘い声。
――おまえが、ほしい』
……っ、」
 鼓膜にこびりついたその声の記憶が蘇った瞬間、藤堂の顔から首の根元までが、ぶわりと一気に朱に染まり上がった。アルコールの酔いなど比ではない異常な熱。藤堂は己の動揺を誤魔化すように、ゴンッ! と鈍い音が鳴るほどの勢いでテーブルに額をぶつけて突っ伏した。
「う〜〜〜……っ」
「うわっ、平助、おでこ痛くない?」
「最悪だ……信じられない……あんなの、ずるいじゃないですか……
 腕の中に顔を埋めたまま、ぶつぶつと恨み言のように文句をこぼしては低く唸る。完全に自爆してしまったその分かりやすい動揺っぷりに、前世からの幼なじみ二人は顔を見合わせ、揃ってやれやれと呆れたように肩を竦めた。
 ――ま、相手があの左之助ならそうなるわな……
 ――ええ。あの人昔から藤堂さんだけは特別構いたがりでしたからねぇ。
 見つかってしまったが運の尽きだろう。沖田は南無南無とでも言いたげに胸中で手を合わせながら、決して脈ナシではない反応に目を細めた。
「そもそもなんで僕なんですか……。僕が声を掛けるまで、言葉を交わしたこともない……のに…………そう、そうですよ! 原田さんはまだ本当に星が好きで、あの時の言葉はただ僕を揶揄っているだけかも――……は? 何なんだあの人……!」
 うんうん唸っていたかと思えばがばりと顔を上げて、希望的観測に一瞬顔を晴らすも、次の瞬間には眉根をぎゅっと寄せて怒り始める。喜怒哀楽の全部を振り回されているのだから、とっくに手遅れなのは一目瞭然だった。
「ま、そう心配すんなって。揶揄ってるんじゃなくて、ガチなだけだろ。……それはそれでどうなのって話だけどな。…………何度生まれ変わっても、あいつはお前に本気だろうよ」
 呆れ半分でこぼされた斎藤の言葉の後半部分はひどく小さく、喧騒の絶えない酒の席の独り言のように、誰の耳にも留まることなく空気に溶けていった。
「そうですねぇ。正直またですか、って感じですし」
「また? どういう意味だ?」
 きょとんと丸い目を瞬かせ、不思議そうに首を傾げた藤堂に、沖田はからりとおどけて笑う。
「狼のつがいは一生もその先も変わらないって話です。そんなことより、その観測会以降、原田さんとはどうなんですか?」
 藪から棒に急な話題の矛先を向けられ、藤堂はビクッと肩を揺らした。あからさまに視線を泳がせ、不自然な動揺を誤魔化すように残っていたレモンサワーのジョッキへと手を伸ばす。しかし、表面に水滴の浮かんだ冷たいグラスに指先が触れるより早く、斎藤が横からひょいとそれを取り上げた。
「はいはい、ストップ。これ以上はマジで歩けなくなるぞ」
……っ、返してください」
「だーめ。水飲んどけ」
 代わりにドンと目の前に置かれたのは、チェイサー代わりの冷水が入ったグラスだ。一瞬不満げに口を尖らせたものの、ひとしきり愚痴を吐き出して少し冷静さを取り戻しつつあった藤堂は、それ以上文句を言わずに大人しく従った。こくりと水を飲み下し、熱を持った喉を冷やそうとする。
「藤堂さん」
……うぐっ…………どうって…………………………別に、何も無いよ。前と同じようにただの解説員と客なだけだ」
「ふぅん?」
 明らかに言葉を探し、ひどく間の空いた不自然極まりない返答。沖田が逃がさないとばかりに意味深に目を細め、追撃を掛けようと息を吸い込んだ、まさにその時だった。
 ――ポコンッ。
 足元に置かれた藤堂のカバンの中から、間の抜けた短く特殊な通知音が鳴った。画面こそ見えないが、メッセージの着信があったのは明らかだ。藤堂は先ほどよりもさらに分かりやすく肩を跳ねさせ、しまった、と気付いた時には咄嗟に視線を自分のカバンへと落としてしまっていた。
……通知音、変えたか?」
……最近、変えました」
 その微細な反応を斎藤が逃さずに尋ねると、藤堂はなんでもない風を装って、平静を保ったまま小さく頷いた。嘘は言ってない。最近変えたのは本当だ。
「随分変な音に変えたな」
 今度は面白がるように片眉を上げると、藤堂は僅かな動揺を悟られまいと視線を明後日の方向へと逸らし、誤魔化すように口を尖らせる。
「た、たまたま、ちょっと気に入っただけです」
「えー、でも今日、待ち合わせの時に斎藤さんから『もうすぐ着く』ってメッセージが来た時は、普通の音でしたよね?」
 すかさず沖田が意地悪く、けれどひどく楽しそうに全ての逃げ道を塞いでくる。これ以上ないほどの痛いところを的確に突かれ、ぐうの音も出なくなった藤堂は、テーブルに視線を落として深く深く項垂れた。
…………っ、それは…………
 誰からの、何のための通知音かなど、もはや口に出して聞くまでもない。
 なぜ自分は、わざわざあの人からのメッセージだけ特別な音に変えたのか。他の数多の連絡に埋もれないように、鳴った瞬間にすぐに気づけるように……。そんな自分自身の無自覚な特別扱い・・・・を突きつけられ、自ら認めてしまうようで、藤堂はテーブルの下で隠すようにぎゅっと両の拳を握りしめた。
「私たちは気にしませんから確認したらどうです? 急ぎかもしれませんよ」
「い、今は飲んでるから! 後で返す!」
 沖田がにやにやと揶揄うように言うのに対し、藤堂は耳の先までさらに赤く染め上げながら、ブンブンと首を激しく横に振った。
………………もう、勘弁してくれないか……
 それからしおしおとまた項垂れた藤堂を見て、二人は顔を見合わせて苦笑した。これ以上追及して無自覚な惚気を当てられては馬に蹴られそうだと、望み通り今日はこの辺りで勘弁してやることにしたのだ。
 
 その後も飲み会は続き、昔話や互いの近況報告でひとしきり盛り上がった後、やがて時間となりお開きとなった。途中で酒を没収されたおかげで、店を出る頃には問題なく自力で帰れるほどに藤堂の酔いは落ち着いていた。
 駅前のロータリーで別れる直前、沖田がふと、冗談めかした口調で藤堂に笑いかけた。
「まあ、本当に困ったら言ってください。いつでも沖田さんが斬ってあげますからね」
「物騒な冗談やめてくださいよ……。今日はありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね」
 いつも通りの穏やかな笑顔で手を振る二人を見送り、藤堂もまた、自身の家がある方向へと歩き出した。
 喧騒から離れ、一人きりになった静かな夜道。
 藤堂は歩みを止めて、急いでカバンからスマホを取り出して画面を開いた。
 観測会以降、時折こうして原田から連絡が来た。大抵はくだらない内容だが、藤堂の生真面目な性格ゆえに、メッセージには律儀に一言二言、或いはスタンプを返すような日々を送っていたのだ。……個人でやり取りを続けている時点で、すっかり彼に絆されているという事実からは、必死に目を逸らして。
 どんな用件かと少しだけ身構えてトーク画面を開くと、そこに送られてきていたのは、なんとも言えない変な顔をした野良猫の写真だった。
『お前がいつも使ってるスタンプと同じ顔した猫がいたわ』
…………ふ、なんだこれ」
 用事でも何でもない、本当にくだらなくて、他愛のない内容。ずっとそわそわと気にしていた理由がこんなことだったのかと完全に毒気を抜かれ、藤堂は暗い夜道で思わず吹き出してしまった。
 以前沖田から「藤堂さんに似ていません?」とプレゼントされた、例の不格好な白い生き物。そのスタンプの中から、写真の猫とそっくりな表情のものだけをぽんと返した。
 すると、数秒も経たないうちに『既読』の文字がつく。
『こんな時間に返事くるの珍しいな。仕事だったか?』
 普段の藤堂は返信が早い。通知音まで変えてしまった今となっては、なおさらだった。夜遅くに気づいた連絡だけは朝に返すようにしているが、今夜の遅れは、原田にしてみれば珍しかったのだろう。不思議に思うようなメッセージが続けて送られてきた。
 原田さんこそ、いつもならスタンプで終わるやりとりに返事が来るなんて珍しい。
『学生時代の友人と飲んでました。返事遅くなってすみません』 
『てことはまだ外か?』
『はい、今から帰ります』
 藤堂が正直にそう打ち込んで送信するとすぐに既読はついた。だが、そこから先、それまで即レスだった画面の動きが、ぴたり、と止まった。
 藤堂は画面を見つめたまま、次の言葉を待つ。ほんの数十秒。けれど、相手が何かを打つか打たないか迷っているような、ほんの少しの間・・・・がそこにはあった。
 やがて、ポップアップで返ってきたのは、
『そっか。気をつけて帰れよ。おやすみ』
 という、拍子抜けするほどあっさりとした、短い気遣いの言葉だけだった。
…………え」
 トーク画面が静まり返ったその瞬間、藤堂の胸の奥に、ほんの少しだけ冷たい風が吹いた。原田さんの返事は普通だ。気遣いが滲んでて、挨拶で締めて。……それなのに。
 『今どこだ?』とか、あるいは『俺とも飲みに行かないか』とか。あの夜に見せた仄暗い熱量で、強引に誘い出されたり、踏み込まれたりするのではないかと――ほんの少しだけ、期待していた自分に気づいてしまったのだ。
 あっさりと引かれてしまったことへの、明確な物足りなさ。
「違う……っ、違う! だから違うんだってば……!」
 いつも通りの『おやすみ』の文字が入ったスタンプを一つだけ返してから、慌ててスマホの画面を消し、ぶんぶんと首を激しく横に振った。
 期待なんかしていない。あの人は星に興味がないのに近づいてきた不純な客で、僕はただの解説員なのだから、これでいいのだ。大人の対応をされて、寂しがる理由なんてどこにもない。
 熱くなった顔を冷ますように、藤堂は立ち止まって夜空を見上げた。そこには、藤堂の胸の内の騒がしさなど知りもしないように、無数の星々が相変わらず美しく、ただ静かに輝き続けていた。