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柚鈴
2026-01-10 11:58:03
26679文字
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でぃあぷろSeason3 第0話②/第2話「悪夢」
執筆:2026/1/9〜1/15
pushing up daisies:「死んで埋葬されている」
悪夢:悪夢であってほしかったね
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第2話「悪夢」①
◇アリシア・シードゥス
アリシアを突き飛ばした手のひらの感触が消えない。
リオンに触れられた肩のあたりを、震える指先でなぞっていく。もはや跡形もないような、微かな体温を切り取って、空洞の心を満たそうとする。
ひとつの意味もない行為だ。頭ではそう理解していながらも、線を描く指先は止まらなかった。そうでもしていなければ、気が狂ってしまうと思った。
空虚な行為を続けたところで、正気を保てる保証はない。むしろ、これほど無意味な反復を止められないことこそ、気が触れてしまった証左なのかもしれない。
どこにも逃げ場のない悪夢が、乾いた空気に混じるように、アリシアを取り囲んでいる。吸い込みたくなくて、息を止めようとした。誰かに見られている気がした。
月が覗いている。月が。冷たい灰色が反射する月光。叫びだしたくなる。カーテンを閉めて! 喉奥から漏れかけた音に、鮮烈な想起が迸る。アリシアは知っていた。同じ感覚を知っていた。
皺になった真っ白のシーツを握りしめ、扉の向こうをじっと見つめる。リオンが迎えにきてくれるはずだった。母に見捨てられた夜、愛を失ったあの夜。痛いほどの孤独を癒やすように、リオンだけがアリシアを抱きしめてくれた。愛してるって誓ってくれた。
そう、愛だ。リオンは、アリシアを愛してくれている。だから、アリシアを置いていったりしない。それは絶対不変な真理のはずで、もしも叶わないのだとしたら、間違っているのは世界のほうだった。
──本当に?
ささやかな懐疑が、脈打つように囁きかける。
本当に、リオンはアリシアを愛していた? アリシアはリオンを愛していた?
偽物の愛しか注がれなかったくせに、どうしてそう言い切れる?
リオンが告げる「愛してる」を、抱きしめられた温もりを、きっと愛だと信じていた。
だけど同時に、自覚していた。彼女のくれる優しさが、罪悪感の裏返しであること。
それでもリオンを繋ぎ止めたくて、罪の意識を刺激し続けた。とっくに治った足の痛みを訴えて、怖がったふりで過剰に甘えた。
彼女の心を離さないためなら何だってした。それを愛だと信じていた。
それもこれも全部、本当は嘘だらけの欺瞞だった。初めから愛なんて無かった。
アリシアが勝手に勘違いして、一人芝居に耽っていただけ。
だからリオンは、アリシアを拒絶して姿を消した。
アリシアはただの一度も、愛されてなんかいなかった。
「──うるさい!!」
頭蓋の裏で鳴り響く声に耐えきれず、掻き消すように声を荒げた。
泣き叫ぶような母親の悲鳴が、静寂に満ちた病室を揺らす。どうして、と嘆く声。どうして。どうして。母親の声が、アリシアのものになって、唇から零れていく。
同じだ、と思った。言い逃れができなかった。
あの人は本物の愛を知らなかった、だからアリシアを支配するために愛の虚像を利用した。 結局のところは、アリシアも同じだった。忌み嫌った不潔な正当化と、同じ轍を踏んでいた。
「違う、違う違う違う! 私は──ッ!」
熱に浮かされたかのように、抜け殻じみた身体を起こす。
膝立ちでベッドから身を乗り出した先、床の上に転がったナイフに目が留まった。
リオンが肌身離さず身につけていた、彼女の固有武器。何人もの敵を葬ってきた、アリシアの首筋にも突きつけられた凶器。
ひとりきりで取り残されるくらいなら、いっそあのまま殺されていたかった。
信じたはずの愛を疑ってしまう前に、リオンの手で幕を下ろしてほしかった。
ほとんど力の入らない手で、放られたナイフを拾い上げる。冷たく鋭利な金属の感触。
思考を挟む余地もなく、半ば操られるように、アリシアはそれを自らの喉元に押し当てた。柔らかな肌に食い込んだ刃が、うっすらと赤い線を滲ませていく。止まない心臓の音があまりに痛いから、生まれたばかりの傷は沈黙していた。
衝動のままに刃先を沈めようとして、不意に指先が離れる。刹那の間隙を縫うように、手にしたナイフが滑り落ち、乾いた音を立てた。
鈍い銀色にこびりつく、僅かな血液と皮膚の残滓。リオンの武器を汚した、痛ましい自傷の痕跡。
彼女がこの光景を目にしたら、きっと苦しげに表情を歪めるのだろう──そんな想像が、胸を衝いた。避雷針に突き刺さる稲妻みたいに、まっすぐ心臓を貫いた。
「
……
リオン」
アリシア、と呼ぶ声が聞こえた気がした。都合のいい幻聴。だけど、発作のような自殺未遂を思い留まらせるには、それだけで十分だった。
首筋に開いたばかりの傷が、焼けるような熱を帯びる。リオンがくれるはずだった痛みと同じ場所に刻んだ赤色。繊維状に滲んだ血液が、涙の代わりに喉を引き攣らせた。
「リオンに、会いたい
……
」
震えきった覚束ない声が、顔を覆った指の隙間から漏れる。会いたい。声が聞きたい。最期になっても構わないから、思いきり抱きしめてほしい。今際の際みたいな願いが、不規則な呼吸と一緒に溢れていく。
好きだよ、リオン。世界で一番、誰よりも大好き。たとえ世界のすべてが嘘でも、この気持ちだけは信じていたい。だって、リオンのくれるものだけが、アリシアの生きる理由だったから。
リオンへの愛は、この約束は、何があっても本物だ。
だから、それを証明するために──アリシアは最期まで、愛に殉じなければならない。リオンの腕に抱きしめられながら、ハッピーエンドで終幕を飾らなければならない。
乾き始めた血液を指で軽く拭い、アリシアはナイフを握りしめて立ち上がった。焦がれるような鼓動が、竦んだ足を駆り立てる。
窓は開いていた。彼方の月光に導かれるまま、躊躇うことなく飛び降りる。首筋の傷が染みるように痛んで、心臓がふたつに増えたみたいだと思った。
目指すべき場所も知らずに、道標のような愛を抱いて、冷たく澱んだ街を駆け出す。
裸足で踏みつけた地面は、通り雨に降られたように濡れていた。
◇リオン・クルス
瞼の裏がずきずきと爛れるように痛い。光に焼けて劣化した映画のスクリーンみたいに、網膜が異常な熱の痕跡を残して傷んでいる。何度も剝がした瘡蓋が腫れて、その濁った赤さえもやがて薄れていくような、そうやってすべてが冷めていくことへの恐怖。言い知れない不安。
ひとりになるのが不安で怖い、とアリシアが泣きだしそうな目をするたび、その感情を中和するように彼女を抱きしめていた。アリシアに何かをしてあげたいと思っていた、しなければならないと思っていた。それが私の贖罪だと。
そんな風に、自分を与える側だと思い込んでいたことこそ、救いようのない傲慢だったのだろう。抱きしめたときの体温、混ざり合うみたいな心臓の音。不安を拭われていたのは、きっとリオンの方だった。それを正当化する理由を探していただけで。
「リオン」
いつかの夜とよく似た瞳を浮かべて、アリシアがこちらを振り返る。手を伸ばすこともできないまま、彼女の身体が崩れて灰になる。舞い散る遺灰が雨に流れていく。
短いフィルムは巻き戻され、何度も何度も再生される。視界を埋める同じ光景。繰り返しの白昼夢。悲鳴を上げることすら許されず、終わらない罰に閉じ込められる。
愛ではない。愛ではなかった。醜く浅ましい所有欲。屍体を食らう獣の性。止まない断罪が反響する。幻のような冷たい雨が、頬を打ちつける。
ただ、アリシアを守りたかった。純粋だったはずの願いは、いつしか歪められてしまった。だからアリシアは死んだ。リオンが殺した。リオンにはアリシアを愛せなかった。
流動体のような心臓が、気味悪く蠢いて肋骨を叩く。死んだように生きている、今でも。指先ひとつ動かせないまま、打ち棄てられたがらくたのように、不規則な呼吸を鳴らしている。降り止まない酸性雨が、すべてを溶かしてしまったみたいだと思った。現実と夢の境目も、掠れた声の意味も、過ぎていくはずの時間も。
誰かの幻影を見ていた。誰かの名前を呼んでいた。縋るように、忘れないように。握りしめた糸がほどけて、手のひらから失われていく。自分の手を見ていたつもりで、それが何なのか分からなくなった。
ほつれた銀糸のような雨が降る。表面を雫が伝っていく、濡れたものを何と呼ぶのか忘れた。冷たさだけが巣食っていく、孤独という言葉だけでは形容するのに足りない。
夜に荒んだ双眸が、操られるように上を向く。天高く聳える暗闇の群れが、醜悪な欲を煮詰めた影のように、音もなくこちらを見下ろしていた。
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