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柚鈴
2026-01-10 11:58:03
26679文字
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でぃあぷろSeason3 第0話②/第2話「悪夢」
執筆:2026/1/9〜1/15
pushing up daisies:「死んで埋葬されている」
悪夢:悪夢であってほしかったね
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第2話「悪夢」⑤
◇クレア・サンチェス
乾いた土に染み込んでいく血溜まりに、呼吸の仕方を忘れてしまった。
静かな夜更けの内庭に、人が折り重なって倒れている。幼い頃から面倒を見てくれた乳母や庭師、サンチェスの家を守る警衛。セシルを育ててくれた義両親。
誰もが苦悶に表情を歪めて、血を流しながら、地面に倒れ伏している。
そんな彼らを見下ろすように、一人の少女が宙に浮いていた。
仄かな月光を背に、金色の髪が靡く。優しい春の陽だまりの、一番綺麗なところを掬ったみたいな黄金色。夜の淵に立つ茜空によく似た、光の沈んだ双眸。満開の黒薔薇を咲かせる、喪服じみたイブニングドレス。
精霊のように地上を離れ、宵闇の庭を眺める彼女は、まるでクレアの鏡映しだった。否、クレアよりも唇の色が薄くて、輪郭の丸みが少ない。手足は細くしなやかで、身体の線が薄い。そんな場合ではないのに、真っ先に胸を過ったのは懐かしさで、その事実が揺るがぬ証拠となって、呆然とした声に変わった。
「セ、シル
……
?」
尻餅をついて立ち上がれないまま、夜空を背負う少女を見上げる。目に映る光景が信じられなくて、無意識のうちに何度も瞬きを繰り返すけれど、そのすべては徒労に終わった。
勘違いでも見間違いでもない。彼女が手にしているのは、見慣れた薙刀──薔薇をあしらったセシルの固有武器で、その刃先からは鮮やかな赤色が滴っている。
「
……
クレア」
クレアの呼びかけを肯定するように、セシルが微かに口角を上げる。知らない誰かが乗り移ったみたいな、ひどく不気味な仕草だった。唇こそ笑みの形を描いているけれど、浮かんでいるのはもっと別の、底知れない何かだと思った。得体の知れない空恐ろしさに、喉奥から引き攣った声が漏れる。
「違う、よね
……
?」
頭で考えるよりも先に、反射のような言葉が口を衝いていた。ばしゃばしゃと浅い水面を掻くように、発した音で沈黙を揺らそうとする。
「セシルじゃ
……
セシルじゃ、ないよね? セシルは、みんなを守ろうとして、それで」
雨晒しになった蜘蛛の巣みたいな声だった。目を離せばすぐに千切れてしまいそうで、言いたいことも分からないまま、必死に言葉を紡ぎたてる。
いったい屋敷で何が起きたのか、いまだにひとつも理解できなくて──それでも、セシルが誰かを傷付けるなんて、ありえないことだった。だって、セシルはいつでも優しい。誰よりクレアを気にかけて、抱きしめるように笑いかけてくれる。
だから、だから、きっと何かの間違いだった。薙刀から点々と続く血痕も、冷めきったセシルの表情も、ちゃんと理由があるはずだった。すべてはクレアを守るために仕組んだことで、あるいは驚かせるための演技で、クレアが恐れることなんて、何も起きていないはずだった。
「
……
ああ」
薄い微笑みを浮かべたまま、セシルが微かな嘲りを漏らす。出来損ないを見放すみたいな、軽蔑の混じった表情だった。
「クレアはいつも、見たいものしか見ないよね。都合の悪いことには、気付かないふりをするよね」
せせら笑うように放たれた言葉が、迷いなくクレアの心臓を穿った。痛みに喚く心臓ばかりに熱が集まって、指先が冷たくなっていく。息の根を止めようとするみたいに、セシルが淡々と言葉を継ぐ。
「これまで、一度も考えなかった? 同じ双子に生まれたのに、どうして身分が違うのか。どうしてクレアは幸せで、私はこんなに不幸なのか」
「それ、は
……
」
温度のない声だけが響いた静寂が、無数の針に変わって全身を苛む。考えたことがない、といえば嘘になる。だけどクレアはきっと、一度だって真剣に思い悩みはしなかった。
真昼の空は青色で、種を植えたら花が咲いて、石を蹴飛ばせば転がっていく。そういう理由のないもの、あらかじめ定められたもの、考えたって仕方のないもの。クレアにとっては、クレアとセシルの関係も、そんな世界の理と同じだった。
「本当に知らなかったの? この家で、私がどんな風に扱われていたか。知らないなら、教えてあげるね」
セシルの言葉を拒絶するように、鼓動が浅く激しくなっていく。こめかみが抉れるような痛みを訴えて、反射的に耳を塞ぎたくなった。知らなかった。知りたくなかった。これ以上、何も聞きたくなかった。やめて、と発しかけた声は掠れて、音にならずに飲み込まれていく。
「怒鳴られた。罵倒された。食事を抜かれた。地下に閉じ込められた。何度も何度も蹴られた、殴られた。悪いことなんて、何もしてないのに」
淡々と事実を羅列するような、淀みない声が闇夜を流れる。告げられた言葉は耳に届いたはずなのに、堰き止められて少しも頭に入ってこない。知らない。何も知らない。クレアは知らない! 割れそうなほどに頭蓋が軋んで、あまりの痛みに呻き声が漏れた。クレアの様子など気にも留めず、セシルは続ける。
「この国で、双子は忌み子。クレアと一緒に生まれたせいで、私は幸せになれなかった。全部全部、クレアのせいだよ」
止まない断罪の声が、意味を持たずに脳裏を巡る。地面に縫い付けられたみたいに、まったくその場を動けない。今すぐにでも逃げだしたいのに、セシルから目を逸らせない。
「この家も、クレアも、大っ嫌い! みんな
……
みんな、死んじゃえばいい!」
悲鳴のような叫びが鼓膜を劈いて、それを合図にセシルが薙刀を振り上げた。一切の迷いも躊躇いもなく、クレアに向かって斬りかかってくる。座り込んだクレアは動けない。避けることもできない。
あらゆる思考を放棄した脳が、クレアのせい、と繰り返した。セシルが幸せになれなかったのは、ずっと苦しみ続けてきたのは、全部クレアのせい。ようやくその意味を理解して、一筋の涙が頬を伝った。逃れられない今際の際に、世界が反転したかのようだった。
クレアは一度だって、疑ったことがなかった。クレアの隣にいるのが幸せだと、嬉しそうに告げるセシルの言葉を。クレアがセシルを大好きなのと同じくらい、セシルもクレアを好きなのだと思っていた。セシルの幸せはクレアのおかげだと言われて、そのたびに誇らしい気持ちになっていた。
──だけど、嘘だったのだ。すべて、嘘だった。
痛いほどの絶望が視界を染めて、瞬きを落とす暇もなく、鈍色の刃が迫り来る。信じられない。信じたくない。なおも消えない否認が、縋るようにセシルを見つめたがって、瞼を下ろすことさえできない。
憎悪に塗れた双眸から目を離せないまま、尖った刃先に心臓を貫かれかけて──血飛沫が舞うはずだった刹那、不意にセシルの動きが止まった。電池の切れた機械のように、だらりとその両腕が垂れ下がる。力の抜けた彼女の手の甲を、白魚のような指先が這った。
「彼女を殺すのは、最後に取っておきましょう」
囁き声が耳朶を揺らして、思わず視線を上向ける。いつの間に姿を現したのか、セシルの背を預かるように、精霊が佇んでいた。
その声に従わされるみたいに、セシルが無感情な仕草で頷く。それから精霊に身を委ねて、徐々に高度を上げ始めた。
「ま
……
待って! セシル! 行かないで!」
懸命に振り絞った声は、あえなく夜風に攫われていく。クレアの訴えなど意に介さず、二人の背中が遠ざかっていく。なんで、と訊ねる言葉は誰にも届かず、虚しく宙を揺らすばかり。残されたのは物言わぬ亡骸と、薄暗い冬の静寂だけ。セシルはいない。どこにもいない。クレアを置いて、いなくなってしまった。
視界いっぱいに広がる惨劇の跡が恐ろしくて、瞼の裏がぎゅっと熱くなる。泣いたらダメだと思うほどに、涙が募ってぼろぼろと頬を伝っていく。
悪い夢だったりしないかな。疲れていたせいで、怖い夢を見てしまったのかな。
目が覚めたらいつもみたいに、おはよう、ってセシルが迎えにきてくれて。怖い夢を見たんだよ、って思いきり抱きついたら、優しく涙を拭ってくれたりしないかな。
「う、うぅぅ
……
」
逃げるような空想が脳裏を埋めて、嗚咽が止まらなくなった。どうか悪夢であってほしいと祈った。雨に降られたように視界が滲んで、目の前の光景が霞んでいく。セシルと精霊の消えた、暗い夜空が見えなくなっていく。
──クレアはいつも、見たいものしか見ないよね。
冷たく言い放たれた言葉が、膿んだ視界を押し潰すように、何度も繰り返し頭を過る。
セシルの言うとおりだった。クレアはずっと、見ないふりを続けていた。使用人がセシルに冷たいと思ったときも、お揃いだったセシルの髪が染められたときも、何も言えなかった。そういうものだって、仕方のないことだって、都合よく目を逸らし続けてきた。
そうやってクレアが視界を塞いだ先で、セシルは一人苦しんでいたのに。
何度も何度も蹴られた、殴られた。セシルはそう言っていた。誰から、なんて考えるまでもなかった。クレアにはいつも優しかった、サンチェス家の使用人から、だ。
パズルのピースを嵌めるように、点と点が結ばれていく。もう言い逃れはできない。知らないふりはできない。セシルは長い間、義両親と使用人に虐げられていた。
だから──セシルは、みんなを殺した。セシルが殺した。
受け止めきれない事実の重さに、胸がつかえたように息ができなくなる。それでも、向き合わなければならなかった。気付けなかったクレアの罪を、背負わなくてはならなかった。
「
……
セシル、に、謝らなくちゃ」
止まってくれない嗚咽の隙間に、途切れ途切れの言葉が落ちる。セシルと話がしたかった。ちゃんと謝りたいと思った。セシルの痛みから目を背けたこと、たくさん傷付けてしまったこと。
きっと今のクレアは、セシルの言葉の半分も、理解できてはいないのだろう。優しかった使用人たちが、セシルに暴力を振るっていたなんて、まったく想像がつかない。セシルの話を聞いてもなお、彼らが二度と瞼を開けないことを、悲しいと思ってしまう。どれだけ言葉を重ねたところで、その溝が埋まることなんてないのかもしれない。
だけどクレアは、セシルが好きだった。
生まれてから今日まで、誰よりクレアの隣にいてくれたのはセシルだった。道端で見つけた小さな花も、任務後に見た悲しい夢も、最初に伝えたいのはいつだってセシルなのだ。
この家もクレアも大嫌いだと、泣き叫ぶようにセシルは言った。心の奥底では、クレアに優しくなんてしたくなかったのかもしれない。従者としての務めだからと、憎しみを隠しながら接していたのかもしれない。
それでも、クレアの気持ちは変わらない。二人で過ごした日々のすべてが、嘘だったなんて思いたくない。許してほしいだなんて言える立場ではないけれど、それでもこのままお別れだなんて嫌だった。
だから、こんな風に泣いているわけにはいかない。夢から覚めるのを待つみたいに、座り込んでいるわけにはいかない。隣にセシルがいないなら、クレアが自分で立ち上がらなければならないのだ。
頬を伝っていく涙を乱暴に拭い、小刻みに震える足を叱咤する。二人がどこへ消えたのか、クレアはどこに向かうべきなのか、考えたって分からないけれど──ただ嘆いているだけでは、状況は何も変わらない。
覚悟を決めるようにぎゅっと拳を握りしめ、クレアは深い夜へと駆けだした。
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