燈 ともしび
2026-03-01 21:16:18
22196文字
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ぎゆさね【偽装恋愛】

とある事情のために偽装結婚することになったぎゆさねのお話です。
キ学軸。
嘘から始めた恋が本物になるまで。
ハピエンです。



-4-

 産屋敷学園長は多忙なために学園内にいることが少ない。週明けの今日は珍しく一日中学園にいる日だったので、不死川と共に挨拶に行った。普段胸元を開けている不死川も今日ばかりはきちんとボタンを留め、ネクタイを付けていた。もちろん俺もジャージではなくスーツを着た。
 先にメールで挨拶に伺いたい旨を伝えておいたからか朝早い時間に時間を作ってくれ、二人で結婚の報告をすると大喜びで祝福してくれた。
「二人共僕の大切な子ども達だよ。幸せにおなり」
 そう言ってぎゅっと、本当の父のように優しく抱きしめてくださる。その感触に俺は亡き父を思い出して涙ぐんでしまったが、不死川も涙ぐんでいた。

 不死川のご家庭が複雑なのはこの前聞いて知っている。でも結婚の挨拶に行った時、同じように不死川家全員から俺はぎゅっと抱きしめて貰ったのだ。これでもう家族だと。お兄ちゃんを幸せにしてね、と。とても温かい家庭だった。不死川がここまでして守りたいと思うのも分かる。

 だからこそ、胸の奥底でひりひりと痛む気持ちがある。
 学園長も、姉夫婦も、もちろん不死川のご家族も俺たちは騙しているのだ。あんなにも喜んで祝福してくれたのに、これは擬装結婚なのだとは絶対に言えない。俺は納得した上で不死川に協力してるから良い。これからの人生、一人で生きていくのだと思っていたら家族になってくれたのだ。喜びこそすれ、後悔なんてない。
 でもいつか。
 いつか、隠し通したとしても嘘がバレてしまう時がきてしまうのだろうか。その時、こうやって祝福してくれた全員の顔を悲しみに染めたくないと思った。勝手だけれど、そう思った。


 両家と職場の長へ結婚の挨拶をしたからと婚姻届はその日のうちに出しに行った。もう止まれない。なら早く出そうと話し合って。証人は俺の姉と不死川のお母さんにすでに書いて貰っていた。
「おめでとうございます」
 不備なく受理され、時間外窓口の係の人から言われたお祝いの言葉に何故か俺はまた泣いてしまって不死川に爆笑された。
「泣き虫ィ」
 揶揄いつつも俺の涙を拭いてくれる指先は優しかったからまた泣きそうになった。

 帰り道、まだ一緒に暮らしていないので駅で別れなくてはいけない。どうしてだか不死川と離れがたくてバスターミナルの端に置いてあるベンチに誘ってしまった。この駅は役所関連の建物が多いせいか駅近くの店は閉まるのがとても早い。駅下のコーヒーショップもとっくに閉まっていた。
「コーヒー飲まないか?」
 なのに今時そんな誘い文句があるか。自分で自分に呆れてしまったけれど、不死川はまた笑って付き合ってくれた。
「自販機のメーカーは選ばせてくれるか?」
「もちろん」
「じゃあ、少しだけならなァ。寒いし」
 のそのそと歩いて、不死川はこれが良いと教えてくれたから同じメーカーの缶コーヒーを二本買った。不死川は甘いカフェオレを。俺はブラックを。珍しく当たりが出たので不死川に譲ったら甘いココアを選んでいた。不死川は細いのに甘いのが大好きなのだ。それは前から知っていた。飲みの最後はいつもアイスを頼むから。

 ベンチに戻り、ぷしゅっと音を出して缶コーヒーを開ける。
 俺から誘ったのに何も言葉が出てこない。情け無い。でも不死川は黙って隣に座っていてくれた。それがとても嬉しい。
「引越し」
「うん」
 あまりにも俺が黙ったままでいたから、少し経ってから不死川が口火を切ってくれた。
「一周、早くしても良いか?」
「え?」
 元々の引越し日は再来週にしていた。今週は仕事がお互い立て込んでいたし、不死川の支度が大変だろうからと。
「俺は……大丈夫だが」
「そか。なら来週末にそっち行くわ」
 不死川はレンタルでトラックを借りて運べばどうにかなるくらいの家具家電しかないと言う。だから支度も合間にやるから大丈夫だと。うちは俺も物が少ないし、部屋は余っている状態なのでいつ引越ししても良いようになっている。なので何も問題はない。
 どうしよう。嬉しい。
 顔がにやけそうになったので急いで下を向く。不死川に見られるのが恥ずかしかった。
 つん、と頬を指で突かれる。少し痛い。慌てて顔を上げると不死川はまた笑っていた。
「誰かさんは泣き虫で寂しがりみてェだから」
 図星をつかれて顔から火を吹くかと思った。
「不死川」
「うん」
「嬉しい。ありがとう」
 これは本音だから恥ずかしさを押し殺して目を見て伝えた。
「ばーか。礼を言うのは俺の方だろうがァ」
 そのまま何故か頭を撫でられる。不死川は弟妹が多いから無意識の癖なのかもしれない。その感触が心地良くて目を閉じる。
 缶コーヒー一缶分だけ。そう言っていたのに、飲み終わってもしばらくそこから立ち上がれなかった。ここのところ、俺の情緒は大忙しだ。


 大きな荷物は週末に。そう言っていたが、次の日から不死川は俺の家に来るようになった。着ない服とか細かな小物とかは先に持ってきておきたいと言う。それならばこのほうが便利だろうとスペアキーを渡すと不死川は目をまん丸にした。
「え、良いのか?」
「良いも何も、俺たちは法律上伴侶なのだが?」
 法律上、と言った時に胸が痛かったのはなんでだろうか。
……ありがとう」
 いつか何かの景品で貰った鮭のキーホルダー付き。可愛いのじゃなくてリアルなほうの。でも不死川は大切そうに受け取って喜んでくれたから胸の痛みはすぐに消えてしまった。

 そんなやり取りをして、やっぱりお互い忙しいからスペアキーを早めに渡したのは大正解だった。俺の帰りが遅くなってしまったとしても、不死川は先に家に入って片付けが出来る。
 うちの中のものはなんでも好きに使って良いと言っていたからか、ある日は不死川作の夕飯が用意されていた。
「冨岡んちは調理器具が本当になんもねぇのなァ」
「レンジはあるぞ」
「レンジだけじゃ一品作るのにも時間かかるだろうがァ」
 呆れたように言いつつも、不死川が持ち込んだ調理器具や調味料のおかげでそれはそれは美味しそうな夕飯が目の前に並べられたのだから感謝しかない。見た目、彩り。あともちろん味も。とても美味しかった。不死川の料理は出汁の香る、優しい味がする。食べたらまた泣きたくなった。誰かの手作りのご飯は久しぶりに食べた。
「また作るから」
 泣き始めた俺を見て不死川は慌てていたが、これは嬉し泣きなのだと上手く伝えられなかった。相変わらず俺の情緒が忙しい。

 片付けは俺がやるから。声かけをすると
「なら頼むわァ。俺もそろそろ帰らないと明日起きれないし」
 と不死川が帰り支度をするので驚いた。
 当たり前だ。不死川はまだ自分の家がある。ここはまだ不死川の家になっていない。あと数日すれば引越してくるのだから待て。
 そう思って自分に言い聞かせて。でも、婚姻届を出しに行った日のように不死川と離れがたくて。
「泊まれば良いだろう」
 なんて、子どものように不死川を引き止めてしまった。そうだ。うちのほうが学園に近い。なら今日は泊まっていけば良いんだ。
 コートの端を引っ張られてそう強請られた不死川はびっくりしてる。それはそうだろう。どう考えても俺の言い分は子どもっぽい。
 不死川と結婚するって決めてから俺の情緒はずっとおかしいままだ。

「今日は着替えがないから」
 苦笑しながらコートを掴んでいた俺の手が不死川によって離される。
「また明日もくるから」
 ぽんぽんとまた頭を撫でられた。これではまるで親子ではないか。伴侶なのに。
 伴侶なのに? 伴侶でも擬装の伴侶なのに。

 胸奥がまたことん、と音を立てる。
 日々、不死川によって俺の感情は大忙しだ。気付かないほうが良いような、そんなことまで気付いてしまいそうになっていた。