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燈 ともしび
2026-03-01 21:16:18
22196文字
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ぎゆさね【偽装恋愛】
とある事情のために偽装結婚することになったぎゆさねのお話です。
キ学軸。
嘘から始めた恋が本物になるまで。
ハピエンです。
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「なァ、頼む。俺と結婚して」
同僚と思っていた男からそう頼まれたらなんて返事をするのが正解なのだろう。
言われた内容が衝撃過ぎたのか、俺は返事もせずについ、そんなことをボーッと考えてしまっていた。
「おはよーさん」
「おはよう」
休み明け。同僚達と挨拶を交わしてまた一週間、仕事が始まる。
自分で選んだ職業になれて、自分で選んだ職場で働けている。おまけに上司にも同僚にも恵まれていてとても働きやすい。そんな毎日を送っているのに、最近家に帰ると何故か侘しさのような、寂しさのような、こう胸がきゅーっとなるようなものを感じていた。
多分、きっかけは昨年姉に子どもが生まれたからだろう。
俺が小さい頃に両親共に事故で亡くなり、長らく歳の離れた姉が俺の親代わりをしてくれていた。幸い両親が家や多めの遺産を残してくれていたし、周りの親戚もまともな大人ばかりだったので生きていくことは苦労していない。けれど、両親がいない寂しさはどうにも出来なかった。
父も母も研究者として海外を飛び回っていたので、生きている時もほとんど家には居なかったのだが、それでも生きてくれていた時と亡くなった後は気持ちが全然違う。使い方の分からない玩具や分厚い事典のような絵本など、両親が帰ってくる度に増えていく贈り物や、それにまつわる海外での話を聞くのは確かに俺の宝物であり心の拠り所だったのだ。
急に親と引き離されるには俺はまだ幼くて弱かった。姉もまだ当時未成年であったのに、必死になって親代わりを担ってくれた。そのおかげで絶望の底から気持ちを立て直し出来たのだ。とても感謝している。
そんな姉が人生の伴侶を見つけて結婚し、やっと俺という重荷から解放された時、本当に嬉しかった。やがて子どもが生まれた時は、情け無いが嬉しくて大泣きした。
だが、そこまできてやっと姉はもう俺だけの家族では無いのだと実感したのだ。
夫と子ども。守るべき存在、愛すべき存在を得て、姉は『俺の親代わり』から『俺の姉』という存在に戻った。それは正しいこと。俺もずっと願っていたこと。
でも、両親が亡くなった時と同じような寂しさも感じてしまっていた。それが自宅で一人で居る時に表面化してきて胸がきゅーっとなっている。
情け無い。周りを見渡せば、姉と同じように結婚して子どもが生まれた人間もいる。そんな責任も生まれるくらいの年齢なのだ。もう良い歳だ。姉離れをしないといけない。
俺は元々趣味らしい趣味がない。
人混みや他人との会話が多い交流の場は苦手だし、ギャンブルやゲームもしない。芸能人にも興味がないし、かといって美術館や映画館に足を運ぶような教養もない。
唯一は祖父から教わった将棋くらいだろうか。それだって家で一人でも出来るからそれで事足りてしまう。新しい外の世界へと繋がるものではない。
俺は空っぽだ。
しみじみ思う。なんにも無い。
きっと、多分。このまま何者にもなれずに生きて死んでいく。それはそれで静かで平和で良いのかもしれないが、このきゅーっとなる気持ちはそれを嫌がっている気がする。ほら、自分の気持ちなのにうまく言語化も出来ない。
校舎裏の階段に座って一人、もそもそとぶどうパンを齧りながら空を見つめた。
もし。
もしも、俺も姉のようにたった一人の誰かに出会えたのなら。
そうしたら、このきゅーっとする気持ちも消えてくれるのだろうか。
さっきまでは美味しかったはずのパンが急に味がしなくなって、無理矢理パックの牛乳で流し込む。
ちょうど良いタイミングで昼休みの終わりのチャイムが鳴り響いたので、さっと周りを見渡して片付けをして職員室へと戻った。
明日は別のパンにしようかと思うのに、きっと明日も俺はぶどうパンを買ってしまうのだろう。俺はそんな人間だから。変わりたくても変わる勇気が、ない。大きくため息を吐く。
またチャイムがなる。
自分の担当教科の授業や実技指導を終えたのでのろのろと片付けをする。
他教科と違い、道具が多くて面倒なことも多いが、やっぱり俺は体育教師という職業が好きだと思う。だから良かった。せめて仕事は充実していて嬉しい。プライベートは空っぽでも、仕事は楽しいならまだマシではないだろうか。
そんなことを思いながら体育倉庫の鍵を閉めていると、背後から急に声がかけられた。
「冨岡ァ」
「不死川?」
そこに立っていたのは同期で同僚の不死川だった。同期だがそれほど仲良くはない。でも険悪でもない。
周りは既婚者や恋人持ち、ペットを飼っていたりと、仕事が終わると早く帰る人間が多いので、気楽な独身同士、たまに飲みに行くこともある。
今日は金曜日だからもしかして飲みの誘いとかだろうか。全然行けるのでそれなら嬉しいが。
「どうした?」
珍しく言い淀んで不死川は何も話さない。もしかしてここでは言いにくい話なのだろうか。
「ここの鍵を返したら終わりだ。良ければ飲みに行かないか?」
こちらから誘いをかけると不死川は目に見えてホッとした。やはり言いづらい何かを俺に言いたいらしい。
「俺も帰る支度してくる。後で職員玄関で会おう」
そう言い残して不死川は立ち去った。
用件は分からない。
もしかして、不死川も結婚するとかだろうか。
見た目や言動は粗野な印象だが、不死川は面倒見が良くて優しい。職員や生徒にも隠れファンが多いことを知っている。だからありえないことではない。
あ、なんか少しショックかもしれない。
大学までの友人もこの前結婚してしまった。今、俺と飲みに付き合ってくれるのは不死川だけだ。それも結婚したら出来なくなるだろう。
嫌だな。
また子どもじみた気持ちが顔を出す。
やっぱり俺は未熟者だ。
職員玄関で不死川と合流をして、いつもの数駅先にある飲み屋に向かう。そこは安いし、飯が美味くて個室がある。元々は宇髄から教えてもらった店だったが、二人ともすっかり気に入ってしまい、不死川と飲む時はいつもそこだった。
ビールとつまみと、あと腹にたまる料理を少し多めに。いつも通りの注文をして、それが席に届くとまずはお疲れ様の乾杯をした。仕事後、ましてや休み前となればこの一杯のビールがとても美味しい。
が、今日は酔ってしまう前に不死川の用件を聞かなければ。
ジョッキと箸を置き、正面に座っている不死川と目線を合わせる。
それで俺の気持ちを察した不死川はあー、だのうーだの。珍しく歯切れの悪い様子を見せて。そして。
「なァ、頼む。俺と結婚して」
と、俺が予想もしていなかった言葉を発したのだった。
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